498 「要求しているんです、要求しているんです。要求しているんです。断して無心じゃありません えび : 」プルドフスキーはまわらぬ舌で叫ぶと、蝦のように真っ赤になってしまった。 レーベジェフの甥が一席ぶったあと、一座の人びとはなんとなく色めきたった。なかにはぶつ ぶつ憤慨する声も聞えたが、しかし一同はレーベジフを除いて、やはりこの間題にかかりあい になるのを避けようとしているようにみえた ( 奇妙なことに、レーベジェフは疑いもなく公爵に 味方しているにもかかわらず、いま甥の演説を聞いて、なんとなくこんな場合に身内の者がいだ くような、一種の誇りがましい満足を味わっているようであった。いや、少なくとも、それと目 痴につく満足の色を浮べて、みなをながめまわしていた ) 。 「私の考えでは、ドクトレンコ君」公爵はかなり穏やかな調子でしゃべりだした。「あなたのい まおっしやったことは、半分くらいまったく正しいと思います。いや、その大半と言ってもい でしよう。ですから、もしあなたのお言葉に何か省略されたところがなかったら、私はまったく 白あなたに同感だったと言ってもかまいません。しかし、あなたにいったい何が省略されていたの かときかれても、私ははっきりそれを言いあらわすことはできません。しかし、完全に正しいと 一一一口うには、あなたの一一一一口葉にはもちろん、何か欠けているところがあるんですね。しかし、そんな ことより早く用件にかかりましよう。ひとつみなさんにおたずねしますが、いったいなんのため にこんな記事を新聞にのせたんです ? だって、ここに書かれていることは、一語一語みんな中 傷じゃありませんか。ですから、私に言わせれば、あなたがたは卑劣な振舞いをしたんです」 「ちょっと待ってください 「まあ、あなた ! 」
公爵の横つらをはりとばした。 「あっ ! 」コーリヤは思わず手をうった。「あっ、たいへんだ ! 」 あお おどろきの叫び声が四方からおこった。公爵の顔はさっと蒼ざめた。彼は奇妙ななじるような 眼差しで、じっとガーニヤの眼を見すえた。その唇は震えながら、何か言いだそうとあせってい たが、ただ奇妙なとってつけたような微笑に怪しくゆがむばかりだった。 「ええ、私ならかまいません : : : でも、ワーリヤさんには : : どんなことがあってもゆるしませ んよ ! 」ようやく彼は静かにつぶやいた。しかし、ふいに耐えかねたのか、もうガーニヤをその かたすみ 痴ままほうりだして、両手で顔を覆いながら、片隅へ退き、壁に顔をむけたまま、とぎれがちの声 で言いだした。 「ああ、あなたはきっと自分のしたことをとても恥ずかしく思うようになりますよ ! 」 ガーニヤはまったく打ちひしがれたように、茫然と立ちつくしていた。コーリヤは駆けよって せつぶん 白公爵に抱きっき、接吻をした。少年につづいてロゴージン、ワーリヤ、プチーツイン、ニーナ夫 人が、いや、将軍までが、みんなあらそって彼のまわりにどっと集まった。 「なんでもありません、なんでもありません ! 」公爵は相変らずとってつけたような微笑を浮べ たまま、左右をふりむいてつぶやいた。 「そうさ、後悔するに決ってるさ ! 」ロゴージンがどなりだした。「ガンカ、きさまよくも恥ず かしくねえもんだな、こんな : : : 小羊みてえなもんを ( 彼は別の言葉を考えつくことができなか ったのである ) いじめやがってー 公爵、おれの大好きな公爵よ、こんなやつらはうっちゃって、 唾でもひっかけりやいいんだ。さあ、いっしょに行こうじゃねえか。いまにわかるだろうが、こ ぼうぜん
じようと信じまいとそれはかまいませんが、この男は断頭台へのぼっていったんですが、ふと見 さお ると、泣いているんですよ、紙のように真っ蒼になって。ねえ、こんなことがあっていいもので しようか ? 恐ろしいことじゃありませんか ? ねえ、こわいからって泣く人があるでしよう か ? 赤ん坊じゃあるまいし、四十五にもなる大の男が、これまでいっぺんも泣いたことのない 大の男が、恐ろしさのあまり泣きだすなんて、私は夢にも思いませんでしたよ。その瞬間、この けいれん 男の魂はどんなことになったのでしよう、さそかし恐ろしい痙攣にうち震えたことでしようよ。 いや、これは魂にたいする侮辱ですよ、それ以外の何ものでもありません ! 聖書にも『殺すな 編かれ ! 』といわれています。それなのに、人が人を殺したからといって、その人を殺していいも のでしょ - つか ? ・ いいえ、絶対にいけません。現に、私はもう一月前にそれを見たんですが、い 一までもなお眼の前にありありと浮んできますよ。