210 そのころから息子夫婦は、もう一度父親に、そろそろ同居するために家を改築しましよう と提案したり、娘もまた、よかったらときどき私のほうに来てお暮らしになってみたらどう ですかと提案した。しかし、 E 氏はこの点についてはなかなかうんと言わない。 そのうちに E 氏が娘にふともらした一言葉がある。 「自分はあなた方と同居して暮らすのは気が進まない。いままで暮らしてきた家もあるし、 自分なりの長年の生活の習慣もある。それに、自分はまだまだ独り立ちをするだけの体力も 気力も残っている。もっと体のぐあいが悪くなれば別だけれども 、、まは、このままの暮ら しを続けたい。 しかし、なにぶんにもお手伝いさんだけでは話し相手にならないし、どうに もさびしい気がする。いま自分に一番必要なのは、適当な茶飲み友達を持っことではないか と田む , つ」 娘はびつくりして、茶飲み友達というのはどういう意味なのでしようかとお伺いを立てた ら、実は、以前から顔見知りの七十近いおばさんが近くにいる。そのおばさんとは何となく 気が合うし、 いままでも、二、三度、見舞いがてら来てくれた。あのおばさんもひとり者だ から、これからときどき茶飲み友達みたいにうちに来てもらおうと思うけれどもどうだろう、 と言 , つのである。 姉とその弟の息子が早速協議した。一体おじいちゃんはどういうつもりなのだろうか。ど うもよく聞いてみると、ただ遊びに来て話し相手になるというだけでなく、できればなるべ
こではじめて、氏が兄を非難し、課長は今までかわいがってきた弟から、幼いころから の自分に対する怨みを聞かされたのである。弟の夫婦が兄の夫婦に初めて、厳しい口答 えをして、氏が兄にくってかかった。課長にしてみれば、これまであれはど思ってきた 弟までも自分をののしったときに、兄弟の仲ももうこれでおしまいという気持ちに襲われた。 衝撃と怒りのあまり口もきけなくなり、その直後に、い因性の心臓発作を起こして倒れてしま ったのである。 1 とは幼いころはよくけんかをしてい しかし、課長が、だんだん思い返してみると、 た。中年過ぎて、この兄弟げんかが再燃したのである。お袋はばかりかわいがって甘やか は、兄貴はいざとなるとオレが長男だといって弟の自分をないがしろに す、とは怒り、 藤すると怨んでいた。あの子供時代の、おやつの奪い合いが、中年になって再燃した、という S わけである。 の 中高年の精神的課題の一つは、父母の病気や父母との同居、そして、死を契機として、幼 代 世 いころからの父母、兄弟とのお互いに末解決な感情のもつれに改めて出合い、どんなふうに とそれを解決するかにある、ということができる。兄夫婦、弟夫婦互いに助け合って仲のよい 父老後を迎えたいものである。
る。やせることによって女として美しくなるというよりも、むしろ女らしい体つき えば乳房がふくらむとか、腰やおしりに丸みがあらわれるといったーーーそうした女らしい体 つきになることを拒絶して、中性的あるいは無性的な存在になりたいといった気持ちが秘め られているのである。 たとえば電車の中で痴漢にあっておしりをなでられたのがきっかけで、ああ、いやらしい こんな女らしい体つきになってきてみんなにエッチな目で見られて、そんな肉欲の対象にな るような女にはなりたくないといった気持ちから、夢中で節食して、まるで少年のような体 つきになってしまう女の子がいる。 しまのことと結びつくのだが、禁欲ということとつながっている。 第二の心理的な要因は、、 つまり、女らしい愛情や、異性に対する関心や、性愛や、親密な触れ合いといったものを拒 絶して、ひたすら自立した、しつかりした一個の人間として生きようとする努力に駆り立て られるときに、食欲を絶って、純粋に精神的に生きようといった気持ちにとりつかれること が多い 第三の原因として挙げられるのが、既に述べた母親離れの努力である。特に濃密な結びつ きを母親と持っていた女の子が、母親から自立しようとするとき、母親の愛情の象徴である 食物の供給を拒絶する決意が、その重要な精神的原因になっている。 幼い乳幼児と母親の間柄を考えてみるとわかるように、人間が母親からもらう愛情の最も
