320 賀は席を立って深々と頭を下げた。 「瑞雲の婿というのは、実はわたしなのです」 「それはよかった。男女の情を解し、美醜によって考えを変えないのは、天下広しといえども 真の才子でなくばできないことです。お宅にご一緒して、あなたに美人をお返しすることにい たしましよ、つ」 和はそう言って、賀とともに杭州に帰った。家に着き、賀が酒を出すよう命じると、和かそ れを制した。 「その前に、わたしが術を施して、酒を用意して下さる方に喜んでいただくべきでしような」 そして、賀に言って盥に水を汲んでこさせると、指で水面に文字を書いた。 「この水で顔を洗えば、たちまち元通りになります。ただし、治ったらじきじき出てきて、治 してさしあげた者に一言礼を言ってもらいたいものですな」 賀は笑って盥を捧げ、奥にはいった。そのまま瑞雲が顔を洗うのを見ていると、手が触れる そばから真っ白になり、たちまち往年の美しい顔に戻った。夫婦は手を取り合って喜び、礼を 言おうと連れだって客間に出ると、客の姿がなく、あたりを隈なく捜したが見つからなかった ので、さては仙人だったのかと思ったのである。 ( 巻十の十七 )
244 「大変なことになったわ。わたしがあれほど注意していたのに」 と言って、自ら様子を見に行ったが、もはや救いようがなかったので、使いをやってその父 親に知らせた。父親のなにがしはもともと無頼の人間だったが、わあわあ泣きながら駆けつけ ると、奥の広間に死体をかつぎこみ、言葉をつくして罵った。子美がなすすべもないまま、部 たしな 屋にこもって震えるばかりのとき、嫦娥が出て行って父親を厳しく窘めた。 「たとえ主人が下女をいじめ殺したとしても、法律には賠償しなければならないという決まり はないのですよ。まして病気でもないのに急死したのです。蘇生するかも知れないではありま せんか」 「なにをぬかす。手足もすっかり冷たくなっているんだぞ。生き返る筈がないじゃないか」 「静かになさい。もし生き返らなかったら、その時はお上のお裁きがあるではありませんか」 死体を撫でると、小間使はすでに生き返っていて、その手 嫦娥がそう言って広間にはいり、 の下から立ち上がった。嫦娥は向きなおると父親を怒鳴りつけた。 「死なずに済んだのはよかったものの、今のあの騒ぎようは何です。縄付きにしてお役所へ突 き出してやる」 父親が返す言葉もなく、その場にひれ伏して許しを乞うと、 「悪かったと思うなら、しばらくは勘弁しておくけど、あんたのような無頼漢はまた何をやら
とのことなので、腕をとって談笑したが、すっかり話が合って、互いに気に入り、別れ難く なった。 「どうしてお一人なの」 と聞 / 、と、 「わたしは両親に先立たれ、婆やが一人いるのですが、留守番をしているので、一緒には出ら れないのです」 とのことだった。リ 男れのときになって、三娘が涙を浮かべているので、自分も悲しくなり、 一緒に帰ろうと誘った。 「あなたはご大家のお嬢さまで、わたしはお宅とは縁もゆかりもない家の者ですから、とっぜ んお伺いしても」 と一言うのを、たってと誘、つと、 「改めてお伺いしますわ」 かんざし かんざし とのことだったので、髪から金の釵を取って贈り、三娘も髷の緑の簪を返礼とした。 帰ってからも、三娘のことを片時も忘れられず、贈られた簪を出して見たが、金でもなけれ ば玉でもなく、家の者も誰一人分らず、ただ不思議がるばかりだった。来訪を首を長くして待 つうち、とうとう病気になった。両親は訳を聞いて、人を近隣の村落へやって尋ねさせたが、
