産業社会 - みる会図書館


検索対象: 生きるということ
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1. 生きるということ

民として、能動的に参加しなければならない。かくして、持っ存在様式からの解放は、産業的、政治的 参加民主主義の十全な実現によって、初めて可能となる。 マニストに共通している。 この要請は、たいていのラディカル・ヒュ 産業的民主主義に含まれる意味は、産業あるいはその他の大組織のそれぞれの構成員が、その組織の 生活において能動的な役割を演じること、それぞれが十全な情報を与えられ、方針決定に参加すること、 それも個人の作業過程や健康と安全のための方策の段階に始まり ( これはすでにスウ = ーデンとアメリ 力の幾つかの企業で試みて、成功している ) 、結局はより高度な段階へ進んで、企業の全般的方針の決 定に参加すること、である。企業外の労働組合の役員ではなく、労働者や従業員自身の代表が出ること が肝要である。産業民主主義がさらに意味することは、企業は単に経済的、技術的な組織であるばかり でなく、社会的組織でもあって、その生活と機能方法においてすべての構成員が能動的となり、その結 果参加の精神を持つようになる、ということである。 政治的民主主義の実現にも、同じ原理が当てはまる。民主主義が権威主義の脅威に抵抗するためには、 そこでは、共同体のことがらが市民個人 色受動的な〈観客民主主義〉から能動的な〈参加民主主義〉 のにとって、私的なことがらと同じように身近で重要であり、さらに進んで、共同体の福利がそれぞれの 社 市民の私的な関心事となるーーへと、変貌しなければならない。共同体に参加することによって、人び 新とにとって生活はより興味深く刺激的になる。実際、真の政治的民主主義は生活がまさにそのように、 九すなわち興味深いものになる民主主義である、と定義することができる。このような参加民主主義はそ 非官僚制的であ もそもの本性からーー〈人民の民主主義〉や〈中央集権的民主主義〉とは対照的に 241

2. 生きるということ

すなわち正気で人間を高める消費への欲求が、皆を一つにするからである。消費者ストライキの中止を 指令する第一段階として、ラディカル・ヒュ 1 マニズム的消費者運動の指導者たちは、要請されている 変革を求めて、巨大産業の経営者と ( また政府と ) 交渉するだろう。彼らのやり方は、基本的には労働 者のストライキを回避したり終わらせたりするための交渉の場合と、同じになるだろう。 これらすべてにおける問題は、消費者に次のことを気付かせるところにある。 ( 1 ) 消費主義に対す る彼らの半ば無意識的な抗議と、 ( 2 ) ヒュ 1 マニズム精神を持った消費者がいったん組織化された時 の潜在的な力。このような消費者連動は、真の民主主義の発露となって、個人は直接に自己を表現し、 能動的で疎外されないやり方で社会の発達の方向を変えようとするだろう。しかも、これらすべての基 礎になるのは、政治スロ 1 ガンではなく個人的経験だろう。 しかし、大会社の力が現在と同じように強大であるかぎり、たとえ効果的な消費者運動を行なったと しても、まだ十分ではない。 というのは、巨大会社が大きな支配力を政府に対しても ( これは日に日に 大きくなっている ) 、住民に対しても ( 洗脳による思想支配を通じて ) 持っているという現状を打破し ないかぎり、まだ存在する民主主義のなごりさえも、技術家政治的ファシズムや、栄養十分で何も考え ないロポットの社会 〈共産主義〉の名のもとにあれほど恐れられた社会の類型にほかならない に、屈する運命にあるからなのだ。 合衆国には反トラスト諸法に表現されているように、巨大企業のカ を制限する伝統がある。これらの法律の精神を現在の法人組織の超大勢力に適用して、それらをもっと 小さな単位に解体させるような発議を、強力な社会感情によって行なうこともできるだろう。 あることに基づく社会を達成するためには、すべての人びとが自分の経済的な機能において、また市