五度はかり夢にも見ました」 公爵は話をしているうちに活気づいてさえきた。もっとも、その話しぶりは相変らず静かであ くれない 第ったが、その蒼白い顔。レー こままんのりと紅が浮んできた。召使はさも共感するような興味をもって、 相手の話に耳を傾けていたので、どうやら、その場を離れたくない様子であった。ひょっとする と、彼もまた想像力にとみ、思想的なものを求める男だったのかもしれない。 「いや、それでも、首がとぶときに」と、彼は言った。「苦しみの少ないってことがまだしもで すね」 「ほう、こりや、おどろいた ! 」と、公爵は興奮した調子で相手の言葉をひきとった。「あなた もそれに気がっきましたね。そのことはみんながあなたと同じように気づいていることなんです。 ギロチンという機械はそのために発明されたんですからね。ところが私はそのときふと、こんな あおじら
いるのなら、もうあの人たちなんか見なければいいじゃないの ! それにしてもあなた、いくら 十万ループルのためだといっても、ほんとにあんなやつについていくつもりなの ? そりや 十万ループルといえばたいしたものだけれどーーーそりやもう ! いっそ、十万ループルを取りあ げてから、あいつを追っぱらったら ! ねえ、あんなやつらにはそれがお似合いのところよ。あ たしがあんただったら、あんなやつらを : : : ああ、ほんとにどうしたっていうのよ ! 」 ダリヤ・アレクセーエヴナは、憤激さえしてきた。なにしろ、彼女は人のい、、 とても感しゃ すい女だったからである。 痴「ダリヤ・アレクセーエヴナ、なにもそんなに怒ることはないわ」ナスターシャ・フィリポヴナ は相手ににつこりほほえんでみせた。「なにもあたしはあの人に腹をたてて言ったわけじゃない のよ。それとも、あたしがあの人を非難したとでもいうの。なんだってちゃんとした家庭にはい ろうなんて、そんなはかな考えをおこしたのやら、あたし自分でもまるつきりわからないんです せつぶん 白もの。あたしあの人のお母さんに会って、その手に接吻したのよ。さっきあたしがあなたのお宅 でみなさんをからかったのは、ガーネチカ、あれはですね、あなたにどこまで辛抱できるかと、 わざと最後にためしてみたかったからなの。でも、ほんとに、あなたにはあきれてしまったわ。 そりや、ずいぶんひどいことも覚悟していましたけれど、あれほどとは思いませんでしたわー それに、あなたの結婚の前日と言ってもいいような日に、あそこにいる人がこんな真珠をあたし に贈って、しかもそれをあたしが受けとったことを知っていながら、それでもあなたはあたしを もらうつもりだったんですの ? それからロゴージンの一件は ? だってロゴージンは、あなた のお宅で、あなたのお母さんや妹さんのいるところで、あたしを商品扱いにしてせったんじゃあ 304
おくびよう ことは不可能だ、そんなことは臆病といってもいいことだ、自分の前にはある問題が横たわって いるのであり、それを解決しないでおいたり、少なくともその解決に全力をそそがないでいるこ とは、いまの自分にはできないことだ、と決意したのであった。こんな考えをいだいて家へ戻っ たが、その間十五分も散歩はしなかったのである。その瞬間彼は、じつに不幸な人間であった。 レーベジフは相変らずまだ不在だったので、夕方になってケルレルは公爵のところへ押しか けてくることができた。酔っぱらってはいなかったが、感きわまって、心情を吐露する気分にな っていた。彼はいきなり公爵にむかって、自分は公爵にこれまでの全生涯を物語るために来たの 編であり、 ーヴロフスクへ残ったのもそれのためだったと告白した。彼を追いだすのはとても不 可能であった。どんなことがあろうと出ていきそうもなかった。ケルレルはとりとめない話を長 二長とやりそうであったが、ふいに、まだほとんどふた言かみ言しか言わないうちに、もう結論へ 一足飛びに移ってしまい、自分は『あらゆる道徳の幻影』を失ってしまい ( 『それはひとえに神 第にたいする不信から生れたのですが』 ) 、ついには盗みをするまでになった、と打ちあけたのであ る。「あなたにはそんなことがご想像できますか , 「いや、ケルレル君、私がきみの立場だったら、特別な必要もないのに、そんなことは告白しな いほうがいいと思いますね」と公爵は言いかけた。「もっとも、きみはわざと自分で自分に言い がかりをつけているのかもしれませんがね」 「いや、これはあなただけに、ただあなたひとりだけに、申しあげるんですよ、自分を向上させ たいと願って ! ほかの人には絶対に口外しません。死んだら、この秘密をあの世へ持っていき ます ! いや、それにしても公爵、あなたなんかとてもご存じないことですが、現代において金
