と言って、一一枚の札に呪文を書きつけ、 「帰ってこれを二人に持たせておき、あとは二人の運にまかせなされ。外に娘の葬式の行列が 通ったら、この札を呑みこんで駆けつけるのじゃ。先に着いた者が生き返ることができるじゃ ろ、つ」 とのことだった。感謝して札をいただき、帰って二人によくよく話しておいた。 それからひと月あまり、はたして外にどこかの娘の葬列が通りかかった。二人は先を争って 飛び出していったが、小謝は慌てて札を呑みこむのを忘れていた。目の前を棺を乗せた輿が通 っていたので、秋容はさっと出ていって棺の中へ入ってしまった。小謝は入ることができずに、 わっと泣き声をあげて家に駆けもどった。 かく 見ればそれは富豪の那氏の娘の葬列だったが、みなが見ている前で一人の女が棺に入ったの で、不思議に思ううち、棺のなかで声がした。輿を下ろして棺の蓋を開けてみると、娘が息を ち 吹き返していた。取りあえず陶の書斎の外に棺を置き、周りを取り囲んで見守るうち、ふと目 なを開いて、 可「陶さんはどこに」 と言、つので、父親が、 「何を一一一一口、つのか」 137
434 九一命拾い れきじよう かんしようせん ( l) 歴城県 ( 山東省済南市 ) の二人の捕吏が、知県韓承宣の命で他府へ出張した。年の暮れになっ てやっと帰途についたが、途中、同じ捕吏のような身なりをした二人の男と道連れになった。 一一人が府城 ( ここでは済南府治の歴城県城 ) の捕吏だと名乗ったので、 「はて、済南府城の捕吏なら十中八九は知り合いですが、お二人にはついぞお目に掛かったこ とはありませんね」 「実はわたしどもは城隍神配下の冥土の捕吏 ( 鬼隷 ) でして、文書を東岳大帝のもとへ届ける途 中なのです」 「その文書というのは 「済南が大難に遭うことになっているので、その際の死者の名簿を届けるのです」 「なんですと。その数は」 「詳しくは知りませんが、ざっと百万とい、つところでしようか」 「それは何時です」 鬼隷 きれい
「五日したらまた参るぞ」 と言いすてて帰って行った。 趙弘は城門の外で質屋の店を開いていたので、この夜、小間使が走って急を知らせた。趙弘 は相手が五通神と知り、妻を責めようとはしなかったが、翌朝、妻が疲れて立っこともできな い有り様を見て、心中はなはだ恥ずかしく思い、使用人たちに他言しないよう言いつけた。 閻氏は三、四日してはじめて本復したが、五通神がまた来るというので恐れおののいていた。 小間使や下女は奥に寝泊まりしようとせずに表の部屋に避け、閻氏がひとり灯りと向かい合い、 生きた心地もなしに待つうち、四郎が二人の連れとともに入ってきた。連れの二人はともに穏 やかそうな若者だった。供の少年が酒や肴を並べると、閻氏にも一緒に飲むようと言った。閻 氏は真っ赤になって下を向いたまま、無理強いされても絶対に飲まず、心中、三人に代わる代 わる犯されたら死んでしまうと、がたがた震えていた。三人は大兄・三郎などと呼び合いなが 神ら差しつ差されっしていたが、真夜中になると、二人の客が立ち上がり、 「今日は四郎が美人でもてなしてくれたので、今度、一一郎と五郎にも声を掛けてお祝いの酒盛 りを開くことにしよ、つ」 と言って、帰って行った。 四郎は閻氏の手をとって寝台に引き入れた。閻氏は許してと哀願したが、無理矢理犯された。 333
154 っていった。その青年こそ江城であり、侍童は小間使だった。高蕃は江城について帰り、ひれ 伏して鞭を受けたが、以来、監視の目はいっそう厳しくなり、慶弔の付き合いも絶っにいたっ た。さらに、県で行われた歳試 ( 五二「狐妻の苦心ー辛十四娘」注四参照 ) では問題を読み違えて最 下位となり、いったん生員の資格を剥奪される羽目におちいった。 ある日、小間使と話していたのを、江城は二人が私通したものと疑し 、、ト間使の頭に酒壺を かぶせてしたたかに鞭打ったうえ、二人を縛り上げ、刺繍鋏で一一人の腹の肉を切り取りると、 小間使の肉を高蕃の切り口に、高蕃の肉を小間使の切り口に押しつけておいて、二人の縛めを 解き、それぞれ布で縛っておかせたが、一月あまりすると、押しつけた肉がくつついてしまっ た。