やって。このカーチャがその気になればよ、いますぐにでもシベリア流しにできんのよ、ひと言、 口をすべらせばね」そのとき、カーチャはいまは探していられないけど、こんどは見つけようと、 固く約束してくれた。ヴェリチャーニノフがいま当てにしていたのは、ほかでもない、彼女の協 力だったのである。 町へ着いたのはもう十時だったが、さっそく例の女を呼び出し、連れ出した分の金は然るべき 抱え主に払っておいて、いっしょに探しに出かけた。とはいえ、自分でもまだ分らなかったのだ 。、、トルソーツキイを相手に、一体、どうしようというのか、何か因縁をつけて殺すのか、それ 夫 とも、ただ、娘の死んだことや、埋葬にあたっては彼の協力が欠かせないことを知らせるために、 の探しているのか。最初は失敗に終った。マーシカ・プロフヴォストーヴァはつい、おとといのこ 遠と、トルソーツキイと仲たがいをし、勘定係か何かが〈トルソーツキイの頭を腰掛でなぐった〉 ということが分っただけだ。要するに、時間をかけたのに探し出すことができなかった。そして、 やっと、夜中の二時になって、ヴェリチャーニノフは、とある教えられた建物の人口で、突然、 思いもかけず、当の彼にばったり出つくわしたのだ。 トルソーツキイは酔いつぶれ、ふたりの女に引っぱられてこの建物にやって来た。女のひとり が彼の腕を取って支え、そのうしろからは、のつぼで威勢のいいゆすりか何かがついてきて、喉 をからして叫び、何やらおどし文句を並べて、トルソーツキイをさんざんにおどしていた。聞い ていると、こいつに〈いいようにされて、につちもさっちもいかなくなった〉という一一一口葉もあっ た。話はどうやらお金のことのようで、女たちはすっかりおじけづき、いそいでいた。と、トル のど
と娘たちが姿を見せた。 「トルソーツキイさん、どうして、あたくしたちのところにいらっしやらないんですか。向うで は本当に面白いんですのよ。お芝居ごっこをしていますの。アレクセイ・イヴァーノヴィチが 『小姓』をなさったんですよ」 「トルソーツキイさん、どうしていらっしやらないんです。あなたにいらしていただいて、楽し まなくちゃ」通りすぎて行くほかの娘たちが声をかけた。 「またまた、何を楽しむっていうの」とマダム・ザフレビーニナの声がふいに聞えた。夫人はた 夫 ったいま目がさめたところで、やっと庭に出て、お茶の時間を待っ間、〈子供じみた〉遊びを見 のてやろうという気になったのだ。 遠「ですから、ほら、トルソーツキイさんがですよ」と夫人に指さしてみせた窓には、引きつった 笑いを見せながら、腹立たしさでまっさおになったトルソーツキイの顔がのぞいていた。 永 「まあ、物好きなこと、みんながあんなに楽しくしているのに、ひとりぼっちでいらっしやるな んて」とこの家の母親は頭をふった。 そうしている間にヴェリチャ 1 ニノフは、ナージャの口から、さきほど彼女が〈ちょっとした 理由があって、彼の来たのをうれしく思う〉といった、その言葉の説明をかたじけなくも、やっ こみち と聞かせていただくことができた。離れたところにある小径で聞くこととなった。ちょうど何か の遊びでもういいかげんうんざりしかけてきたヴェリチャーニノフに、マリヤ・ニキーチシナが わざわざ声をかけて、この小径まで連れてくると、そこで、彼とナージャをふたりきりにさせた 177
とになりかねなかったのだから、うんぬんというのだ。つまり、ひと言でいえば〈守り神とし て〉むかえたいという。 「それに救い主だ、救い主です」と槍騎兵が熱っぽくいい張るのだった。 ヴェリチャーニノフはていねいに礼をいい、自分はいつでも出かけて行く用意がある、何しろ 暇で、何もやることのない人間で、オリンピアーダ・セミョーノヴナの招待はうれしいかぎりだ と返事をした。そのあと、さっそくにぎやかなおしゃべりとなり、お世辞も上手に、ふたっ、み つつ、はさんだものである。リーポチカは満足のあまり赤くなって、トルソーツキイが帰るやい とうりゅう 夫 なや、ヴェリチャーニノフさんがご親切にも、まるまる一カ月、自分たちの田舎に逗留してほし のいという彼女の招待を受け人れ、一週間後には来ようと約束してくださったと、浮き浮きして報 遠告したものである。