188 り返って人間の方を見ている、というのを読んだ時、私は思わす笑ってしまった。 この犬の生き方に美を見出すには、信仰を持っ外はないであろう。エスキモーの犬は、いっ も餌を十分に与えられす、飢えぎみだというから、この犬がこの世に生まれてよかった、とい うようなことは、何一つないように見える。しかしそれでもなお、少なくとも、この犬は群に とって絶対に必要なのだしその姿は、私を笑わせてくれ、涙ぐませてくれる。この犬のような 存在になって生きることも意味があるのだな、と思わせてくれる。 たまたま、私の手許には、戦争中、冲縄にいた軍医の手記がある。終戦後、すぐ書かれたも ので、鉛筆も自由にならなかったらしく、紫の色鉛筆などで書いた部分もある。 この人は、新婚まもなくの妻を残して、沖縄が最前線になることを知りつつ、動員されて来 たのであった。 「私は時々、これからの生活を想う」 この医師は昭和二十一年二月四日、米軍のキャンプの中で書き始めた。 「私が帰ったら、妻は喜んでくれるだろう。二人で清く暮すだけだ。私たちの生涯の目的は 安穏に死ねる家庭を作るだけだ。私は外で黙って働く。外で働いた事が、幾分か人世に役立て ば、それでよい」 人世なのである。誤字ではない。実感なのだろう。 人生ではない、 えさ しよう力し
あて名もない結納をもらうとき ゆいのう もうはるか昔に、私たちが結婚することになったとき、人並みに結納をとりかわそうと私の おもは 父が言い出したので、夫も私も大変面映ゆい思いをした。それでも私の父に言われて、彼は仕 方なく「ではそうしましよう」と答えた。 むこ 結納というものは、東京のように事務的で殺風景な植民地では普通お婿さん側がデパートで 買ってきた結納のセットを仲人に頼んで持っていってもらい、お嫁さん側は半分返しとか何と かいう標凖に従って、もう一度仲人さんに、こんどはお返しをお婿さん側に届けてもらうのだ そうだが、私の母は、 「では初めから半分だけ頂きましようよ。そのほうが手数もはぶけますものね」 かめくらゆ - っさく とさらにいい加減であった。お仲人は有名な商業デザイナーの亀倉雄策氏である。亀倉氏は 昔、三浦朱門と同じ阿佐ヶ谷に住み、学校よりもそのあたりの自然の中で、ギャングの王さま のごとき存在であったと私は聞かされていオ 夫と妻が最も必要になる部分
しかし、夫婦の相性は、決して、最近の女性週刊誌が親切に書いてくれているような、手相 せんせいじゅっ や占星術によって割り出されるものでもなく、世間の常識にしたがったつりあいなどというも ので決まるものでもない。二人の性格や心理がどのようなものであるかによって、夫婦の共同 生活が願わしい、あるいは願わしくない心のひすみを生む。人間の心の神秘性は、今でも多分 に残「てはいるだろうけれど、その広な部分は、かなり科学的に、解きあかされている。 しゅうとめ 私は最近、おもしろい嫁と姑の例を聞いたばかりである。嫁がかわいくてかわいくてたま からぬ、という姑がいた。嫁も姑になついて、こんなにまで親身に思ってくれるおかあさんは、 めったにいるものではないと思って親しんでいた。ところがこの嫁は、間もなく心臓の発作を 合 起こすようになった。そうなると姑さんは心配でたまらない。いつなんどき嫁に発作が来て重 め大なことになるかも知れないというので、昼は枕許につきそい夜も隣にふとんを敷いてそい寝 をした。それでも心臓は一向によくならない。人院させたら ( ということはつまり姑をひき離 うそ んしたら ) 、虚のように症状が軽くなった。 素人の私が、こういう例に軽々しい解釈をつけ加えるのは、本来ならさし控えなければなら ないが、心理学の本をこれから読み始めようとされる方々へのちょっとした足がかりとするた めに、敢えて簡単な解釈を下せば、この嫁は実は姑を憎んでいたのである。二人はともに愛と
