し年をして二人 のもとを訪れると、途端にきげんがよくなり、 < 君の言葉をかりると、「い、 はいちゃいちゃして、とても見ちゃいられない」ということである。 < 君は、そういう母親を見て、母親に対する耐え難い不信と怒りを生じ、父親が帰った後 で責めさいなむということになる。 こうした感清的なトラブルが続くうちに、 <t 君はいわゆる家庭内暴力児として、学校でも 心配されるような状况になってしまったということなのである。 この父親、母親、そして息子の三人はその後、これに引き続いていわゆる家庭療法を受け しかし、その た。ここではプライバシーもあって、その詳しい内容を書くことはできない 経過だけを抽象的に述べると次のようである。 この家庭療法の途上で、話は、君が母親を責める、なぜ僕を生んだのかというテーマに なった。 < 君にしてみると、どうして正式に結婚もできない間柄なのに自分を生んでしまっ しかも、現 ~ 天にいま たのかということについての両親に対する恨み、怒りが解決できない。 目の前で、父親は自分たち母子に対して経済的な能力を失い、母親が働かなければならない。 男として僕のお父さんは本当に無責任な人だといって、 < 君は怒っているのである。しかも、 その自分が憎み、怒る父親と、相変わらす愛情を抱き合っている母親もまた許すことができ
目を十分に果たすことができないことが多い。母親も逃げ出し、父親ももともと父親役が果 たせないような父親であると、子供は全くの親不在の、無政府状態の中に置かれたような状 况に陥る。 数年前、横浜で浮浪者の老人殺しがあったが、このときの非行を行った少年たち十人中七、 八人が、こうした家庭状況で、似たような被害を受けた子供たちであった。 これに対して父親が家庭を出て行って、母親と子供たちだけの場合は、かなり違った運命 をたどる。多くの場合、父親が出て行くか、あるいは母親が子供を連れて出て行くという形 なのだが、いずれにせよ父親がいなくなった母子家庭では、母親もまた働かねばならないこ とが多い。そうなると、父親がいなくなっただけでなく、母親もまた、働くために家庭不在 になりがちである。また、母親自身の心にも大きな変化が起こる。いままでのような妻、母 このため 親でいるだけではやっていけない。社会人としての自分を持たなければならない。 代 、子供は一時的にせよ、父親と一緒に母親もまた失ったような経験を持ちやすい。しかも、 の 不母親がしつかりした社会的能力があればよいが、それも未熟、不十分な場合には、家庭全体 母が社会に対してとても弱い立場に立ち、場合によると社会性を失ったような家庭状況が出現 襯しやすい。そして、母親は自分の心のよりどころを子供に求め、子供も母親に求めるために、 母子の濃厚な結びつきが一方では生じやすいが、それは必ずしも健全なものとは言えない場 合も少なくない
( 母親 ) と子供たちの家庭はどうしても母子家庭化してしまう。 それだけに、子供たちが小・中学校時代に父親が単身赴任した場合、いろいろな影響が心 の発達に及ぶ場合が多い x 君の父は銀行マンで、外地への単身赴任を含め、 >< 君が小・中学校時代、半分以上不在 であった。ところが五十近くなった父親が、本社勤務の重役になり、常時一緒に暮らすよう になったころから、高校一年の >< 君は父親の存在をひどく嫌うようになった。父親を大変不 潔で汚いと感じてしまう。父親が触れたものはみんな汚いといってさわらない。接触恐怖と か不潔恐怖というノイローゼの症状が起こってしまったのである。 父親にしてみると、せつかく家族と一緒に暮らせるようになった喜びでいつばいだったの いざとなると、「お父さんは汚い」と一言われて排斥されてしまった。 母親と息子の強い絆が生じていて、何か自分は居候、招かれざる客のよ 父親不在の間に、 うな存在になってしまった。 x 君とその母親は、二人だけの愛の巣を設けてしまった。そこ には密着した母子関係が生じている。 x 君にしてみると、母親を独占して、自分がまるで一家の主人のような気持ちにさえなっ ている。そこに急に父親が定住するようになった。 >< 君にとっては、この新しい新入者に敵 対心がおこってしま , つ。 父親は、一生懸命会社のため、そして家族のため、 x 君の教育のために外地で苦労し、努
