転勤先で出勤恐怖症〈新婚サラリーマンと不安発作〉 ス 登校拒否は、わが国の戦後社会に特有な青少年の心の病である。この登校拒否の中には、 レ 幼稚園、小学校低学年で、うちを離れ、お母さんと別れて仲間に入るのが不安で、幼稚園、 ス 2 学校に行けないという不安の強い子供たちの学校恐怖症がある。ところが最近、この学校恐 ーマンが目立つ。幼い幼稚園児、小学生のよ 怖症によく似た、出勤恐布症に陥る若いサラリ うに、会社に行こうとするとにわかに不安になって、どうしても出勤できなくなってしまう 識すること。そしてその意味を正確に読み取り、有効な新しい適応様式をつくり上 に、これらの適応の仕方が、常に短期間しか有効でない事実をよく げること。第三 わきまえて、さらに次の修正、変更に対して絶えす心の準備を怠らないこと、第四 こうした個々の年代や状況、社会の変化に伴って、随時随所に柔軟で多様な新 しい自分を次々と発揮できるような準備を怠らないこと。 こうした柔軟で、豊かな可能性を含む視界ゼロの生き方こそ、社会変動の急速な、 これからの社会の中で生きるうえでの大切な適応の仕方である。 現代用語の基礎知識』自由国民社刊から )
内科の先生が精神科に紹介したが、精神科の先生と夫人が面接を重ねる間に夫人は、 「子を持って知る親の恩」という一一 = ロ葉がありますが、自分の子どもに背かれて初めて、自分 が背いたときの親の気持ちがわかるということがあるのですね。いま息子とその恋人に会う たびに私は、若いころの自分が、亡くなった姑にどんな思いをさせていたかが急にはっきり わかってきたのです。それとともに、亡くなったお母さん ( 姑 ) の、あのころの息子をとら れた恨みや怒りが急に自分に乗り移ってきたような気がします。何かあのころの私と母との Ⅲの怨念におはらいでもしたらよいのではないかとさえ思うのです、と語った。 しかし、こういう気持ちがはっきりと自覚されるようになって夫人の発作は起こらなく なり、夢で姑に呼ばれることもなくなった。 よゝにはこうした命日反応の形で、もっと本格 藤夫人の場合は神経性の発作であったが、オカ 2 的な体の病気さえ誘発されることがある。たとえ亡くなっても、肉親や身近な人々との心の 通い合いはいつまでも続くのである。 世 年 中 母 父 老 姑の同居と妻の立場〈主婦の典型的な悩みとウッ〉 前に述べた空巣症候群と並んで、わが国の中年の家庭婦人が出合うもう一つの典型的な心
174 不老長寿の社会が出現するという明るい面を持っている。これをェイジレス人間の時代の到 来と呼ぶが、エイジレス人間とは不老長寿の人間を言う。 高齢化社会をこうした明るいエイジレス人間の時代につくり上げていくためには、既成の ものの考え方、特に老人観、老年観の決定的な革命が必要である。たとえば老人同士が恋愛 したり、再婚したり、一緒に暮らしたりすることについても、社会はもっと寛容にならなけ ればならない。また、それに伴う財産相続制度、その他を含めた法律上の修正も必要になる かもしれない 。もっと気楽に老人たちが暮らせるような、あるいは老年パワーをもっと社会 が尊重するような時代をつくらなければならない。 ポケ老人がふえるといっても、実際には八十歳になっても四・五バーセントくらいの人々 しか本当の意味での老化による痴呆状態には陥らない。その他の多くの人々は、心身壮健に 老後を送ることができる。肉体的にも、精神的にも、より若い世代の人々に負けない能力を 発揮する人々も多い 一方で、老父母の扶養、あるいは養護のための三世代同居の問題が新しい家族問題になっ ているが、他方では、こうした老人たちの同世代間の友情や助け合い、団結もまた、これか らの大きな社会的な課題になろうとしている。 これからの現代人の心を理解する上で、高齢化社会に伴うライフサイクル ( 人生の図式 ) の変化が、人々の心にどんな影響を与えるかという視点がとても大切である。
