逆の方向から一一一一口えば、私は自分に与えられていた環境を何でもこれは意味あることなのだ、 月説家になるのだったら、私の父母はまだ と思おうとしたし、それにやや成功したのだった。、 立派すぎる人々だった。親がもっと理不尽でも、それはそれなりに子供としては受けとめ方が あるのである。 もっとも世間の子供たちは皆小説家になる訳ではないから、親はものわかりよい平和な家庭 を作っていた方がいいが、完全な家庭というものも又少ないから、親たちは、自分の家庭が歪 んでいることを必すしも恐れる必要はない。むしろ現代は、そのような面でも過保護なのであ る かしかし今、社会的にとり上げられているのはそのような小さな歪みではなくて、もっとはっ 込きりした例えば「母性を失った女」たちなどのことであろう。 落 子供を捨てる。赤ちゃんを車の中へおいておいて、夫婦で遊びに行き死なせてしまう。子供 自を殺す親さえ出ることを世間では「鬼のような母親」と言って非難する。 Ⅳそこまでいかなくても、母親がゴルフやマージャンに出歩いて子供をかまわなかったり、職 業婦人であるがために子供を鍵っ子にする、というような問題がでてきている。つまり、子供 より自分の生活が大切になってきたのだ。 ゆが
愛の書簡 4 ~ 天しさを欲しいとき ほんよっ 凡庸な母のなし得るもっとも偉大なことは、 「十妣 ( か , 小さいとよこ、、こ、 生きていて傍にい てやることではないだろうか。 ーー綾子 とにかく、子供に乳をふくませている女、子 供を抱いている女は美しい。子供を抱いてい る女は、もう女ではなく母である。彼女の存 在の対象は男ではなく、子供なのである。
子供は親とは別の人生なのだ、ということを理論としてわかっている人は多いが、それがう まく実行に移されてはいない例が多い たとえばある種の性格の男性は、母親があまりいたれりつくせりにしてくれたために、どの ような妻にも、それと同じことを要求する。 オー ( オしカ , り、・彼よ士ロ〕同、 しかし母親と同じ程度に気のつく若い娘などというものは、めつここ、よ、ゝ 結婚できないのである。あるいは、母親との連帯感があまり強いために、結婚しても夫と本当 の夫婦になり切れぬ「娘妻」がいくらでもいる。 親は、子供を早目につき離さなければならない。孤児になっても、この世の中をひとりで、 どうやら人を信じて生きていかれるようにしてやるのがもっともいいのだ かそれには、子供の好きな道を歩かせてやるほかはないだろう。親が一生、子供の生活の責任 込を負うわけにはいかないのだ。 自 , コロシテャル ~ とうずくまった私 Ⅳ 今でも私が不思議に思うのは、私はどうして、ああ幼いときに、あんなに末来に希望を持っ ていられたか、ということであった。 私の育った生活は、主観的には、ちょっとした地獄のような思いがしないでもなかった。も
ししよう ささや と囁いた。夫人はきちんとしたことが好きな人だった。お花のお師匠さんとしては有名な人 らしく、始終出歩き、夜もおよばれと称する外出が多かった。子供の友だちにもきちんともて なさないと気がすまないので、いきおいそれだけの用意ができないときには、招ぶのを禁じた。 「帰ったら、さっそくうちでもこういう炉を作りましよう」 と彼は一一一口った。 しかし、私はこの人の夫人のことも責められないのだ。夫人はきっと子供を集めてごろごろ していることに向かない性格なので、それで普通の母にできることをしないだけなのだ。 る 母のなし得る偉大なこと ここで私が ( しし力と言われても、私は答えがわからない。い、 親は何をすれよ、、ゝ み 込改めて一一一口わなくもわかっているだろう。 子供に、弓い 落私はむしろ人為的に、こういう親になろうと思わないことにしている。ただ、 自親であっても、一生懸命生きているという、姿をみせられれはそれでいい。 Ⅳその上で苦しみがあれば泣いている母、辛いことがあってもどうやら笑おうとしている母、 お金が足りなくてヒステリーを起こしている母、お父さんの浮気に逆上した母、それらを自鉄 に子供に見せることが一番のように思う。 しことく、りい