3. 生きるということ

方の人びとが持ち出す実例の一つは、フォ 1 の〈 = ドセル〉〔訳注。フォ 1 ドが多大の期待を掛け の名〕の失敗である。 しかし、エドセルは成功しなかったが、エドセルのための広告宣伝も、自動車を買わせる宜伝であった それによって不運なエドセルのほかのあらゆる車種が利益を得た という事実は、変わらない。 そのうえ、産業は人間にはより健康的だが、産業にはより利益の少ない商品を生産しないことによって、 人の好みを左右するのである。 正気の消費は、大企業の株主や経営者が企業の利益と発展のみに基づいて生産を決定する権利を、私 たちが大幅に制限しえた時に、初めて可能となる。 このような変革は、西洋民主主義の組織を変えなくとも、法律によって実現することができる。 ( 私 たちはすでに公共の福祉のために財産権を制限する、多くの法律を持っている。 ) 問題は生産の方向を 決める力であって、資本の所有権ではない。いったん広告の暗示力に終止符が打たれたなら、結局は消 費者の好みが何を生産すべきかを決めるだろう。新しい要請を満たすために、現存の企業は設備を変え なければならないだろうが、それが不可能な場合には、政府が必要な資本を使って、要求される新しい 生産品や事業を生み出さなければならない。 これらす・ヘての変革は、ゆっくりと時間を掛け、しかも住民の大多数の同意を得て、初めてなしうる ことである。しかし、それらはやがて新しい形の経済体制になる。今日の資本主義とは異なるが、ソビ エトの中央集権的国家資本主義や、スウェ 1 デンの総合福祉的官僚制とも異なる経済体制に そもそもの初めから大会社がその途方もない力を利用して、このような変革と戦おうとするであろう ことは、明らかである。正気の消費を求める市民の圧倒的な欲求のみが、会社の抵抗を打ち破ることが

4. 生きるということ

す多くつぶれてゆく小企業の場合と同様に、一つの経済的必然性であって、遺憾なことではあるが、自 然の法則の結果であるかのごとく受け入れなければならないものであった。 この経済体制の発展を決定するものは、もはや〈人間〉にとってためになるものは何か、という問い ではなく、体制の成長にとってためになるものは何か、という問いであった。人はこのきわだった食い 違いを隠そうとして、体制の成長のために ( あるいは一つの大会社のためにでも ) なるものは、一般の 人びとのためにもなるのだ、と仮定した。この解釈をささえたのは、次の補助的な解釈であった。すな わち、体制が人間に要求する資質そのものーーー自己中心主義、利己心、貪欲ーーは人間性に生まれつき 備わっているので、これらの資質を育てるのは体制だけでなく人間性自体でもあるという解釈。自己中 択心主義、利己心、貪欲が存在しない社会は〈原始的〉であると考えられ、その住民は〈子供じみて〉い ると考えられた。人びとは、これらの特性が生まれつきの動因として産業社会を出現させたのではなく、 それらは社会環境の産物なのだと認めることを拒んオ 折重要さにおいて決して劣らない要因としてもう一つ、すなわち人びとの自然に対する関係が深刻に敵 そ対的になったという要因がある。私たちは、〈自然の気まぐれ〉として、自己の存在の条件そのものに 束よって自然の中にあるとともに、天賦の理性によって自然を超越する一方、自己の存在の問題を解決し なようとして、自然を征服し、自己の目的のために変貌させることによって、人類と自然との調和という 大メシア的理想を捨て去ったために、ついには、征服はますます破壊に等しい意味を持つようになった。 章 自らの征服と敵対の精神のために盲目となって、私たちは天然資源には限りがあって結局は涸渇しうる 序 という事実、そして自然は人間の強欲に対して逆襲するであろうという事実を見ようとはしなかっこ。 ミ ) 0

