りゅうし しなちょうざん もちろん、日本の話ではない。ーーー支那の長山という所にある劉氏の打麦場で、ある年の夏、 起ったできごとである。 裸で、炎天に寝ころんでいるのは、この打麦場の主人で、姓は劉、名は成という、長山では、 屈指の素封家の一人である。この男の道楽は、酒を飲む一方で、朝から、ほとんど、さかすきを ごとすなわちおう 離したということがない。それも、「独酌する毎に輒、一甕を尽す」というのだから、人並をはず ぼうなかばきびう ふかく でん れた酒量である。もっとも前にも言ったように、「負郭の田三百畝、半は黍を種う、というので、 鰓のために家産がわずらわされるようなおそれは、万々ない。 それが、なぜ、裸で、炎天に寝ころんでいるかというと、それには、こういう因縁がある。 はくうせん そん ーその日、劉が、同じ飲仲間の孫先生といっしょに ( これが、白羽扇を持っていた儒者である ) あかん * へや 風通しのいい室で、竹婦人にもたれながら、棋局を野わせていると、召使いの鬣が来て、「ただ ほうどうじ いま、宝幢寺とかにいるという、坊さんがお見えになりまして、是非、ご主人にお目にかかりた いと申しますが、し力がいたしましよう」と言う。「なに、宝幢寺 ? 」こう言って、劉は小さな 眼をまぶしそうに、しばたたいたが、やがて、暑そうに肥った体を起しながら、「では、ここへお 通し申せ」と言いつけた。それから、孫先生の顔をちょいと見て、「おおかたあの坊主でしよう」 とつけ加えた。 宝幢寺にいる坊主というのは、西域から来た蛮僧である。これが、医療も加えれば、房術も施
166 となくつりあわない。 僕は、しばらく、この男の方をぬすみ見ながら、小さなさかずきへついだ、甘い西洋酒を、少 しずつなめていた。これは、こっちも退屈している際だから、話しかけたいのはやまやまだが、 ちゅうちょ 相手の男の人相が、 はなはだ、ぶあいそうに見えたので、しばらく躊躇していたのである。 かくあご すると、角顋の先生は、足をうんと踏みのばしながら、なまあくびをかみつぶすような声で、 「ああ、退屈だ」と言った。それから、近眼鏡の下から、僕の顔をちょいと見て、また、新聞を 読みだした。僕はその時、いよいよ、こいつにはどこかで、会ったことがあるのにちがいないと 思った。 サルーンには、一一人のほかにもいない。 しばらくして、この妙な男は、また、「ああ、退屈だ」と言った。そうして、今度は、新聞を テーブルの上へほうり出して、ぼんやり僕の酒を飲むのをながめている。そこで僕は言った。 「どうです。一杯おっきあいになりませんか」 「いや、ありがとうー彼は、飲むとも飲まないとも言わずに、ちょいと頭をさげて、「どうも、 たいくつじに 実際退屈しますな。これじゃ向こうへ着くまでに、退屈死に死んじまうかもしれません」 僕は同意した。 「まだ、 ZOILIA の土を踏むには、一週間以上かかりましよう。私は、もう、船が飽き飽きし ました」 「ゾィリアーー・・・ですか」
孤独地獄 おおおじ この話を自分は母から聞いた。母はそれを自分の大叔父から聞いたと言っている。話の真偽は 知らない。ただ大叔父自身の性行から推して、こういうこともずいぶんありそうだと思うだけで ある。 たいつう * もくあみ 大叔父はいわゆる大通の一人で、幕末の芸人や文人の間に知己の数が多かった。河竹黙阿弥、 とうえい * りゅうかていたわかす * ぜんざいあんえいき * しふん * みやこせんちゅう * けんこんぼう 柳下亭種員、善哉庵永機、同冬映、九代目団十郎、宇治紫文、都千中、乾坤坊良斎などの人々 えどざくらきよみすせいげん きのくにや である。中でも黙阿弥は、「江戸桜清水清玄」で紀国屋文左衛門を書くのに、 この大叔父を粉本 にした。物故してから、もうかれこれ五十年になるが、生前一時は今紀文とあだなされたことが とうじろうはいみよう あるから、今でも名だけは聞いている人があるかもしれない。 