こと。これも大切な高級な教育である。彼は今でこそ人並以上に歴史に実に詳しいが、当時、 歴史は落第点であった。しかし彼が今日あるのは、やはりその先生のおかげなのである。 教育というものは、このように恐らく、全人間を賭けて行なわれるはずのものである。しか も、その意図と結果が決して直線的にはつながらない。 先刻もちょっと触れかけたが技術としてはかなりのものが予測通り教えられるであろう。 ただ技術の部分は、こういっている間にも、機械にとって替られる可能性もある。真の教育 というものは、人間を創ることにあり、それは決して、計算通りに行きはしない。 私は、或る種の母親や先生たちに、この種の絶望感がないので驚くことがある。「教育はでき る」と簡単に信じることが、私からみればむしろ無理なことのように思え、「教育は不可能かも しれない、しかし : : : 」というためらいから出発するほうが、かえって安心だと思う。 を人間の心理が、決して表には出ない部分で、深く分裂しており、笑顔の下の恐怖、恐怖の下 の放心、放心の下の諦め、諦めの下の居なおり、居なおりの下の優しさ、優しさの下の冷酷さ、 どなどというものがあることを考えて行けば、親も教師も、教育の効果などというものを、決し Ⅳて簡単に信じられるはずはない。 そこで初めて、人間この不可思議なるもの、このすばらしきもの、という想いも生まれるの である。 あきら
のに、という部分に対して反発して笑ったのである。そして私はといえば、どこの国かに、数 人の妻と、その子供たちがこうしてにぎやかに暮せる社会があるのだとすれば、それは何とお もしろいものだろうと考えていたのだった。 妻の座など問題にしないという男女の関係は、それが本物なら誠に鮮かである。 私の知合いに一人、美しい情の深い女のひとがいて、他人の夫と生活する破目になった。も う世間態をとやかく言いたい年ではない。男のひとは、美しいものを身のまわりに置き、おい しいものを食べ、忙しくはあっても優雅に生活したい人であった。 「好きなら、それだけでいいじゃないの」 と私などは彼女に言っていた。 求しかし、そのうらに、その男の人は優雅でない面を見せ始めたのである。彼女は一種の商業 をデザイナーであったが、彼女と道を歩いている時に、友人に会うと、急に彼女とは連れでない び 歓ような素振りを示したりした。それから彼の母親が死にそうになると ( 彼は長男だったが ) 急 既に長い間別居している本妻と葬式が出た場合のうち合せなどしに行くようになった。 つまり彼はある部分で、まだ社会のしきたりや、家、などというものにとらわれていたので ある。法律的結婚などしない場合、静かに何ものにもとらわれずに生きる勇気や信念があるか どうかが問題になって来る。そして勇気がないのなら、その人は平凡な人間の生きる道を踏襲
Ⅲどんな生き方が欲しいか 111 かけた想いと同量同質のものをかけ返してもらわなければ、信義も正義もなり立たないからだ。 しかし世の中は決してそのように律義なものではなく、むしろその場限りで忘恩的なものが 多いから、その人は恐らくその矛盾に苦しんで気狂いになりそうな思いにとらわれるだろう。 私はインドへ行った時、ライ病人の日常使っている食器から物を食べることも平気だった。 そのような荒つばい、 鈍感な部分がある。 そして私の場合、そのような鈍感さは、鋭敏さよりも、はるかに私を穏やかにし、行動を自 、、はかり知れないくらいなのである。 由にし、恐怖ゃうらみをとり去ってくれているカ
目次 はじめに —どんな愛にめぐり合いたしカ 1 もう、ひき返せなくなるとき 妻がすばらしい体験をするときしあわせが怖くなるとき 女が本能的に真剣になるとき愛し合うことが不幸になるとき 男が本当に愛するとき 2 その流れに流されていいカ 相手の罠を探るとき冒険への出発点に立っとき一人の人 間の一つを知るとき ただ信じたがるときその深みを避け ねばならぬとき 3 夫と妻が最も必要になる部分 あて名もない結納をもらうとき娘が親に挨拶するとき の不思議に惑うとき孤独という恐ろしい存在を考えるとき わな