ンタルヘルスという面からは、そういう自分の性格をよくのみ込んで、自分は少し気が弱い からとか、変わり者だからというふうにはっきり居直ってしまったほうがよい。無理にみん なにとけ込もうとしたり、調子を合わせようとしないで、こうした旅行や余興は苦手だから といって、上司に頼んで参加しないで済ませてもらうほうが安全だ。そういうことさえなけ れば、仕事はきちんとするのだから、それでよいではないか。 しかし、日本の会社人間の暮らし方は、仕事本位であると同時に、こうした職場のつきあ いをとても重んじる。みんなが仕事が終わっても男同士のつきあいをともにすることで、初 めて一体感や連帯感が生まれる。彼がなかなかそうした社員にならない点は周りから見ると 気に入らない部分になる。 そのためにみんなは余計に彼を仲間に入れようとして、誘ったり、からかったりするわけ である。しかし、そうなると彼はますます苦痛になる。むしろ職場の精神衛生医としての私 の立場からは、職場の上司、同僚にも無理にそういうことをしてトラブルを起こすよりは、 彼は彼の性格、個性があるのだから、それを受け入れて仕事さえよくやって、れよ、 う形でうまくやってほしいというふうに話しあった。 しかし、これからの若い世代にはますますこうした、人とうまくつきあえない性格の持ち 主がふえていくよ , つに思 , つ。
これも男の甲斐性だぐらいに思 ら自分がそうした女生関係をやめるなどという考えはない。 っている。むしろ妻は家庭を守り、こうした夫の生活に奉仕し、子供を育てればよいのだと いう考え方の持ち主である。あからさまな男尊女卑的な考えを持っている。 しかし、これは z 夫人の暮らしているその地方の町ではそれほど特異な考えではないし、 むしろ夫のほうが普通であるというふうに見なされている。 最近、 z 夫人がこうした状態で結婚生活を続けることがあまりにも苦しいので、実家や周 囲の人に相談し、ひそかに離婚を決意し、家を離れて東京で暮らそうと思う、ということを 告白した。 そのとき、両親をはじめきようだいたちからも、「あなたはなんていう人なんですか。そ れでもあなたは母親なの ? 夫が浮気をしたり、酒癖が悪いくらいで離婚を考えるなんて、 どうかしているわ。子供たちのことも考えなさい。女のほうから離婚を言い出すなんて、周 りの人からどういうふうに言われるかわからない。とんでもない」といって非難を浴びた。 また夫も、「おまえは少し精神的におかしいんじゃないか。ノイローゼなんだ。あんまり 危いろいろ考え過ぎている。このとおりおまえはちゃんと子供を育て、家庭をちゃんとやって 婦いれば少しも心配はない」と言われた。 とうとう彼女はたまりかねて、東京に住む姉を頼って上京した。そのとき、夫には「私の ほうの考えが正しいのか、あなたのほうの考えが正しいのか、この町の中で暮らしていても
か、日常の立ち居振る舞いとか、そうした基本的なしつけみたいなものがうまくできていな くて、ごく基本的な何か役割を頼まれて、その役割をきちんと全うして責任を果たす、とい ったようなしつけがうまくできていないことを一一 = ロう。 この要因を分析すれば、親の権威が低下したとか、あるいはきちんとしたルールと秩序が なくなったとか、子供をしつけるときの罰を与える精神がなくなって、許容の精神ばっかり になってしまったとか、いろいろな分析がなされているが、いずれにしても現代の青少年の 一番大きな教育上の欠点は、責任感を持たせることができなくなったことにある。 もう少し言い直せば、小学生の年代までの間に、社会人として、あるいは家庭の中でのこ うした義務と責任をきちんと果たすといったしつけができていないことが、ピーター 人間のまず第一の要因だというのである。 そして、こうした責任感が持てないと、どんな日常的なささいなこともきちんとできない。 そうすると、自信がなくなってきて、自分にはどんなこともちゃんとやれないといった、そ 病 のうした自信欠乏と無責任とが裏表のような心理構造ができ上がる。 の第二基本症状は不安である。これもやはり小学校から思春期にかけての子供たち ハン人間は内心いっ 年の心の問題として挙げられているが、特に興味深いことは、ピーター 青 も不安でビクビクしていて、緊張感が強い。その理由は、実は、両親が安定していないでと ても不安定なためだ。
母親離れから拒食症へ〈心の葛藤と愛情の象徴・食物の拒否〉 思春期は親離れの年代である。特に、密着した母子関係が目立っ今日、思春期の子供たち 折の悩みもまた深刻である。子供のころからの母親との結びつきが濃厚であればあるほど、自 の立するための苦労もそれだけ大きくなる。非行や登校拒否、家庭内暴力といった社会問題に とさえなっている現代の青少年の問題行動のその多くが、この母親離れの苦悩のあらわれであ の 戦後の社会の中で特有な心の病は何かと問われるなら、私は躊躇なく青少年の登校拒否と の 春摂食障害と答えるが、いすれもこの意味での母親離れの病である。しかも摂食障害は、思春 期から青年期にかけての女子に特有である。このごく身近なアメリカでの一例として、カー 。ヘンターズのカレンさんを挙げることができる。彼女はやはり思春期からこの病にかかって 勉強を一時期やめたりすると、それつきり落ちこばれになってしまう。 しかしながら、子さんほど過激でなくても、何らかの意味で、思春期の少年少女が、親 に対する反乱を起こし、自分自身を持とうとする気持ちは大切である。その時期を、どう支 えかかえるかが、おとな側の課題だ、と思うのだが。