姓は細木、名は藤次郎、俳名 やましろがし は香以、俗称は山城河岸の津藤と言った男である。 そうりよ その津藤がある時吉原の玉屋で、一人の僧侶と近づきになった。本郷界限のある禅寺の住職で、 ひょうかく にしきぎ おいらん 名は禅超と言ったそうである。それがやはり嫖客となって、玉屋の錦木という華魁になじんでい にくじき た。もちろん、肉食妻帯が僧侶に禁ぜられていた時分のことであるから、表向きはどこまでも出 はぶたえ 家ではない。黄八丈の着物に黒羽一一重の紋付というこしらえで人には医者だと号している。 それと偶然近づきになった。 っとう かいわし ふんばん
しじゅう、いじめられている犬は、たまに肉をもらっても容易によりつかない。五位は、例の 笑うのか、泣くのか、わからないようなえがおをして、利仁の顔と、からの椀とを等分に見比べ ていた。 「おいやかな」 「どうじゃ」 五位は、そのうちに、衆人の視線が、自分の上に、集っているのを感じだした。答え方一つで、 また、一同の嘲弄を、受けなければならない。あるいは、どう答えても、結局、ばかにされそう ちゅうちょ な気さえする。彼は躊躇した。もし、その時に、相手が、少しめんどうくさそうな声で、「おいや しつまでも、椀と利仁とを、見比べて なら、たってとは申すまい」と言わなかったら、五位は、、 いたことであろう。 彼は、それを聞くと、あわただしく答えた。 「いや : : : かたじけのうござる」 この問答を聞いていた者は、皆、一時に、失笑した。 「いや、かたじけのうござる」 こう言って、五位の答を、まねる者さえある。いわゆる、 とうこうきっこう くぼっきたかっき もみえぼし 橙黄橘紅を盛った窪坏や高坏の上に多くの揉烏帽子や立烏帽子が、笑声とともにひとしきり、波 のように動いた。中でも、最も、大きな声で、きげんよく、笑ったのは、利仁自身である。 ちょうろう
118 「父も、そう中すじゃて。平に、遠慮はご無用じゃ」 利仁もそばから、新たな提をすすめて、いじわるく笑いながらこんなことを言う。弱ったのは 五位である。遠慮のないところを言えば、始めから芋粥は、一椀も吸いたくない。それを今、我 慢して、やっと、提に半分だけ平らげた。これ以上、飲めば、喉を越さないうちにもどしてしまう。 そうかといって、飲まなければ、利仁や有仁の厚意を無にするのも、同じである。そこで、彼は また眼をつぶって、残りの半分を三分の一ほど飲み干した。もうあとは一口も吸いようがない。 「なんとも、かたじけのうござった。もう十分ちょうだいいたしたて。 いやはや、なんと もかたじけのうござった」 五位は、しどろもどろになって、こう言った。よほど弱ったとみえて、ロ髭にも、鼻の先にも、 冬とは思われないほど、汗が玉になって、たれている。 「これはまた、ご少食なことじゃ。客人は、遠慮をされるとみえたぞ。それそれその方ども、 何をいたしておる」 かわらけ 童児たちは、有仁の語につれて、新たな提の中から、芋粥を、土器にくもうとする。五位は、 両手を蠅でもおうように動かして、平に、辞退の意を示した。 「いや、もう、十分でござる。・ : ・ : 失礼ながら、十分でござるー ろう もし、この時、利仁が、突然、向こうの家の軒を指さして、「あれをご覧じろ」と言わなかっ たなら、有仁はなお、五位に、芋粥をすすめて、やまなかったかもしれない。、、、、 カ幸いにして、 ひわだぶき 利仁の声は、一同の注意を、その軒の方へ持って行った。檜皮葺の軒には、ちょうど、朝日がさ ひら のど