トルソーツキイはカなく笑ってみせるだけで、黙りこくっていた。オリンピ アーダ・セミョーノヴナは彼に向って、肩をすくめてみせ、空を仰ぐのだった。ついに、別れの ときが来た。もう一度、お礼の言葉、ふたたび〈守り神〉、ふたたび〈ミーチンカ〉とひとくさ り挨拶を交わしたあと、トルソーツキイはやっとのことで細君と槍騎兵を汽車に乗せた。ヴェリ チャーニノフは葉巻に火をつけ、駅前のアーケードをぶらぶらし始めた。彼はトルソーツキイが 発車のベルが鳴るまえに、ひと言、話をしようと、いまにも戻ってくるのを知っていた。そのと おり、トルソーツキイはその目と顔全体に不安な疑問の色を浮べて、さっそく、彼の前に現われ たのだった。ヴェリチャーニノフはにつこりして、〈友人らしく〉その肘に手をかけ、手近のべ ンチに引っぱって行くと、腰を下ろし、彼も隣に坐らせた。だが、自分は黙っていた。トルソー
いた。このマリヤ・ニキーチシナはもう二十三歳ほどになる娘で、皮肉屋の、才女といってもよ く、近所の知りあいの家族の小さな子供たちを相手に家庭教師を勤め、ずっと以前からザフレビ いちもくにもく ーニン家では身内同様であり、娘たちからは一目も二目も置かれていた。見たところ、彼女はい ま、ナージャにとっても特に欠かせない存在だったようだ。ひと目見た瞬間、ヴェリチャーニノ フは娘たちが全部、それに友人たちまでがトルソーツキイに反感を持っているのを見抜いたが、 次の瞬間、つまりナージャが出て来たあとは、彼女まであの男を憎んでいるなと判断した。また、 トルソーツキイがまったくそれには気づいていない、というか、気づくまいとしているのも見て 夫 とった。ナージャが姉妹の中で最も美しいことは議論の余地がなかったーーー人間ぎらいといった のところがあり、ニヒリストのような大胆さをそなえた小柄のプルーネットで、炎と燃える目、う 遠っとりするばかりの徴笑、といっても、これがよく意地わるな徴笑になるのだが、それにおどろ くばかりに美しい唇と歯の持主であるずるい小悪魔でもあれば、ほっそりとスマートで、熱つぼ い表情に思想が芽生えかけていたものの、同時にまだまだ子供じみたところがあった。その歩き ぶりや一一一口葉のはしばしに十五歳という年齢が見てとれた。あとで分ったことだが、トルソーツキ イが初めて彼女を見かけたときは、本当に油布で作った鞄を手にしていたのだ。だが、いまでは もう鞄は下げていなかった。 腕輪の贈り物はまったくの失敗に終り、不愉快な印象すら与えてしまった。トルソーツキイは 部屋に入ってきた花嫁を見かけたとたん、さっそく、にやにやしながら彼女に近寄って行った。 そして、《このまえ、ナジ = ージダ・フドセーエヴナがピアノのき語りで、美しいロマンス
「いいわけないでしよう」疲れも知らずに部屋を歩きつづけていたヴェリチャーニノフは、彼の 方を見向きもせずに怒って答えた。 こちらは服を脱いで、横になった。十五分ばかりして、ヴェリチャーニノフも横になり、ろう そくを消した。 彼は不安な気持で寝人った。何やら新しい、いっそう事態を紛糾させるようなことが、突然、 どこからともなく現われて、いま、彼をいらいらさせている感じだ。と同時になぜか、この不安 な気持が恥ずかしく田 5 えた。うとうとしかけたのだが、何かがさごそいう音がして、ふと目ざめ 夫 た。さっそく、トルソーツキイのべッドの方をふりかえってみた。部屋は暗かったが ( 窓掛けは のすっかり下ろしてあった ) 、 トルソーツキイが横にならずに起き上がり、べッドに坐っているよ 遠うに思えた。 「どうなさったんです」とヴェリチャーニノフが声をかけた。 「幽霊ですよーしばらく待ってから、聞えるか聞えないかの声でトルソーツキイがいった。 「何ですって、何の幽霊です」 「あちらです、あの部屋のドアのところで、幽霊を見たようなんです」 「誰の幽霊ですか」と、しばらく黙っていたあと、ヴェリチャーニノフがたずねた。 「ナターリヤ・ヴァシーリエヴナのです」 じゅうたん ヴェリチャーニノフは絨毯に下り立っと、控えの間からその部屋をのぞいてみた。ドアはいっ も開いたままである。窓には窓掛けがなく、プラインドだけで、そのためずっと明るかった。
