「あなたが出ておしまいになったのは、よかったですよ」少年は言った。「あすこじゃ、さっき よりもっとひどい騒ぎがもちあがるにちがいないんですから。うちじゃもう毎日こうなんですよ。 それもこれもみんなあのナスターシャ・フィリポヴナのせいなんですからね」 ・」う 「お宅ではいろんな病気が高じて、それがだんだんひどくなったんですね . 公爵は言った。 「ええ、病気が高じたんです。まったく、お話にもなりません。何もかもみんな自分たちが悪い んですから。じつは、ぼくに親友が一人いるんですが、彼のほうがもっと不幸なんですよ。なん ならご紹介しましょ一つか ? 」 編「ええ、ぜひとも。きみの仲間なんですね ? 」 「ええ、まあ、仲間みたいなものです。このことはあとでみんなお話ししますよ : : : でも、あの 一ナスターシャ・フィリポヴナは美人ですね、どうお思いです ? ぼくはいままで一度も会ったこ とがなかったんです、ずいぶん会ってみたかったんですがね。まったく眼がくらむようでしたね。 : ほん 第そりや、兄さんが愛しているんだったら、ぼくだって何もかもゆるしてやるんだけれど : とになんだってお金なんかもらうんだろう、困ったもんですよ ! 」 「そうですね、私もきみの兄さんはあまり好きじゃありません」 「そりや、当り前ですよ ! あんなことのあとじゃ : : : ねえ、ぼくはなんだかんだって偉そうな ことを一 = ロうやつには我慢がならないんです。たとえば、どこかの気ちがいかばか、でなければ気 ちがいのような格好をした悪党が、人の頬っぺたをぶっとしますね。すると、その人はもう死ぬ まで名誉を傷つけられて、血で洗い流すか、あるいは相手が膝をついてゆるしを乞うかしなけれ ば、ゆるせないってわけでしよう。ぼくの考えじゃ、そんなことはじつにばかげていて、乱暴な ひさ
っていた・フルドフスキーとドクトレンコのほうへよろめきながら歩いていった。みんなといっし ょに帰ろ - っとしているのであった。 「ねえ、ぼくはこうなりやしないかと心配していたんです ! 」公爵は叫んだ。「きっとそうなる だろうと思ってました」 ぞうお イホリー トは気ちがいじみた憎悪の色を浮べて、いきなり彼のほうへふりかえった。その顔面 の筋肉が一本一本びくびく震えながら、ものを言っているように思われた。 「ああ、あなたはこうなりやしないかと心配してたんですか ! 『きっとそうなるだろうと思っ あわ 編ていた』ですって。じゃ、言いますがね」彼は口から泡を飛はしながら、喉にかかった金切声で わめいた。「もしぼくがここにいる人のなかで、誰かを憎んでいるとすれば ( いや、ぼくはあな 二たがたをみんなひとり残らず憎んでいますが ) 、とりわけあなたをーー , ・仮面をかぶった、口先だ けうまい、白痴の、百万長者の慈善家のあなたを、この世の誰よりも何よりもいちばん憎んでい うわさ 第るんです ! ぼくはもうずっと前からあなたという人を見ぬいて、憎んでいたんです。まだ噂だ けしか知らなかった時分から、ぼくはありったけの憎悪を傾けてあなたを憎んでいたんです : ・ 今夜のことはみんなあなたがお膳だてをしたんです : : : ぼくを発作におとしいれたのもあなたの しわざなのです ! あなたは死にかけている病人に恥をかかせました、ぼくがさっき卑劣にも気 おくれしたのは、あなたが、あなたが悪いんです。もし、ぼくが生きのびたら、きっと、あなた を殺してやります ! あなたのお慈悲なんかけっこうです、そんなものは誰からも恵んでもらい たくありません、いいですか、誰からもなんにももらいませんから ! さっきはぼくも熱に浮か されていたんですから、あなたたちもそう有頂天にならないでほしいですね : : : ぼくはあなたた 555 のど
供なのさ。なんだかよく知らないが、病気の発作がある入でね。たったいまスイスからやってき て、汽車からおりたばかりでね、おかしなドイツ風の格好をしているよ。おまけに、金ときたら まったくの一文なしでね、もういまにも泣きださんばかりでね。わしは二十五ループルやっとい たが、いずれどこか役所の書記のロでも捜してやろうと思っている。さあ mesdames 心人 ) ひ ちそう とつあの男にご馳走してやっておくれ。どうやら、だいぶお腹もすいてるようだから : : : 」 「まあ、あなたってかたはびつくりさせますことー夫人は相も変らぬ同じ調子でつづけた。「お 腹がすいてるだの、発作だのって ! いったいどんな発作ですの ? 