台所に女の怨恨がこもるとき 小説を書き始めたころ、私は将来どんなことがあっても、台所の生活がなまなましくにじみ 出ていることを特色にしたような作品だけは書きたくない、と考えていオ それは一つの私の若さの気負いのようなものであった。私は小説というものは、創造的な仕 事なのであるから、事実にのっとって書かれたと思われる重味、などに頼って書くのは、あま そばく にりにも素朴すぎると感じたのである。しかし結婚して十六、七年も経っと、私はまた、少々 を違った目で実際の台所を見るようになった。 語第一の変化は、私が料理が好きになりだしたことである。私は料理も又、実に創造的な仕事 月説を書くことと似ている部分がある。料理に どたと思うようになった。料理を作ることには、、 は何よりも考えの自由な飛躍がいる。配合の妙に対する賛嘆の感動があり、隠された味わいを 引き出すという技法上の習練もいる。 しかし、現実の生活における料理というのは、そんな趣味的なものではない。数年前、私は 女が、弱さをはねのける意識
ている人たちがいるらしいのだけれど、私は諦めることが早くて、一つを捨てなければ、もう 一つはほば絶対に手に入らないもの、と思い込んでいるところがある。捨てられすに悩むのが 人間の心だとはわかっていて、それがたとえば「女心」なのかとも思ってみるが、一つを捨て てみても、かわりさえ得られない苛酷な人生というものもさらにその先にあるので、そちらの 方に居すまいを正して頭を下げたくなる。 はっきり一一一一口うと「女心」なる一一一一口葉は「愚かしさ」の代名詞のように私は感じてしまうのであ る。このごろは「十五、十六、十七と、私の教育ムダだった」と歌いながら、私は自分の中の 愚かしさがいろいろとよく見えて来たように思い顔をしかめてもうこれ以上、できることなら き愚かしさとだけはっき合いたくないと思う。 もし、女が今まで「女心」として片づけていた心理の部分に、分析的な光を当てれば、そこ ひきょ - っ しっと 意には、怠惰や卑怯さや懐疑心のなさや無知や嫉妬心などというものが浮かび上がって来るだろ 目 う。「それが女心なのよ」と片づけることで私はちっともいい気分にならないというだけのこと どなのである。 長くもない人生なのだから、愚かしさの所産としか思えない女心の陥る悲劇などにかかわっ ているより、できることなら比較的賢い人たちにしてなお解決できないというこの世の輝いて いる矛盾を、私は仰ぎ見て、息をのみたいのである。 あきら
198 的生活というのは、純粋に個人的な精神だけの所産でなければならす、それは必すしもジイド のように門番つきの家に住まなくとも、どんな形の生活者にもできることである。それは人間 の本質に向かって問いかけ、迷い、悲しむことであり、現実生活ではなく抽象の世界に向かっ とら て、囚われすに遊ぶことなのである。 ある時、私は夫の友人にごちそうになった。自分ひとりで店を出して、大きく商売をやって いる人で、彼の現実生活は、抽象の世界に遊ぶどころか、現実の泥沼に常に首までとつぶり浸 らねばならぬ状態であった。 彼は酒豪であったが酔うほどに一枚ずつ精神のキモノが脱げて行くようだった。そして最後 に彼は言ったのである。 「三浦 ! ( 私の夫の名 ) お前、何や小説を書いとるそうやけど、平和のためになるようなもの を書いてくれや、そのためにお前が食えんようになったら、おれが必ず食わしたるからな」 男の友情というものは、さりげなくて、しかも遠くを見つめる遠視の部分があっていいもの たと思った。 つまり自分が美しくなることではなくて、美しいものを見つめる心が私は好きなのだろうか。 その美しいものは、できるだけ長い焦点距離を持っていてほしいと思う。すべてが自分の現実 的な生活に「てくるのではなくて、遠く飛んで行「て宇宙の星に凝結しそうな想いを持「て