5. 生きるということ

原子兵器の廃棄である。 私たちの経済の病的な要素の一つは、それが大きな軍事産業を必要とすることである。今日でさえ合 衆国は、世界で一番豊かな国でありながら、防衛予算を負担するために、保健、福祉、教育のための出 費を切り詰めなければならないのである。社会的実験の費用の負担は、自殺の手段としてのみ役立っ兵 器を生産して貧しくなっている国家には、とうてい耐えられない。そのうえ、個人主義と能動性の精神 は、軍事的官僚制が日に日に力を増しながら、恐怖と屈従を促進し続けているような雰囲気の中では、 生きることはできない。 一応の見込みはあるか 2 新しい社会 会社のカ、多くの住民の冷淡さと無力さ、ほとんどすべての国の政治的指導者の無能さ、核戦争の脅 威、生態学的な危険をーーそれだけで世界の多くの地域に飢饉をもたらしうる気候の変化のような現象 色 は、一一一一口、つまでもなく 考慮したうえでも、救済の一応の見込みはあるのだろうか。商取引の観点に立 特 1 セントしかないのに全 理性的な人間であれば、勝ち目がわずか二。ハ のては、そのような可能性はない。 社 財産を賭けたり、もうかる見込みが同じようにわずかしかない投機的事業に、多くの資本を投じたりは、 新しないだろう。しかし、生きるか死ぬかの問題になれば、〈一応の見込み〉はそれがいかに小さなもの 九であっても、〈現実的可能性〉に翻訳されなければならない。 第 人生は運任せの勝負事でもなければ、商取引でもないので、救済の現実的可能性の意味を十分に認識 2 9

6. 生きるということ

陪審員は関連するすべての情報を与えられ、長い討論の機会を持ち、かっ彼らがさばくことを委任され た人物の生命や幸福は、彼らの判断によって決定されるということを知っている。その結果として、彼 らの決定は概して高度の洞察と客観性を示すのである。これとは対照的に、情報を持たず、半ば催眠状 態にあり、かっ無力な人びとは、真剣な信条を表明することができない。情報もなく、討議もなく、自 分の決定に効果を持たせる力もなければ、民主的に表明された意見と言っても、それはスポ 1 ッ競技で 拍手するのとほとんど変わりはない。 政治的生活における能動的参加は、産業および政治を通じて最大限の分権化を必要とする。 現行の資本主義に内在する論理によって、企業と政府はますます大きくなり、結局は官僚制機構によ ーマニズム社会の必要条件の一つは、この中央 って最高首脳が中央集権的に管理する巨人となる。ヒ = 集権化の過程が止まり、大規模な分権化が起こることである。これには幾つかの理由がある。もし社会 がマンフォ 1 ドの名付けた〈巨大機械〉に変貌すれば ( すなわち、社会全体がその中の人びとをも含め て、中央集権的に動かされる大きな機械のようになってしまえば ) 、結局ファシズムはほとんど不可避 的となる。なぜなら、 ( d ) 人びとはヒッジとなり、批判的思考の能力を失い、無力感を持ち、受動的 となり、必然的に、何をなすべきかをーー・そしてそのほか自分たちの知らないすべてのことをーーー〈知 メガマシーン って〉いる指導者にあこがれるようになり、 ) 〈巨大機械〉は、それに近づきうる人ならだれでも、 メガマシーン ただ押すべきボタンを押すだけで、動かすことができるからである。〈巨大機械〉は自動車と同じよう 、本来自動的である。車の場合、 ンドルを握る人物は、ただ押すべきボタンを押し、ハンドルを回 し、プレーキを掛け、その他幾つかの同じように簡単な細目に若干の注意を払うだけでよい。車やほか メガマシーン 244

