「じゃあ博物館だ」 皆がまた、おもしろそうに笑った。 曇天の停車場は、日の暮れのようにうす暗い。自分は、そのうす暗い中で、そっとそのロンド ン乞食の方をすかして見た。 すると、いつの間にか、うす日がさし始めたと見えて、幅の狭い光の帯が高い天井の明り取り 周囲では、 から、ぼうと斜にさしている。能勢の父親は、ちょうどその光の帯の中にいた。 すべての物が動いている。眼のとどく所でも、とどかない所でも動いている。そうしてまたその 運動が、声とも音ともっかないものになって、この大きな建物の中を霧のようにおおっている。 しかし能勢の父親だけは動かない。 この現代と縁のない洋服を着た、この現代と縁のない老人は、 めまぐるしく動く人間の洪水の中に、これもやはり現代を超越した、黒の中折れをあみだにかぶ たなごころ って、紫の打紐のついた懐中どけいを右の掌の上にのせながら、依然としてポンプのごとく時 ちよりつ 間表の前に佇立しているのである あとで、それとなく聞くと、そのころ大学の薬局に通っていた能勢の父親は、能勢が自分たち といっしょに修学旅行に行くところを、出勤のみちすがら見ようと思って、自分の子には知らせ ずに、わざわざ停車場へ来たのだそうである。 能勢五十雄は、中学を卒業するとまもなく、肺結核にかかって、物故した。その追悼式を、中 学の図書室であげた時、制帽をかぶった能勢の写真の前で悼辞を読んだのは、自分である。「君、 こうすい
葬儀記 離れで電話をかけて、皺くちゃにな「たフ。〉クの袖を気にしながら、玄関〈来ると、もい もんっき ない。客間をのそいたら、奥さんが誰だか黒の紋付を着た人と話していた。が、そこと書斎との ひつぎ 壻には、さ 0 きまで柩の後ろに立ててあ 0 た、白い屏風が立 0 ている。どうしたのかと思「て、 わっじ * 書斎の方へ行くと、入口の所に和辻さんや何かが一「三人かたまっていた。中にももちろん大。せ いる。ちょうど皆が、先生の死に、最後の別れを惜んでいる時だ 0 たのである。 おかだ * 僕は、岡田君のあとについて、自分の番が来るのを待っていた。もう明るくなったガラス戸の ばしよう 外には、霜よけの藁を着た芭蕉が、何本も軒近くならんでいる。書斎でお通夜をしていると、い そんなことをぼんやり考 つもこの芭蕉がいちばん早く、うす暗い中からうき上がってきた。 えているうちに、やがて人が減って書斎の中へはいれた。 記書斎の中には、、電灯がついていたのか、それともろうそくがついていたのか、それは覚えてい ないが、なんでも、外光だけではなかったようである。僕は、妙に改まった心もちで、中へは 葬いった。そうして、岡田君が礼をしたあとで、柩の前へ行った。 うす まつね 柩のそばには、松根さんが立っている。そうして右の手を平にして、それを日でも挽く時のよ うに動かしている。礼をしたら、順々に柩の後ろをまわって、出て行ってくれという合図だろう。 わら びようぶ
211 ほのめいているが、ここはもうさながらの冬のけしきで、薄い黄色の丸葉がひらひらついている 白樺の霜柱の草の中にたたすんだのが、静かというよりは寂しい感じを起させる。この日は風の すみれいろ ない暖かなひょりで、樺林の間からは、革色の光を帯びた野州の山々の姿が何か来るのを待って とお いるように、冷え冷えする高原の大気を透してなごりなく望まれた。 いつだったかこんな話をきいたことがある。雪国の野には冬の夜なそによくものの声がすると ふくろう いう。その声が遠い国に多くの人がいて口々に哀歌をうたうともきければ、森かげの梟の十羽一一 十羽が夜霧のほのかな中から心細そうになきあわすとも聞える。