団もなかった。 一方、子服のほうは、呉が帰ってから血色もよくなり、食もいくらか進むようになった。 数日して呉がまた訪ねてきた。子服が「どうだった」と聞くと、呉は、 「もうわかったよ。誰かと思ったら、なんと僕の父方の伯母の娘、つまり君の母方の従妹だっ たのさ。縁組はまだ決まっていない。身内同士というのが問題だが、事をわけて話せばきっと まとまるよ」 と言いつくろった。ところか、 「どこにいるの」 と子服が目をかがやかせたので、 「この西南の山のなかだ。三十里 ( 約一五キロ ) と少しというところかな」 と出まかせを言い、さらに子服に「頼む、頼む」と言われ、「まかせておけ」と請け負って 帰っていった。 子服はこの日以来食もとみに進み、数日するうちにはすっかり元気になった。枕をどけてみ ると、例の梅の花は枯れていたが、まだ枝に残っていた。手にとってじっと見つめていると、 さながら彼女が眼前にいるかのようであった。 ところがその後、呉が一向にあらわれないので、不審に思って来てくれと手紙を出した。し
蠍がいた。小さな蟹ほどもあったので、父親が木を裂いて捕まえ、叩き殺した。それから息子 を背負って家に連れ帰ったが、その夜のうちに死んでしまった。父親は子服を訴え出、嬰寧が あやしいと密告した。知県はかねがね子服の学問を尊敬し、彼が篤行の士であることを知って ぶこくざい いたので、逆に隣家の主人を誣告罪で拷問に掛けたが、子服が許してやるように頼んだので、 釈放した。 その後で母親は嬰寧に、 「いったいどこまでお馬鹿さんなのです。あまりはしゃぐとあとあとろくなことがないくらい、 とうに分っていたはずでしよ。幸い知県さまがわかったお方だったからよかったものの、これ がわからず屋の知県だったら、きっとあなたもお白州に引き出されていたところよ。そうなっ たらうちの子だって世間に顔向けができなかったでしようよ」 と言ったものだったが、 嬰寧はその日以来、笑うことをびたりとやめてしまった。冗談を言 って笑わせようとしても、決して笑わなかったが、かといって日頃、悲しそうな顔をしている 娘わけでもなかった。 笑 その嬰寧が、ある夜、子服の前で涙を流したので、どうしたのかと聞くと、咽び泣きながら、 「こちらにご厄介になった当座は、びつくりされるのではないかと遠慮していたのですが、こ かあ のごろはお姑さまもあなたもあたしを心から可愛がってくださるので、思い切ってお願いさせ 181 さそり
398 「わたくしはお供するわナこよ、 ーーーし力ないわ。どうしてもと一言うなら、あなたひとりでお帰りな さいな」 とのことだったので、思い切れぬまま二、三年するうち、子供も大きくなったので、花城の 娘を嫁にもらう約東をした。その後も子浮が年老いた叔父のことを口にするたびに、女は言っ 「叔父さまはご高齢ですが、幸いまだお元気でいらっしやるから、心配することはなくてよ。 ほうじ 保児 ( 子供の名 ) の祝言が済んだら、あちらへ帰るなり、ここで暮らすなりご自由になさいな」 日頃、女は木の葉を紙がわりにして子供に字を教えた。子供は一度目にした字は片端から覚 えた。女は、 「この子は福相なので、俗世間においても、間違いなく高位高官に昇ることができてよ」 と一一一口った。 そのうち子供も十四歳になり、花城がみずから娘を送ってきた。盛装した娘の美しさは輝く ばかりだった。子浮らは心から喜んで祝宴を張り、翩翩は釵をはじきながら歌った。 わが家に良き子あり、 こうかん 貴官も羨むなし。 かんざし