」 痴「いや、発作といってもそうしよっちゅうおこるわけじゃないのさ。なにしろ、まだほんの子供 なんだから : : : もっとも教育のある子供だけれどね。わしはね、 mesdames 」と、将軍はふたた び娘たちのほうを向いて、「ひとつおまえさんがたにあの男の試験をしてもらおうと思ってね。 とにかくどんな方面に才能があるか、よく知っておく必要があるからねー 白「し、け、ん、ですって ? 」夫人は言葉を引きのばすように言うと、またもやびつくりしたとい うふうに、眼を大きく見ひらいて、娘たちから夫のほうへ、夫から娘たちのほうへと、じっと視 線をこらした。 「いや、なに、そんなにおおげさに考えてもらっちゃ困るよ。ま、それはどうともおまえの都合 のいいように。わしはただあの男をいたわって、うちの仲間に入れてやろうと思っただけなんだ から。だって、そりやい いことだからね 「うちの仲間に入れるですって ? わざわざスイスから」 「スイスだってこの際かまわないじゃないか。もっとも、かさねて言っとくが、どうともおまえ
公爵は腰をあげようとした。レーベジェフはそれを見るとびつくりし、公爵がもう腰をあげた ときにはどぎまぎさえするのだった。 「ずいぶん冷淡になられましたねえ、へ、 へ ! 」彼は卑屈そうにおずおずと皮肉を言った。 「いや、ほんとになんだか気分がよくないんですよ、妙に頭が重くて。旅のせいかな」公爵は顔 をしかめながら答えた。 「別荘にでもおいでになってはいかがです ? 」レ 1 ベジェフはおずおすと遠まわしに言った。 公爵は物思いにふけったまま、立ちつくしていた。 編「わたしも三日ばかりしたら、家の者をみんな引きつれて、別荘に行こうと思っております。生 れたばかりの赤ん坊の体のためにもなりますし、その間にこの家の手入れをしようと思いまして : やはりパーヴロフスクへ参りますんで」 「あなたもやはりパーヴロフスクへ ? 」ふいに公爵がたずねた。「いったい、どうしたってこと 第です。じゃ、当地の人はみんな。ハーヴロフスクへ行くんですか ? それじゃ、あなたも自分の別 荘をあそこに持っているんですか ? 」 「いえ、なにもみんなが。ハーヴロフスクへ行くわけじゃありませんが、。フチーツインさんが格安 で手に入れた別荘のなかから一軒を譲ってくださったんですよ。あすこはなかなかいいところで すよ。高台で、緑が多くって、物が安くって、上品で、おまけに音楽的ときていますから、それ でみんなパーヴロフスクへ押しかけるんですな。もっとも、わたしは離れのほうにはいって、別 おもや 荘の母屋のほうは : : : 」 「貸してしまったんですか」 375
すっかり度を失ってしまったガーニヤは、まず最初にワーリヤを紹介した。すると、二人の女 性はたがいに手をさしのべる前に、まず奇妙な視線で見かわした。それでもナスターシャ・フィ リポヴナは、につこり笑って愉快そうなふりをして見せたが、ワーリヤのほうはそうした素ぶり も見せず、陰気な眼つきでじっと相手をながめたまま、単なる礼儀としての微笑の影すら浮べな かっ 4 」。・ カーニヤはぞっとした。もう拝み倒すこともできないし、またその暇もないので、彼は おどかすような視線をワーリヤに投げた。ワーリヤもこの眼つきによって、いまの一分間が兄に とってどんなものであったかをさとった。そこで、彼女は兄に妥協しようと決心したらしく、ナ 痴スターシャ・フィリ。ホヴナにほんの心もちほほえんでみせた ( 家庭内ではまだまだおたがいに愛 しあっていたのである ) 。ニーナ夫人がいくらかこの場をとりつくろってくれた。もっともガー ニヤはすっかりまごっいてしまって、妹のあとで母親を紹介したばかりか、母親のほうをさきに、 ナスターシャ・フィリ。ホヴナのところへ連れていってしまったのである。ところが、ニーナ夫人 あいさっ 白がやっと『お会いできてとてもうれしい』と挨拶をはじめかけたとたん、ナスターシャ・フィリ ポヴナはしまいまで聞こうともせず、くるりとガーニヤのほうへふりむいて ( まだなんとも言わ かたすみ れぬさき ) 、片隅の窓のそばの小さなソフアに腰をおろしながら、大きな声でしゃべりだしたの であった。 「で、あなたの書斎はどこですの ? それから : : : ええと、下宿人たちは ? だって、下宿人を 置いていらっしやるんでしよう ? 」 ガーニヤはおそろしく赤面して、どもりながら何か答えようとしたが、ナスターシャ・フィリ ポヴナはたちまちこうつけくわえた。 192