こう父親が語るのに対して < 君は、「そうだ、おまえが悪いんだ。おまえがわれわれをこ んな目に遭わせやがって」と言って怒りだす。 最初、これは中高年サラリーマンのお父さんの退職、転職に伴う家庭問題がきっかけだと 私は思ったが、さらによく話を聞くと、実はそれだけではなかった。この両親は正式な夫婦 ではなかったのである。父親には別に妻子がいて、すでに十五年もこういう愛人関係を母親 と続けているのだという。最初は妻子と別れてこの母親と結婚できるという想定のもとに < 君を生んだのだが、どうしても妻が離婚してくれない。その結果、君はいつになっても正 式な夫婦の息子にはなれないで、現在まできたとのことである。 もう少しはっきり言えば、父親の収入が半減した結果、愛人であるこの母親と君に対す る経済的援助が十分にできなくなってしまったというのが真相らしい。 < 君が怒っているの 挫 の は、実は母親だけでなく、この父と母の関係、そして、いまになって急に自分たちに対して と経済的責任が取れなくなった父親に対する怒りであった。 発母親によれば、母親もこの点について、君と二人のときには「私の人生はあの人にだま されたようなものだ。結婚する、結婚するといって十五年も待たされてしまった。そして最 の 春後にこんな目に遭わされて、ほんとにひどい人だ」というふうなことを < 君にぐちるのであ る。そして < 君はこのことを聞いて、父親に対して激しい怒りを抱いている。 ところが、 < 君と二人でいる時の母親は父親のことを悪く言っているのだが、父親が自分
つかけにして、父親、母親双方が、自分たちの空白に気づき、家庭が平和を失い、さまざま な争いや葛藤の巷と化すときがある。 子さんはいま高校二年生だが、半年前から一人のポーイフレンドができた。彼と親しく つき合うようになって、ときどきその家庭に出入りするようになった。その家庭は、自分た ち両親も比較的親しい父親の友人の家庭である。 その家庭に出入りするうちに、子さんは、自分たち両親と彼の両親の間があまりにも違 オーイフレンド君の家庭では、お父さん、お母さんも、自分 , っことにショックを受けた。 : が訪問すると一緒に食事をし、活発に話し合いをする。文字どおり一家団欒という雰囲気で ある。 君にはほかに二人きようだいがいるが、子供は子供で、日曜日を過ごすときに、父親、 母親は二人だけでしばしば外出する。二人で映画を見て帰ってきて、その映画の話を楽しそ 代 時うに子供たちとしている。あるいは夏休みにも夫婦で旅行に出かけているようだし、ときど 不きお客さんが来て、夫婦同士のつき合いも積極的なようだ。自分は結婚したらああした夫婦 母になりたいと、つくづく子さんは思う。 襯君も両親の影響なのか、子さんに対してもしつかりしていて、女友達とっき合う術を 、い得ている。 こうした機会がふえるにつれて、子さんは、あまりにもわが家には触れ合いがなく、会
破綻する中年夫婦〈尽くし型妻と子離れ即夫離れ妻〉 父親、母親不在の時代 育児を嫌う母親〈生みの親と育ての親の分離〉 再婚した母親に女を見た少女の苦悩〈子の人生狂わす親の離婚〉 離婚した父との再会を夢みる少女〈板バサミの子と親子訪問権〉川 潜在離婚家族の破綻〈父母を手本にできぬ子の悩み〉 父親になれぬ心理〈子に嫉妬する父とクヴァート症候群〉 単身赴任の功罪〈母子家庭化型と結束型〉剏 父親不在で崩れる世代境界〈単身赴任と息子の父役〉旧 Ⅲ中高年の心とその病 < いま中高年の心は ライフサイクルの変化と心の危機〈高齢化時代と職場、家庭での対応〉 中年婦人の空巣症候群〈子離れと主婦の中年期症状〉 出世して落ち込む〈配転後の新しい役割と適応・創造カ〉
しい両親の愛情の産物だということが次第にのみ込めたのである。 すでに中学二年生である < 君には、こうした男女の感情の機微や父母の苦悩もかなりよく 理解できた。 こうした父母との本当の出会いを経験することを通して、 < 君は数段成長し、大人になっ た。母親を責める気持ちはやわらぎ、父親に対する見方もずいぶん大きな転換を遂げた。母 親も、できるだけ < 君の希望に沿って、夜勤のない職業に勤め先を変更することができた。 このようにして、正式な夫婦の子供ではなくて、世間から言えば愛人とか、お妾さんとか きずな 言われる間柄なのだが、 この父、母、息子の間にま、 。いままでとは違った愛清の絆が新しく 再建されたのである。 その後、 < 君は家庭内暴力児ではなくなり、成績も良好なよき高校生になっている。 < 君 の場合には、両親が普通の夫婦ではなかったために、両親の男性、女性としての愛欲や、自 分がその愛欲の中で生まれたということについてのいろいろな脳みが比較的容易に表沙汰に なりやすい立場にしオ しかし、普通の結婚をした両親の子供であっても、思春期を迎えると彼らは皆、自分たち の出生の由来について深刻に悩む。どうしてお父さん、お母さんはあくまで父親、母親では なく、男、女であるのか。何故、男、女の関係で自分を生んだのか。自分の両親が、男であ り女であるということを心から納得することは、思春期の子供たちにとって最大の精神的試