ただ、野の末から野の末へ風に オい。ただ、この原も日がくれから、そんな声が起り のって響くそうだ。なにものの声かはしらよ そうに思われる。 こんなことを考えながら半里もある野路を飽かずにあるいた。なんのかわったところもないこ の原のながめが、どうして私の感興を引いたかはしらないが、私にはこの高原の、ことに薄曇り のした静寂がなんとなくうれしかった。 工場 ( 以下足尾所見 ) 光黄色い硫化水素の煙が霧のようにもやもやしている。その中に職工の姿が黒く見える。すすび ぬれごも 日 たシャツの胸のはだけたのや、しみだらけの手ぐいで頬かぶりをしたのや、中には裸体で濡菰を 袈裟のように肩からかけたのが、反射炉のまっかな光をたたえたかたわらに動いている。機械の 運転する響き、職工の大きな掛声、薄暗い工場の中に雑然として聞えるこれらの音が、気のよわ しらかば
その上、船の中には、虱がたくさんいた。それも、着物の縫い目にかくれているなどという、 ほばしら 生やさしい虱ではない。帆にもたかっている。幟にもたかっている。檣にもたかっている。錨に もたかっている。少し誇張して言えば、人間を乗せるための船だか、虱を乗せるための船だか、 判然しないくらいである。もちろんそのくらいだから、着物には、何十匹となくたかっている。 びとはだ そうして、それが人肌にさえさわれば、すぐに、いい気になって、ちくちくやる。それも、五匹 しろごま や十匹なら、どうにでも、せいとうのしようがあるが、前にも言った通り、白胡麻をふりまいた ようこ、 冫たくさんいるのだから、とても、とりつくすなどということができるはずのものではな からた い。だから、佃組と山岸組とを問わず、船中にいる侍という侍の体は、ことごとく虱に食われた あと はしか 痕で、まるで痲疹にでもかかったように、胸といわず腹といわず、一面に赤くはれ上がってい しかし、いくら手のつけようがないといっても、そのままうっちゃっておくわけには、なおゅ しもそうりとり かみ 、よ、。そこで、船中の連中は、暇さえあれば、虱狩をやった。上は家老から下は草履取まで、 ことごとく裸になって、随所にいる虱をてんでに茶のみ茶わんの中へ、取っては入れ、取っては うちうみ 入れするのである。大きな帆に内海の冬の日をうけた金毘羅船の中で、三十何人かの侍が、湯も じ一つに茶のみ茶わんを持って、帆綱の下、錨の陰と、いっしようけんめいに虱ばかり、さがし こんにち 虱て歩いた時のことを想像すると、今日では誰しもこつけいだという感じが先にたつが、「必要」の 、つさいの事がまじめになるのは、維新以前といえども、今と別に変わりはない。 こで、一船の裸侍は、それ自身が大きな虱のように、寒いのを我慢して、毎日根気よく、そここ しらみ ー、人〃り
の中途で白いまるいものと細長いものとが動いていた。「おおい」と呼ぶと下でも「おおい」と 答える。 小さい時に掘井戸の上から中をのぞきこんでおおいと言うとおおいと反響をしたのが思 ゆかた い出される。まるいのは市村の麦わら帽子、細長いのは中塚の浴衣であった。黒いものは谷の底 からなお上への、ほって馬の背のように空をかぎる。その中で頭の上の遠くに、菱の花びらの半ば やりたけ やじり をとがったほうを上にしておいたような、貝塚から出る黒曜石の鏃のような形をしたのが槍が岳 しなの で、その左と右に歯朶の葉のような高低をもって長くつづいたのが、信濃と飛とを限る連山で びやくごう ある。空はその上にうすい暗みを帯びた藍色にすんで、星が大きく明らかに白毫のように輝いて いる。槍が岳とちょうど反対の側には月がまだ残っていた。