Ⅷいませんね。私はあまり人づきのいいほうじゃありませんから、こちらへも当分あがらないかも しれません。でも、こんなことを言ったからといって、悪い意味にとらないでください。私はあ なたがたをないがしろにしているとか、また何かで気を悪くしてるとか、そんなつもりで申しあ げるのではありませんから。ところでさきほど、私があなたがたのお顔のなかに何を認めたかと のおたずねがありましたが、いまは喜んでこれにお答えしましよう。アデライーダさん、あなた は幸福そうなお顔をしていますね。三人のなかでいちばん感じのいいお顔です。それにあなたは とても美しくていらっしやる。あなたのお顔を見ていると、『気だてのいい妹のようなお顔をし 痴ていらっしやる』とでも言いたくなりますよ。あなたは気さくに快活に人とおっきあいなさいま すが、すぐに相手の心の奥底まで見ぬく力をもっていらっしゃいます。あなたのお顔については、 まあ、こんな気がいたします。さて、アレクサンドラさん、あなたのお顔もやはりとても美しくて、 とてもやさしいお顔ですね。でも、あなたには何か秘めた悲しみとでもいったものがあります。 白あなたのお心もきっとそれはそれは美しいものにちがいありませんが、ただ快活とは申せません ね。ちょうどドレスデンにあるホル、、 ( インの描いたマドンナのように、あなたのお顔には一種特 別な翳があらわれていますから。さあ、これがあなたのお顔の印象です。どうです、たいした人 相見でしよう ? あなたはご自分で私のことを察しのいい人間だとおっしやったんですからね。 ところで、リザヴ = ータ・プロコフィエヴナ、あなたのお顔については」公爵はふいに夫人のほ うへふりむいた。「私は単にそう思われるというだけでなく、かたくこう確信しております。あ なたはお年こそ召しておいでですが、あらゆる点において、ええ、あらゆる点において、あらゆ るいい点においても、あらゆる悪い点においても、まったくの子供ですね。私がこう申しあけた
白 リ。ホヴナ、なにしろ、ぼくはあけすけの人間ですからね」フルディシチンコはさえぎった。 「そのかわり公爵がもらってくれますよ ! あなたはそうやってじっとすわったきり、泣いてい らっしやるけれど、まあ、ちょっと公爵をごらんなさいー ぼくはさっきからずっと観察してい ますがね : : : 」 ナスターシャ・フィリポヴナは好奇心にかられて公爵のほうをふりむいた。 「ほんとうですの ? , 彼女はたすねた。 「ほんとうです」公爵はつぶやいた。 痴「もらってくださるの、このまま、一文なしでも ! 」 「ええ、ナスターシャ・フィリ。ホヴナ : : : 」 「ほう、こりやまた新しいアネクドートだ ! 」将軍はつぶやいた。「まんざら思いがけないこと でもなかったけれど ! 」 公爵は自分をながめつづけるナスターシャ・フィリポヴナを、悲しげな、きびしい刺し通すよ まなさ うな眼差しで見つめていた。 「まあ、もうひとりあらわれたわ ! 」彼女はふいにダリヤ・アレクセーエヴナのほうを向きなが ら、言った。「でも、これはまったく善良な心から言ってるのよ、あたしはあの人のことを知っ てますからね。とんだ慈善家を見つけたものね ! でも、みんながあの人のことを : : : あれだっ て言ってるのはほんとかもしれないわね。でも、どうやって暮していくおつもりなの、ロゴージ もの ンの女をご自分が、公爵が奥さんにもらってもいいというほどほれこんじまったとしたら ? 」 「私は純潔なあなたをもらうので、ロゴージンの女なんかじゃありませんよ、ナスターシャ・フ
「私はなにも断わったわけじゃありませんよ。ひょっとすると、私の言い方が悪かったのかもし れませんが : : : 」 「もしきみが断わるようなことがあれば一大事だぞ ! 」将軍はいまいましそうに言った。、 そのいまいましさを隠そうともしなかった。「いいかね、きみ、もう間題はきみが断わらないな んてことにあるのじゃなくて、問題はきみがあの女の承諾の言葉を聞くときの、きみの覚悟とか、 満足とか、喜びとかというものにあるんだからね : : : ところで、きみの家のほうはどうなってい るんだね ? 」 痴「家のほうはどうもこうもありませんよ。家では万事が私の自由になるんですから。ただ親父が 例によってばかなことばかりやってますがね。でも、親父はもうまったくの恥知らずになったん ですから、私はもうロもききません。もっとも、手綱はちゃんとしめてますがね。