356 朱氏は言われたとおり、つぎはぎだらけの服を着、ことさら顔も洗わず、黙々と機織りには げんだ。洪が気の毒がって宝帯に手伝わせようとしても、朱氏は取り合わずに叱って追い返し た。こうして一カ月が過ぎ、また直娘に会いにゆくと、恒娘が言った。 じゅし 「まさに『孺子、真とに教うべきなり』 ( まことに教えがいがある。『史記・留侯世家』に見える ) です じようしせつ わ。明後日の上巳節 ( 旧暦一二月三日、婦人が春の野に遊ぶ日 ) には、汚れた物を上から下まできつば り脱ぎ捨て、面目一新して、朝早くいらっしてください」 朱氏は、 「承知しました」 と言って、その日になると巨娘に言われたとおり、鏡に向かって念入りに化粧した。身支度 を整えて恒娘を訪ねると、恒娘は、 「これで結構」 た、まナ と喜んで、彼女のために髪を羸に結いなおしてやったので、その美しさは目を奪うばかり になった。また服が流行遅れだと言って、糸をほどいて仕立てなおし、靴の格好が俗だと言っ て簟笥から造りかけの靴を出して一緒に作り上げると、それに履き換えさせた。そして別れ際 に酒を出して飲ませ、よくよく言いふくめた。 「お帰りになったら、ちょっと旦那さまにお目に掛かって、さっさと部屋に引き取っておやす はた
ものだ。こんな男は叩きのめしてやる」 と罵ると、「早く棍棒を持っておいで」と怒鳴ったので、葛は慌てふためき、飛び出して逃 げ去った。 このことがあって以来、高蕃は行くところもなくなってしまったが、ある日、同期の王子雅 が訪ねてきたので、引き留めてともに酒を飲んだ。そのうち王子雅が自分の妻を酒の肴に冗談 を言い出し、いかがわしい話におよんだ。ちょうど江城が客の顔を見に来て、物陰でこれをす はず つかり聞き取ると、巴豆 ( 下剤の材料 ) を吸い物に仕込んで出した。まもなく王ははげしい吐き 気と下痢に襲われ、気息奄々の状態になった。そこに江城が小間使を使って、 「まだ無礼なことをなさいますか」 と言ってよこしたので、始めてさこそと知り、うんうん呻りながら謝った。すると、江城は りよ′ . 、ヤ - あらかじめ用意しておいた緑豆の汁を出し、それを飲むとやっと楽になった。以来、友人たち は戒めあって、高蕃の家で酒を飲もうとしなくなった。 この王子雅は酒屋を開いていたが、庭の幾株かの紅梅が咲いたので、酒宴を設けて友人たち を招いた。高蕃は文社 ( 八股文勉強会 ) にかこつけて江城の許しを得、参加した。日も暮れて宴 たけなわとなったとき、王子雅が言った。 「ちょうど南昌 ( 江西省 ) の名妓がここに来ている。呼んで一緒に飲もうではないか」 おうしが
玉がいない隙を見すましては、こっそり書籍を取り出して拾い読んだりしていたが、女に気づ かれるのを恐れ、竊かに『漢書』第八巻を出してきて、如玉を帰れなくさせようと別の所へつ っこんでおいた。 ある日、読書に夢中になっているところへ如玉がひょっこり戻ってきた。その姿を見て慌て て本を隠したが、如玉の姿はすでに消えていた。これは大変と、手当たり次第書物をひっくり 返してみたが、杳として分からなかった。そのうち、前のように『漢書』第八巻のなかで見い だすことができた。頁も同じところだった。また平伏して二度と読まないと誓うと、如玉が降 りてきて、碁盤に向かい合い、 「三日してもうまくならなかったら、また行ってしまいますからね」 と一一一口った。 三日目、ようやく二目勝ったところ、如玉は喜んで今度は琴を教えた。五日で一曲あげるこ 女とと言われ、わき目もふらずに練習したところ、しばらくするうち節に連れて指が動くように のなったので、いよいよ張り合いが出てきた。如玉は毎日、酒を飲んだりカルタをしたりしたの 書 で、郎も楽しさに勉強を忘れてしまった。すると、如玉は、 「今度は出歩いてお友達を作りなさい」 と言いだした。そして、仲間うちで名を知られるようになると、
106 でゆうに余りあるほどだった。 その夜は空が白みかかると瓢然と帰っていったが、以来、一夜として現れない夜はなかった。 ある夜、酒を酌み交わしながら話すうち、音曲に詳しいことがわかったので、 「君のその細くたおやかな声で一曲歌ってもらえたら、僕の魂はきっと消し飛んでしまうこと だろ、つよ」 と言ってみた。女は、 「やめておきますわ。あなたの魂が消えてしまったら大変ですもの」 と笑ったが、 于がたってと頼むと、 「わたくしは人に聞かれたら困ると思っているだけで、ことさら出し借しみしているわけでは ありませんのよ。どうしても歌ってみよということでしたら、ったない芸をご披露いたしまし ようが、わたくしの思いのたけを分かってさえいただければでいいので、小声で歌わせていた だきますわ」 と言って、足の爪先で軽く拍子を取りながら歌いだした。 うきゅう 樹上の烏臼鳥、 われあざむ 奴を賺きて中夜散ぜしむ。