けないときに : ・・ : 〉ということを。 だが、ヴェリチャーニノフが突然、笑いだした。 「いやね、ぼくらは友人同士なんですよ、幼ないころからのね」とカのない徴笑を浮べているト ルソーツキイの肩を右手で親しげにいたわるように抱きながら、びつくりしている婦人に向って 大声でいった。「ご主人がヴェリチャーニノフという男のことをお話しになっていませんか」 「いいえ、一度も話してくれませんですわ」細君は何やら上の空だった。 「それじゃあ、ひとつぼくを奥さんに紹介してくださいな、君も友だちがいのない人ですね」 夫 「ああ、リーポチカ、こちらがそうなんだよ、ヴェリチャーニノフさんさ、そうなんだ : : : 」と のトルソーツキイは不面目にもいいよどんだ。細君は明らかに〈リーポチカ》 ( 物にダのヒ ) など 遠と安つぼくいわれたのに、かっとなり、意地わるく目を光らせて彼を見た。 「ね、どうですか、結婚したことも知らせてくれない、結婚式にも呼んでくれないんですから。 でも、奥さまはですね、あのう、オリンピアーダ : : : 」 「セミョーノヴナですーとトルソーツキイがそっと口を出した。 「セミョーノヴナです」と眠りかけていた槍騎兵が突然、合いの手を人れた。 「あなたはひとつ、ご主人を許してあげてください、オリン。ヒアーダ・セミョーノヴナさん、わ たしに免じて、旧友の出会いに免じてですね : : : 。優しいご主人なんですから , そしてヴェリチャーニノフはトルソーツキイの肩を親しく叩いた。 「ねえ、おまえ、ぼくはちょっと : : : 遅れただけなんだよ」とトルソーツキイは弁解をしかけた。 245
ありませんか」 「はずすのが当然でしような」 「まさか、そんな、当然だなどと」トルソーツキイは考えこんだ。「いや、わたくしはやつばり、 つけておいたほうがいいと : : : 」 「お好きなように」 〈ああはいいながら、おれのことは信じていない、こいつはいいぞ〉とヴェリチャーニノフは考 えた。 夫 ふたりは部屋を出た。トルソーツキイは満足そうに、しげしげと、着飾ったヴェリチャーニノ のフを眺めていた。その顔には、いっそうの敬意と威厳が表われているようでもあった。ヴェリチ 遠ャーニノフはその彼を見てびつくりしたが、それ以上にわれながら着飾ったのにびつくりした。 門のところには、りつばな馬車がふたりを待っていた。 「もう馬車をちゃんと用意なさっていたんですか。そうすると、わたしが出かけるものと、自信 がおありになったのですな」 「馬車は自分用に呼んだのですが、あなたが出かけるのを承知してくださるだろうと、だいたい、 自信がありましたね」とトルソーツキイは自分ぐらい幸福な男はいないとばかりに返事をした。 「ねえ、トルソーツキイさん」すでに馬車の席について、揺れだしたとき、ヴェリチャーニノフ は何か腹立たしげに笑いだした。「あなた、わたしのことで、かなり、たかをくくってらっしゃ るんじゃありませんか」 152
色よいお返事がいただけませんかな、ヴェリチャーニノフさん」と、すっかりおずおずして話し 夂へつこ 0 「だからといって、わたしがどうして出かけなくちゃならないのです。もっともと、あわてて つけ加えた。「どっちみち、わたしは参りませんからね、くどくど理由を並べたてんでください」 「ヴェリチャーニノフさん : : : 」 「大体、わたしがですよ、あなたと並んで出かけられますか、考えてもごらんなさい」 花嫁の話をするトルソーツキイのおしゃべりで、いっとき、気がほぐれたあと、ふたたび、彼 夫 に対して虫の好かない、敵意といった感情がよみがえってきた。このあと一分もしたら、おそら のく相手を追い返していたかもしれない。なぜか知らないが、自分で自分に腹が立ったほどである。 遠「お乗りになってください、ヴェリチャーニノフさん、並んでお乗りになって、べつに後悔なさ るようなことはありませんから」と、ほろっとさせるような声で訴えた。