258 分にどういう意味をもっかを十分に吟味して、学校と自分との間に、契約を結んだという心 がけで進学する。その学校とうまくいかないとすれば、それは、それを選んだ自分に責任が あるという考え方である。 ところが、日本人の場合には、入るときにはあまりそうした選び方を深刻に考えないで、 たまたま縁あってそこの学校の生徒になってしまう。 それは夫婦の場合でも同様である。縁あって一緒になる。きっかけはお見合いのような出 会いであっても、・一度縁ができたらその縁を大切にしようと思う。それだけに、ときによっ てこの縁によって結ばれた間柄が重荷になり、自分を縛る束縛になり、なぜこんな縁をもっ たのだろう、なぜこんな人を選んだのだろう、こんな学校に入ったのだろうという恨みの心 が生ずる。これが縁を恨む心である。 ⑥君はすでに医学部に入って二年生になったのだが、次第にこの医学部に入ったことを悔 やむようになった。高校時代も、内心は歴史や文学が好きで、ときどき文科系を志望したい という気持ちが頭にひらめいた。しかし、彼は同時に理数系もよくできるいわゆる秀才であ った。クラスでも最も偏差値の高い地位にいた。内申もよかった。 学校の先生から、「君なら一流の医学部にいくらでも入れるよ」と言われた。彼はふと、 せつかく入れるなら一番いいところに入らなきゃ損だと思った。両親もそう一言う。「文学部 はどうでしよう ? 」と聞くと、「いまごろ文学部に入っても就職難だからやめたほうがいし
そのためか、さんはてつきり自分が何か大変難しい心臓の病気にかかってしまったので 。ないかと思い込んでしまった。できるだけ安静にしていないと、また発作が起こって命取 りになったら大変だ。そのために会社に出勤することもこわくなってしまった。 このように、ひとたびこわい体の病気ではないかというふうに思い込むと、ますます体の ことが心配になり、いろいろな治療を試み、心身症をこじらせていく。 その理由は、第一に、人命尊重を第一義とする医師の立場から言うと、もしもあなたの病 どこか見落としがあったりする 気は心身症で本当の心臟病ではないと言ったりした場合に、、 と、これは大変な医療過誤になってしまうという不安があるので、心臓は何でもないとなか なか言い切れない場合がある。 第二に、、い身症とか、ノイローゼとかいう一一一一口葉を使っても、患者さんは、自分はこんなに 体が悪いのに、精神的な原因によって起こると聞かされて納得しない。やはり、体の病気の 形で説明したほうがわかりやすいのではないかという気持ちがある。 ス第三に、精神的な原因だという場合、それはどういう原因で、どんな精神状態だというこ とについて、各科の先生がゆっくり時間をかけて話し合ったり、面接したり、相談するだけ ス 9 の時間的ゆとりがない場合が多い。れにいまの医療制度の中では、こうした精神面の相談や とうしても説明も不足がちになる。 指導に十分な保険点数上の裏付けが乏しい。そのために、。 特に、ひとたび自分は重い体の病気ではないかと心配して、あれこれと治療したり、その
こう父親が語るのに対して < 君は、「そうだ、おまえが悪いんだ。おまえがわれわれをこ んな目に遭わせやがって」と言って怒りだす。 最初、これは中高年サラリーマンのお父さんの退職、転職に伴う家庭問題がきっかけだと 私は思ったが、さらによく話を聞くと、実はそれだけではなかった。この両親は正式な夫婦 ではなかったのである。父親には別に妻子がいて、すでに十五年もこういう愛人関係を母親 と続けているのだという。最初は妻子と別れてこの母親と結婚できるという想定のもとに < 君を生んだのだが、どうしても妻が離婚してくれない。その結果、君はいつになっても正 式な夫婦の息子にはなれないで、現在まできたとのことである。 もう少しはっきり言えば、父親の収入が半減した結果、愛人であるこの母親と君に対す る経済的援助が十分にできなくなってしまったというのが真相らしい。 < 君が怒っているの 挫 の は、実は母親だけでなく、この父と母の関係、そして、いまになって急に自分たちに対して と経済的責任が取れなくなった父親に対する怒りであった。 発母親によれば、母親もこの点について、君と二人のときには「私の人生はあの人にだま されたようなものだ。結婚する、結婚するといって十五年も待たされてしまった。そして最 の 春後にこんな目に遭わされて、ほんとにひどい人だ」というふうなことを < 君にぐちるのであ る。そして < 君はこのことを聞いて、父親に対して激しい怒りを抱いている。 ところが、 < 君と二人でいる時の母親は父親のことを悪く言っているのだが、父親が自分
