私は外面がよくて、家へ帰ると妻子を苛めてばかりいる男にも出会ったことがある。客は一 度吐られれば済むが、妻はそうはいかない。私はすべての男たちが、客を吐って、妻には優し くしてほしいのである。 〃女心″の心理を裏返すとき 日本語として知ってはいるけれど私にとってもっとも実感のない言葉に「女の業」というの がある。女の業というものがため息まじりに認識されねばならないとしたら、それよりもっと すさまじい「男の業」というものがあるだろうから、つまりそれは「人間の業」ということで、 女だけの特性ではない。「女心」も同様である。私も人並みに昔からさまざまなけちな思いに苦 にしんで来たけれど、それを「女心」だなどと思ったことは一度もなかった。それはどんなに下 意らなかろうと、つまりは人間の問題であった。 目 ープ佐竹さんの「女心の 流行歌の「女心」なら、私はどれもユーモラスで好きであった。ヾ ど唄』などは、時々歌詞をまちがえながらよく歌った。ここでは「女心」はかえってほのほのと 喜劇的に描かれていたから楽しかったのである。 私は男になりたいなどと、あまり思ったことはない癖に、女らしさと言われるものにもほと んど興味がなかった。着物に夢中になっている同性を見ると、男から見ると、ばからしくて可 くせ ごう
たら沈黙がちになった方がいし 私は、子供にも、際限なく深く裏表のある人間になって欲しいと思うのである。裏表のない 人間という一一一一口葉は、本来は宗教に起囚した美学から出たものである。誰に見られなくとも、神 さ、り を常に意識し、神に向かって、強烈に自分自身を晒し続けて生きることだけが、本当に裏表の ない人間ということである。心と一一一一口葉、心と行為とがまったく同じ単純人間など美しくもなけ れば、偉大でもない。 ずるがしこ 或る人が、私に向かって、フランス人というのは、日本人に考えられないくらい、狡賢い人 種で、日本人なんかそれと比べたら人のいいものです、と言ったことがあった。それは恐らく、 日本人は他人をダマクラかせばそれで成功した、と思えるからなのだが、フランス人は長い長 い年月の間常に神をだまかして来なければならなかったからなのである。 を裏表を意識し、その実態を知る時、子供たちは改めて人間の哀しさと優しさを知るであろう。 その長い迷いの後に、明確な裏表の何を意味するかを知りつつ、それに従う時、彼は初めて精 ん 神を持った「人間」になる。
も安心なような気がする。 いやでも意識の中におかねばならぬとき 一口に女の仕事と言っても、家庭内の仕事と、外へ山学・、お金を稼ぐ仕事とを同時に論じては いけないように思う。 やさ 家庭内の女の仕事は優しい。それは易しいのではなくて、優しいのである。毎日の生活のく り返しは、ある時は単調でいやになるし、お客のもてなしは髪ふり乱さねばできないものかも しれないが、それでもなお家庭というイメージのまわりには常に目に見えない防波堤がある。 ししゅう そして本来の家庭の女の仕事にはかなり優雅なものも含まれている。刺繍、編物、裁縫、花造 家庭の主婦がヒマだ、というのはまちがいである。家の経営を完全にしようと思ったら、一 日中、家の中を動き回っても追いっかないくらいである。しかし家庭の仕事には、社会へ出て 行ってする仕事とは根本的に違う楽な点がある。それは、特殊なケースを除いて、今日まにあ わなければ、仕事を明日に延ばしてもいいことだ。あるいはしたくなければ、予定をやめても 変更してもいいことだ。 しかし社会との契約においてする仕事は、決してそうはい ) よい : とのような一一一口い訳も許さ かせ