先日、あるところで、私は子供を殴ったことがあるか、ときかれた。殴りましたとも、と私 は答えた。ときにはかっとして、前後の見さかいもなく・ : : ・ もちろん、話ができるようにな るまでのことですけれど、と私は答えた。私は能のある母親ではない上に、仕事をしていて忙 しかったし、いわゆるよくできた母親ではまったくなかった。しかし、そのかわり、私が仕事 をしていた上で、私はひとつだけ子供によいことをしてやれた。それはいわゆる神経質な母親 にはならすにすんだことである。 子供に期待する第一の点 て小さいとき、私自身はビクニックに一何けばりんごもナイフもアルコール綿で拭くような生活 かをさせられていて、親の心づかいとしては充分に感謝しなければならないのだが、そのせいか 込ひどく体が弱かった。私は子供には自然な生活を望んだ。床に落ちたアメ玉もしゃぶらせ、ご 落 飯を食べなくても、いちいち心配しなかった。人間は、一日や二日、水さえのんでいれば餓死 自することはないし、ほっておけば人間は心理的にがつがっして実際の食欲もでるのである。私 Ⅳは彼がつねに与えられてしまうのではなしに、望むものを与えようとしたのである。 この方法が比較的うまくいったように思ったのは、、 月学校の高学年のとき、息子が数人の友 人を海へ招んだときであった。私たちの家は、畑の中に立っている。その土地の産物を食べる
、と迷わすに太郎であった。 は、どんな商売にも向くのがい ( しかし女の子の名前を考え出すと、私は毎晩眠くなって寝てしまった。そして何も決まらな いうちに一月二十三日、太郎が生まれた。 生もうとして生んだ子ではない。若い二十九と二十三の夫婦に自然にできた子であった。そ して子供がお腹にできたときに芥川賞の候補になったということは、私にひとつの実感を与え 。子供の方が実で、文学は虚だという思いである。今ならこの思いをもう少し別の一一一一口葉で一言 いあらわせたかも知れない。例えば数十篇の長篇を書くより、子供を一人育てる方が本格的な 仕事をしたことなのだとか : 私は少しも賢い、余裕のある母親ではなかった。子供はまもなく乳児脚気にかかり、ひどい 下痢が続いた。私の方はぼつほっ小説を書かねばならなくなっていオ もし母や、手助けをしてくれる人がなかったら、私は体がまいるか、小説を書くことをやめ るかしなければならなかったろう。幸いにも育児のべテランの女性が現われ、その人のちょう かかわ ど月給の分くらいしか私は収人がなかったにも拘らす、私はそのお金を出すことくらい少しも 惜しくはなかった。そこで実際問題として、太郎はその女性の指導でアメリカ式にうつむけで 育てられ、それで彼の後頭の格好はまことによく成長したのである。 かつけ
すうこう 母親の子供への愛が、特に崇高なものだとは私は思わない。子供をかわいがるのは本能的な ものであろう。第一、母親が子供を育てるときに、いろいろ自分は崇高なことをしているなど と思うようだったらやり切れない。 友人の娘はまだ一年生である。 ミイちゃんのこと考えてるね」 「ママは、 とある日、彼女は母親に言った。 「どうして、そう思 , つの ? 「だって曲り角んとこへくると、自然にママの手がミイちゃんの背中にのびてきて、自動車 にぶつからないようにしてるもん」 「うん、まあね」 「だけどミイちゃんは、ママがどうしてそんなことができるのかわからない。だってミイ ちゃんは自分のことなら気になるけど、ひとのことは平気だもの。自分が痛いのはいやだけど、 ひとは平気」 友人は答えた。 「ママだって昔はできなかったけど、ママになったからできるようになったのよ。だからミ イちゃんだってママになったらできるよ」
