187 の死、法事といった、いろいろな理由をつけては日本に帰ってくる。 日本に帰っている間はとても陽気になり、元気がいい。かっては反抗的であった彼女も、 いまはとても親孝行な娘になっている。すでに七十 , ハ歳の母親が、父親から残されて、一人 そんなこんな 暮らしをしているのを置いて米国に帰るのはしのびないという気持ちも強い。 でついズルズルと日本での暮らしを引き延ばしてしまう。 米国に帰ってみても、いつも心は日本のふるさとを思っている。いつの間にか夫と一緒に 出かける社交上のパーテイや、米国人たちとのつき合いが負担に感じられるようになった。 あれほど達者だった英語まで急にったないものになったような気がする。 夫と二人でいると、何か急に外国人と一緒にいるという感情に襲われることがある。夫の ほうも、半分は彼女の気持ちを思いやり、半分はそうした彼女の世話が負担になるためか、 最近はどうも一人で外出する機会が多い あるとき、夫から「もし君がこれから先、年をとっていけばますます日本で暮らしたくな ルるのじゃないかと思う。もしそうならいまのうちに離婚して、日本に帰って暮らすほうがよ 高いのじゃなしカオ 、ゝよ。何も君のことがきらいになったとか、そういうことではないけれど、僕 もいまならこっちの人と再婚する機会もある。実は、最近ガールフレンドができたんだ。だ けど、君がこれからもやっていく気持ちがあるなら、もちろん続けてもいい。君の気持ちを もう少し確かめてみたらどうか。もう一度日本に帰って相談したり、考えたりしてきてもい
186 夫人は女子大の卒業間もないころ、東京で米国青年と熱烈な恋愛をし、周囲の反対を押 し切って渡米した。それから三十年、夫との間に生まれた息子、娘はそれそれ独立し、夫と 二人きりになった。そのころから次第に米国での暮らしをたまらなくさびしく感じることが 多くなった。いわば彼女は空巣症候群の状態に陥ったのだが、その点では日本国内における 中年の主婦の場合と共通の心理を味わっている。 しかし、国際結婚した彼女の場合、それだけでは済まなかった。女子大生時代はクラスで も一番英語が達者で、日本人離れした生活スタイルを身につけ、どちらかというと日本的な ものに反発を感じていた。父母との仲もよくなくて、早くこんな家庭から離れて、どこか遠 くに行ってしまいたいという気持ちも強かった。米国生活の一つ一つが新鮮で、夫との愛情 も充実した夫婦生活を送ることができた。 夫は温かい人物で、彼女のさびしい気持ちを理解してくれる。かっては日本食や日本映画 などには大して目もくれなかった彼女も、最近は日本人同士の集まりに出かけて行って、日 本語で仲間と話すことが最大の楽しみになった。仏教会で開催する古びた日本映画を見るの もとてもうれしい。東京の親戚から、日本映画のビデオを送ってもらって、一人楽しむ。 たまたまこんな心境のときに、千葉に在住する父親ががんになったという知らせが入った。 彼女は矢も盾もたまらないという気持ちで帰国してしまった。それからというもの、この三 年間、数えてみると一年のうち二、三カ月は日本で暮らしている。父親の看病、そして父親
いんだよ」と言われた。 そして再び日本に帰ってきてみたのだが、今度は、本格的に日本で一生暮らそうと思うと 急に夫のことが心配になったり、思いやられる。かといって、これから年老いてあの異国の 地で一人年をとっていく自分を考えるととてもみじめに思える。だからといって年老いた母 親が死んでしまったら、自分だって日本にそれほどたくさん友人や仲間がいるわけではない。 人生の半ばは米国で築いたものだ。 彼女の心は日本と米国間の太平洋を行ったり来たり宙に迷ったような心境である。 夫人の場合、国際結婚であるために、中年の里帰り心理が太平洋を行ったり来たりする という形で劇的に経験されている。しかし、同じ日本国内で暮らしているわれわれの場合で も、中年、初老を迎えるころになると、青年時代より以前の故郷を思い、また親を思う気持 ちに駆られることがある。またそれが中年の心の危機そして離婚にもつながることがある。 キャリアウーマン″中年の惑い〃〈自立型女性と心の健康〉 女性の自立志向もかなり定着し、いわゆるハイミスとか、キャリアウーマンと言われる生 き方で社会人として立派に仕事をしている女性がふえている。しかし、それと同時に、こう