とうとうたまりかねた両親が、強制的に病院に入院させた。そこでは厳重に食事を管理し、 必要以上には食べないように規制されてしまった。そうすると、最初のうちは苦しくてイラ イラして、怒りつばくなり、大騒ぎになった。しかし、そうこうするうちに減量が始まり、 もとの子さんの体型に戻った。 ようやく無事に退院して、また学校生活を始めたが、そのうちに今度は彼女に新しいポー イフレンドができた。そして、親密な間柄になった。 皮女はまた別な男の子と親しくなっ しかし、そのうちにまた彼とうまくいかなくなった。彳 た。周りでは、子さんが不純異性交遊をしているという噂がたった。 ある夜、父親に自分のポーイフレンドのことを非難されて泣き叫んだ彼女は、自室で手首 折を切ってしまった。そうこうして精神科の先生に相談に行くことになった。ようやく気分が ホーイフレンド の回復し、元気になり始めたころ、再び彼女はたくさん食べるようになった。 : 」と親しくつき合う時期と、過食肥満になる時期が交代するような生活が、それから何年か繰 発り返されるようになってしまった。最終的に彼女は精神分析の治療を受けることになった。 自分がどんな心の悩みでこんなふうになっていったかをだんだん自覚するようになったが、 の 春それまでは大変険しい治療の道のりであった。 この子さんの心の脳みは、どんな女の子にも思春期には見られるような愛の脳みであり、 また、それは失恋の痛手から始まっている。しかし、その脳みを「気晴らし食い」のような
人生、自分自身の生活を確立することができる。 こうした子供たちの心の中の革命の戦いは、親に対する批判や、反抗という形をとる。親 が自分にとってどんなだめな存在であるか、どうやって親を乗り越えるかが彼らの大きな課 題になる。この批判・非難の対象になることは親にとってとても辛いことだが、その辛さに 耐えてじっと思春期を通り抜けるのを待ってあげる必要がある。決して子供たちをあきらめ たり見限ってはいけよ、。 この革命を通り越すことによって新しい子供たち自身の国づくり が達成されることを助けてほしい。 助けてあげるということは、決してただものわかりよく迎合することではない。むしろ親 は親で自分たちの考え方、価値観、人生観を堂々と守り、子供に対して抵抗してかまわない。 つまり親は横綱であり、子供たちはまだ前頭、十両だと思って、稽古に胸を貸すようなっ もりで堂々と子供たちの批判や反抗に対応しなければならない。 そのときに親のほうが自信を失って退却してしまうなら、子供にしてみると胸を貸してく れる相手がいなくなって稽古ができなくなってしまう。 実は思春期といっても、中学生、高校生では心の問題が少しずつ違う。ここでは細かく中 学生、高校生、それそれの年代における違いについては述べるゆとりがないが、発達心理学 的には同じ思春期も、前期、中期、後期と分かれる。ここでは思春期の流れとして大づかみ な兇明にとどめることにする。
対人関係の中で池や鏡の役目をするのは、他人の心であり、他人の評価であり、他人の視 線である。自分が他人の心にどんなふうに映っているのか、他人にどう思われているのか、 その一番直接のあらわれは、人のまなざし、視線である。対人恐怖の人が視線恐怖を中心に したり、いつも周囲からどう思われているか、いつも厳しい目で見られているという気持ち になって、それを気にするのもそのためである。 特に日本人の自己愛の満たし方は、受け身的、依存的である。自分で自分の手柄を誇った り、自分がどんなに立派な業績をあげたかを自分から宣伝したり、自分で自分を評価して、 おれはこんなに立派なんだというふうに自己を主張すると、周りから良くいわれない。謙遜 に、控え目にしていると、周りの人がほめてくれる。 また、日本人同士の内輪の人間関係の中では、お互いの気持ちを配慮し合って暮らしてい る。特に相手の自己愛を尊重し、いつもそれを満たしてあげようという心遣いが発達してい る。本人は遠慮したり、控え目な態度をとったりするが、周りはその人の自己愛を傷つけな いように大事にしてあげようとする。いつの間にかそうした気遣いや配慮、思いやりをあて にしながら暮らしているのが、われわれの日常である。 それだけに、自分の自己愛が満たされるか満たされない力。し 、よ、、つも周りの人の思いやり や気遣いによって左右される。ここでもまた、相手がどう思っているのか、相手がどうして 自分を配慮してくれないかが逆に関心の的になる。
214 しかしながら、この E 氏が陥っていた約一年近くのうつ的な状態にとっての最大の治療は、 この伴侶をみすから求めるという気持ちを回復したときにある。 高齢化社会になって、こうした老人の心の問題について法的な措置を含めた、もっと真剣 な方針と対策をわれわれが立てなければならないときが来ているのではなかろうか。