婦人は、つつましく両手を族の上に重ねながら、ちょいとことばを切って、それから、静かに こう言った。やはり、落着いた、なめらかな調子で言ったのである。 実は、今日もせがれのことで上がったのでございますが、あれもとうとう、いけませんで ございました。在生中は、、 しろいろ先生にごやっかいになりまして : 婦人が手にとらないのを遠慮だと解釈した先生は、この時ちょうど、紅茶茶わんを口へ持って いこうとしていた。なまじいに、くどく、すすめるよりは、自分ですすってみせるほうがいいと くちひげ 思ったからである。ところが、まだ茶わんが、柔かな口髭にとどかないうちに、婦人のことばは、 こう、 突然、先生の耳をおびやかした。茶を飲んだものだろうか、飲まないものだろうか。 う思案が、青年の死とは、全く独立して、一瞬の間、先生の心を煩わした。が、いつまでも、持 ち上げた茶わんを、かたづけずにおくわけこよ、 冫。しかない。そこで先生は思い切って、がぶりと半 わんの茶を飲むと、心もち眉をひそめながら、むせるような声で、「そりゃあ」と言った。 ・ : 病院におりました間も、よくあれがおうわさなどいたしたものでございますから、お 忙しかろうとは存じましたが、お知らせかたがた、お礼を申上げようと思いまして : 巾 いや、どうしまして。 ろう 手先生は、茶わんを下へ置いて、その代わりに青い蝋を引いたうちわをとりあげながら、憮伏 . と して、こう言った。 とうとう、いけませんでしたかなあ。ちょうど、これからという年だったのですが : : : 私
いか。それは自分にもわからない。 平吉はただ酔うと、自分が全く、別人になるということを知っている。もちろん、馬鹿踊りを ゅうべ 踊ったあとで、しらふになってから、「昨夜はご盛んでしたな」と言われると、すっかりてれてし まって、「どうも酔っぱらうとだらしがありませんでね。何をどうしたんだか、今朝になってみる と、まるで夢のような始末で」と月並なうそを言っているが、実は踊ったのも、眠てしまったの も、いまだにちゃんと覚えている。そうして、その記憶に残っている自分と今日の自分と比較す ると、どうしても同じ人間だとは思われない。それなら、どっちの平吉がほんとうの平吉かとい うと、これも彼には、判然とわからない。酔っているのは一時で、しらふでいるのは始終である。 そうすると、しらふでいる時の・平吉のほうが、ほんとうの平吉のように思われるが、彼自身では 妙にどっちとも言い兼ねる。なぜかというと、平吉があとで考えて、ばかばかしいと思うことは、 たいてい酔った時にしたことばかりである。馬鹿踊りはまだいい。花を引く。女を買う。どうか すると、ここに書けもされないようなことをする。そういうことをする自分が、正気の自分だと は思われない。 Janus という神様には、首が二つある。どっちがほんとうの首だか知っている者は誰もいない。 平吉もその通りである。 ふだんの平吉と酔っている時の平吉とはちがうと言った。そのふだんの平吉ほど、うそをつく 人間は少いかもしれない。 これは平吉が自分で時々、そう思うのである。しかし、こう言ったか らといって、何も平吉が損得の勘定すくでうそをついているというわけでは毛頭ない。第一彼は、 けさ
228 ばし * 橋」とかいうもので読んだほど、小説らしくもなんともない。 麦わら帽子をかぶって、茶の背広を着た君は、扇を持って、こっちをながめていた。それも至 かんた すだちょう 極通俗なながめ方である。学校から帰りに、神田をいっしょに散歩して、須田町へ来ると、いっ みた うえの も君は三田行の電車へのり、僕は上野行の電車にのった。そうしてどっちか先へのったほうを、 きよう あとにのこされたほうが見送るという習慣があった。今日、船の上にいる君が、泌止場をながめ るのも、その時とたいした変わりはない。 ( あるいは僕のほうに、変わりがないせいだろうか ) 僕は、時々君の方を見ながら、ジョオンズとでたらめな会話をやっていた。彼はクロンプトン・ ろう マッケンジイがどうとか言ったかと思うと、ロシアの監獄へは、牢ゃぶりの器械を売りに来ると かなんとか言う。