これも男の甲斐性だぐらいに思 ら自分がそうした女生関係をやめるなどという考えはない。 っている。むしろ妻は家庭を守り、こうした夫の生活に奉仕し、子供を育てればよいのだと いう考え方の持ち主である。あからさまな男尊女卑的な考えを持っている。 しかし、これは z 夫人の暮らしているその地方の町ではそれほど特異な考えではないし、 むしろ夫のほうが普通であるというふうに見なされている。 最近、 z 夫人がこうした状態で結婚生活を続けることがあまりにも苦しいので、実家や周 囲の人に相談し、ひそかに離婚を決意し、家を離れて東京で暮らそうと思う、ということを 告白した。 そのとき、両親をはじめきようだいたちからも、「あなたはなんていう人なんですか。そ れでもあなたは母親なの ? 夫が浮気をしたり、酒癖が悪いくらいで離婚を考えるなんて、 どうかしているわ。子供たちのことも考えなさい。女のほうから離婚を言い出すなんて、周 りの人からどういうふうに言われるかわからない。とんでもない」といって非難を浴びた。 また夫も、「おまえは少し精神的におかしいんじゃないか。ノイローゼなんだ。あんまり 危いろいろ考え過ぎている。このとおりおまえはちゃんと子供を育て、家庭をちゃんとやって 婦いれば少しも心配はない」と言われた。 とうとう彼女はたまりかねて、東京に住む姉を頼って上京した。そのとき、夫には「私の ほうの考えが正しいのか、あなたのほうの考えが正しいのか、この町の中で暮らしていても
120 よくわからなくなってしまったから、一度東京に行って専門家の偉い先生たちに会って相談 してきたいと思う」と言った。夫は、「それも、 しいだろう。母親の本分を忘れるようなおま えのことを、東京の先生たちは何て一一 = ロうかなあ」といって、断固として自分の非を認めよう とし、ない しかし、彼女もときどき深刻に自分がおかしいのではないかと思うときがある。周りを見 渡すと、似たような夫婦でいても、案外円満に暮らしている人がいる。日曜日に家族連れで 出かけたり、夏休みに旅行に行ったり、旦那の出世とか、いい車を買ったとかということで 結構楽しそうだし、何とか日を送っている。自分があまりにも神経質で考えが狭いのだと考 えて自分を責める。ときどきたまらなく気持ちが沈んでしまう。 一見、男女同権とか、フェミニズムの定着とか言われていても、意外にこうしたウエンデ イ型の悩みを持っ女性は少なくない。 東京で Z 夫人はいろいろな専門家に出会って、カウンセリングを受けた。セミナーにも参 加した。そして、ある種のカルチャーショックを受けた。やはり自分の考えは決して間違っ てはいなかった。い くら子供のことを考えるといっても、まだ三十代の自分がこれから何十 年もいまのように愛情を失った夫と一緒に暮らすなんて考えられない。一度結婚したら、そ の縁を大切にして、世間体を重んじ、子供の将来を考えて、じっと我慢していくというのは、 なんてマゾヒズム的であろうかとっくづくと実感すると同時に、自分の考えの正しさに自信
つばりないらしい これから夫婦らしくやっていこうとすれば、どうしても奥さんのほうが指導力を発揮して、 「もうそろそろ子供をつくりたいけどいいですか」とか、「子供ができたらいまの部屋では狭 いからもっと広いアパートにかえなきゃならないけどその予算はどうしましようか」とか、 自分のほうから切り出していろいろと積極的に動かなければならない。何かこれからの人生 をいつもそんなふうにおとな子供の彼とやっていくことに、妻は深刻に悩み始めたのである。 学生時代は無邪気にそのときそのときを楽しめよ、 、と、う気持ちだったので、よいバー トナーだった。しかし、すでに彼も三十近くになっている。にもかかわらず彼は、会社人間 としてうまくやっていくこと以外、人生について何も考えていない。男らしい頼もしさとか、 自我の主張はさつばりない。女として自分がどんな感清でいるかについても、どうやら夢に も疑ったことはないらしい。何を夫に相談しても、結論が出せない。はっきりとした自分の 病考えがない。 の そ しかも、みんなが自分中心に回っているという思い込みが強いために、自分自身で判断し 心行動しなくても何とかなるという気持ちが強い。周りから見ていると、いい人だとか、真面 年目で結構だとか、よく言われるのだが、男としての中身が何とも空つばだという気がする。 知らない間に、 大変大きな荷物をしょわされているという感じになってしまったのである。 どうしても彼女は夫に対して厳しく、激しいことを一言ったりイライラしたり、ときどきヒ
