結婚を打算からだけでしようとしているのじゃありませんよ」彼は自尊心を傷つけられた青年の ように、余計なことまでロをすべらしながら、一 = ロ葉をつづけた。「単なる打算からだったら、き っと失敗するにちがいありません。だって、ぼくは頭脳の点でも人格の点でも、まだ十分かたま っていませんからね。ぼくは青熱によって、つかれたもののように進んでいるんです。だって、 ぼくには大きな目的があるんですから。きっと、あなたは、ぼくが七万五千ループル手に入れた ら、箱馬車でもすぐ買いこむくらいに思っていられるんじゃないですか。とんでもありません。 そうなってもぼくは三年ごしの古いフロックコートを着てますよ、クラブの遊び友だちなんかは 編みんな捨ててしまいますよ。だいたい、わが国には辛抱づよい連中が少ないですね、そのくせ、 誰もかれも高利貸のくせに。いや、ぼくは辛抱しぬいてみせますよ。この場合、いちばん肝心な 一のは最後まで辛抱しぬくことですよーー・・問題はすべてその点にかかっているんです。。フチーツィ ンは十七歳のときから往来で寝ながら、。ヘンナイフなんか売って一コペイカからはじめたんです 第よ。いまじゃ六万ループルからの財産家ですが、これまでになるにはずいぶん激しい労働をして きたんですよ。しかし、ぼくはそんな労働なんかぬきにして、一挙に資本家として行動を開始す るのです。十五年もしたら、『あれがユダヤ王イヴォルギンだ』と人から言われるようになるで しよう。いまぼくのことをきわだったところのない人間だとおっしゃいましたね。でも、公爵、 考えてみてくださいよ、現代の人間にとっては、おまえはきわだったところもなければ、性格も 弱い、これといった才能もない、きわめて平凡な人間だと言われるほど侮辱的なことはありませ んからね。あなたはぼくのことを一人前の卑劣漢の数にも入れてくれませんでしたからね。白状 すると、さっきはあなたを取って食ってしまいたいほどでしたよ。あなたはエバンチン将軍以上 233
独自の犯罪哲学によって、高利貸の老婆を殺 リニコフ。 ドストエフスキー 罪 A 」副し財産を奪「た貧しい学生ラスコー 米川正夫訳 ( 全一一冊 ) 良心の呵責に苦しむ彼の魂の遍歴を辿る名作。 世間から侮蔑の目で見られている小心で善良 ドストエフスキー な小役人マカール・ジェーヴシキンと薄幸の 貧しき人びと 木村浩訳 乙女ワーレンカの不幸な恋を描いた処女作。 妻は次々と愛人を替えていくのに、その妻に しがみついているしか能のない " 永遠の夫 ~ ト ド , よフ , キーよ遠の夫 千種堅訳、ノ ルソーツキイの深層心理を鮮やかに照射する。 賭博の魔力にとりつかれ身を滅ばしていく青 ドストエフスキー 賭博亠名年を通して、 0 シア人に特有の病的性格を浮 原卓也訳 彫りにする。著者の体験にもとづく異色作品。 極端な自意識過剰から地下に閉じこもった男 ド , トフ , キー也下 ~ 至の - 手「礼の独白を通して、理性による社会改造を否定 江川卓訳士 し、人間の非合理的な本性を主張する異色作。 カラマーゾフの三人兄弟を中心に、十九世紀 ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟のロシア社会に生きる人間の愛憎うずまく地 原卓也訳 ( 全三冊 ) 獄絵を描き、人間と神の問題を追究した大作。
漢と呼んでるんですからねえ ! これこそ卑劣というものです、卑劣きわまることです ! 」 「私はもうこれからさきあなたのことを決して卑劣漢だなんて思いませんよ」公爵は言った。 「さっきはあなたのことを悪党だとさえ思いましたが、あなたはいきなり私をこんなに喜ばせて くださいましたからーー・・いや、いい教訓でした。ためしもせずに判断するものじゃありませんね。 いまこそわかりましたよ、あなたは単に悪党でないばかりか、取返しのつかぬほどだめになって しまった人とも言えませんね。私の考えでは、あなたはごくありふれた平凡な、ただとても気の 弱いだけの人のようですね、すこしもきわだったところはありません 編ガーニヤは心の中で苦々しく薄笑いしたが、何も口に出しては言わなかった。公爵は自分の批 評が相手に気に入らなかったのを見ると、どぎまぎして、やはり口をつぐんでしまった。 おやじ 「親父はあなたに金の無心をしましたか ? 」ふいにガーニヤはたずねた。 「いいえ」 第「いまにするでしようが、決してやらないでくださいよ。昔はあれでも礼儀正しい人間でしたが ね。上流の人たちも出入りをゆるしていたんですから。それにしても、ああいう昔風の礼儀正し い人間はつぎつぎに亡びていってしまいますね。それもあっという間にー ほんのすこし世間の 事情が変ったかと思うと、もう昔の面影なんか見ることもできないんですからねえ。まるで火薬 が燃えてしまったあとみたいですよ。親父も昔はあれほど嘘などっきませんでしたよ。昔はただ 度をこした感激家だったんですがーー・それがいまじゃあのざまですからねえ ! そりや、酒のせ めかけ いですよ。ご存じですか、親父が妾をかこっているのを。いまじゃもう単なる罪のない嘘つきじ 川やなくなったわけですよ。なぜおふくろが辛抱しているのか、ぼくにはわかりませんね。親父は
