89 第四章アルコール中毒の親 リビングルームの恐竜 アルコール中毒者のいる家庭では、「事実の否定」 ( 第一章三十九ペ 1 ジを参照のこと ) が家 ひゅ 族全員の心の巨大な部分を占めている。家にアルコ 1 ル中毒の人間がいるというのは、比喩 的にいうならば、リビングルームに恐竜が居座っているようなものである。外部の人間から 見れば、そんな巨大なものがそこにいるのは歴然としており、とても無視できることではな い。だが家族はその化け物に対してなすすべがなく、その無力感から、そんなものは自分た ちの家にはいないことにしてしまう。それが彼らにとって、家族が共存できる唯一の方法だ からである。そういう家庭においては、「嘘」「言い訳」「秘密ーが空気のようにあたりまえ のことになっており、それが一緒に暮らしている子供に計り知れない情緒の混乱を引き起こ 親がアルコール中毒の家庭における、家族の情緒的および心理学的な状態は、親が薬物中 毒 ( 非合法のドラッグか医師の処方による合法的な薬物の依存症かにかかわらず ) の家庭と基本 的には同じである。この章では特にアルコール中毒の親の話に絞っているが、薬物中毒の場 第四章アルコール中毒の親
ない場合にはどうにもならないと思われる方もいることだろう。だが、親がすでに存在しな くても、〃対決〃を行う方法はいくつかある。 そのひとっとして、言い分を手紙に書き、親の墓の前で読み上げるという方法がある。そ んなことが、と思われるかもしれないが、これは実際に非常に効果のある方法であることが 多くの人によって証明されている。この事実はちょっと意外かもしれないが、そうすること によって実際に親に語りかけているような感覚が心のなかに呼び起こされ、長いあいだ抑え 込んできた感情をようやく吐き出した実感を与えてくれるのである。私は長年のあいだに、 この方法によりポジテイプな結果が出たというリポートをたくさん受け取っている。 つぎに、親の墓まで出かけていくのが現実的に難しい人には、同様の手紙を親の写真に向 かって読む、あるいはだれも座っていない椅子を目の前に置いてそれに向かって読み上げ 'G る、またはあなたの問題を理解しサポートしてくれている親しい人のなかから協力者を見つ 立けて ( あるいはカウンセラ 1 に ) 親の役をやってもらいロール・プレイをするという方法もあ る。 一一一もうひとっ強力な方法がある。親戚の人 ( 願わくは親と近い世代で、叔父や叔母など血のつ 第ながりが近い者がよい ) に相手になってもらい、親から受けた体験や人生についてその人に 話すのである。もちろんこれは、親からされたことについてその人に責任を取ってもらおう 9. = 一口 というのではない。だがこの方法によって真実を語ることができれば、実際に親に向かって
自分の責任を取る 第十三章独立への道 「そんなことは無駄だ」という意見について 〃対決〃はなぜ必要か ″対決〃はいつ行うべきか ″対決〃の方法 ①手紙による方法 図直接会って話す方法 どのような結果が予想されるか 話し合いが不可能な場合 ひとつの例 その後に起きること その後どのような新しい関係が持てるか ひとつの例 病気または年老いた親の場合 すでに死亡している親の場合 250 257 282 2 ララ
226 である。これは「心理劇」とも呼ばれ、対話だけの受け身の治療ではなく、被治療者が積極 的に行動訓練に参加するアクテイプな方法である。この方法を使うと、自分の態度や一一 = ロ動に ついてそれまで気がっかなかったことが驚くほどたくさん発見できる。どのような論争でも よく陥るパターンは、自分を防衛するために相手に対して攻撃的になってしまい、争いがエ スカレートするというものである。「ロ 1 ル・プレイ」をやってみるとそれがよくわかり、 そうならない対応の仕方を練習することができる。 自分を防衛するために相手を攻撃しない こういうことは子供の時から学校などで学ぶことはないので、大人になってから身につけ るのはなかなか難しい。意識的に学び、くり返し練習するしか方法はない。ほとんどの人 は、人と衝突すると、自分を防衛するためについ相手に対して攻撃的になってしまう。そう しなければ相手はそれにつけ込んでますます攻め込んでくるだろうと考えるからである。だ が事実はその反対だ。冷静さを失わないまま、譲らないところは譲らないという態度こそ強 さを保持できるのである。 「毒になる親ーと向かい合って話をするために絶対に身につけていなければならないのが、 この「自己防衛的にならない対応の仕方」である。これこそが、「争いのエスカレート」と いうまったく無意味であるにもかかわらずだれもがくり返す悪循環を断ち切ることのできる