はんらん 犯濫している恋愛が、どれも、のびて冷えかけたインスタントラーメンみたいにばっとしない のは、世の中じゅうの、親や先生や先輩や近隣が若者の恋愛に理解がありすぎて、二人の恋を おも 邪魔しないからである。子供の恋愛に反対する親は、今や、本当に子供想いなのである。 どこを愛しているのか 日本人は西洋人と違って、夫婦の愛情の表現が多少違うから、「お前はいつ見ても美しい」な ど一言わないからと言って、愛していないことにはならない。「うちのおばさん」と三浦は私のこ とを言うが、こういう言い方は妙に安定している。それで私も「うちのおじさん」と呼ぶこと にしている。 しかし、けなしながらほめることだ。子供でも女房でも夫でも、必すほめた方が、第一自分 が木しい 「あなたのステテコ姿って、わりといいわよ。いかにも日本人的で。なんだか出世しそうな 後姿だわよう」 と女房に言われれば、少し大人げのある夫なら、よく考えてみるとプジョク的な要素も多々 あれどなんとなく、自分こそ大和男子の代表のような気持ちになれないこともなくて、「ばか言 え」などと言いながら、決して怒ってはいない。
と夫は家へ帰ってくるなり言った。 「僕もあんなふうに、何にもないところから出発してみたかった」 私たちはーーーあまりに多くのものをかかえ過ぎていた。夫婦仲の悪い私の両親 ( 私は一人娘 だった ) 、そして長男としての彼の立場、結婚してすぐ私の家へ住むことになっていたからしあ わせのようにもみえたが、私たちは、結婚のすべての形態を自分たちで整えるという、輝くよ うな幸福を味わう機会は与えられなかったのだった。 結婚すべきかどうかを迷うくらいならいっそのこと、結婚なんかやめてしまえばいいと思っ ころ ている人もいる。私も若い頃、結婚はやめて、どこか一か所だけできる男のひとの子を生 んで育てることを考えたことはあった。しかし、それとても、実際にそのような生活が始まっ た、ら、私はど一つなるか べ しせいじ す 「あの人、私生児を生んだのよ」 婚 はまだいい。私も小説家を志している女だ。私生児ぐらい生んだって一向に構わぬ。しかし 人 の子供が、 「うちのお父さんってひと、どこにいるの ? 」 と訊いたら少し面倒くさい 。さりとて、初めからいないものと思っている子供の父親が、何 かの拍子で、ひそかに ( そういう人は当然、他に家庭を持っているであろうから ) 子供の顔で
ておられたら、お持らするように言った。 ( 多分、太郎のヤツ、そんなことをやってはいま、 が ) それが点とり虫、おべつか使いに見えると一言われようと、断じてやることを私は命じたっ もりであった。 「まわりがそうだから、うちも」 という言い方を私は認めないことにしている。どこの家にも、その家のよさと悪さがある。 太郎よりもよい母をもっ子は多い。しかし太郎の父よりももっと子供をかまってくれないお父 さんも多いのだ る て自ら切り開いていく自覚 そもそも、生活というものは、めいめいがそれぞれに悩みを抱えているはずのものだ。昔は、 み 込貧乏で弁当を持「て来られぬ子も、修学旅行に行かれぬ子もあ「た。しかし今は、民主的世の 落 中で、誰もが同じことをできる権利があると子供ばかりでなく親も信じがちである。そんなは 自すはない。 権利は人間として基本的な線においてのみ平等であるだけで後は、個人の性格、運 Ⅳ不運、才能、勤勉さ、努力するかしないかによって当然違うので当り前なのである。 子供にテレビを禁じたときもそうであった。今でも、我が家には生活の中にテレビというも のがない。 一日に一分間もテレビの鳴らない日がほとんどである。十二インチの携帯テレビが