にお金やら、服やら、シャツやら、何から何まで助けてやってるんですよ。しかもイボリートを 通じて子供たちにまで援助の手をのばしているんです。なぜって、あの家では子供なんか誰にも かまってもらえないんですから。ワーリヤも同じですよ」 「ほら、ごらんなさい。きみは潔白な人も強い人もいない、みんな高利貸ばかりだって言うけれ ど、現に、きみのお母さんやワーリヤさんみたいな強い人もいるじゃありませんか。ここで、こ んな状況のもとで他人を助けるなんてことは、精神的な力があるしるしじゃありませんか ? 」 訳注ワルワ 「ワーリカ ) は見栄からや 0 ているんですよ。母親に負けまいという慢心からのこと ラの卑称 痴ですよ。そりや、お母さんはたしかに : : ぼくは尊敬していますよ。尊敬もすれば、それをいい ことだとも思っています。イボリートでさえそれを感じていますよ。あいつは人情なんかにはま ったく動かされないやつなんですがねえ。はじめはお母さんのやり方が卑劣だと言って、冷笑し ていましたがね。でも、このごろは、ときどき感じるらしいですよ、うむ ! それじゃ、あなた 白はこれをカだとおっしやるんですね ? ぼくもそう認めますよ。ガーニヤはまだ知ってませんが、 もし知ったら甘やかしだって一 = ロうでしようよ」 「じゃ、ガーニヤは知らないんですか ? どうやら、ガーニヤにはまだ知らないことがずいぶん あるらしいですね」思いに沈んでいた公爵は、ぼつんと言った。 「ねえ、公爵、ぼくはあなたが大好きですよ。さっきの出来事がどうしても忘れられないんです。 「いや、私もきみが大好きですよ、コーリヤ君」 「それじゃ、あなたはここでどんなふうに暮すおつもりですか ? ぼくはいまに仕事を見つけて、 いくらか稼ぎますからね。ぼくとあなたとイボリートと三人でいっしょに暮しましようよ。一軒 かせ
( いやあ、おどろきましたね ! ) しかも、その口論がとても激しかったから、きっと、何か重大 まゆ ふきげん な事柄にちがいない。将軍はおそくなってからやってきた。不機嫌らしく眉をひそめて、エヴゲ ーヴヴィチはみんなか 1 ヴロヴィチと連れだってきたのである。エヴゲーニイ・ ら歓迎され、本人もすごく快活で愛想がよかった。最も大きなニュ 1 スはリザヴェ 1 タ夫人がワ ルワーラを追いだしたという話であった。夫人は、娘たちのところにすわりこんで話していたワ 1 リヤをそっと自分のもとへ呼び寄せ、いたってもの静かな調子で、もう二度とこの家へ来ない ようにと命じたという。『当人のワーリヤから聞いてきたんです』とコーリヤは言った。ところ 編が、ワーリヤがリザヴェータ夫人のところから出てきて、娘たちと別れを告げたとき、娘たちの ほうは、ワーリヤが二度と来るなと断わられたことも、それが最後の別れだということも知らな 一一かったのである。 「でも、ワルワーラさんは七時にはうちに来ていらっしゃいましたがね」公爵はびつくりしてた 第ずねた。 「いや、追いだされたのは七時すぎか、八時ですよ。ぼくはワーリヤがとてもかわいそうです、 ガーニヤがかわいそうでなりません : : : あの二人は何か小細工をやっているんです、それをしな いじゃいられないんですね。でも、何を企んでいるのやら、さつばりぼくにはわからないんです、 いや、わかろうとも思いませんよ。しかしですね、公爵、ぼくは誓って言いますが、ガーニヤに 情がありますよ。あの人は多くの点から見て破滅した人間ですけれど、また多くの点において、 捜して見つけだしてやるだけの値打ちのある性質をもっているんです。ぼくは以前あの人を理解 しなかったことを、なんとしても自分にゆるすことができないんです・ : : ・ところで、いまワーリ 581
は、それがいっか効力を発するなどとは、夢にも思わなかったのである。そして、いつも《ほん の形式だけのこと》と安心していたのである。ところが意外にも、それは形式だけのことではな かったのである。「これからは他人を信用したり、高潔なる信頼の情を示すのは、控えなくちゃ ならんぞ ! 」将軍は債務監獄の新しい友人たちと並んですわりながら、悲痛な調子で叫ぶのであ さかびん った。彼は酒壜を前にして、例のカルス攻防戦で生きかえった兵隊のエピソードなどをして聞か せるのだった。しかし、彼はすっかり元気づいたので、。フチーツインとワーリヤは、これこそ彼 のいるべきほんとうの場所だと言い、ガーニヤもまったくそれを肯定した。