てもらいたい気持になったそうですからねえ」 公爵はふと口をつぐんだ。一同は彼がまだその先をつづけて、結論をひきだすのを待ちかまえ ていた。 「それでおしまいですの ? 」アグラーヤがたずねた。 「え ? そう、おしまいですーしはし黙想にふけっていた公爵は、ふとわれに返って、言った。 「なんのためにそんなお話をなさったんですの ? 」 「そうですね : : : ふと思いだしたもんですから : : : まあ、お話のついでに : 編「あなたは断片的にお話をなさいますのね」アレクサンドラが言葉をはさんだ。「公爵、あなた はきっとこんな結論をひきだしたかったのでしよう。たとえ一瞬間でもコペイカの値段をつける 一わけにはいかない、ときにはわずか五分間でも、どんな宝物にもまさるものだって。ほんとにご りつばなお考えですこと。でも、失礼ですが、そんな恐ろしいお話をなさったお友だちはどうな 第さったんでしようねえ : : : だって、そのかたは減刑になったわけですから、つまり、その《無限 の生活》を与えられたのでしよう。それじゃ、そのかたはそれからのち、その宝物をどうなさっ たでしよう。一分一分いちいち《計算して》生活なさったんですの ? 」 「いえ、ちがいます。当人が自分で言っていましたが、いや、私もそのことはとっくにきいたので すがねーー・まるつきりちがった生活をして、じつに多くの時間を空費してしまったそうですから . 「まあ、それじゃ、あなたにとっていいご経験でしたのね。つまり《いちいち計算して〉生活す るなんてことは、実際にはできないことなんですのね。どういうわけかわかりませんが、とにか くできないことなんですのね」 111
については、なんとも思っておりません。放っておきましよう。でも、あの記事に書いてあるこ とは、みんなでたらめです。私は、みなさんもそのことをご承知だからこそこう一一一一口うのです。い や、恥すかしいくらいですよ。ですから、もし万一、みなさんのうちの誰かがあの記事をお書き になったとしたら、私はほんとうにおどろくほかありませんね 「ぼくはついさっきまで、あの記事のことをまったく知りませんでした」イ。ホリートは言っての けた。「あんな記事は承服できませんよ。 「ぼくはあれが書かれたことは知っていましたがね、それにしても : : : あれを発表することはす 痴すめませんでしたよ。なにしろ、まだ時機尚早ですからねえ」レーベジ = フの甥がつけ足した。 「ぼくは知っていましたよ。しかし、ぼくには権利がありますからね : : : ぼくは : : : 」《。ハヴリ ーシチェフの息子》はつぶやいた。 「なんですって ! それじゃ、きみが自分でみんな書いたのですか」公爵はプルドフスキーを見 白っめたまま、好奇心にかられてたずねた。「まさか、そんなことが ! 」 「でも、い ったい、あなたにはそんなことをきく権利があるんですかね ? 」レ 1 ベジェフの甥が 口をはさんだ。 「いや、ぼくはただびつくりしてるたけなんですよ、プルドフスキー君がそんな思いきったこと をしでかしたことについて : : : しかし : : : ぼくの言いたいのは、みなさんがこの間題をもう世論 に訴えられた以上、さっきぼくが友人たちの前でこのことを言いだしたとき、なぜあんなに腹を たてられたんです 2 「ええ、そこのところですよ ! 」リザヴェータ夫人はさもいまいましそうにつぶやいた。
あしげそえうま もうカルス包囲の話をやりましたか・それでなければ、親父の持っていた葦毛の副馬が口をき いたって話を ? そんなにまでひどくなっているんですよ」 そう一一一口うと、ガーニヤはふいに腹をかかえて、笑いだした。 「なんだってぼくの顔をそんなふうに見つめていらっしやるんです ? 」ガーニヤは公爵にたずね た。 「いや、私はあなたがとても無邪気に笑われたので、びつくりしたんです。あなたにはまだ子供 らしい笑いが残っているんですね。さっきも仲なおりしにはいってこられたとき、『もしお望み 痴でしたら、いますぐあなたのお手に接吻します』と言われましたね。あれは子供たちが仲なおり するときの調子でしたからね。つまり、あなたにはまだそうした一言動を口にしたり実行したりす ることができるわけですね。そうかと思うと、いきなりあんな突拍子もないことを言ったり、七 万五千ループルがどうのこうのと、弁じたてるんですからねえ。まったくのところ、あんなこと 白はなんだかばかげていて、ありえないことに思われますね」 「じゃ、あなたはそんなことをおっしやって、いったい何が言いたいんですか ? 」 「それはですね、あなたがあまりにも軽率に物事を処していられるんじゃないか、もっとよくま・ わりに気を配らなくちゃいけないんじゃないか、ということですよ。ひょっとすると、ワルワー ラさんのおっしやったことはほんとうかもしれませんよ」 「ああ、高潔な精神ということですか ! そりや、ぼくがまだほんの小僧っ子だってことは、自 分でも承知していますよ」ガーニヤは激してきて、相手をさえぎった。「いや、少なくとも、あ なたにこんな話をしたということだけでもそれははっきりしてますよ。でも、公爵、ぼくはこの