7. 生きるということ

んで、権力によって支配する教皇を頂点とする、厳格で家父長制的な官僚制の父性的要素があった。 宗教的体制の中のこれらの母性的要素に対応するのが、生産過程における自然との関係であった。す なわち、職人と同様に農民の仕事も、自然に対する敵対的、搾取的攻撃ではなかった。それは自然との 協同であった。自然の略奪ではなく、自然をそれ自身の法則に従って変貌させることであった。 ル々一 1 レしョ ロツ。 ( に、都市の中流階級と世俗の君主に基礎を置いた、純粋に家父長制的な形のキ リスト教を確立した。この新しい社会的性格の本質は、家父長制的権威への屈服であって、仕事が愛と 是認を得る唯一の方法であった。 正面はキリスト教であったが、その背後に〈産業宗教〉という新しい秘密の宗教が起こった。それは 近代社会の性格構造に根ざしているが、〈宗教〉としては認められていない。産業宗教は真正のキリス ト教と完全に矛盾する。それは人びとを経済のしもべとし、彼ら自身の手で造る機構のしもべとする。 産業宗教は、新しい社会的性格に基礎を置いていた。その中心は強力な男性的権威への恐れであり、 屈服であり、不服従に対する罪悪感の養成であり、利己心と相互の対立の至上権による、人間の連帯の 会きずなの消滅であった。産業宗教における〈聖なるもの〉は、仕事、財産、利益、カであった。その一 社 般原理の限界内では、この宗教は個人主義と自由を促進したけれども。キリスト教を厳密に家父長制的 性 な宗教に変貌させることによって、産業宗教をキリスト教の用語を用いて表現することが、なおも可能 宗であった。 章 七 ー 97

8. 生きるということ

取得的社会。ーー持っ様式の基礎 私たちは私有財産、利益、そして力を存在の柱として、それらに依存する社会に生きているので、判 断が極端にかたよっている。取得し、所有し、利益をあげることは、産業社会の中の個人の神聖で奪う ことのできない権利である。どうして財産を得たかは問題ではない。 また所有によって財産の所有者に いかなる義務も課せられない。原理はこうである。「私の財産がどこでいかにして取得されたか、また それをどうするかは私だけの問題である。法を犯さないかぎり、私の権利は無制限であり、絶対的であ る」。 ( 1 ) 長・Ⅱ ・ト 1 = 1 (). H. Tawney) の一九二〇年の著作である『獲得社会』 ( ト」、。ミ、旁ミミ society) 〔書新社 近代資本主義の理解と、社会的、人間的変革への選択の理解において、今でもこれを凌駕するものはない。マックス・ウ = プレンタ 1 ノ、シャビロ、 ハスカル、ゾン・ハルト、クラウスらのなした寄与は、産業社会が人間に及ばす影響を理 解するための、基本的洞察を含んでいる。 第四章持っ様式とは何か 10 3

9. 生きるということ

人びとはそう感じたのであった。そしてたとえこのことが上流階級および中流階級にのみ言えることで あったとしても、彼らが達成したことによって他の階級の人びとも、産業化が今の速度で続くかぎり、 新しい自由はついには社会のすべての構成員に及ぶだろうという信念を持っことができた。社会主義と 共産主義は、新しい社会と新しい人間を目標とする連動から急速に姿を変えて、すべての者のプルジョ ワ的生活を理想とし、未来の男女としての普遍化したプルジョワを理想とする運動となった。だれもが 富と安楽とを達成すれば、その結果としてだれもが無制限に幸福となると考えられた。限りない生産、 絶対的自由、無制限な幸福の三拍子が〈進歩〉という新しい宗教の核を形成し、新しい〈進歩の地上の 都〉が〈神の都〉」当に取「て代わることにな「た。この新しい宗教がその信者に精力と活力と希 望とを与えたことは、何ら驚くに当たらない。 〈大いなる約東〉の壮大さと産業時代の驚くべき物質的知的達成とを思い描くことによって初めて、 その挫折の実感が今日生じつつある衝撃を理解することができる。というのは産業時代は確かにその 〈大いなる約東〉を果たさなかったし、ますます多くの人びとが次の事実に気付きつつあるからである。 幸福に至る道でもなく、最大限 ( 1 ) すべての欲求の無制限な満足は福利をもたらすものではなく、 の快楽への道ですらない。 ( 2 ) 自分の生活の独立した主人になるという夢は、私たちみんなが官僚制の機械の歯車となり、思 考も、感情も、好みも、政治と産業、およびそれらが支配するマスコミによって操作されている という事実に私たちが目ざめ始めた時に、終わった。 ( 3 ) 経済の進歩は依然として豊かな国民に限られ、豊かな国民と貧しい国民との隔たりはますます