この場合、現代の日本の家庭では、子供の親離れに対して最も深刻な苦悩を味わうのは母 親である。なぜならば、父親は子供が思春期のころ、たとえば三十代の後半や四十代のころ は最も仕事が忙しく、しかも男のつきあいで家庭を留守にする機会が多い。幾つかの調査に よっても、この年代の日本の会社人間が一週間のうち夕食を自宅でとることができるのは五 〇パーセント以下である。極端な場合には、週日のうち一日か二日、夕食までに帰ることが できればよいほうだという父親もいる。言い換えれば父親は、家庭の外で仕事からっきあい まで男同士の世界で暮らすことで生きがいを感じたり、さまざまな充実感を味わうことが多 こうした家庭状況の中で、どうしても母親は子供によけい心を向けるようになる。子供が 小学生くらいの間は、母親と子供の間にも相思相愛というべき密着したよい母子関係が成り 立つ。 ところが、子供が思春期に入って親離れを始めると、母と子の間に厳しい闘いが始まる。 äこの闘いは子供が中学の後半くらいから大学に入るくらいまで続く。それがまだこの段階で 高は、反抗とか、いろいろな心配事が次々に生ずるという形で、母親と子供との間には何らか の絆が保たれている。しかし、子供が高校を出て就職したり、大学に入ったりしてしまうと、 尸し。、冫しカカわりはなくなってしまう。子供は親に自分の心のすべて 母親と子供たちとの司こま朶、、ゝ しかも、その子の父 ままでのように甘えたり頼ることもない。 を打ち明けることはない。い 177
己愛 ) が傷つくか傷つかないが、それが満たされるか満たされないかをもつばら価値基準に するという傾向にも注目しなければならない 二、家庭教育の破綻と学校教育の新しい課題 これらの青少年の精神問題の多くが、実は、家庭教育の中で幼児期からの人格形成の中で 培われているはずの心性であるが、家庭教育の中で十分に学ばれないという現実がある。 かって伝統 私が近著『家庭のない家族の時代』 ( 集英社文庫 ) の中で論じているように、 的に日本に存在していた「家」が解体し、日本的な核家族が誕生したが、この核家族は結果 的には、米国ふうの夫婦中心の役割構造と価値規範の明確な核家族を形成するという道を歩 むかわりに、むしろ父親不在の日本的母子家庭を生み出した。父親はその分だけ高度成長期 に会社人間としてそのすべてを仕事と男のつきあいに向け、母親は教育ママになって、密着 した母子関係が誕生した。 しかし、いまやこうした母親もまた、家庭の中に定住するよりはむしろ心を家庭の外に向 けるようになり、「家庭のない家族の時代」が出現している。 こうした家庭状況の中で、従来の学校教育が前提にしていた、家庭教育における人格形成 やしつけといったものは、次第に家庭の機能として期待することが難しくなっている。さら にこれからますます女性の社会的な自立が進むに伴って、家庭における幼児、子供のしつけ や、人格形成の機能は低下していく可能性がある。
142 た。離婚がふえ、かっ肯定的に考えられる時が来れば来るほど、こうした子供たちの心の苦 脳についてもまた、大人たちは目を向ける必要がある。 一概に父母の離婚といっても、実際にはいろいろな形がある。また、子供における心の影 響も、その段階や過程によって異なる。 たとえば父母が離婚した場合、子供はどちらの側の親と一緒に暮らすかによって、その意 味も体験も違ったものになる。母親が家庭を出て、父親と子供たちが暮らす場合は、いまの わが国の状況では、もしその父親が比較的社会性があり、仕事も続け、家庭の中で父親とし ての役割をきちんと果たすような人物である場合であれば、意外に母親代理は求めやすいと いう面がある。つまり、それは祖母であったり、おばさんであったり、いわゆる女手が母親 がわりをつとめやすい。また、再婚の可能性も母親の場合に比べて比較的高い 大事なことは、その父親がきちんといままでの家庭の秩序を守っていて、そこに母親代理 がうまく入ってくれば、もちろん、子供の内面にはいろいろな葛藤が生するとはいいながら、 基本的な子供を守る家庭の枠組みは保たれる。 しかしながら、もし父親が競馬、競輪狂であったり、アルコール依存症であったり、性格 的に著しく未熟、あるいは非人間的な人物であって、その夫に耐えられなくなって母親が逃 げ出すといったような形で離婚になるような場合、しかも、母親に社会的、経済的能力がな いために、子供も置いて母親が逃げ出してしまうといった場合には、父親もまた、父親の役