いや、まった く、もしおふくろがいなかったら、さっさと出ていってもらうところですがね。もちろん、おふ かんしてく 白くろはいつも泣いてばかりいますし、妹は癇癪ばかりおこしていますよ。そこで、私はとうとう あの二人に言ってやったんです。おれは自分の運命の支配者なんだから、家でもみんながおれの : 一一一口うことをきいてもらいたいって。少なくとも妹には、おふくろのいる前でよくよく念を押 しておきましたから」 「ところで、きみ、わしがいまだに合点がいかないのは」将軍は心もち肩をすくめ、すこし両手 をひろげながら、もの思わしげに言いだした。「 = ーナ・アレクサンドロヴナ ( 訳ガー ) : ためいき りこのあいだお見えになったね、え、覚えてるだろう ? しきりに溜息をついたり、うなったり しておられたじゃないか。『どうなさったんです ? 』ときいてみると、どうやら、あの人たちは ひと
「いいえ、あたしはゆるしますわ ! 」ふいにワーリヤが言った。 「それじゃ、今晩ナスターシャ・フィリポヴナのところへ行くね ? 」 「行けというなら行きますわ。でも、自分でよく考えてごらんなさいよ。いまさらあたしがあの ひと 女のところへ行けるものかどうか ? 「だって、あの女はあんな人間じゃないんだからね。あの女はいろんな謎をかけているんだよー 一種の手品なのさーガーニヤは憎々しげに笑いだした。 「そりゃあたしだって、あんな女じゃないってことも、一種の手品みたいなものだってことも、 編よく知ってますわよ。それにしても、なんていう手品でしようね ? それからもう一つ、いいで すか、あの女はあなたをどんなふうに見てるんでしよう。ええ、そりゃあの女はお母さんの手に 一接吻しましたよ。それは何かの手品だとしても、あの女はあなたを笑いものにしたんじゃありま せん ? ねえ、これじゃ七万五千ループルの値打ちはありませんわ、ええ、ありませんとも ! 第あなたにはもっと高潔な感情がわかるはずです、だからあたしはこんなことを一一一一口うんですわ。ね え、あなたも今晩行くのはおやめなさいー ねえ、用心しなくちゃだめですよ ! どうせうまく まとまりつこないんですから」 これだけのことを一言うと、すっかり興奮したワーリヤはすばやく部屋から出ていった。 「いつでもあんな調子ですからね ! 」ガーニヤは苦笑しながら言った。「いったいあの連中は、 ぼくがそれくらいのことをわからないと思ってるんでしようかね ? いや、ぼくのほうがずっと たくさん知ってますよ」 そう一一一口うと、ガーニヤはソフアに腰をおろした。どうやら、まだゆっくりしていきそうな様子 225 ひと なそ
を投げだすと、両手で顔を覆って、小さな子供のように泣きだした。 「さあ、ほんとにこの子をどうしろとおっしやるんです ! 」リザヴ = ータ夫人はそう叫びながら、 彼のほうへ駆けよって、その頭をつかむと、しつかりと自分の胸へ抱きしめた。彼は痙攣的にし やくりあげて号泣した。「さあ、さあ、もういいのよ ! 泣くのはおやめ、たくさんですよ、い い子だから、あんたはなんにもものを知らないんだから、神さまもゆるしてくださるわよ。さあ、 もうたくさんです、男らしくなさいよ : : : それに、あとで恥ずかしくなりますよ : : : 」 「ぼくにはあっちに」イボリートは頭をもちあげようとっとめながら、言いだした。「弟と妹が 痴あるんです、まだち 0 ちゃな、かわいそうな、罪のない子供なんです : : : あのひどはのトイボ この子たちをだめにしてしまうでしよう。聖者のようなあなたは : : ご自身が子供なんですから ・ : あの子たちを救ってください ! あの子たちをあの女の : : : 手から奪いとってくださいー あの女は : : : ああ、恥ずかしい ! ああ、あの子たちを助けてやってください、助けてやってく 白ださい : ・ : 神さまは、それを百倍にして酬いてくださるでしよう、後生です、お願いしますー 「ねえ、なんとか言ってくださいな、あなた、いったいどうしたらいいんです ! 」リザヴェータ 夫人はいらいらしながら叫んだ。「お願いですから、そのもったいぶった沈黙を破ってくださ い ! あなたがちゃんと決めてくださらなけりや、わたしが今晩ここへ泊っていかなければなら ないことぐらいおわかりでしように。あなたはこれまで自分勝手なことをして、ずいぶんわたし をいじめてきたんですからね ! 」 リザヴェータ夫人は夢中になってこう食ってかかりながら、即答を待ちうけていた。しかし、 552 ひと けいれん