広島では、御披露の席で、親戚の方が謡曲の「結婚式』というのを歌われた。中に、「夫婦は これ宿縁ーという一節があったが、改めていい一一一口葉だと思った。よくて貰ったのでもない。悪 かったから貰ったのかも知れないのである。人間の心というのは実に不思議なものだと思いな がら、私はにこにこと嬉しそうな新郎新婦の横顔を眺めていた。 孤独という恐ろしい存在を考えるとき 同じ文学的分野でも、私は、俳句も和歌も作らない。作れないのである。詩は最近しみじみ 書いてみたいと思うけれど、まだその決心がっかない。けれど私は送られて来る短歌の雑誌を 時々ゆっくりと時間をかけて読み、私が心をうたれる歌といテものは、ことごとく孤独に苦し む歌であることに改めて、驚かされるのであった。 かって若い日に私は、人間の心を荒廃させる目に見えぬ敵は退屈であると思っていた。誤解 しないでほしい。 退屈というものは、その人の経済状態とはまったく無関係なのである。金が ありあまっていても退屈し、貧乏でも退屈する。その中間であっても、むろん退屈する。そし かんつう おとしい て退屈の中で人間は姦通し、盗み、相手を陥れるのである。 しかし、私はこのごろ、退屈よりも恐ろしい第二の敵の存在をひしひしと感じるようになっ た。それは孤独なのである。恐らく戦乱のベトナムには、そのような恐怖はないであろう。戦
を出た。すでに時間は遅れぎみであった。私は一つ年下の従妹に、駅まで駆けて行くように命 △ F2 した。 「苦しくて駆けたりできないわ」 と従妹は抗議した。私はとたんに意地悪な闘争心にかきたてられた。 「駆けられないの ? ここから駅までたった百メートルよ。第一、人間、一朝事があったら 駆けなければならないでしよ。人を突きとばして駆けて、とにかく死ぬつもりでそのことをや り遂げなさいよ」 め私は従妹を叱りつけた。すると色白の優しい善人である従妹は怨むように私を見返した。 私はこの時のことを思うと今でも恥すかしさにいたたまれない。何もたかが汽車に間に合う 生 ために死ぬ覚悟などする必要はないのである。ことに従妹の体質や性格というものを、後でよ 意く知るようになると、私のこのようなハツ。、 ノのかけ方は、ほとんど残酷とも言えるものだった。 語彼女は胃下垂型の体質で骨も細く体も鍛えてなかった。彼女が母を失った後、家族に対して明 あしゆら ぎようそう ん るい灯のような存在になり得たのは決して私のように阿修羅の形相になるからではなく、、 も優しく、ほのばのと従順であったからだったのだ。 その後も長い間、いざという時に心臓がロ許からとび出そうになるほど頑張れる性格の女と でなければ友達になれない、と信じて来た。私は自分に少し厳しく他人には大いに苛酷だった がんば
表裏のある人間になること 可能性を一生懸命ぶち壊すとき輝くような貧乏を体験すると き自分が支持の中にあるとき母が、ただ黙して耐えると き人間の哀しさと優しさを知るとき どんな目的意識に生きたいか 女が、弱さをはねのける意識 台所に女の怨恨がこもるとき自分の姿をさらけ出すとき 自分を失えるものの美しさを見るとき人間ひとり一人の個性 に接するとき 心理的な暗示にかかるとき 2 傷つくのが怖いか、退屈が怖いか りつゼん 自分の引け目にゆがむとき だらけた肉体に慄然となるとき その生活を重いと感じるとき退屈への恐怖を感じるとき いやでも意識の中におかねばならぬとき 3 愚かな自分を生きる能力 女が辛さを生きるときまったく違った精神構造に出会ったと 一五四 一六九
人間の哀しさと優しさを知るとき こくじよく 羽田空港に縮みのシャッとステテコをはいて、夕方ビールを飲みに行くのは、国辱的かどう かというささやかな論争があったことがあるけれど、私は内心ヒソ力に賛成論者であった。東 京のような近代都市へ東洋のエキゾチシズムを求めて来る外人客があるとすれば、ステテコの おじさんは、むしろ一つのよい眺めではないだろうか。私はいっか、カルカッタでべンガル語 の芝居を通訳つきで見たのだが、主人公の新聞記者 ( 眼鏡をかけ、すぐに万年筆をとり出して ノートに何かを書きつける近代的精神を持った知識人 ) が、ドウティと呼ばれる男用の腰巻を つけていることに少しも違和感を覚えなかった。しかし、同行した私の友人は、それがおかし いと言って、涙が出るほど笑いころげていた。