己愛 ) が傷つくか傷つかないが、それが満たされるか満たされないかをもつばら価値基準に するという傾向にも注目しなければならない 二、家庭教育の破綻と学校教育の新しい課題 これらの青少年の精神問題の多くが、実は、家庭教育の中で幼児期からの人格形成の中で 培われているはずの心性であるが、家庭教育の中で十分に学ばれないという現実がある。 かって伝統 私が近著『家庭のない家族の時代』 ( 集英社文庫 ) の中で論じているように、 的に日本に存在していた「家」が解体し、日本的な核家族が誕生したが、この核家族は結果 的には、米国ふうの夫婦中心の役割構造と価値規範の明確な核家族を形成するという道を歩 むかわりに、むしろ父親不在の日本的母子家庭を生み出した。父親はその分だけ高度成長期 に会社人間としてそのすべてを仕事と男のつきあいに向け、母親は教育ママになって、密着 した母子関係が誕生した。 しかし、いまやこうした母親もまた、家庭の中に定住するよりはむしろ心を家庭の外に向 けるようになり、「家庭のない家族の時代」が出現している。 こうした家庭状況の中で、従来の学校教育が前提にしていた、家庭教育における人格形成 やしつけといったものは、次第に家庭の機能として期待することが難しくなっている。さら にこれからますます女性の社会的な自立が進むに伴って、家庭における幼児、子供のしつけ や、人格形成の機能は低下していく可能性がある。
この場合、現代の日本の家庭では、子供の親離れに対して最も深刻な苦悩を味わうのは母 親である。なぜならば、父親は子供が思春期のころ、たとえば三十代の後半や四十代のころ は最も仕事が忙しく、しかも男のつきあいで家庭を留守にする機会が多い。幾つかの調査に よっても、この年代の日本の会社人間が一週間のうち夕食を自宅でとることができるのは五 〇パーセント以下である。極端な場合には、週日のうち一日か二日、夕食までに帰ることが できればよいほうだという父親もいる。言い換えれば父親は、家庭の外で仕事からっきあい まで男同士の世界で暮らすことで生きがいを感じたり、さまざまな充実感を味わうことが多 こうした家庭状況の中で、どうしても母親は子供によけい心を向けるようになる。子供が 小学生くらいの間は、母親と子供の間にも相思相愛というべき密着したよい母子関係が成り 立つ。 ところが、子供が思春期に入って親離れを始めると、母と子の間に厳しい闘いが始まる。 äこの闘いは子供が中学の後半くらいから大学に入るくらいまで続く。それがまだこの段階で 高は、反抗とか、いろいろな心配事が次々に生ずるという形で、母親と子供との間には何らか の絆が保たれている。しかし、子供が高校を出て就職したり、大学に入ったりしてしまうと、 尸し。、冫しカカわりはなくなってしまう。子供は親に自分の心のすべて 母親と子供たちとの司こま朶、、ゝ しかも、その子の父 ままでのように甘えたり頼ることもない。 を打ち明けることはない。い 177
253 人とのかかわりと性格 人みしりの心理構造〈 " 内輪とよそもの意識。と対人恐怖〉 戦後四十年、われわれ日本人も大いに近代化し、個人主義、合理主義を身につけた。物質 文明と科学技術の進歩という点では、欧米諸国の水準を超えるものを持つに至っている。 それにもかかわらず、われわれ日本人の心には、意外に、旧来の伝統的な仕組みや人間関 係の感覚を持ったまま暮らしている面がある。こうした日本的な対人関係感覚が、戦後のわ が国社会にも依然として存続している。一つの現れが、人みしりと対人恐怖である。 ロックを聴き、オートバイを乗り回す、最も現代風の若者たちの中に、依然として戦前の 日本人と変わらないノイローゼの訴えがある。それが対人恐怖症である。 対人恐怖症というのは、人と顔を合わすと相手の視線が気になったり、自分の態度や表情 がぎごちなくなる。そのことばかり気になって、うまく話ができなくなる。うまくグループ