10. 生きるということ

キリスト教 86 , 112 , 141 , 164 , 189 ー 94 , コーエン , H. 208 205 , 207 , 210 , 251 広告と宜伝 175 ー 6 , 237 ー 8 , 248-9 イデオロギーとしての ~ 68 ー 9 , 106 , 193 ( 「コミ ニケーションとメディア」も 英雄と殉教者 191 参照 ) 財産の否認 84 ー 90 行動主義 98 , 138 受難劇 193 幸福と快楽 初期キリスト教徒と教父た ち 84 ー 90 , あることにおける ~ 143 , 159-65 ( 「能動性」 , 「福利と喜び」も参照 ) 171 , 191 罪の概念 166 ー 72 持っことにおける ~ 17 ー 22 , 50 , 161 ー 天国 119 5 , 232 , 249 , 252 フ・ロテスタントの反逆 195 ー 7 ( 「受動性」も参照 ) ( 「イエス」 , 「神の概念」 , 「聖書」 , 「ロ 功利主義 20 ーマ・カトリック教会」も参照 ) 羝 J 虫 20 , 148 , 153 , 157 クヴィント , J. L. 91-9 子 0 120 , 143 , 187 ~ と愛 72 , 156 , 196 クリュソストモス 89 グロデック , G. 161 ~ に及ぼす権威と ~ の支配 61 ー 3 , 105 , クロポトキン , P. A. 145n 112 , 116-7 , 167 ー 8 , 247 , 254 経済的変革への要求 16 , 24 ー 6 , 122 ー 3 ー ニケーシ日ンとメディア 16 , 20 , コ 231 ー 2 , 234 ー 5 , 249 ー 52 50 , 119 : 256 ー 8 啓蒙思想 66 ー 7 , 195 , 206 ケストラー , A. 27-8 糸吉女昏 72 一 4 , 105 , 247 員オ産 97 , 103 ー 13. 117 ー 20 , 152 , 159 , 210 ー ゲーテ , J. W. フォン 36 ー 9 , 190 権威 ~ として扱われる人びと 73 , 105 , 108 , ~ と・子 04 61 ー 3 , 105 , 112 , 116 ー 7 , 167 ー 8 , 247 , 254 ~ の話第忍 84 ー 90 , 190 ~ を行使すること 61 ー 5 , 114 ー 7 , 166 ー サイバネティックス宗教 / 産業宗教 : 72 , 198 , 252 ー 5 「産業社会 ( およびくサイバネティッ 性的抑制 115 ー 6 クス宗教〉 ) 」を見よ ( 「家父長制社会」 , 「官僚制」 , 「財産」 , サド , マルキ・ド 19 「反抗と革命」も参照 ) 産業社会 ( およびくサイバネティックス - 健康 106 , 108 ー 9 , 115 , 252 宗教 ) ) 15 ー 7 , 21 ー 4 , 103 , 136 , 177 , 言語と語法 40 ー 7 , 53 ー 4 , 57 ー 9 , 118 ー 9 197 , 205-6 J 京始、社・会 22 , 40 , 49 , 62 ー 3 , 116 , 119 , 251 ~ / 、の主朮議 . 194 ー 6 , 206 ー 24 , 240 , 245 , 現、・実の匁 ] 言籤 47 ー 8 , 64 ー 6 , 93 ー 4 , 138 ー 41 , ( 「経済的変革への要求」 , 「資本主義」 , 225 「消費」も参照 ) ( 「イエス」 , 「エックハルト」 , 「仏陀」 , 「マルクス」も参照 ) 34 , 163 ー 4 , 173 ー 5 116 248 ー 9 , 264 (iii) 282