ということがわからない間抜けだとぼくたちのことを考えているんですか ? する権利がない、 いや、とんでもない、ちゃんと心得てますよ、たとえ法的な権利はないにしても、そのかわり人 道的な自然の権利があるってことをね。常識の権利に良心の声があるんですよ。そりやこうした 権利は、人間のつくったけがらわしい法典には決してのってはいませんがね。しかし、ちゃんと した人間、つまり良識のある人間は、法令に書かれていないような点においても、つねにちゃん とした人間でなければならぬ義務があるんです。だからこそ、ぼくたちは玄関から追いだされ る ( たったいま、あなたはそう言って脅かしましたね ) のも恐れずに、いや、こんなに遅くおた 痴ずねするのは失礼だと承知しながら ( もっとも、ぼくたちは、そんなに遅く来たわけじゃないん ですが、あなたが下男部屋へ待たせたからなんですよ ) 、わざわざこちらへやってきたのは、た だぼくたちがなにも無心などしているのじゃなくて、単なる要求をしていると考えているからな 0 、、ヾ んです してすか、ぼくたちが何ものも恐れずにやってきたのは、あなたを良識のある人間、 白っまり、名誉と良心のある人間だと認めればこそですからね。そりや、ぼくたちはさっき、あな いそうろう たの居候かおべつか使いみたいに、びくびくしながらはいってはきませんでした。ぼくらは自由 こうぜん な誇り高い人間として昻然と頭をあげてはいってきました。なにしろ、無心なんかしゃなくて、 誇りにみちた自由な要求を持ってきたんですから ( いいですか、無心じゃなくて要求を持ってき たんですよ、このことをよく頭の中へ刻みこんでください ! ) 、ぼくたちは品位ある人間として、 あなたの前に一つの問題を提出します。あなたはこのプルドフスキーの問題について自分を正当 と思いますか、不当と思いますか ? あなたは自分が。ハヴリーシチェフ氏に恩を受けた、いやそ れどころか、あやうく死ぬところを助けてもらったことを認めますか ? もし認めるとすれば 496
138 す。私はあちらへ多くのものを、あまりにも多くのものを残してきました。何もかも消えてしま ったのです。私は汽車に乗って、考えました。《これから自分は世間へ出ようとしている。ひょ っとすると、自分はなんにも知らないかもしれない。それなのに、もう新しい生活がやってきて しまったのだ》とね。私は自分の仕事を正直に、断固として遂行しようと決心しました。世間へ 出れば、きっと退屈で苦しいことが多いでしよう。でも、私は何よりもすべての人びとにたいし て丁寧で、正直でありたいと思いました。いや、それ以上のものを、私から要求する人はいない でしよう。ひょっとすると、世間でも私のことを子供だと言うかもしれませんーーーそうなら、そ 痴う言わしておきます ! また、なぜかみんなは私のことを白痴と考えています。たしかに、私も 一時は痴に近いくらいひどく体をこわしていました。でも、自分が白痴だと言われていること を、私はちゃんと承知しているんですから、まさかそんな白痴はいないでしようよ。いや、この 部屋へはいってくるときも、考えましたよ。《みなさんは私を痴あっかいにしているけれど、 白自分はなんといっても賢い人間なのだ、ただみんなはそれをさとっていないだけなんだ》とね。 。・ルリンで、子供たちがもう手まわしよく書 : 私はしよっちゅうそんなふうに考えるんですへ いてよこしたかわいい手紙を受けとったとき、私は自分がどれほど彼らを愛していたかをさとり ました。最初の一通を手にしたときは、まったく辛かったですよ。子供たちは私を見おくりなが らどんなに悲しがったことでしよう ! 出発する一月も前から、 Léon s'en Léon s'en va ごレオンが行ってしまう、レ といって、別れを惜しんでくれました。私たちは夕暮 pour toujours 一 ( オ / が永久に行「てしまう れになると、例のごとく滝のそばへ集まって、別れのときのことばかり話しあっていました。と きには、以前と同じように楽しいタベもありましたが、ただいよいよ家へ寝に帰るときになると、