またつねづね土間に投げ捨てた餅を裸足の足で土とこねまわし、高蕃に命じて拾って食わ せたりしたが、この種のことが限りなかった。 母親は息子のことが心配で、訪ねてみたところ高蕃が痩せこけて骨と皮のありさまに、帰宅 して死なんばかりに泣いた。と、その夜の夢枕に一人の老人が立った。 じようごう 「悩むことはない。これは前世の姻縁なのじゃ。江城はもとは静業和尚のもとで養われていた ちょうせいそ 長生鼠で、前世で士人だったご子息がたまたま寺を訪れた折りに誤って殺してしまったのじゃ。 ご子息はいまその報いを受けているのであって、人力では如何ともしがたいものじゃ。毎早朝、 慎んで観音呪を一百遍唱えてみなさい。かならず功徳があるじやろう」
後ろから抱きかかえて筆を持たせ、 「さあ、君も書いてご覧」 といくつかの字を書かせてから、身体を離して、 「秋容もなかなか上手じゃないか」 と一言うと、はじめて笑顔になった。そこで紙を二枚用意して手本を作り、二人に練習するよ う言っておいて、やれやれこれでお互いやることができて邪魔されることもなくなると、別の 灯りのしたで本をひろげた。二人は手本を写しおわると、机の前にかしこまって講評を聞いた が、秋容はもともと字を知らなかったので真っ黒にしてしまい、小謝にかなわないと知って、 顔を曇らせている。言葉巧みに励ましてやると、ようやく明るさを取りもどした。 以来、一一人は生徒になり、坐れば背中を揉み、横になれば足をさすってくれた。ふざけたり しないばかりか、競争で気にいられようと努めるのだった。ひと月もすると、小謝はきちんと した字が書けるようになった。それを褒めてやったりすると、秋容はしょげかえって涙にくれ、 せつかくの化粧もだいなしにしてしまったので、言葉をつくして慰めてやるとようやく泣きや むというありさまだった。それで今度は読み方を教えてやると、なかなか利発で一度聞いたこ とは二度と忘れることはなく、夜が明けるまで一緒に起きて勉強していた。 そくしゅう 小謝はまた弟の三郎を連れてきて、弟子入りさせた。十五、六の美少年で、束脩として黄金
66 仙女 「さ、行くかいい」 という声とともに、青娥が押し出され、すぐまた閉じてしまった。青娥は限みがましく、 「わたくしをお気にいられて妻としてくださったうえは、父にあのような仕打ちをなさらなく てもいいではありませんか。あんなやくたいもない道具を譲るなんて、いったい何という道士 なのでしよう。お蔭でいい迷惑ですわ」 と言ったが、 霍は青娥を取り戻し、願いがかなったので、何を言われても黙っていた。それ にしても道が険しく帰れないのではと思っていると、青娥が木の枝を二本折り、二人がそれぞ 出たかと思うと、二人、さっと扉を閉ざして立ち去ってしまった。振り返ると、険しい崖があ るだけで、一筋の裂け目もなかった。 ひとりばっち、帰り道も分からぬまま空を仰ぐと、月が斜めにかかり、星もまばらである。 しばし茫然と立ち尽くすうち、悲しみが恨みにかわり、崖に向かって叫んだが、何の応えもな 貭激のあまり、腰から鑿を出して崖に穴をあけ、罵りながらぐいぐいと掘りこんだ。たち まち三、四尺ばかり掘ると、かすかに、 「、つるさい奴た」 という声が聞こえてきたので、いっそう力をこめて掘り進むと、先に二枚の扉がさっと開い て、
ら四更 ( 夜中の二時 ) まで飲みつづけ、それぞれが百甕空にしてしまった。 曾は泥酔して部屋に酔いつぶれ、陶は立って寝に帰りかけたが、外に出たところで菊畑の畝 につまづき、ばったり倒れるなり、着た物をかたわらに残したまま、地面に消えて菊となった。 高さは人の背丈ほどあり、十余の花はみな拳ほどもあった。馬は仰天して、黄英に知らせた。 その場に駆けつけた黄英は、 「こんなに酔ってしまって」 と言いながら、菊を抜いて地上に横たえ、着物をかぶせると、馬に一緒に帰るよう促し、 「見てはいけません」と言った。 夜が明けるの待って行ってみると、陶が畝のかたわらに寝ていた。