162 ざわざ息子や娘と話をしたりもする。 氏は、「単身赴任のおかげで夫婦、親子のありがたさが身にしみてわかった。かえって コミュニケーションもよくなって、思春期の子供を持っ場合、ときにはお互いが距離を持っ のも、 しいことなんじゃないでしようか」とっている。 同じ単身赴任でも、仕組みそのものの弊害を論ずるだけでは片手落ちである。お互い家族、 夫婦、親子の問題をどんなふうにやっていくか、それそれの家族のメンバーの心がけ一つと いうところがある。 氏のように、父親としての役割をどう全うしていくかを、単身赴任という仕組みを通し て逆に積極的に実現していく場合もあり得る。これからの夫婦、親子は、た。こ 一緒にいれば それでいい (being) という思い込みを捨て、お互いに何をなし、どういう努力をして家族 の絆をつくり上げ、維持していくかについての、ドウーイング (doing) の精神を持たなけ ればならない。 ホテル家族現代日本における最も一般的な家族の実態はホテル家族である、と小 此木は考えている。外出、食事、起きること、寝ること、それそれの時間が家族メ ーによって・ハラバラで、それそれが自分の部屋を持ち、ほとんど顔をあわせる 機会もない。あたかもホテルで暮らしているような家庭生活を送っている。
148 潜在離婚家族の破綻〈父母を手本にできぬ子の悩み〉 わが国は先進諸国の中で離婚率第 , ハ位である。日本より低いのは、イタリアのようなカト リックで離婚を禁じられている国くらいである。 しかし、だからといって家庭が幸せでいつばいと喜んでばかりはいられない。なぜならば、 離婚率が低いという事実の中に、むしろ現代のわが国の家庭の病理が反映しているからだ。 たとえば中年以上の男性の中には、離婚なんかを真剣に考えること、そのことがおっくう する家族形態をネットワーク家族と呼ぶのである。また、必すしも離婚・再婚によ る場合でなくても、女性が自立し職業を持っ場合が多くなるにつれ、夫婦が別々な 場所で暮らしながら夫婦のネットワークを維持するとか、あるいは子供と母親だけ が暮らしていて、父親が別な地域で仕事をしているとか、そうした家族のあり方が ますますふえている。現代はこうしたネットワーク家族という考え方によって、新 しい家族のあり方を再定義する必要が起こっているといえよう。ネットワーク家族 という一一 = ロ葉は『家庭のない家族の時代』 ( 集英社文庫 ) で小此木がつくった言葉で ある。 ( 『現代用語の基礎知識』自由国民社刊から )
単身赴任の功罪〈母子家庭化型と結束型〉 代 の戦前は単身赴任という仕組みはなかったという。「家」の権威が高く、家長である父や夫 不を一人だけ、あちらへ行け、こちらに行けと企業が自由に転勤させることはできなかった。 母戦後「家」が解体し、核家族化するとともに、それが可能になった。単身赴任は戦後日本独 襯特の、父親不在型の核家族に特有の仕組みである。 単身赴任する父親自身は、ひとたび家を出れば、戦場にある兵士と同じといった気持ちで、 職場、会社のために滅私奉公の心構えがあるので、それなりに勇躍任地に赴く。残された妻 て爆発したのも、こうした兄弟コンプレックスのためであった。妻が太郎君の母親になった のをきっかけに、 いつの間にか君は、子供返りしていたのである。 弟に対する幼い頃のやきもちゃ、お母さんをとられた怨み悲しみを先生に話しているうち に、 > 君の心のもやもやもしだいにすっきりした。なぜ自分がせつかく生まれた太郎君に父 親らしい気持ちになれないのか、その理由もわかるようになった。 やがて > 君は、太郎君に対して、とってもよい父親になった。夫婦そろってマイホームを 楽しめるようになった。心身症がよくなったのも、それから間もなくのことである。
118 ウエンディ型夫人の離婚・再婚と新人生〈男尊女卑と女の自我の目覚め〉 夫婦観、結婚観、そして離婚観について、同じわが国でもかなりの地域差があるようだ。 東京はもちろんのこと、大都市で暮らす女性たちの中には離婚肯定者がふえている。また、 夫婦の平等と夫の自分たちに対する敬意と、夫婦間の愛情本位の結婚観がかなり普及し、定 着している。 これらの日本女性は、少なくとも意識の上では、米国及び国際的なフェミニズムの定着へ の動向を共こ旦、、 ししただ夫に献身的に仕え、夫がどんな生活をし、行動をとろうとも、妻は 夫を美化し、悪いのは自分だと自分を責める、いわゆるウエンディ型の女性であることをや め、男、女が協力しながら互いの成長を目指すタイプのティンカー・・ヘルになろうとしている。 しかしながら、まだ地方では、ウエンディ型の女性の生き方を美化し、自分を責め、ひた すら夫に尽くそうとする女性も少なくない Z 夫人 ( 三十三歳 ) は九州のある小さな町で暮らしていた。 夫は、アルコール依存的なところがあり、それと同時に、いわゆる遊び人で、女性関係が 絶えない。現在もそうした問題が続いている。そもそも夫には結婚するときから、結婚した