( 母親 ) と子供たちの家庭はどうしても母子家庭化してしまう。 それだけに、子供たちが小・中学校時代に父親が単身赴任した場合、いろいろな影響が心 の発達に及ぶ場合が多い x 君の父は銀行マンで、外地への単身赴任を含め、 >< 君が小・中学校時代、半分以上不在 であった。ところが五十近くなった父親が、本社勤務の重役になり、常時一緒に暮らすよう になったころから、高校一年の >< 君は父親の存在をひどく嫌うようになった。父親を大変不 潔で汚いと感じてしまう。父親が触れたものはみんな汚いといってさわらない。接触恐怖と か不潔恐怖というノイローゼの症状が起こってしまったのである。 父親にしてみると、せつかく家族と一緒に暮らせるようになった喜びでいつばいだったの いざとなると、「お父さんは汚い」と一言われて排斥されてしまった。 母親と息子の強い絆が生じていて、何か自分は居候、招かれざる客のよ 父親不在の間に、 うな存在になってしまった。 x 君とその母親は、二人だけの愛の巣を設けてしまった。そこ には密着した母子関係が生じている。 x 君にしてみると、母親を独占して、自分がまるで一家の主人のような気持ちにさえなっ ている。そこに急に父親が定住するようになった。 >< 君にとっては、この新しい新入者に敵 対心がおこってしま , つ。 父親は、一生懸命会社のため、そして家族のため、 x 君の教育のために外地で苦労し、努
目を十分に果たすことができないことが多い。母親も逃げ出し、父親ももともと父親役が果 たせないような父親であると、子供は全くの親不在の、無政府状態の中に置かれたような状 况に陥る。 数年前、横浜で浮浪者の老人殺しがあったが、このときの非行を行った少年たち十人中七、 八人が、こうした家庭状況で、似たような被害を受けた子供たちであった。 これに対して父親が家庭を出て行って、母親と子供たちだけの場合は、かなり違った運命 をたどる。多くの場合、父親が出て行くか、あるいは母親が子供を連れて出て行くという形 なのだが、いずれにせよ父親がいなくなった母子家庭では、母親もまた働かねばならないこ とが多い。そうなると、父親がいなくなっただけでなく、母親もまた、働くために家庭不在 になりがちである。また、母親自身の心にも大きな変化が起こる。いままでのような妻、母 このため 親でいるだけではやっていけない。社会人としての自分を持たなければならない。 代 、子供は一時的にせよ、父親と一緒に母親もまた失ったような経験を持ちやすい。しかも、 の 不母親がしつかりした社会的能力があればよいが、それも未熟、不十分な場合には、家庭全体 母が社会に対してとても弱い立場に立ち、場合によると社会性を失ったような家庭状況が出現 襯しやすい。そして、母親は自分の心のよりどころを子供に求め、子供も母親に求めるために、 母子の濃厚な結びつきが一方では生じやすいが、それは必ずしも健全なものとは言えない場 合も少なくない
234 ために会社を休んだりすればするほど、その病気についていろいろなエネルギーを投資する ことになる。投資すればするほど、その病気は体の病気としての形をもつものになってしま う。いわば自分で病気をつくりあげてしまう。そして、この「体の病気」に対して、また、 どうしていいか悩むことになる。 その意味で、心身症という一一一一口葉の正確な意味を、お互いによく理解しておくことが大切で ある。また、先生の説明をよく聞いて、自分の病気がどこまで本当の体の故障によって起こ っているのか、どこまで精神的な原因で起こっているのかについての、十分な理解と科学的 な心構えが大切である。 む身症 (psychosomatic disease) 心身症とは、身体の違和変調をあらわすが、 その原因は、むしろ心理的要因であるような病態をいう。つまり、精神的な不安や 緊張、興奮などが種々な身体症状をあらわす場合を心身症というのである。ただし 心身症には、第一に、精神的な原因によって身体の各器官の働きに異常を呈する場 合、たとえば精神的な原因で上下肢の麻痺が起こったり、声帯が麻痺して声が出な いような場合がある。第二 に、たとえば高血圧症とか、狭心症、心筋梗塞、消化性 潰瘍、過敏性大腸炎、糖尿病、甲状腺機能亢進症、神経性の皮膚炎、緑内障など、 さまざまな各科の病気の中で、とりわけ心理的な原因がその経過に大きな影響を及