ただひとり気の毒な 編ニーナ夫人だけは、人知れず苦い涙にくれていた ( もっともこれは家人たちにはむしろ意外なこ わずら とであった ) 。そして、たえず患いながらも、暇さえあればイズマイロフ連隊の夫のところへ面 二会に出かけるのであった。 ところが《将軍の事件》以来、というよりはむしろ姉が嫁いでしまって以来、コーリヤはすっ 第かり家の者の手におえなくなってしまって、最近では、寝泊りにさえあまり家へ帰ってこなくな った。噂によると、彼は大勢の友人をつくったそうである。そればかりか債務監獄でもおそろし く有名になった。ニーナ夫人もそこへ面会にいったとき、彼がいなくてはどうすることもできな かったほどである。しかし、家では好奇心からにもせよ、彼にうるさいことを一 = ロう者はいなかっ た。昔は彼に小言はかり言っていたワーリヤも、いまは弟がほうぼうぶらついていることについ て、何ひとっ詰問しようとはしなかった。ところで、ここに家人にとって合点がならなかったの は、ガーニヤがヒボコンデリーを患っているにもかかわらず、コーリヤと友だち同士のような態 度で話もすれば交際もしていたことであった。こんなことは以前決してなかったことである。と 347
公爵の横つらをはりとばした。 「あっ ! 」コーリヤは思わず手をうった。「あっ、たいへんだ ! 」 あお おどろきの叫び声が四方からおこった。公爵の顔はさっと蒼ざめた。彼は奇妙ななじるような 眼差しで、じっとガーニヤの眼を見すえた。その唇は震えながら、何か言いだそうとあせってい たが、ただ奇妙なとってつけたような微笑に怪しくゆがむばかりだった。 「ええ、私ならかまいません : : : でも、ワーリヤさんには : : どんなことがあってもゆるしませ んよ ! 」ようやく彼は静かにつぶやいた。しかし、ふいに耐えかねたのか、もうガーニヤをその かたすみ 痴ままほうりだして、両手で顔を覆いながら、片隅へ退き、壁に顔をむけたまま、とぎれがちの声 で言いだした。 「ああ、あなたはきっと自分のしたことをとても恥ずかしく思うようになりますよ ! 」 ガーニヤはまったく打ちひしがれたように、茫然と立ちつくしていた。コーリヤは駆けよって せつぶん 白公爵に抱きっき、接吻をした。少年につづいてロゴージン、ワーリヤ、プチーツイン、ニーナ夫 人が、いや、将軍までが、みんなあらそって彼のまわりにどっと集まった。 「なんでもありません、なんでもありません ! 」公爵は相変らずとってつけたような微笑を浮べ たまま、左右をふりむいてつぶやいた。 「そうさ、後悔するに決ってるさ ! 」ロゴージンがどなりだした。「ガンカ、きさまよくも恥ず かしくねえもんだな、こんな : : : 小羊みてえなもんを ( 彼は別の言葉を考えつくことができなか ったのである ) いじめやがってー 公爵、おれの大好きな公爵よ、こんなやつらはうっちゃって、 唾でもひっかけりやいいんだ。さあ、いっしょに行こうじゃねえか。いまにわかるだろうが、こ ぼうぜん
「あんたなんかぶってやってもいいくらいだわ、コーリヤ、それくらいあんたはおばかさんなの よ。何かご用がありましたら、マトリヨーナにそうおっしやってくださいまし。お食事は四時半 です。わたくしどもとごいっしょでも、ご自分のお部屋で召しあがっても、どちらでもご都合の よろしいように。コ 1 リヤ、さあ、行きましよう。お邪魔をしてはいけませんよ」 「行きますとも、しつかりやさん ! 」 二人は出会いがしらにガーニヤとぶつかった。 おやじ 「親父は家かい ? 」ガーニヤはコーリヤにたずねた。そしてコーリヤがそうだと答えると、何や 編らひそひそと彼に耳打ちした。 コーリヤはうなずいて、ワーリヤのあとにつづいて出ていった。 「公爵、ちょっとお話があるのですが、じつは例の : : : 件にまぎれて、申しあげるのを忘れてい たんですが、すこしお願いがあるのです。それほどご迷惑にならないようでしたら、どうか恐れ 第入りますが、さっきわたしとアグラーヤとのあいだでおこったことを、どうかここでおしゃべり にならないように、また今後ここで見聞きされることを、あすこの人たちにおしゃべりにならな いようにお願いいたします。ここにもずいぶん外聞の悪いことが多いので。ええ、でも、畜生っ : ま、それはともかく、せめてきよう一日だけでも頼みますよ」 「いや、断一言しておきますが、私はあなたが考えていらっしやるほどおしゃべりではありません よ」ガーニヤの非難にいくらかいらいらしながら、公爵は答えた。二人の関係はしだいに明らか に険悪になっていった。 「でも、きようはあなたのおかげで、わたしもすいぶんひどい目にあいましたからね。ま、要す 171