「どこへ行っていたの」 と聞かれて、庭で話していたと言い、さらに、 「ご飯ができているというのに、何を話していたの」 と言われて、 「お兄さまが、あたしと一緒に寝たいというのよ」 と言ったので、荒てて睨むと、にこにこしながらロをつぐんだ。幸い老婆には聞こえなかっ たふうで、なおくどくどと言っているので、急いではぐらかしておいて、声を殺して嬰寧を責 めると、嬰寧が言った。 「あれは言ってはいけないことなの」 「これは内緒のことなんですよ」 「人には内緒でも、お母さまには隠せないわ。それに寝るなんて当り前のことでしよ。どうし ていけないの」 娘 子服はあきれてロもきけなかった。 笑食事が済んだところへ、家の者が二頭の驢馬を引いて子服を捜しにきた。 これより先、母親は子服がいつまでも帰らないので不審に思しオ 、、、寸中を何度も捜し、一向に 手掛かりかないので、呉のところへ行って尋ねると、呉は先に言ったことを思い出して、西南 175
172 「では、わたしの一つ年下です」 「十七ですか。すると庚午の午年ですね」 言われて、子服はそうだと答えた。 「それでお嫁さんは」 「まだ決まっていません」 「あなたみたいな人が、十七にもなってまだ嫁が決まっていないんですって。うちの嬰寧もま だ嫁入り先が決まっていないんですよ。身内同士でなければ、ほんに似合いの夫婦なのに」 老婆に言われても、子服は物もいわず、瞬きもせずに嬰寧を見つめていた。それを見て、 司吏、ゞ良こ、 「目をぎらぎらさせて、相変わらず泥棒さんみたいですわね」 と言ったので、娘はまたぶっと吹き出して、 「桃の花が咲いたかしら」 と小間使いを振りかえり、袖でロもとをおおって小走りに外に出ると、はじけるように笑い 出した。老婆も立ち上がって小間使いを呼ぶと、子服のために床を整えるよう命じて、 「あなたもせつかく来たのだから、四、五日ゆっくりしていきなさい。退屈したら、裏にちょ っとした庭があるので、ぶらぶらしたらいいですよ。本もありますよ」
「もう少しまっとうな人間かと思っていたが、見損なったぞ」 と一一一口、つなり、出て行こうとした。相如はこの人は只者ではないと思ったので、その場に跪い て引きとめた。 「わたしはあなたが宋家の回し者ではないかと思ったのです。実のところ、わたしは以前から 敵討ちを考えていたのですが、この子にまで宋の手が回って家が絶えてしまうのではないかと 心配していたのです。あなたは義士とお見受けします。この子を預かって育ててやってはくだ さいませんか」 「それは女がやることで、わしにはできん。それより、貴公は貴公がわしに頼もうとしたこと を、自分でやったらよい。そして、貴公がやろうとしたことを、わしが代ってやってしんぜよ と言うと、相如がその場にひれ伏して礼を言うのも顧みずに出てゆこうとした。後を追って 姓名を尋ねたが、 士「かりに仕損じても展まないでくだされ。また首尾よくいっても、因」に着てもらうことはあり 義 ませんぞ」 と言い棄てて行ってしまった。 相如は後難を恐れ、子を抱いて逐電したが、その夜、宋の一家が寝静まったとき、誰かが塀 317
「この子は父のお気に入りの子なのです。あなたがひとり身でご不自由していらっしやるのは、 わたしもとうに承知しておりました。ちかぢかお似合いの人をお世話いたしましよう」 と言われ、 「もしそうしていただけるなら、ぜひ香奴のような人をお願いします」 と言うと、公子は笑った。 「あなたは本当に世間知らずなんですね。この子くらいでいいのでしたら、簡単にお望みにそ えますよ 半年ばかりしたある日、孔は郊外へ遊びにいってみようと思い立って表門へいったところ、 一一枚の扉に外から錠がかけてあったので、公子にどうしたのかと尋ねると、 「あまり付き合いが多いと気が散るし疲れると父が一一一口うので、こうして客に会わないようにし ているのです」 とのことだったので、なるほどと思ったものだった。 あずまや おりしも、夏の盛りでひどく蒸し暑く、書斎を庭の四阿に移した。胸もとに腫物ができ、は じめ桃のようであったものが、一晩でどんぶりほどになった。うんうん呻いていると、公子が 朝晩見舞ってくれ、寝食を忘れて看病してくれた。さらに数日すると、いよいよひどくなって、 物も食えなくなった。公子の父親も見舞いにきたが、公子と顔見あわせて溜め息をつくばかり、