ただ、私は少々あなたのお邪魔をしたかと思うと、気がとがめてなりませんが」 「ねえ、公爵」と、将軍は愉快そうな微笑を浮べながら言った。「もしあなたがほんとうにお見 受けするとおりのかたでしたら、お近づきになるのはきっと愉快なことでしような。しかし、た だ私はこのとおり忙しい人間ですから、いまもまたこれから机にすわって何か書類に眼を通した り、署名したりして、そのあと閣下のところへ出かけなけれはならんのです。それから今度は役 : いい人にお会いするのはうれしい 所へ行かなければならんのです。ですから、むろん、人に : んですが : : : その、つまり : : : しかし、それはそうと、あなたはりつばな教育を受けておいでに 痴なるんでしような : : : で、公爵、あなたはおいくつになります ? 」 「二十六になります」 「ほう ! 私はもっとすっとお若いと思いましたよ」 「ええ、私の顔は若く見えるって言われるんです。ところで、これからはあなたのお邪魔をしな 白いように気をつけましよう、じきにそうなれると思いますよ。なにしろ、私は人の邪魔するのが 大きらいなんですから : : : それから、ついでに申せば私どもは、見たところまるで種類のちがう 人間です : : : いろいろな点から見てですね。ですから、とても共通点なんて多くはなさそうに思 われます。しかし、私自身としては、そういう考え方をとりたくないのです。なぜなら、私ども が共通点なんかないと思われる場合にも、案外それがあるものなんですから : : : こうしたことは ぶしよう 人間の無精から生れることなんです。人間というものはおたがいに見た目ばかりで分類されてし まって、肝むなものは何ひとっ認めることができないんです : : : いや、そんなことはともかく、 こんな話はご退屈でしようね ? あなたはどうやら : : : 」
拝啓ぼくは世間の眼から見れば、もちろん、自尊心などもっ権利を毛頭もっていない人 間です。人びとの意見によると、ぼくはそんな権利をもっためには、あまりにも卑小な人間 なのです。しかし、これは人びとの見解であって、あなたの見解ではありません。ぼくはあ なたがほかの誰よりも、きっとすぐれた人物であるとかたく確信しております。ぼくはこの けつべっ 痴確信のゆえにドクトレンコと意見があわず、彼と訣別しました。ぼくはあなたから一コペイ カたりともいただかないでしようが、あなたが母を助けてくださったことについては、感謝 すべき義務があります。たとえそれが性格の弱さから出たことであろうとも、です。いずれ にいたしましても、いまぼくのあなたを見る眼は変ってきましたので、それをお知らせする 義務があると考えます。なお、ぼくとあなたとのあいだには、今後ともなんの関係もありえ アンチー。フ・プルドフスキー ないものと存じます。 二伸例の二百ルー・フルに足りなかった金額は、そのうちに間違いなくご返済いたします。 「まあ、でたらめを ! 」リザヴ = ータ夫人はその手紙を投げかえしながら、叫んだ。「読む値打 ちもなかったわ。あなたはなぜそんなににやにやしてるんです ? 」 「でも、ご自分だってそれを読んで気持がよかったでしよう」 むしば 「えつ、なんですって ? こんな虚栄心に蝕まれたようなでたらめを ! あの連中はみんな虚栄 596 公爵は鞄から手紙を取りだして、リザヴェータ夫人に渡した。手紙にはつぎのように書いてあ った。
ロゴージンの両の眼はぎらぎらと輝きはじめ、狂おしい薄笑いがその顔をゆがめていた。と、 右手がばっとあがって、その中で何かがきらりと光った。公爵はその手をおさえようともしなか った。彼はただ自分がつぎのように叫んだらしいのを覚えているばかりだった。 「。ハルフョン、私には信じられないよー それにつづいて突然、何かしらあるものが彼の眼の前に展開したみたいだった。並々ならぬ内 なる光が彼の魂を照らしだしたのであった。こうした瞬間が、おそらく、半秒くらいもつづいた であろうか。しかし、彼は胸の底から自然にほとばしり出て、いかなる力をもってしてもおさえ 編ることのできない恐ろしい悲鳴の最初のひびきを、はっきりと意識的に覚えていた。つづいて彼 くらやみ の意識は一瞬にして消え、まったくの暗闇が襲ってきたのであった。 てんかん 二もうかなり長いことなかった癲癇の発作がおこったのである。癲癇の発作というものは、とく にひきつけ癲癇の場合は、周知のように、その瞬間には急に顔面が、とりわけ眼つきがものすご けいれん 第くゆがんでしまう。