ことだと思いますね。レールモントフの《仮面舞踏会》って芝居は、こうした考えに基づいて書 かれたものですが、ぼくにはばかげたものに思われますね。いや、ぼくはそれが不自然だと言い たかったんです。でも、あれはレールモントフがほんの子供のときに書いたんでしたね」 「私はきみの姉さんがとても気に入りましたよ」 「いや、姉さんはほんとうにうまくガンカの顔に唾をひっかけましたねえ。ワーリヤには勇気が ありますよ ! そりや、あなたは唾なんかかけませんでしたが、それは決して勇気が足りないか うわさ らじゃありませんね。おや、姉さんがやってきましたよ。噂をすれば影とやら、ですか。ぼくも 痴きっとやってくるだろうと思ってましたがね。欠点もありますが、礼儀正しい人ですからね」 「おまえなんかここにいることはありませんよ」ワーリヤはまず弟に食ってかかった。「お父さ んのところへいらっしゃ い。さぞご迷惑でしようね、公爵 ? 」 「とんでもありません、かえってその反対です」 白「ほらまた、姉さん風を吹かせてる。ねえ、これが困るんですよ。あ、そうそう、ぼくはお父さ んがロゴージンといっしょに行っちまうかと思ってましたよ。きっといまごろ後海してますよ。 ほんとうにどうしているか見てこなくちゃ」コーリヤは出がけにつけくわえた。 「おかげさまで、やっと母を連れてって、寝かせてきましたわ。もうあれつきりぶりかえしもし ませんでした。 ' カーニヤはすっかりしょげて、考えこんでいますわ。ええ、それが当り前なんで すわ。いい見せしめでしたわ ! : あたし、ちょっとお礼かたがた、お伺いしたいことがござい まして参りましたの。公爵、あなたはいままで、ナスターシャ・フィリポヴナをご存じありませ んでしたの ? 」 マスカラ
ルそろえてくれ。こんなことでは参りやしねえってとこを、見せてやるんだ ! 」ロゴージンは急 に有頂天になるほど元気づいてきた。 「しかし、それにしても、これはいったいどういうことだ ? 」ロゴージンのほうへつめよりなが ら、すっかり腹をたてた将軍がいきなりすさまじい剣幕でどなった。いままで沈黙を守っていた こつけいみ 老人のこうしたとっぴな言動は、たぶんに滑稽味が感じられたので、くすくす笑う声が聞えた。 「こりや、またどこからとびだしてきたんだ ? 」ロゴージンは笑いだした。「おい、じいさん、 行こうぜ、一杯飲ませてやるぜ ! 」 痴「これじゃ、もうあんまりだよ ! 」コーリヤは恥すかしさといまいましさのために、ほんとうに 泣きながら叫んだ。 「この恥知らずの女をここから引きすりだす人が、あなたがたのなかにはほんとに誰ひとりいな ふんぬ いんですか ! 」突然、ワーリヤが憤怒に全身を震わせながら、叫んだ。 白「その恥知らずの女というのは、あたしのことなんですね」ナスターシャ・フィリポヴナは相手 の言うことなど気にもとめないような浮きうきした調子で、軽く受け流した。「あたしもとんだ ばんさん おはかさんだったわね ! みなさんを晩餐に招待しにきたりなんかして。ねえ、ガヴリーラさん、 あなたの妹さんはあたしのことをあんなふうに鼻であしらっていらっしやるんですよー 思いがけない妹の一一一口動に、ガーニヤは雷にでも打たれたように、じっとその場に立ちすくんで いた。しかし、ナスターシャ・フィリポヴナが今度こそほんとうに出ていこうとするのを見ると、 彼は無我夢中でワーリヤにとびかかり、怒り狂ってその腕をつかんだ。 ぎようそう 「おい、なんてことをしたんだ ! 」彼は、まるでその場で相手を灰にしてしまいたいような形相
このことはわれらの物語の主人公がふたたび舞台へ姿をあらわす、ほとんど直前におこったこ となのである。このころまでには、一見したところ、ムイシュキン公爵のことをベテルプルグで はもうきれいさつばり忘れてしまったみたいであった。彼がいまもとの知人のところへいきなり 姿をあらわしたら、きっと天から降ってわいたように思われたにちがいない。しかし、それはと もかく、もう一つの事実を伝えて、これをもってこの前置きを終ることにしよう。 コーリヤ・イヴォルギンは、公爵が出発してからも、やはり以前のままの生活をつづけていた。 つまり、中学校へ通ったり、親友のイボリートをたずねたり、将軍の監督を勤めたり、ワーリヤ 痴の家政を助けたり、ということは走り使いをしたりしていたのである。