でも、そのおかげで、彼女は印度という巨象の 体毛の一本分ぐらいには触れたことになるのである。 日付 を もしステテコが悪いとすれば、それは別の意味からだと私は思う。それは、その人間の裏表 在 存のなさだということなのである。 ん 日本人は裏表のある国民だという人がいるのは、我々が押人れというものを持っていて、そ Ⅳこに何でもかでも乱雑に突っ込んでおき、びしやりと襖一枚閉めれば、中は何も見えないとい うことが可能だからである。 ( 外国にも押人れのようなものはあると思うが ) しかし実生活の上 では、それほどうまく行っていない。 ふすま
理解し合えないかと希うとき愛の存在を確かめるときそ の愛を肌で感じるとき どんな歓びを希求するか 1 その人は何をなし得るひとか 自分で決めなければならないとき き自分の中に哀しさを呟くとき 2 自分に関して目がくらむ瞬間 ″もし、あの人とだったら / と思うとき " 思いを残して死ぬ ~ と知ったとき愚かしい執着から解放したいとき 3 どんな関係に生きているのだろうか その道を選んでしまったとき他人の夫と生活する破目になる どんな生き方が欲しいか いやな夫と我慢して暮すと 七七 四九
103 責任をもって年寄りとっき合うとき よく私は途方もないことを考える。それは、お互いに年寄りを交換して引き受けたらどうだ ろう、ということである。 私自身を考えてみても、私は、よそのお年寄りには、比較的優しいのではないかと思う。ぐ くせ らつほい話も綿密に聞き、変な癖があっても、大変寛大である。しかし自分の母になるとそう はいかない。身びいきの故に、私は親に対して厳密になり、従って時々ロゲンカをする。 年長者の中にも、このからくりのわからない人が多い。自分の家の嫁は自分に冷たいが、た またま遊びに来た嫁の友達は、自分に実に優しかった。うちの嫁もあんなになってくれたらい いのに、などと思い込むのである。 欲冗談ではない。人間は責任がなければ、どれほどでも無責任に優しくなれるのである。私の 方ような人間ですら、よそのお年寄りにはよく思われることが多いということがそれを示してい ん しかし、本当は血のつながりのある実の子供か、息子の嫁ででもなければ、責任を持って老 人とっき合ったり暮そうとしたりする存在はますあまりないものだということをお年寄りも はっきり自覚しなければいけよい。 ある時、私は一人の娘が、非常に我儘な自分の病気の実母の扱い方についてなっていないと わがまま
いうことで、一族中から文句を言われている立場を目撃したことがあった。文句をつけたのは、 主に、その我儘な老女の兄弟やその子供たち , ーーっまり娘からみると年長の従兄妹たちーー・で あったが、見ていて私は腹が立って来た。他人のやり方にケチをつけるのは簡単である。しか し文句をつけた一族の中のが、それではその病気の老女を引き受けてくれるか。 誰もいないのである。皆文句だけはつけるが、その老女を引き取るという者は誰一人として いない。結局、何のかんのと言っても、老母を最後までみとったのはその娘だけであった。後 の人々は悪口を一一一口うだけで、何の手助けもしなかった。 老人の中にも、先に言ったように甘くて困る人がいる。 娘や嫁が少し自分の思い通りにならないと「それじゃ、先日見えた xx ちゃんが『いいです よ、小母さま、いざとなったら、私の所へいらっしゃい』と言ってくれたから、私はあの人の 所へ行くよ」などと本気で考えるのである。 別に虚をついたつもりでもなかろうけれど、それは XX ちゃんの優しいお愛想というものな のである。引き取らねばならぬ何のいわれもない年寄りを引き受けて、ずっと優しく面倒を見 るような奇特な人はますあり得ないと言ってもいし もちろん私はここで少数の例外にふれねばならない。世の中には常に、本当に心優しい人が いて、大して責任もない遠縁のおばあさんをすっと引き取っていた、というような例も決して