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検索対象: 現代人の心をさぐる
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1. 現代人の心をさぐる

心の耐性の未熟さ〈精神医学から見た現代青少年の精神問題〉 はじめに 折現代青少年の精神病理現象として、登校拒否、無気力症、家庭内暴力、種々の非行、拒食 の症・多食症などが急増している。 そ レ」 これらは一つの社会問題化した感があるが、それだけに現代青少年問題を考える上で重要 達 戻である。 発な兆イ 、し たまたま私は、これらの精神病理現象について、日夜臨床的に診断と治療を行っている。 の 春この精神科医の立場から、これらの事象の認識を通して、その背後にある現代の青少年の心 思 の耐性の未熟さについて考察を述べたい 一、境界パーソナリティー障害と現代青少年の心理 いすれも現代の思春期、青年期の女性の欲望のコントロールの困難さとストレスと の深い関係を持っている。精神医学的な診断と治療が重要だが、同時に、生命の危 険を伴う場合があるので、身体面の管理とケアが大切である。 ( 『現代用語の基礎知識』自由国民社刊から )

2. 現代人の心をさぐる

116 の間に、 子供をつくるという共同作業以外、何もなかったような気がしてきた。夫にしても 同じようだ。 この夫人の話は、女性の生き方とライフサイクル ( 人生の図式 ) というものをつくづく 考えさせる。 第一に、もし夫人が子供を持っことにこんなにもすべての生活をかけないで、一方で、 仕事を持ったり、あるいは妻として夫との間にもっと別な形で生活をともにする道をいろい ろと持っていたならば、たとえ子供が持てなくても、夫婦の愛情や家庭生活全体は、これほ どに危機的なものにはならなかっただろう。 一に、こんなにも子供にこだわる背景には、。 とうやらかすがいがないと二人が一緒にや っていけないという不安がある。二人きりになって、夫と妻がお互いの愛情やいろいろな考 えを話し合ったり、あるいは子供を持っこと以外のいろいろな生活を十分に楽しめる自信が あれば、こんなに子供、子供と言わないで済んだことだろう。 第三に、ライフサイクルの問題がある。たしかに男性にしても女性にしても、自分たちの 愛情だけのことを考えている段階から、子供をつくり、その子供を育てはぐくむ親の心を持 つようになるのが、心の成熟というものだ。 しかし、こういう意味での心の成熟は、必すしも実の子供を生んだり育てたりする経験の 中からだけ発達するものではない。夫の立場で言えば、後輩を指導したり育てたりする営み

3. 現代人の心をさぐる

そして、それぞれの家庭が周囲の近隣社会から孤立して、ひたすらこうした経済的な自分 たち中心の繁栄を求めようとする。結局、そうした家庭の雰囲気の中から、商業主義のいし カモになるような、お金だけしか使えないような、消費的な子供たちが生産されているとい うのである。結局、それぞれ仲間とか、連帯感とかいうものが持てなくなってしまう。孤独 感と豊かさは表裏一体であるという指摘がある。 四番目の基本症状は性役割の葛藤である。 私が訳していて、いままでの三つの基本症状はほば日米共通した現象を分析しているとい う印象だったが、この性役割の葛藤についての認識については、米国特有なユニークさがあ るように思った。ここで、その興味深い点を挙げると、現代社会ではむしろ女の子はますま す理想主義的になり、男の子はますます保守的になっているという指摘である。いまや女の 子たちは、一方でキャリアウーマンになり、他方でよき妻になり、さらに子供も生んで育て るといった「何でもかんでもすべて実現できるというスー ーウーマンのイメージを目標と するようになっている。 最近の『朝日新聞』によれば、 いまやアメリカのキャリアウーマンの間に、三十代、四十 代近くで妊娠して子供をつくるのが一つの流行だそうだ。有名なテレビタレントやニュース キャスターの女性が、マタニティードレスを着て、おなかの大きい姿のままテレビに登場す る。

4. 現代人の心をさぐる

思の疎通をはかる努力も大切だ。医師・患者関係は一つの契約関係である。それなりの人間 的な信頼を基盤にしている。その信頼を患者の側で裏切って、無断でほかの医師にかわって しまうということや、内緒で別な医師のところに診察をあおぐことは、⑩先生にしてみれば、 後でわかればとても不諭快なことだろう。むしろそれなら初めからちゃんとその事情を説明 して、了解を得ることのほうがはるかに合理的ではなかろうか 最近は、医師の診療態度や診療過誤について世論はなかなか厳しい。また、医師のほうも しかし、患者さんになる人びとの側にも、医 大いに反省すべき問題は多々あるに違いない。 者のかかり方という点について、昔のような一対一の人間的な関係を軽んじる人が次第に多 くなっているのではなかろうか 以上のべた一見ささいに見える心構えいかんによって、医師・患者関係の質はすいぶん違 ったものになる。よい医師・患者関係を持っことができれば、それだけ医師の患者さんに対 理する認識も正確になり、診断と治療もより望ましいものに近づく。医者に対するかかり方一 窈つで、患者さんになる方々の運命もすいぶん違ってくる。それだけにこうした心がけはとて 患も大切である。 師 医