肥だ。どうも反対のようなので、 「こちらはお名前もお家も世間に通ったお方で、お嬢さまにわるさをした訳でもありません。 いっそ黙ってお帰しし、もう一度仲人を立てて申し入れてもらったらいかがでしよう。奥さま には夜が明けてから、泥棒騒ぎがあったとご報告しておけばよろしいのではございませんか」 と言ってみたが、青娥がなお黙っているので、霍桓に早く立ち去るよう促すと、 「鑿を返して」 と言ったので、 「まあまあ、この期に及んでも刃物を忘れないとは」 と笑った。 かんざし 霍桓は枕元に鳳凰の釵があるのを見て、そっと袖の中に忍ばせた。小間使がそれを見て青娥 に一一口いつけたか、 青娥は何も言わず、怒りもしなかった。一人の老女が、霍桓の頷をほんと叩 「子供だからと馬鹿にはできませんわ。なかなかちゃっかりしていらっしやるのだから」 と、手を引いて元の穴から出してやった。 家に帰っても、母親に本当のことを話すことはできなかったが、もう一度申し込んでくれと 頼んだ。母親はあからさまに駄目だとも言えずに、あちこちの仲人に頼んでよそに良縁を探し
「あなたはもうおしまいですよ。これは公主さまのお気に入りのもの。それをこんな風にして しまったのでは、助けてあげようにも無理というものです」 真っ青になって、助命を頼むと、 のぞ 「宮中の行事を覗き見したからは、罪は免れぬところ。学問をなさったようなので、何とかし てあげたいところですが、これはあなたが自ら播いた種ですから、どうしようもないですね」 腰元は手拭きを持って急いで行ってしまった。陳はもはや生きた心地もなく、飛んで逃げる 羽のないのを限みながら、なす術もないまま死を待つばかりだった。 間もなく、腰元が戻ってきて言ってくれた。 「あなた死なずに済みそうですわ。公主さまは手拭きを繰り返しご覧になって、お怒りの風も なくにつこりされたのです。お許しいただけるかもしれませんよ。しばらくここでじっとして いらっしゃい。木に登り塀を乗り越えて逃げようなどとして見つかったら、それこそおしまい ですよ」 時に日はすでに暮れかかったというのに、吉凶は一向に知れず、腹はヘる心配は募るで、魂 もつぶれそうだった。 しばらくして腰元が灯りをかかげてやってきた。下女が壺や食器箱を提げてきて、酒や食べ 物を出してくれたが、それどころではなく消息を聞くと、
328 戴の近い祖先は五家あって、戴堂はその本家の主人だった。はじめ、県の豪族が戴堂に裏金 を贈って、祖先の墓のそばに石炭掘りの穴を掘らせた。弟たちは彼の威勢を恐れて、ロ出しし なかったが、間もなく、地中に水が湧き出して、坑夫たちは全員穴の中で死んだ。死んだ者た ちの家族にこもごも訴えられたため、堂と豪族はともに金を使い果たし、堂の子孫は家も土地 もすべて失ったのである。戴はこの堂の弟の子孫で、かって父親からこれを聞いていたので、 老人に話した。老人は、 「あんな不幸者の子や孫が栄えられるはずがない。お前はせつかくここに来たのだから、勉強 を怠るではないぞ」 と言って、酒肴を出してくれてから、書物を机の上に出した。すべて八股文の模範文で、こ れをよく読むようと命じたうえ、塾の教師同様、題を出して八股文を書かせた。広間の明かり は常に明るく輝き、灯心を切らなくても消えることはなかった。勉強に疲れると眠ったが、昼 と夜を区別する手だてもなかった。老人が外出するときは、小者が残って世話を見てくれた。 こうして数年がたったような気がしたが、幸い苦しいとも思わなかった。ただ、ほかに読む本 がなく、模範の八股文百篇があるだけだったので、一篇をそれぞれ四千回あまりも繰り返し読 んだ。 ある日、老人が言った。