くうつむいて考えこんでいたが、やがてほろほろと涙を落した。 「お姉さまには亜いことをしてしまいました」 、い士めると、 いったい何事と 「わたくしたち母子はこちらへ来るときに、お姉さまには黙って来てしまったのです。いまに なっても恨んで泣いているとしたら、お姉さましかありませんわ。もっと前にお話ししなけれ ばいけなかったのですが、母の落ち度をあばくことになるものでためらっていたのです」 廉はこれを聞いて、始めは悲しんだが、やがてにこにこして、急いで乗り物の用意を命じる と、夜を日についでその塚に駆けつけ、塚のかたわらの木を叩いた 「巧娘、巧娘。迎えにきたよ」 と、その声とともに、巧娘が赤ん坊を抱いて穴から現れ、無限の恨みをこめて廉をみつめた。 廉も泣いた。誰の子と尋ねると、 「あなたが残していかれた赤ちゃんですわ。もう三月になります」 の「ああ、華おばさまの言葉を信じたばかりに、君たち母子を地中に閉じ込めておいたなんて、 本当に済まなかった」 廉は嘆息してともに輿に乗せ、海を渡って家に帰ってきた。 子を抱いて母親に対面させると、母親は、身体も大きく丈夫そうなのを見、とても幽鬼の子 303 おやこ
四四山中の佳人ーー翩翩 らたいぎよう 羅子浮は鄧 ( 陜西省 ) の人である。両親と早く死に別れ、八、九歳のときから叔父羅大業に育て こくしさしよう られた。大業は国子左廂 ( 国立大学副学長 ) で、資産はあったものの子に恵まれなかったので、わ が子同様にかわいがってくれた。十四歳のとき、悪い仲間に誘われて狭斜の巷に遊び、たまた きんりよう まそこで金陵から来ていた遊女に会ってすっかり夢中になり、彼女が金陵に帰るとき、家出し てついて行った。 つづ 彼女の家で半年ほど流連けて所持金が底をつくと、彼女の朋輩たちは急によそよそしくなっ た。それでも思いを断ち切れぬままぐずぐずしているうち、腫れ物が全身にひろまり、膿みく 人ずれて悪臭を放ち、床の敷物を汚すまでになって叩き出された。 の市で物乞いをしていると、人びとが遠くから見ただけで避けるありさまに、こんな異境で野 山 垂れ死にしたくはないと、乞食をしながら西を目指した。日に二、三十里ずつ歩いて、ようや く那の県境まで帰ったが、膿みくずれたからだに褫褸をまとったわが身を思えば、とても町の 門をくぐるわけにもゆかぬと、行きっ戻りつしていた。 393 らしふ ふん へんべん
どうかもわからぬまま乗り移ったのです」 蓮香はこの話を、なにごとか考えこむふうに黙々と聞いていた。 それから二た月して、蓮香が男の子を生んだが、産後にわかに病に倒れ、日毎に重くなった。 燕児の腕をにぎって、 「この子をお願いするわね。わたくしの子はあなたの子よ」 と言うので、燕児は涙ながらに慰めるだけだった。医者や巫を呼んでも、診てもらおうとせ ず、みるみる病あらたまって、息も途絶えがちとなったので、桑と燕児が泣いていると、不意 に目を開いて、 「お泣きにならないで。あなたが楽しく生きてくだされば、わたくしも楽しく死ぬことができ ます。もしご縁がありましたら、十年後にまたお目に掛れるでしよう」 と言ったかと思うと、息を引き取った。棺におさめようと布団をかかげてみると、遺体はす でに狐と化していたが、桑は異物と見るに忍びず、手厚く葬ってやったのである。 子供は狐児と名づけ、蕪児がわが子同然に育て、清明節がくるたびに、かならず子供を抱い て墓に詣でた。その後、桑は郷試に及第して、暮らし向きも次第に楽になった。ただ、蕪児に は男の子ができず、狐児も利発ではあったが、身体が弱く病気がちだったので、燕児は日頃、 桑に妾をいれるよう勧めていた。