この時になって馬ははじ めて黄英の姉弟が菊の精であったことに気が付き、ますます敬愛するようになった。 一方、陶は正体を現して以来というもの、誰に気兼ねもなく酒を飲むようになり、手紙を書 かちょう いてはしきりに曾を招いて、莫逆の友となった。花朝の日 ( 旧暦二月十五日 ) 、曾が訪ねてきた。 よくしゅ 姉二人の下僕に薬草を浸した酒 ( 焼酎 ) の甕を担わせてきて、空になるまで飲もうというのであ 菊ったが、 空になりそうになっても、二人はまだ大酔するにいたらなかった。馬がひそかに新し い酒を一杯にしておくと、それも飲み尽くしてしまった。曾は酔いつぶれ、下僕たちに背負わ れて帰った。 387
278 部屋に入ってから、それぞれ別れてから後のことを話し合い、二人の護送役人がまだ帰って きていないことを始めて知った。その間、部屋の外を一人の若い女がしきりに行ったり来たり しているので、誰かと聞いてみると、「嫁です」とのこと。「息子はどこにいるのか」と聞くと、 「郷試の受験で郡城へ行っています」 とのことだったので、思わず涙を落とした。 「何年か留守していたあいだに、あの子はもうそこまで育って、立派に家を継いでいてくれた のか。君の苦労も並大抵ではなかったろう」 話すうちに嫁が酒を温め食事を作って、卓上にあふれんばかりに並べてくれた。張の喜びは 一方ならぬものであったが、それから数日、人目を恐れ、寝台にもぐり込んで部屋から一歩も 出なかった。 ある夜、横になったかと思うと、不意に外が騒々しくなって、門がドンドンと叩かれた。夫 婦二人、すわと飛び起きた。外では、 「裏門があるか」 という声がするので、「これは大変なことになった」と、方氏は急いで部屋の扉を梯子代わ りにして、闇の中、張を塀の外へ送り出してから、おもむろに門に出て用向きを聞いてみると、
91 命拾い 435 「正月の一日ですー 二人は驚いて顔見合わせた。城に帰り着くのがちょうど除夜の日になるので、大難に遭うの は恐ろしいし、かといって遅れればお仕置きを受けなければならないからだったが、冥土の捕 「期限に遅れた罪などたかが知れています。城に入って災難に遭ったら、ただごとでは済みま せんよ。しばらくよそで難を避けてから帰ったらどうです」 と言われ、それに従うことにした。それから間もなく北 ( 清 ) の大軍が済南に殺到し、住民百 万が虐殺された。二人は避難していたお蔭で免れることができた。 ( 巻十一の三十一一 l) (l) 韓承宣山西の人。崇禎七年 ( 一六三四 ) の進士。山東省滔川県・歴城県などの知県 ( 県知事 ) を歴任 した。 (ll) 北の大軍が済南に殺到済南は崇禎十一一年 ( 一六三九 ) 、南下した清軍に占領され、徳王朱由樞が捕 えられ、布政使 ( 省知事 ) 張秉文らが殺された。
大きな腹をした男が出てきたので、老婆の言葉を告げ、穀物を空けて帰ってきた。 と、間もなく二人の人夫が五頭の驢馬を曳いてやってきた。老婆は奚山を穀物の穴蔵に案内 した。奚山が穴蔵にはいって枡で計る役をやり、老婆と阿繊が受け取って袋に詰める役をして、 てきばきと袋に詰め、人夫に渡して運ばせるという具合で、四度往復してすっかり終わった。 老婆は談から金をもらうと、人夫を一人と驢馬を二頭残してもらって、旅支度をととのえ東へ 向かった。二十里も行くと夜が明けてきた。とある市に着いて、驢馬を借り受け、談の家の人 夫を返した。 奚山が家に帰り着いて、両親に事情を説明すると、両親は老婆や阿繊と会って大変喜び、阿 繊たちに別棟を用意し、吉日をえらんで三郎のために婚礼を挙げてやった。老婆は盛大な嫁入 り道具を用意した。 阿繊はロ数が少なく、穏やかだった。人に話しかけられても、微笑するだけだった。昼も夜 はた 米も糸を紡ぎ機を織って手を休めることもなかったので、主人から小間使にいたるまで、皆から の し いとおしがられ慕われた。阿繊は三郎に言った。 底「お兄さまに、今度西の方へいらっしやっても、わたくしたち母子のことは他言しないように お願いしますと、お伝えくださいませ」 307