( 母親 ) と子供たちの家庭はどうしても母子家庭化してしまう。 それだけに、子供たちが小・中学校時代に父親が単身赴任した場合、いろいろな影響が心 の発達に及ぶ場合が多い x 君の父は銀行マンで、外地への単身赴任を含め、 >< 君が小・中学校時代、半分以上不在 であった。ところが五十近くなった父親が、本社勤務の重役になり、常時一緒に暮らすよう になったころから、高校一年の >< 君は父親の存在をひどく嫌うようになった。父親を大変不 潔で汚いと感じてしまう。父親が触れたものはみんな汚いといってさわらない。接触恐怖と か不潔恐怖というノイローゼの症状が起こってしまったのである。 父親にしてみると、せつかく家族と一緒に暮らせるようになった喜びでいつばいだったの いざとなると、「お父さんは汚い」と一言われて排斥されてしまった。 母親と息子の強い絆が生じていて、何か自分は居候、招かれざる客のよ 父親不在の間に、 うな存在になってしまった。 x 君とその母親は、二人だけの愛の巣を設けてしまった。そこ には密着した母子関係が生じている。 x 君にしてみると、母親を独占して、自分がまるで一家の主人のような気持ちにさえなっ ている。そこに急に父親が定住するようになった。 >< 君にとっては、この新しい新入者に敵 対心がおこってしま , つ。 父親は、一生懸命会社のため、そして家族のため、 x 君の教育のために外地で苦労し、努
156 た。お互いに父親、母親として元気を出して赤ん坊を育てていこう。この気持ちをひっくり 返しにして考えてみると、実はこの養生クヴァートには、生まれてきた赤ん坊に妻をとられ まいとする夫 ( 父親 ) の、妻からの分離不安と子供に対する競争心がひそんでいる。 たしかに、父親の新しい子供、特に男の子に対するこの気持ちはなかなか深刻である。幼 い頃、母を弟に奪われ、やきもちをやいたあの怨念が甦ってくる。いつまでも子供をつくり たくない父親、子供が生まれても心からよろこべない父親 : : : 。子供に対して、なかなか父 親になれない心理に悩む男性にはこの気持ちがひそむ場合が多い。ましてやマザー・コンプ レックスの強い男性は、妻を母親代わりにしているので、子供にお母さんをとられてしまう 分離不安でフラストレーションがつのってしまう。 特に最近の二十代、三十代の男性の中には、結婚して夫婦仲よく暮らしている間はよいが、 子供が生まれた前後から、心身の調子に乱れを生じる人物が意外に多い ーマン ) は、妻が妊娠してしばらくしてから、しばしば胃の調子 > 君 ( 二十八歳、サラリ が悪くなった。つわりで苦しむ妻のそばにいると自分も気持ちが悪くなる。食欲もなくなり おしん 亜 5 心が起こる。 内科の先生に診てもらったら、「心身症」といわれた。 やがて、めでたく長男の太郎君が誕生した。はじめての男の子なので、それそれの実家の おじいちゃん、おばあちゃんは大喜びである。
目を十分に果たすことができないことが多い。母親も逃げ出し、父親ももともと父親役が果 たせないような父親であると、子供は全くの親不在の、無政府状態の中に置かれたような状 况に陥る。 数年前、横浜で浮浪者の老人殺しがあったが、このときの非行を行った少年たち十人中七、 八人が、こうした家庭状況で、似たような被害を受けた子供たちであった。 これに対して父親が家庭を出て行って、母親と子供たちだけの場合は、かなり違った運命 をたどる。多くの場合、父親が出て行くか、あるいは母親が子供を連れて出て行くという形 なのだが、いずれにせよ父親がいなくなった母子家庭では、母親もまた働かねばならないこ とが多い。そうなると、父親がいなくなっただけでなく、母親もまた、働くために家庭不在 になりがちである。また、母親自身の心にも大きな変化が起こる。いままでのような妻、母 このため 親でいるだけではやっていけない。社会人としての自分を持たなければならない。 代 、子供は一時的にせよ、父親と一緒に母親もまた失ったような経験を持ちやすい。しかも、 の 不母親がしつかりした社会的能力があればよいが、それも未熟、不十分な場合には、家庭全体 母が社会に対してとても弱い立場に立ち、場合によると社会性を失ったような家庭状況が出現 襯しやすい。そして、母親は自分の心のよりどころを子供に求め、子供も母親に求めるために、 母子の濃厚な結びつきが一方では生じやすいが、それは必ずしも健全なものとは言えない場 合も少なくない