288 くつかある。 いうべきことを手紙に書き、投函する代わりに親の写真に向かって読み上げるという方法 もある。カウンセラーに親の役をやってもらい、ロール・プレイを行うのも効果がある。こ れらについて詳しくは、一一百九十ページの「すでに死亡している親の場合」の項で述べる。 意外に思われる方もいるかもしれないが、私がカウンセリングしたいくつかの例では、こ れらの方法は、親が同居していて二十四時間介護を必要としている人の場合でも有効である ことが証明されている。また、そういう親に対して子供のほうからオープンに接しようと努 力することが、テンションを和らげることもあり、その結果、世話がしやすくなったケース もある。 だが、直接の " 対決〃をしたために不和が拡大し、同居生活がそれまで以上に耐えがたい ものとなる可能性も大きい。そうなっても同居をやめることができない場合には、直接的な " 対決〃ではなく代わりの方法を用いるほうがよいかもしれない。 第三章に登場した、母に反抗するあまり結婚しないで生きてきた実業家は、その後ようや 彼よ言いたいことはたくさんあったが、問題は母 く母と″対決〃して話をする決心をした。 , 。 親が八十一一歳という高齢のうえ、数年前に心臓発作を起こして以来、健康状態が衰えている しまだにああしろこ ことだった。だがそれにもかかわらず、母は電話や手紙をよこしては、 ) うしろと指図し続けていた。彼は中年を過ぎたいまになっても、母に会いにいくのは平和を
7 はじめー 者はその後も引き続き活動を続けている ) 数千人の悩める人々を診てきたが、その多くは子供 時代に親からしつかりと心を支えてもらった体験がなく、むしろその逆に心や体を傷つけら れたり、過大な圧力をかけられ、そのために心の健全な成長が妨げられ、自分が生きている ことに価値を見いだせない苦しみを抱えていた。 ところがいまあげた整形外科医の例でもよくわかるように、自分の身に起きている問題や これはよくある心理 悩みと「親」との因果関係について気づいている人はほとんどいない。 的な盲点なのである。なぜかといえば、ほとんどの人は、自分の人生を左右している問題の もっとも大きな要因が親であると考えることには抵抗を感じるからである。 一方、カウンセラーの取る手法のほうは、かっては被治療者の幼児期からの体験を分析す ま見在のことのみに注目 ることに多くの比重が置かれていたが、最近の傾向としてよ〃ゝ し、過去の出来事には触れないまま現在の行動パタ 1 ンや心理機能を改善することに力点が 置かれている。治療法がこのように変わってきた主な理由は、過去にまでさかのばって体験 を分析して行う方法は膨大な時間がかかり、それにともなって被治療者の負担する治療費も こかさみ、そのわりには効果がはかばかしくないこともあるからだと考えられる。 私自身、〃いま現在〃の問題だけに焦点を合わせる短期集中的セラピーの利点はよく認識 しており、その方法に異論をとなえるつもりはまったくない。しかし、現在あらわれている 症状だけを対象として取り扱う方法は対症療法であり、それだけでは十分でないことは経験
のは親の反応がどうだったかではなく、自分にどれほどの勇気がありどのような態度を取れ たかということなのである。 この″対決〃の必要性をこれほど私が力説するのは、それには実際に効果があるからであ る。私はこれまで何年間にもわたり、この方法が何千人もの人たちに劇的でポジテイプな変 革を起こすのを見てきた。心には強いプレッシャーがかかるが、はっきりと〃対決〃すると いうことは、心の最深部に横たわっている″恐れ〃に顔をそらさず直面するということであ り、それだけでも、いままで圧倒的に親のほうに傾いていた心理的な力のバランスを変えは じめることになるのである。 もしこの方法を取らなければ、残る道はその恐れとともに残りの人生を生き続けることし かない。そして、自分自身のために建設的な行動を起こすことを避け続けていれば、無力感 や自分に対する不十分感は永久になくならず、自尊心は傷ついたままだ。 そして、実はもうひとつ、決定的に重要な理由がある。それは、あなたに負わされたもの は、その原因となった人間に返さないかぎり、あなたはそれをつぎの人に渡してしまう、と いうことなのだ。 もし親に対する恐れや罪悪感や怒りをそのままにしておけば、あなたはそれを人生のパ ″対決″はなぜ必要か