大切なことは、親は子供が思春期の荒海を通り抜ける上での港のような役目をすることで ある。子供たちは荒れ狂う大海の中に一人で船を漕ぎ出していく。しかしながら疲れてまた 港に戻りたいときがある。戻ってきたときには十分に受け止めて支え、再び子供が一人で大 海に乗り出そうとするときには、信頼してじっと見守っている。こうした行ったり来たりを 繰り返しながら親離れは進んでいく。決してあれかこれか、オール・オア・ナッシングでは ない。一度離れていったらそれつきり戻ってこないようなことはない。 しかも思春期の子供 たちはこの行ったり来たりを繰り返しながら、青年期を経てさらに一人前の社会人として独 立するが、再び結婚とか、あるいは子供を持っ段階になると、親に対してもっと大人の気持 ちでの愛情やかかわりを向けるようになる。そのようなときが来るまで、親は希望と信頼を 折失わずに子供の成長を支え見守る心がけが大切である。「待て、而して希望せよ」である。 の そ 達 発 の の 期 春 なぜ自分を生んだのか〈家庭内暴力と未生怨〉 「私の学校に、いわゆる家庭内暴力の生徒がいて困っています。何とかしてあげてくださ 学校カウンセラーの先生からのこのような依頼で、 < 君が見えた。 < 君は最近、母親に「どうして僕を生んだんだ。こんな年でしつかりした考えもなくて、
待されていたし、社交好きの 0 夫人は、活発な性格で、結婚してからひたすら夫に尽くし、 子供たちもそれそれ一流大学、一流会社に就職した。しかし、彼女にも中年の心の危機が訪 れた。 その相手が彼女の目から見るといわゆる三流大 末の娘が結婚する相手を見つけたのだが、 、。「どうしてこんな人と結婚しなければな 学出身者で、とても彼女の一流好みには合わなし らないの」と娘を責める。 娘は、「お母さん、お父さんのように、エリートコースを歩むことだけを生きがいに いる生き方は、何かとても宙に浮いてるようで安心できない。いっかどこかで破綻が起こる のではないかしら。やはり結婚の相手は人物本位がいいと思う。その点彼は、たしかに受 験・進学、就職コースでは一流でないかもしれないけど、とても誠実で、やさしくて、信頼 できる人柄です。やはり私は地味でも堅実な彼のような人と静かな家庭生活を送りたい」と O 夫人は、しきりに娘の考えを翻させようと説得したが、とうとう彼女はこの彼と結婚す 危ることになってしまった。このとき、 O 夫人はひそかに深刻な落胆を経験し、何か人生に大 婦きな穴があいたような気がした。そして、朝起きるとき、元気がなく、お昼まで寝てしまう とか、食欲がないとか、軽いうつ状態に落ち込んだ。 気を取り直して何とか日を送っていたが、それからしばらくして、突然夫が、重役コース
むすび 社会の急速な変化に伴って、青少年の心理構造は大きな変化をあらわしている。この変化 にわれわれ大人の教育する側が十分に対応し得ていない、 というのが現代の青少年の教育の 最も基本的な問題であると思う。現状を適切に認識し、先入観にとらわれることなく、その 意義を読み取り、新しい教育のあり方を発見することが、現在の家庭、学校教育の急務の課 題であると考える。 私の考えをさらに具体的に述べたものとして、左記の著作を参照していただきたい。 一、現代の青少年の心理構造について『こころの進化』 ( 三笠書房知的生きかた文庫 ) 二、現代人の精神構造について『モラトリアム人間の時代』 ( 中公文庫 ) 、『シゾイド人間』 ( 講談社文庫 ) 、『自己愛人間』 ( 講談社文庫 ) 三、現代の家庭・家族問題について『家庭のない家族の時代』 ( 集英社文庫 ) 境界バーソナリティー障害 (Borderline PersonaIity Disorder) 登校拒否、家庭内 暴力、非行、拒食・多食、自傷といったさまざまな精神病理をあらわす各年代の 人々の中には、幼児期からのパーソナリティーの発達に障害のある者と、それぞれ の年代になってその精神発達とライフサイクルの途上で一時的にこれらの問題をあ らわす人物がいるが、前者、つまりこうしたバ ーソナリティーの発達上の障害を持
ていたように見えた少年少女が、思春期のある段階で、突然いままでとは全く違った行動に ・走ることがある。 反抗期とかいろいろ言われるが、特にひとり娘とか、ひとり息子とか、親の愛清を一身に 集め、大事に育てられていた子供たちの場合に、反抗期が激しく起こる。親子の絆が濃密で 強過ぎるために、そこから離れるときに人一倍激しい反抗を示さないと、その絆を断ち切る ことができない。つまりそれは、親離れのための必死の努力を意味する。 親の側から見ると、なぜ突然いままでとはまるで違った人間のようになって、いままでの 親子の間で白だったものが全部黒になり、愛情のつもりでいたものがすべて恨みの材料にな るのか。