何をしゃべっているのだか、わからない。ただ、君を見送ってから彼が沼津へ 写生にゆくということだけは、何度もきき返してやっとわかった。 そのうちに、気がついて見ると、船と波止場との距離が、だ、ぶん遠くなっている。この時、 かなり痛切に、君が日本を離れるのだという気がした。皆が、成瀬君万歳と言う。君は扇を動か して、それに答えた。が、僕は中学時代から一度も、大きな声で万歳と言ったことがない。そこ で、その時も、ただ、かぶっていた麦わら帽子をぬいで、それを高くさし上げて、。 ( セティック な心もちに順応させた。万歳の声は、容易にやまない。僕は君こ、、 冫しつか、「燃焼しない」 ( 君の ことばをそのまま、使えば ) と言って非難されたことを思い出した。そうして微笑した。僕の前 では君の弟が、ステッキの先へ ( ンケチをむすびつけて、それを勢いよくふりながら「兄さん万 歳ーをくり返している。 ぬまづ
「翁とはなんの翁じゃ」 さえのかみ がてん 「おう、翁とばかりではご合点まいるまい。ありようは、五条の道祖神でござる」 「その道祖神が、なんとしてこれへみえた」 ひとこと 「お経を承わり申したうれしさに、せめて一語なりともお礼申そうとて、まかりいでたのでご ざる」 阿闍梨は不審らしく眉をよせた。 どうみよう 「道命が法華経を読みたてまつるのは、常のことじゃ。今宵に限ったことではない」 「されば」 しようしよう 道祖神は、ちょいと語を切って、種々たる黄髪の頭を、ものうげに傾けながらあいかわらず つぶやくような、かすかな声で、 かみぼんでんたいしやく しもこうがしゃ * ぼさっ 「清くて読みたてまつらるる時には、上は梵天帝釈より下は恒河沙の諸仏菩薩まで、ことごと げせん おんみ く聴聞せらるるものでござる。よって翁は下賤の悲しさに、御身近うまいることもかない申さぬ。 ぎようずい 今宵はーーー . 」と言いかけながら、急に皮肉な調子になって、「今宵は、ご行水もあそばされず、 ごすぎよう 答かっ女人の肌に触れられての御誦経でござれば、もろもろの仏神も不浄をいんで、このあたりへ げんざん 祖は現。せられぬげに見え申した。されば、翁も心安う見参に入り、聴聞のお礼中そう便宜を、得た 道のでござる」 「何とな」 道命阿闍梨は、ふきげんらしく声をとがらせた。道祖神は、それにも気のつかないようすで、 まみ こうはっ
「いや、薬なそは用いるまでもありません」蛮僧は不愛想に、こう答えた。 第 - うりよ 孫先生は、元来、道仏の二教をほとんど、無理由にけいべっしている。だから、道士とか僧侶 とかといっしょになっても、ロをきいたことはめったにない。それが、今ふと口を出す気になっ たのは、全く酒虫ということばの興味に動かされたからで、酒の好きな先生は、これを聞くと、 自分の腹の中にも、酒虫がいはしないかと、いささか、不安になってきたのである。ところが、 ふしようぶしよう 蛮僧の不承不承な答を聞くと、急に、自分がばかにされたような気がしたので、先生はちょいと 顔をしかめながら、またもとの通り、黙々として棋子を下しはじめた。そうして、それと同時に、 内心こんなおうへいな坊主に会ったりなんぞする主人の劉を、ばかげていると思いだした。 劉のほうでは、もちろんそんなことにはとんちゃくしない。 「では、針でも使いますかな」 ぞうさ 「なに、もっと造作のないことです」 「ではまじないですかな」 「いや、まじないでもありません」 こういう会話をくり返した末に、蛮僧は、簡単に、その療法を説明して聞かせた。 それに 虫 よると、ただ、裸になって、ひなたにじっとしていさえすればよいと言うのである。劉には、そ 酒れが、はなはだ、容易なことのように思われた。そのくらいのことでなおるなら、なおしてもら うに越したことはない。その上、意識してはいなかったが、蛮僧の治療を受けるという点で、好 奇心も少しは動いていた。