七日ばかりの月で黄色い光がさびし かった。あたりはしんとしている。死のしずけさという思いが起ってくる。石をふみ落すとから はいまっ からという音がしばらくきこえて、やがてまたもとの静けさに返ってしまう。路が偃松の中へは いると、歩くたびに湿っ。ほい鈍い重い音ががさりがさりとする。ふいにギャアという声がした。 おやと思うと案内者が「雷鳥です」と言った。形は見えない。ただやみの中から鋭い声をきいた 記 だけである。人をのろうのかもしれない。静かな、恐れをはらんだ絶嶺の大気を貫いて思わすも 登きいた雷鳥の声は、なんとなくあるシンポルでもあるような気がした。 ( 明治四十四年ごろ ) ′つれい
121 猿 れはそうたいして苦にもならなかったようです。が、弱ったのは、上陸早々、遊びに行く気でい た連中で、検査をされると、ポッケットから春画が出る。サックが出るという強ぎでしよう。顔 十フィサア を赤くして、もじもじしたって、追いっきません。なんでも、二、三人は、士官になぐられたよ うでした。 なにしろ、総員六百人もあるのですから、一通り検査をするにしても、手間がとれます。奇観 といえば、まああのくらい、奇観はありますまい。六百人の人間が皆、裸で、上甲板いつばいに、 並んでいるのですから。その中でも、顔や手首のまっ黒なのが、機関兵で、この連中は今度の盗 けんぎ さるまた 難に一時嫌疑をかけられたことがあるものですから、猿股までぬいで、しらべるのならどこでも しらべてくれという、恐しいようなけんまくです。 げかんばん 上甲板で、こういう騒ぎが、始まっている間に、中甲板や下甲板では、所持品の検査をやりだ しました。艙口にはのこらず、候補生が配置してありますから、上甲板の連中はもちろん下へは 一足でもはいれません。私は、ちょうど、その中下甲板の検査をする役に当ったので、ほかの仲 間といっしょに、兵員の衣嚢やら手箱やらを検査して歩きました。こんなことをするのは軍艦に 乗ってから、まだ始めてでしたが、ビイムの裏をさがすとか衣嚢をのせてあるたなの奥をかきま まきた わすとか、思ったより、めんどうな仕事です。そのうちに、やっと私と同じ候補生の牧田という ぞうひん ならしま 男が、贓品を見つけました。時計も金も一つになって、奈良島という信号兵の帽子の箱の中に、 あったのです。そのほかにまだ給仕がなくしたという、青貝の柄のナイフも、はいっていたとい うことでした。 のう え
はけ 彼はいっ死んでも悔いないように烈しい生 あいかわら「 活をするつもりだった。が不相変養父母や伯 母に遠慮がちな生活をつづけていた。それは 彼の生活に明暗の両面を造り出した ( 或阿呆 の一生 ) 。 このような嘆きが、先にのべた、いのちのも えあがりに対する希求や、鬱屈した日常の愁い を洗い去り、みすぼらしい人生を見下そうとす る芸術至上の信念へとつながっていった。 文壇デビューと歴史小説彼は早熟で、から 作 非現実的な怪異に興味を感じる少年 だった。そして府立三中 ( 現在の両国高校 ) 、一 高、東京帝大英文科を通じて、秀才の名をほし 之 朧いままにした。大正三年、在学中に、豊島与志 殉雄らと同人雑誌第三次『新思潮』を出し、翻訳霹マ や処女作の説「老年」および戲曲「青年と 死」などをのせたが、一般のみとめるところと うつくっ 大正 5 年 , 東大在学中『新思潮』同人たちと ( 左より , 久米正雄 , 松岡譲 , 芥川 , 成瀬正一 )