なぜいままでの育ちが最大の否定の材料になるような考えの逆転が起こるのか、子 折供たちの気持ちをすぐに理解することは難しいし、まるで狂ったように見える。しかし、そ のういうふうに自己を表現している本人たちにしてみると、そうしなければ自分が自分になれ という必死な思いで、そうやっていること とない、親から離れた自我を持っことができない、 発がある。 子さん ( 高校二年生 ) は、それまでは学校の成績も上位にあり、おとなしい、目立った の 春子ではなかったが、何でもみんなと同じようにやっている、よい生徒だった。 その学校は、その地方で一流の受験進学率の高い名門の公立の高校で、このままいけばか なり高い水準の大学に進学できることも確実だった。ところが、高校二年のころから、それ
か、「元気がでましたか」、「食欲はありますか」といった簡単な問診をし、「早く元気をお出 しなさい」というようなことを一言って、では、と処方箋を書くとおしまいになってしまう。 ⑥さんにしてみると、いろいろ悩みがあり聞いてもらいたいと思う。また、本をよんでみ るとこうした無気力症の原因には精神的なこともたくさんあるようだ。そうした悩みを聞い てもらおうとしても、後ろを振り返るとまだ十人も二十人も患者さんが待っている。少しゅ つくり話し込もうとすると、看護婦さんが、ではそのくらいにしてと、次の患者さんを呼ん でしまう。こんなふうで自分は疑問を感じ、こちらに診察を受けに来てしまったのです、と ⑥さんを診察する立場に立ってみると、明らかにまだ⑥さんはその〇〇病院の診療を継続 中の患者さんである。その主治医の⑩先生にしても、いろいろ考えがあっていまのような診 療をしているのかもしれない。第一、どんな薬を投薬しているのか、こちらにはわからない 理医者と医者の間にもある種の仁義のようなものがあって、別な先生が診療中の患者さんを無 ä断で自分の患者さんにしてしまうことはできない 患「このままこちらで診察をして治療することは好ましくないと思います。もしどうしてもこ 師こで診察をお受けになりたいのでしたら、その旨を⑩先生にお話しになって、ご了解を得て、 ちゃんと病状、診療の経過を書面に書いてご紹介状をいただいていらしてください」とお願 いする。
222 トレスになり得る。 現代社会において、ストレスという一一 = ロ葉が一般化するに至った背景には、セリエ (Selye, H. ) のストレス学説がある。セリエは、物理的、心理的、社会的、あらゆ るストレスに対して生体はその刺激に順応、適応するために一定の防衛機構を持っ ているという。この防衛機構は、間脳ー脳下垂体ー副腎皮質系のシステムを介して 営まれる。急激なストレスに対する急性の反応に引き続いて、ストレスが持続する と、警告反応期、抵抗期、疲憊 ( ひはい ) 期の三つの段階を経過する。 こうしたストレス学説が一つの人間観ともなり、もっと広義のストレスとそれに対 する生体の適応、それに伴う種々の汎適応症状群という見方が、現代社会における 人間を理解するうえで重要な一つの枠組みになっている。たとえば、心身症は、社 会生活を営んでいくうえでのこうした心理的、社会的なストレスが身体的な違和変 調を起こす場合である。 社会的ストレス ( 現代社会のストレス ) 現代の社会生活では、ストレス社会と言 われるように、以下のようなさまざまな社会心理的なストレスがある。 第一に、現代社会の急速な変化によるものがある。価値観、適応様式が、科学技術 の急速な進歩により次々に変化する。こうした変化に適応する過程で、人々はさま ざまなストレスに出会っている。第二に、現代社会の都市化や文明化に伴って、現
休み明けのパニック〈登校拒否と過保護〉 毎年のことだが、九月上旬には登校拒否の小・中学生の相談がふえる。一言でいえば、夏 休みに家庭にいて久しぶりに登校というときに、休みぐせがついていて、学校に行きたくな くなってしまう子供が多いからだ。 が一括して論じられることによって、問題の真の実情が見失われるおそれがある。 最も多いのは、父母に対して、育て方が悪い、思う通りにやってくれない、なぜ自 分を生んだのか、などの理由づけによって暴力を振るう場合で、いずれも家庭環境 の中だけで起こり、それ以外の人物に対しては暴力を振るったり、異常な態度をし ない場合が多い。しかし中には精神病の徴候、非行や拒食症・多食症、あるいは思 春期挫折症候群ないしは境界パーソナリティー障害の現れのひとっとして、これが 起こる場合がある。精神医学的に見たそれそれの子供の心の状態をよく見極め、そ れぞれのケースについて、個々の家庭状況と親子関係、その子どものパーソナリテ ィーなどについて原因を正確に把握したうえでの適切な接し方が大切である。 ( 『現代用語の基礎知識』自由国民社刊から )