自分自身になりたい〈家出・自殺未遂と親の七光〉 親の七光という言葉があるが、学校でも企業でも、その社会で有名であ 0 たり、顔がきい の 」たりする父、母を持っ子供たちの精神的な悩みは意外に深刻である。 こ見える思 発私たち精神科医に共通の認識として、登校拒否や家庭内暴力などの問題で相談し 春期の患者さんの中に、学校の先生の子弟が、どう見ても普通の家庭より多いという事実が 春ある。また企業で言えば、親の七光でいわゆるコネ入社した人たちの中に、メンタル〈ルス の問題の対象になる人が多い 0 子さん ( 高校一一年生 ) の家は、その地方では名の知れた教員一家であ 0 た。祖父がその く行くのがいやだなど ) で登校を拒否し、不登校が次第に慢性化していく場合をい う。しかし、現在、マスコミで用いられている登校拒否という一言葉は、精神病によ るものから、一時的なする休みや、怠けによるものまで、すべてを含んでいる。こ れもまた、家庭内暴力の場合と同じように、さまざまなレベル、性質、原因による ものが一括されているために、かえ 0 て問題の所在があいまいにな 0 ているきらい ( 『現代用語の基礎知識』自由国民社刊から ) がある。
ので胃のレントゲンをとる。それらの検査はすぐには終わらない。予約をして何日もかかる。 中には、一週間、二週間かからないとできない検査もある。その間お医者さんは、もしかし て最近は子供にも胃潰瘍があるから、とにかくレントゲンをみてからと一一 = ロう。もしかして脳 腫瘍の始まりかもしれないから検査の結果がわかるまでは大事にしなさいと一一 = ロう。 こういう場合、医者の立場からは「いやあ、心配ありませんよ。休みぐせがついて体のこ とが心配になっているんじゃないですか」などとは言いにくいものである。そんなことを一言 って、もし本当に脳腫瘍があったり、胃潰瘍があったり、あるいは何か心臓の病気があった りしたら、医療過誤で大変なことになる。 それだけに母親は疑心暗鬼に陥って心配する。大事な息子が病気でこのまま倒れたらどう しよう。この母親の不安そうな様子を見ていて、本人も心配になる。学校に行く不安が病気 の不安として次第に定着していく 。「僕は本当にどこか病気なのだ」。し 、つの間にか学校に行 く不安よりも、病気に対する心配で母も子も一体になって「どうしよう、どうしよう」にな っていく そして、一週間、二週間たつ。そのころになると各科の先生が、すっかり診断が終わって、 「ああ、やつばりこれは大丈夫」と一言うときが来る。先生の中には、これは登校拒否なので 。なしか、あるいは少しこの子はノイローゼつばいのではないか、あるいは心身症なのでは ないかという判断も生まれる。
大切なことは、親は子供が思春期の荒海を通り抜ける上での港のような役目をすることで ある。子供たちは荒れ狂う大海の中に一人で船を漕ぎ出していく。しかしながら疲れてまた 港に戻りたいときがある。戻ってきたときには十分に受け止めて支え、再び子供が一人で大 海に乗り出そうとするときには、信頼してじっと見守っている。こうした行ったり来たりを 繰り返しながら親離れは進んでいく。決してあれかこれか、オール・オア・ナッシングでは ない。一度離れていったらそれつきり戻ってこないようなことはない。 しかも思春期の子供 たちはこの行ったり来たりを繰り返しながら、青年期を経てさらに一人前の社会人として独 立するが、再び結婚とか、あるいは子供を持っ段階になると、親に対してもっと大人の気持 ちでの愛情やかかわりを向けるようになる。そのようなときが来るまで、親は希望と信頼を 折失わずに子供の成長を支え見守る心がけが大切である。「待て、而して希望せよ」である。 の そ 達 発 の の 期 春 なぜ自分を生んだのか〈家庭内暴力と未生怨〉 「私の学校に、いわゆる家庭内暴力の生徒がいて困っています。何とかしてあげてくださ 学校カウンセラーの先生からのこのような依頼で、 < 君が見えた。 < 君は最近、母親に「どうして僕を生んだんだ。こんな年でしつかりした考えもなくて、