5. 現代人の心をさぐる

196 の悩みがある。それは、高齢化社会を迎えて、年老いた父母と同居生活を行わねばならない ときに起こる深刻な悩みである。見方によっては空巣症候群に悩むような妻はまだ環境に恵 まれていると一一 = ロうこともできる。 結婚して中年期までは日本的な核家族 ( 夫婦とその子供から成る二世代型の家族 ) で暮らし ていた。子供たちもようやく親離れをして、これから自分本位の人生を持っことができると 大きな期待を抱き始めた矢先に、今度は老父母の世話や看病にその後の人生をささげなけれ ばならない。夫は仕事、子供たちはそれそれ自分中心の社会生活を持つ中で、自分はますま す一人だけ大きな負担を背負わなければならない。 しかも、老父母との同居生活の中で、すでに青春期に解決したと思っていた自分自身の親 とのさまざまな葛藤が再燃する。こうして空巣症候群とは違った別な家庭の主婦の悩みが生 じている。 夫人 ( 四十九歳 ) は、子供たちが巣立ってこれから自分はもう一度若いときにできなか ったいろいろな楽しみを持っことができるという期待を持った。彼女は常に積極的な性格だ ったので空巣症候群に陥ることもなく、むしろ夫も外で忙しく、子供も親離れしたことが、 かえって新しいこれからの自分中心の生活ができるということで大変喜んでいた。 ところが、そう思っていた矢先に、それまで別に暮らしていた夫の父親 ( 七十八歳 ) が突 然脳卒中で倒れて亡くなってしまった。残された夫の母親は七十三歳である。長男である夫

6. 現代人の心をさぐる

114 子のない夫婦の危機〈習慣性流産と生きがい発見〉 体外受精をめぐって医療倫理の論議が活発になっている。しかし、なぜそれが強く求めら れるのかという、子供を持てない夫婦の悩みは意外にアピールされていないようだ。夫婦で しかし、夫婦にも あって、たとえ子供がなくても仲よく幸せに暮らせる場合も少なくない。 男女としての愛情から、子供を持って親になり、協力して育てていく、その営みの中での発 展というものがある。 ところが、子供を持たない夫婦は、ともするとこの発展性を失ってしまうおそれがある。 そこに停滞やマンネリ化が生まれ、夫婦の危機が生じる。そうなっては大変だと、何とかし て子供を持とうと努力するのだが、なかなか子供が得られない。そのために起こるさまざま な悩みがある。 夫人 ( 三十八歳 ) は、、 しままで四回妊娠しているが、いすれも流産してしまった。いわ ゆる習慣性流産である。二度目の妊娠のときからは、何とかして流産にならないように、入 がある。こうした若い夫婦の性のトラブルについては、このあたりの識別がとても大切で ある。

7. 現代人の心をさぐる

分が一致しているかどうかが非常に大きな問題になるのが、この年代のナルシシズムの問題 である。 この自己愛の心理については、すでに私自身も『自己愛人間』 ( 講談社文庫 ) などで盛ん に論議している問題だが、の決定的な症状としては、自分中心の自分に都合のいいよ うな自己像とか、社会像をつくり上げて、その中に閉じこもってしまうという意味でのナル シシズムが強調されている。現実を都合のよいように自己中心的に理解したり考える思考の 魔術が活発になり、現実からの遊離が起こり、ひいては非現実的な生活態度が生まれてくる。 こうした病的なナルシシズムがここでのテーマである。 こうした病的なナルシシズムは、現実のことをやるとうまく責任ある態度がとれないし、 しかも、男らしさが身につかない どこかいつもオドオド不安があって、自信が持てない そして、うまくグループや仲間にも入れないといった、いままでの適応力の未熟さが原因に なっている。もしそのままだめな自分のままでいれば、ノイローゼ的にクョクョして、傷つ のいてばかりいなければならない。そこで、一挙にこうした心の傷つきを解決し、自己肯定感 を持っためには、ナルシシズムの世界に逃避するほかはないというのである。 の 年 このような病的なナルシシズムが青年をいつまでも幻想の中に閉じ込め、他人との有意義 青 な交流を通して成長することを妨げてしまう。こうなると、このナルシシズム症状はその青 ハン人間の道が始まるという。つまり、 年をしつかり支配し、ここから本格的なピーター