痙攣とひきつけが全身と顔面の筋肉を支配して、恐ろしい、想像もっかない、 なんともたとえようもない悲鳴が、胸の底からほとばしり出る。この悲鳴のなかにすべての人間 らしさがすっかり消えうせて、そばで見ている者にとっても、これが当の同じ人間の叫び声だと 想像することも、また考えることもまったく不可能である。いや、少なくとも非常に困難である。 まるでその人間の内部には誰か別の人間がいて、その人が叫んでいる声のようにさえ思われる。 少なくとも大多数の人は、このように自分の印象を説明している。いや、ひきつけ癲癇の発作に 襲われた人の様子を見ていると、大多数の人は何かしら神秘的なあるものをさえ含んだ、激しい 昭耐えがたい恐怖をいだくものである。その瞬間の恐ろしい印象を伴う恐怖の念が、ふいにロゴー
でもみんなそういうものではないだろうかって。で、自分の行為をも認めるようにさえなりかけ たのです。なにしろ、この二重の考えと闘うのは、とてもむずかしいことですからねえ、私には 覚えがあるんです。それがどこからやってくるのか、どうして生れるものか、まったくわからな いんですからねえ。ところが、きみはそれを文句なしに卑劣だと名づけておられる ! そう一一一一口わ れてみると、私はまたこの二重の考えがこわくなりだしますよ。しかし、私はきみの裁判官じゃ ありませんからね。しかし、それにしても、私にはそれを文旬なしに卑劣だと言うわけにはいき ませんよ。きみはどうお考えです ? きみは涙でお金を引きだそうと計画したわけですが、しか 痴しきみの告白にはまだほかに金銭以外の高尚な目的があったと、いまもご自分で誓ったじゃあり ませんか。それから、そのお金のことですが、それはきっと遊興のために要るんでしようね ? そうだとすれば、あんな告白をしたあとでは、もちろん浅薄な考えですよ。でも、ほんのしばら くのあいだ遊興から遠ざかってみてはいかがです ? やつばりむりですか。じゃ、どうしたらい 白いんでしよう ? いちばんいいのは、ご自身の良心にまかせることですね、どうお考えです ? 」 公爵は並々ならぬ好奇心をもってケルレルをながめた。どうやら、この二重の考えの問題は前 前から彼の心をとらえていたらしかった。 「いや、それにしても、こんなあなたのような人を、なぜ世間では白痴と言うんでしよう、合点 がゆきませんよ ! 」ケルレルは叫んだ。 公爵はかすかに頬を染めた。 「あの伝道者のプルダールのようなかたでさえも、こんな男をゆるしてはくださらなかったでし よう。ところが、あなたはわたしをゆるして、人間的に裁いてくださったんです ! わたしはみ 576
「なんですって ? 」公爵は聞きちがえではないかと思って、問いかえした。 「『黙示録』を読んでいたんですよ。まったくとてつもない空想をする女ですなあ、へ、へ、ヘー すいぶん熱心になるってことを、突きと しかも、まじめな問題なら、たとえ自分に無関係でも、・ めましたよ。好きですね、まったく好きなんですねえ。そのために、自分を特別偉いもののよう に思っておられるんですね、そうですとも。で、わたしは『黙示録』の講読にかけちゃちょっと したものでして、もう十五年も講読しているんですよ。わたしども人間は第三の生物たる黒馬と、 その上に来って衡を片手に持った騎手といっしょに暮しているのだ、というわたしの解釈にあの 編女も賛成してくれましてね。なにしろ、いまの世の中はあらゆるものが衡ではかられ、取引きで 決められ、人間はただ自分の権利ばかりを捜しもとめている始末ですからねえ。《一ディナール ます ー ) に小麦一桝、一ディナールに大麦一二桝》というわけですよ : : : そのうえに自由な精 ( の貨幣名前 神だとか、清い心だとか、健全な身体だとか、あらゆる神さまからの賜物を大切にしまっておこ 第うというのですからねえ。でも、権利だけでそんなものが大事にできるはずはありませんから、 すぐそのあとから蒼ざめた馬が『死』という名の騎手を乗せてやってくるんですよ。そして、そ のまたあとは地獄なんですよ : : : まあ、ざっとこんな話をして、意気投合したんですーー・・・・そして、 なかなか効果をあげたんですよ 「あなたは自分でもそう信じているんですね ? , 公爵は不思議そうな眼差しでレーベジェフをな がめながらたずねた。 りんわ 「信ずればこそ講読もするのです。なにしろ、わたしは無一文で裸一貫で、人間の輪廻のなかの 原子にすぎないのですからねえ。それに、レーベジェフなんかを敬ってくれる者がいますか ? 373 あお