しかし、下宿人たちはま もなく姿を消してしまった。フェルディシチェンコはナスターシャ・フィリポヴナのところで事 うわさ 件があってから三日後にどこやらへ引っ越してじきに姿を隠したので、彼に関する噂はすっかり 消えてしまった。人の話ではどこかで大酒をくらっているのだということであったが、それも確 白かな話ではなかった。公爵はモスクワへ発ってしまった。これで下宿人のほうは片はついたとい とっ うものである。したがってワーリヤがプチーツインへ嫁いでしまうと、ニーナ夫人とガーニヤは 彼女といっしょにイズマイロフ連隊地区の。フチーツインのところへ引っ越していった。アルダリ オン将軍にいたっては、これと同時に、まったく夢にも思わなかった事態がおこった。彼は債務 監獄へ入れられてしまったからである。彼をそこへ送ったのは例の大尉夫人であり、将軍が幾度 となく彼女に渡した額面二千ループルばかりの証文が原因であった。これは彼にとってまったく 寝耳に水のことであったので、気の毒な将軍は《一般的に人間の心の高潔さにたいする限りない 信頼の犠牲》となったわけである。一時のがれに借金の証文や手形に署名する癖がついていた彼 346
170 怒ってばかりいるんです。ガーニヤ兄さんが言ってましたが、あなたはきようスイスからいらし たんですか ? 」 「ええ」 「スイスっていいところですか ? 」 「ええ、とっても」 「山があるんでしよう ? 」 「ええ」 痴「いますぐあなたのお荷物をかついできますからね」 そこへワルワーラがはいってきた。 「ただいまマトリヨーナが、シーツを敷きに参りますから。トランクがおありですか ? 」 「いえ、包みが一つあるだけです。いま弟さんが取りにいっています。玄関先にあるんです」 白「あそこにはこのちっちゃな包みのほかには、なんにもありませんでしたよ、どこにお置きにな ったんです ? 」ふたたび部屋へ戻ってきたコーリヤがたずねた。 「いや、このほかにはなんにもないんですよ」公爵は包みを受けとりながら答えた。 「ああ、よかった ! ぼくはまたフェルディシチェンコが持ってったかと思っちゃった」 「ばかなことを一一一一口うものじゃありません」ワーリヤはきびしい声でたしなめた。彼女は公爵にた いんぎん いしてもきわめてそっけない口のきき方をしたが、ただ慇懃さは失っていなかった。 、ゝ、まくは。フチ 「 Chöre Babette. おばか、ぼくにはもっとやさしくしてくれたっていいじゃなしカ ーツインじゃないんだから」
169 その物腰はなかなか気持のいいものだったが、なんだかあまりにもったいぶ 0 ているところがあ くりいろあご った。その栗色の顎ひげは、彼が役所勤めでないことを示していた。彼は気のきいたおもしろい 会話をすることもできたが、黙っている場合のほうが多かった。全体として人に好感をいだかせ るタイプであった。彼はどうやらワルワーラに無関心ではないらしく、自分でもその感情を隠そ うとはしなかった。ワルワーラのほうでは単に親しい友人として交際していたが、ある種の質問 にたいしては、まだまだ返事をのばしていて、むしろそんな質問をいやがるくらいであった。し かし、プチーツインはそれくらいのことではなかなかひるまなかった。それに、ニーナ夫人は彼 編に愛想よくするばかりでなく、最近では何かと彼をたよりにするようになってきた。しかし、彼 が多少とも確かな抵当をとって高利の金を貸しつけるという金もうけを専門の仕事としてやって いることは周知のことであった。・ カーニヤとは並々ならぬ親友であった。 ガー = ヤの行き届いてはいるが、とぎれとぎれの紹介にたいして ( ガーニヤは母親にきわめて あいさっ 第無愛想な挨拶をしただけで、妹にはまったく挨拶もせずに、すぐさまプチーツインを部屋の外へ 連れだしてしまった ) 、ニーナ夫人は公爵にふたことみこと愛想のいい言葉をかけてから、ちょ うどそのときドアからのぞきこんだコーリヤに、公爵を真ん中の部屋へ案内するように命じた。 コーリヤは快活でかなり美しい顔だちの、素直な、気だてのよさそうな少年であった。 「お荷物はどこにあるんですか ? 」少年は公爵を部屋へ案内しながらたずねた。 「包みが一つあるんですが、玄関先へ置いてきました」 「じゃ、いま取ってきます。家じや台所の女中とマトリヨーナしか使っていないので、ぼくもお 手伝いをするんですよ。ねえさんのワーリヤ訳注ワルワ ( ーラの愛称 ) カみんなの監督をしているんですけど、