213 に墓場がある。墓場は石ばかりの山の腹にそうて開いたので、灰色をした石の間に天色をした石 塔が何本となく立っているのが、わびしい感じを起させる。草の青いのもない。立花さえもほと んど見えぬ。ただ灰色の石と灰色の墓である。その中に線香の紙がきわだって赤い。これでも人 を埋めるのだ。私はこの石ばかりの墓場が何かのシンポルのような気がした。今でもあの荒涼と した石山とその上の曇った濁色の空とがまざまざと目にのこっている。 あたた 温かき心 月に沿うた、あばら家の一なら 中禅寺から足尾の町へ行く路がまだ古河橋の所へ来ない所に、 びがある。石をのせた屋根、こまいのあらわな壁、たおれかかったかき根とかき根には竿を渡し ておしめやらよごれた青い毛布やらが、薄い日の光に干してある。そのかき根について、ここら には珍しいコスモスが紅や白の花をつけたのに、片目のつぶれた黒犬がものうそうにその下に寝 ころんでいた。その中で一軒門ロの往来へむいた家があった。外の光になれた私の眼には家の中 ねこぜ は暗くて何も見えなかったが、その明るい縁さきには、猫背のおばあさんが、古びたちゃんちゃ んを着てすわっていた。おばあさんのいる所の前がすぐ往来で、往来には髪ののびた、手も足も 光塵と垢がうす黒くたま 0 たはだしの男の児が三人で土いじりをしていたが、私たちの通るのを見 て「やア」と言いながら手をあげた。そうしてただ笑った。小供たちの声に驚かされたとみえて おばあさんも私たちの方を見た。けれどもおばあさんは肓だった。 ・クロポトキンの「青年 私はこのよごれた小供の顔と盲のおばあさんを見ると、急にピーター さお
2 り 3 水の三日 砂岡君と国富君とが、読み役で、籤を受取っては、いちいち大きな声で読み上げる。中には一 家族五人ことごとく、下駄に当った人があった。一家族十人ばかり、ことごとく能代塗の臭い箸 に当ったら、こつけいだろうと思ってたが、不幸にして、そういう人はなかったように記憶する。 から 一回、福引を済ましたあとでも、景品はだいぶん残った。そこで、残った景品のすべてに、空 籤を加えて、ふたたび福引を行った。そうしてそれをおわったのはちょうど正午であった。避難 民諸君は、もうそろそろ帰りはじめる。中にはていねいにお礼を言いに来る人さえあった。 多大の満足と多少の疲労とを持って、僕たちが何日かを忙しい中に暮らした事務室を去った時、 ひのき 窓から首を出して見たら、泥まみれの砂利の上には、素枯れかかった檜や、たけの低い白楊が、 あざやかな短い影を落して、真昼の日が赤々とした鼠色の校舎の羽目には、亜鉛板やほうきがよ せかけてあるのが見えた。おおかた明日から、あとそうじが始まるのだろう。 ( 明治四十三年、東京府立第三中学校学友会雑誌 )
角川文庫 芥川龍之介作品集 羅生門・鼻・芋粥 偸盗・戯作三昧 蜘蛛の糸・地獄変 舞踏会・蜜柑 杜子春・南京の基督 藪の中・将軍 トロッコ・一瑰の土 少年・大導寺信輔の半生 河童・玄鶴山房 或阿呆の一生・侏儒の言葉 羅生門・鼻・芋粥 大正五年 , 東大在学中の芥川は , 久米 正雄・菊池寛らと創刊した第四次「新 思潮」に「鼻」を発表 , 漱石の賞賛を得 , 異才はにわかに文壇の脚光を浴びた。 『今昔物語』に取材の表題作のはか , この期の作品二十余篇を収録 , 人生の 暗黒を見つめる理知と清新な抒情 , 卓 抜な虚構と明晰な文体は , すでにゆる ぎない作風を完成している。 . 、 . 、 . = 生門・鼻・芋粥 卩は龍之介 好評発売中 / 新しいエンタティンメントと ドキュメントの月刊誌 野性時代 毎月 24 日発売ー 角川文庫緑三三ノ 8 森 慶文 カバー 定価 300 円 0193 ー 103301 ー 0946 ( 3 ) 曉庭術印刷