母ではなく、ただの弱々しい老婆にすぎなかったのだ。こうして彼は、苦痛に満ちた過去の 記憶に動かされ続けるのではなく、現在の母をそのままの姿で見ることができたのである。 彼のケースは〃対決〃が多少でもよい結果を導いた例であるが、もちろん必ずこうなると はかぎらない。高齢だったり病弱になっていることは必ずしも「毒になる親」が真実と向き 合うことを容易にさせるとはかぎらないからだ。晩年優しくなり、自分の余命が日々少なく なっていく事実と直面することで、自分の行動の責任を取れるようになる親もいるが、その 反対に、ますますかたくなに「事実の否定」に固執し、ますますつむじ曲がりで機嫌が悪 怒りを吐き出すようになる親もいるのである。 そのような親にとっては、すでに中年を過ぎている子供を攻撃することが自分の″うつ状 態〃と″老いの恐怖〃をまぎらわせる唯一の方法なのかもしれない。残念ながら、そういう 親は子供の気持ちなど永久に理解することなく怒りと恨みを抱えたまま墓に入ることになる だろう。だが、もしそうなったとしても、それは仕方のないことだ。それはだれにも止めら れないし、重要なことではないのである。重要なのは、あなたが言わなくてはならないこと を言ったかどうか、ということなのだ。 すでに死亡している親の場合 これまで本書の述べてきたさまざまな方法をいくら理解したところで、親がもう生きてい
″対決〃は、直接会って話すのが基本だが、それができない事情がある場合は手紙を書いて もよい。電話で話せば安全なように思えるかもしれないが、実際には効果がなくまず失敗す 道 のる。電話というのは非常に人工的な道具なので、感情的なコミュニケーションには向いてい 立ないうえ、一方的に切られてしまう可能性もある。もし親が遠く離れたところに住んでいて 直接会えないようなら、手紙のほうがよい。 章 十 第い手紙による方法 文章を書くというのは、頭のなかを整理し、自分の考えや言いたいことをまとめるのに非 常に効果がある。しかも満足がいくまで何度も書き直すことができ、受け取った人は何度も この四番目の条件は特に重要である。子供時代のトラウマの責任が親にあるという確信が まだ十分できていない状態では、″対決〃はできない。だが、この四つの条件が満たされ、 ある程度の自信が持てるようであれば、行動を先に延ばすべきではない。 それは数年先 いますぐは無理、という場合には、時期をあらかじめ設定しておくといい。 のことになる場合もあるかもしれないが、それが実行を延期させるための口実であってはな らない。それまでに十分な準備を整え、練習し、具体的な時間的目標を立てるためである。 ″対決″の方法
194 第ニ部のはじめに 本書の第一部では、「毒になる親」とはどのような親なのか、彼らは子供に対してどのよ うな有害な行為をし、それらのことは子供が成長してからどのような問題を引き起こす原因 となるのか、ということについて実例をあげて説明した。第二部は、不幸にしてそのような 親を持った人間がいかにしてその悪影響から身を守り、自滅的な行動パターンを建設的なも のに変えて、自分の人生を自分のものとして生きていくにはどうしたらよいかについて具体 的な方法を示そうとするものである。 ただし、ここに述べられている内容は、現在すでに心理学的治療を受けている方がその治 療の代用になるようにと意図して書かれたものではない。そういう方は、現在受けている治 療を続けられ、本書はその補助として役立てていただきたい。また、本書を読みながら自分 せつかん の抱える問題を独力で解決しようと試みることはかまわないが、親から折檻などの肉体的虐 待もしくは性的虐待を受けたことのある被害者は、どうしても専門家の助力が必要である。 のが さらに、苦しみから逃れるために薬物を使用したり、アルコール類に頼らねばならない人 は、本書に書かれている方法によって自分の問題を解決しようとする前に、それらのものを 必要とする衝動を抑えられない自分と取り組んでおかなくてはならない。そのような依存症