「いけません、いけま せん、いけませんですよ」と、ヴェリチャーニノフのいらいらした、断固とした身ぶりを見てと ると、彼は手をふり始めた。「ヴェリチャーニノフさん、ヴェリチャーニノフさん、初めつから 決めてかかるのはお待ちになってください。お見うけしたところ、あなたはどうやら、わたくし を誤解なさっているようです。そりゃあ、わたくしだって、分りすぎるぐらい分ってますよ、あ なたにしても、わたくしにしても、おたがい、友だちなんかじゃありません。わたくしだって、 そんなことが分らないほどの馬鹿ではありませんから。それに、いまこうして厄介なことをおね がいしておりますが、先に行ってご迷惑をおかけするようなことは決してございません。だいた 149
キイはなおも、肩を並べて歩きつづけた。 「そういうことでしたら、失礼させていただきますですーと彼のほうからついにいった。 「失社します、よろしく : ヴェリチャーニノフはふたたびすっかり気落ちして家に帰った。〈あの男〉との出会いは耐え がたかった。べッドに人ってから、また考えた。〈なんで、墓地の近くなんかにいたのだろう〉 翌日の朝、彼はついにボゴレーリツェフ家に出かけて行くことに決めたが、それはいやいや決 めたのだった。相手がたとえボゴレーリツェフ家のものにせよ、他人から同情してもらうという 夫 のが、いまではあまりにも辛いことだった。しかし、向うが彼のことを非常に心配してくれたと のあって、彼は何としても出かけないわけにはいかなかった。だが、ふと、彼らと顔をあわせたと 遠き、なぜか、非常に恥ずかしい目に会うのではないかと思えた。〈行くべきか、行くべきでない か〉彼は早いところ朝食をすまそうとしながら考えたが、そのとき、突然、まったく仰天したこ とに、トルソーツキイが彼の部屋に人って来たのだ。 きのう会っているにもかかわらず、ヴェリチャーニノフはこの男がいっかまた自分の前に姿を 見せるなど、想像もできなかったし、すっかりとまどったため、彼を見ながら、何といったもの か分らなかった。ところが、トルソーツキイのほうは勝手知ったもので、挨拶をすますと、三週 間まえ、最後にたずねてきたときに坐ったのと同じ椅子に腰を下ろしたのである。ヴェリチャー ニノフはふと、その訪問のことを、特にありありと思い浮べたものである。不安げに、嫌悪の色 もあらわに客を眺めていた。 142
せて、これから《人殺し〉を連れてくるといい放った。そして、明日まで待ったらという忠告も 聞かばこそ、さっそく町へ出かけて行った。 へテルプルグへ出かけて行った どこへ行ったらトルソーツキイに会えるか、彼は知っていた。。 のは医者を連れてくるためだけではなかった。ときどき、この日ごろ、臨終の床にあるリーザの ところへ父親を連れてくれば、その声を聞いて、彼女が正気に返るように思えたのだ。で、必死 になって彼を探しにかかったのである。トルソーツキイは前と同じように間借りをしていたが、 そこでは何を聞いても無駄だった。「三日ばかり寝泊りしていませんし、だいたい、寄りつきま 夫 せんのーとマリヤ・スイソーエヴナが報告した。「かと思うと、いきなり、酔っぱらって帰るの のですが、一時間と腰を落ちつけず、また、ふらふらと迷い出て行きます。もうすっかり乱れてま 遠すよ」ところが、ボクロフ・ホテルのポーイがヴェリチャーニノフに知らせてくれたところでは、 トルソーツキイはもう以前からヴォズネセンスキー通りのいかがわしい女たちのところに出人り しているという。ヴェリチャーニノフはすぐに女たちを探し出した。金を握らされ、ごちそうま でしてもらった女たちはその場で客のことを思い出したが、それはほかでもない、喪章のついた 帽子のせいだ。そして、たちまち彼のことをあしざまにいいだしたが、それはもちろん、ばった り来なくなったからである。その中のひとり、カーチャというのが引き受けて「いつだって、ト ルソーツキイを探し出してあげるわ。だって、いま、マーシカ・プロスタコーヴァのところに人 りびたっていて、お金ときたら底無しに持ってんのよ。マーシカのほうだけど、プロスタコーヴ ア ( 間抜け ) じゃなくって、プロフヴォストーヴァ ( ずるい ) ってとこね、病院に入ったりしち