この気遣いがまた、対人緊張感の源泉になる。いつも自分の自己愛が相手によって満たし てもらえるかどうか、逆に傷つけられるのではないかという不安が強い。 対人恐怖の心理から本当の意味で抜け出すためには、他人の評価やまなざしによって左右 されない、 もっと安定した自分に対する自信を身につける必要がある。健康な自己愛は、対 人恐怖を起こすような、ノイローゼ的な自己愛とは性質の違ったものである。 たとえば人にどう思われていても、自分に対する確固たる自己評価が確立していれば、気 持ちは安定し、いちいち人の評価で動揺することもない。そのためには自分の心の中に自分 を評価する尺度、基準を内面的に確立することが大切である。 たとえば、最近、受験進学体制と関連して、偏差値の弊害がいわれる。しかし、偏差値は もともと、大勢の競争相手の中で自分がどのくらいの能力、学力をもっているかを、自分で 自分について評価するための手がかりとして考案されたものである。自分が、どれだけの能 格 性 力と学力を身につけているかを、自分で自分について試し、評価するための手段と考えるな と いら、偏差値も決して悪いものではない ところが、いつも人の目を気にし、人との比較でしか自分の価値が判断できない心理が強 の と いと、偏差値によって自分の価値が決まってしまう。つまり、人の視線や評価によって自分 人 の自己愛が絶えす左右されてしまう。 こうした気持ちが強いと、まるで偏差値が自分のすべてを決めてしまうかのようなストレ
親離れと自立を目指して〈思春期革命と愛憎の葛藤〉 思春期は親離れの年代と言われる。ここで言う親離れとは、ただ物理的、時間的に親と隔 たりができることだけを意味するわけではない。むしろ厳密に定義すると、親もまた一人の 人間として自分とは別個の存在であり、何でも自分の思うとおりにはならない。親には親の 感情があり、親には親の都合がある。自分がこうしてほしいと思っても、そのとき都合の悪 よい。親に・も いこともある。自分と同じ感清になって自分本位にやってくれるわナこま、 いろいろな社会生活があり、人間関係がある。そもそも母親といっても父親との愛情関係が あるし、いつも自分のほうだけ向いているわけではない。 このことを納得して、子供つばい 自分本位の感情から抜け出す。親が、自分とは別な存在であることを受け容れる。それが親 離れのできた状態である。 思春期の心の発達とその挫折
スになってくる。自分自身の基準と尺度で、自分自身のペースで自分を評価し、自分につい て自分なりの自己愛を確立することが、心の健康にとって、いまとても大切な時代になって しかしながら、価値観が多様化し、世の中の変化が急速になるにつれて、自分の自己愛を 満たすことだけを生き甲斐にする人間が多くなった。こういうタイプの人間を私は「自己愛 人間」とよんでいる。 ( 小此木啓吾『自己愛人間』講談社文庫 ) よい学校よい会社に入るのも、自分は〇〇大学の〇〇、〇〇会社の〇〇だと、それを誇り、 自己愛を満たすためである。夏休みに家族旅行に行くのも、新しい車を買うのも、自分はこ んなに幸せな家族をもっているのだ、こんなに素晴らしい車にのっているのだ、と、自分の 自己愛を満たすためである。 世の中が安定し生活が豊かになればなるほど、必要な衣食住は満たされる。そうなると寒 さ暑さをしのぐ目的でシャツやドレスを買う必要はなくなる。毎年、新しいシャツを買いド レスをつくるのは、かっこういい自己像をリフレッシュするためである。化粧品もまた同様 である。飢えを満たすためにレストランに行く必要はない。いい 気分になり、よいサービス をうけ、お客様としての自己愛を満たすため素敵なレストランに行く。 そう思って私たちの日常を顧みると、毎日の生活の、実に多くのものが自己愛を満たすた めのものになっている。
対人関係の中で池や鏡の役目をするのは、他人の心であり、他人の評価であり、他人の視 線である。自分が他人の心にどんなふうに映っているのか、他人にどう思われているのか、 その一番直接のあらわれは、人のまなざし、視線である。対人恐怖の人が視線恐怖を中心に したり、いつも周囲からどう思われているか、いつも厳しい目で見られているという気持ち になって、それを気にするのもそのためである。 特に日本人の自己愛の満たし方は、受け身的、依存的である。自分で自分の手柄を誇った り、自分がどんなに立派な業績をあげたかを自分から宣伝したり、自分で自分を評価して、 おれはこんなに立派なんだというふうに自己を主張すると、周りから良くいわれない。謙遜 に、控え目にしていると、周りの人がほめてくれる。 また、日本人同士の内輪の人間関係の中では、お互いの気持ちを配慮し合って暮らしてい る。特に相手の自己愛を尊重し、いつもそれを満たしてあげようという心遣いが発達してい る。本人は遠慮したり、控え目な態度をとったりするが、周りはその人の自己愛を傷つけな いように大事にしてあげようとする。いつの間にかそうした気遣いや配慮、思いやりをあて にしながら暮らしているのが、われわれの日常である。 それだけに、自分の自己愛が満たされるか満たされない力。し 、よ、、つも周りの人の思いやり や気遣いによって左右される。ここでもまた、相手がどう思っているのか、相手がどうして 自分を配慮してくれないかが逆に関心の的になる。