103 もあなたがお見えになる前にすっかり腹をたてて、何が何やらさつばりわからな、 しいや、わか るはずもないといったふりをしていたんですの。よくそんなことがあるんですが、まるで赤ん坊 みたいですのよ。それでアグラーヤがお説教してくれましたの。アグラーヤ、ありがとうよ。で も、そんなことはみんなばかげたことですわね。わたしはこれでもまだ見かけほどには、娘たち の考えるほどにはばかじやございません。気の強いところもありますし、またそれほど恥ずかし がりやでもありませんからね。でも、わたしは何か含むところがあって、こんなこと言うのじゃ ありません。アグラーヤ、こちらへ来て、わたしにキスしておくれ、ああ、もうたくさん、そん くちびる せつぶん 編なに井ったれるのは」アグラーヤが情をこめて唇と手に接吻したとき、夫人はこう注意した。「さ あ、公爵、そのもっと先をつづけてくださいまし。ひょっとしたら、驢馬よりおもしろいお話を 一思いだされるかもしれませんわ」 「でも、やつばりあたくしにはわかりませんわ、なぜいきなりそんなふうにお話ができるのか」 第またもやアデライーダが口をはさんだ。「あたくしだったら、とてもできませんわ。 「でも、公爵にはできるんですよ。なにしろ、公爵は並みはずれて賢いおかたなんだから。まあ、 とにかく、あんたなんかよりは十倍も賢いおかたなんだからね。いえ、ひょっとしたら、十二倍 もね。あとになって、あんたもこのことに気がついてくれると、 しいけれども。さあ、公爵、どう かあの娘たちにその証拠を見せてやってくださいな。いまのつづきをなさって。でも驢馬のお話 はもうほんとにやめてもようございましよう ? じゃ、驢馬のほかにあちらでは何をごらんにな りまして ? 」 「ですけど、驢馬のお話も気がきいておりましたわ」アレクサンドラが言葉をはさんだ。「公爵
な状態はまれですな。まあ、三年に一度くらいのことですか。それより多いことは絶対にありま せん ! いや、絶対にありませんとも ! 』と断言したくらいであった。 「もうたくさんですよ、あなた ! わたしをうっちゃっといてください ! 」リザヴ = ータ夫人は 叫んだ。「ねえ、なんだってそんなにこちらへ手を突きだしていらっしやるんです ? さっきも わたしを連れだすことができなかったくせに。あなたはわたしの夫で、一家の主人ですから、わ たしがあなたの言うことを聞かないで出ていかなかったら、わたしのようなおばかさんは耳でも つかんで引きずりだせばよかったんですよ。いえ、せめて娘たちのことでも気にかけるべきじゃ 編ありませんか ! でも、いまはもうわたしひとりでなんとかします。こんな恥ずかしい思いは、 とても一年やそこらで消えませんからね : : : まあ、ちょっと、待ってください、わたしはまだ公 ちそう ・公爵、いろいろご馳走さまでした ! わたしは若いかたたちの 二爵にもお礼を言いますからー お話を聞こうと思って、つい長居をしてしまいましたよ : : : ああ、ほんとうにひどうございます 第ね、とってもひどう ) 、ざいますね。これはまるでめちゃくちやですよ。何もかも。こんなことは 夢にだって見られやしませんよ ! そうですとも、あんな連中はどこを捜したって、おりません よ ! お黙り、アグラーヤ ! お黙り、アレクサンドラ ! あんたがたの知ったことじゃありま : エヴゲ 1 ニイ・ ーヴルイチ、わたしのまわりをそううろうろしないでください せんよー : それで、公爵、あなたはあの連中にあやまるというんです あなたには飽きあきしましたよー ね」と、ふたたび公爵のほうをむいて切りこんだ。「『失礼、きみに金なぞ提供しようとしまし た』だなんて : : : あんたはなんだって笑っているんですよ、大風呂敷さん ! 」夫人はいきなりレ ベジ = フの甥に食ってかかった。「『ぼくらはそんな金なんかお断わりします、ぼくらは無心す 525