8. 現代人の心をさぐる

218 るタイプの人がいる。こうした人物も、きちんとした課題集団の中に入っていれば、結構安 定した心を保つことができるのだが。 また、集団の中でどこまで仲間と親密になって仲よくやっていくか、どこまで自分という ものを保って隔たりを置くかという、人との距離の取り方が大きなジレンマを引き起こすこ とがある。こうしたジレンマをどうやって乗り越えていくかが、社会人になるための重要な 課題である。 さらにここでもう一つ挙げたいのは、社会、組織、集団に対する心のかかわりである。か っては一定の組織、集団に一体化し、自分自身よりも、自分を超えた集団や組織の繁栄や発 展に生きがいを見いだすという心のあり方が尊敬され、また、美化されていた。 しかしながら、現代人は、これらの集団や組織にあまりにも深くかかわって自分を失うこ とを恐れる気持ちが強い。あくまでも自分を失わす、組織、集団に対して一時的、部分的に かかわりたいという気持ちが、だれにも共通した心理になっている。 私がモラトリアム人間と呼ぶのは、こうした心性の持ち主である。モラトリアムとは猶予 期間のことを意味するのだが、一人前の自分になって、特定の組織、集団の中にしつかりと 自分を位置づけ、その集団や組織とのかかわりの中で責任と義務を果たしていく、そうした アイデンティティをはっきりと持った人間になるよりは、そのようなアイデンティティを確 立する以前の猶予期間 ( モラトリアム ) の状態に自分の身を置き、い つでも変身可能の待機

9. 現代人の心をさぐる

限る。本当の体の病気があるのに、心身症やノイローゼにしてしまう先生はもっと恐ろしい が、この辺は一応先生の診断を信頼して : : : ということで書いている。 つまり、このような医師と患者のコミュニケーションのギャップがいつまでも解決できな しか・もは いままでいると、結局損をするのは患者さん自身である。なかなかよくならない つきりと自分の病気の実態をつかむことができないので、どんなふうに自分の病気に対して しいかわからない。そのためにますます不安になり、心配ばかり高まり、自分は何かどの医 者にもわからない難病、奇病に取りつかれたのではないかという心配がつのる。 時によって、こうしたギャップを解決できないまま、現代の医療やお医者さんに失望して、 周囲に勧められて、いわゆる民間療法に走る人も少なくない。かえって鍼、灸、マッサージ などを受けて親切にいろいろと世話をされ、その治療の途中で脳みを聞いてもらったりして よくなる人もいる。また一部の人々はこうしたときに信仰に救いを求め、宗教団体の、お話 理を聞いたりして、そのためによくなったりする。そして大学病院に行っても治らなかった難 病が、かえって信仰によって治ったというような体験を持つのである。 どこに行っても、どのお医者さんに行っても、「何でもない」と言われたり、はっきりと 師した病名を告げてもらえないような場合には、ここに述べたようなコミュニケーションのギ ャップが起こっているのではないかをよく考えて、医師の診断と治療方針についてもっと具 体的で正確な意見を求めるように努力してほしい。

10. 現代人の心をさぐる

の定めであって、われわれは全知全能の神ではないのだから、どこかに限界があり、あきら めたり、運命を受容するといった心の準備も大切である。 私なりに考えてみると、現代に残っている病気というのは、かっては自然死の一つとみな されたようなものが多いのではないかと思う。がんになって死ぬことも、脳血管障害で倒れ ることも、一定の年齢になれば仕方のないことだ。現代のわれわれから見ると、われわれは 全知全能にならなければならないために、こうした自然死を不幸・災厄とみなす気持ちが強 。そうなると、それが治らない、治せないといったときの無力感や絶望感のために、運命 を恨んだり、医療技術の未発達を嘆いたりすることになる。 これも当然の人情ではあるが、その一方で、われわれ現代人がもっと自分たちの限界を悟 り、どうにもならないことが世の中にはあるのだといった断念の術を身につける心の準備も 大切である。 しかし、またその一方で、こうした医療技術の及ばない領域である、ノイローゼとか心身 理 窈症のような形で病気の中に逃げ込む人々も少なくない。病気であることによって社会的なス 患トレスを回避したり、責任と義務を負うことを延ばしたりする心理がある。 師しかも社会的なストレスが高まれば高まるほど、心のストレスが原因で起こってくるさま ざまな心身の障害が増加している。心の問題と身体の病気が、かってほど明確に二分されず、 密接な因果関係を持っていることも次第に明らかになっている。心の健康は同時に、心身の