えば、前者のタイプに属する女性は、「あーらいやだ。男に憐れまれるのなんて屈辱的だわ。少 しおかしいんじゃない というだろう。確かに分類上、前者は、サディズム的な性格を帯び、 後者はマゾヒズム的な傾向を持つ。 本当の愛 男でも女でも、相手の心を知ることは容易なことではない。 今から二十五年ほど前、戦争に日本が負けたとき、それをきっかけに多くの夫婦が離婚した。 きんぶら きゅうしがしら それまで、 < さんの「。ハ。ハとママ」は家紋人りの金縁のお皿とナイフ、フォークで、給仕頭と でもいうべき女中のお給仕でご飯を食べてし た。しかし、女中もいなくなり、銀のナイフも空 襲で焼けてしまうと、 < さんのママはヒステリーになり、パ。ハは無能でじじむさく、畑で菜っ る 求葉一枚作れない男であることがわかった。さんの「お父さま」は海軍の少将だった。りりし い軍人であった。それが軍服を脱いでヤミ屋になると、チンビラに脅かされてもへいこらする ような男になった。 o さんの「お母ちゃま」は男爵の娘だったが、まだ少女のように夢が多い おしろい 人で、外国の白粉一個くれた米軍の将校が好きになってしまった。 この人たちょ、 ( もとび抜けて、気が弱い訳でもなく、不誠実な訳でもなく、ただ、そのも っとも弱い部分をお互いに知り合うことなく結婚したのである。もし日本が負けなければ、彼
結婚による自分の弱点の発見 一九六七年の九月、私はひとりでタイ国へ向かった。タイ国と言っても首都のバンコックへ 行くのではない。ビルマに近い北タイの一寒村で、日本の建設業者が道路を作っている。そこ へ取材に行くのである。 その話をきくと、人々はさまざまなことを言った。 「タイ語できるんですか」 「そんな奥地へひとりで入って大丈夫かな」 「風土病もあるんでしように」 「第一、男ばかりの建設現場なんかへ女ひとりで行っていいんですか」 そして最後に皆はつけ加えるのだった。 「三浦さん、よく許しましたね」 真先に言わねばならないのは、男ばかりの現場はまことに紳士的で、一般の人が小説的に考 夫婦はいかに対処していくか
の発一言は、何やら、日本的オノロケの一種と見えてくるではないか。 かくして、 オいていのデキのいい夫婦は、 「夫が秀才で、美男で雄々しく、妻が美人でかしこく、家事がうまい」 という表現にはならす、 「お父ちゃんは、のんきで、カバみたいで、だらしがなくて、お母ちゃんはおすもうみたい で、算数なんかてんでわかっちゃいなくて、食いしんほう」 という形になるのである。 純粋に楽しむ家庭 というのは、このことなのである。ステキな夫婦になり ステキな夫婦になってはいけよい、 続けていることは常人にはできかねる努力がいる。少なくとも私のように努力があまり好きで ないものは、夫のためにステキな妻になっていなければならないとなったら、そのことで夫を 怨むであろう。 だから、私は夫よりも平気で遅く起きてくる。 「ねほうだね、お母さんは」 と夫はやや本気で息子に言っている。
210 ねら 夫婦がわざわざ相手の傷を狙ってうちこむようなことはしてはいけないと思ったのだろう。 殴られないこと。優しく扱ってもらうこと。それが私の一生の望みだった。優しくしてくれ る人になら、私は何があってもついて、 しく、と思ったのである。 はこぶね 人生はノアの方舟である 数年前、ある所で、ある紳士とお会いした。すると、その方は、思いがけず、私が東京オリ ンビックのときに書いた、女子バレーボール決勝戦の観戦記の話をされた。 「あなたのだけ、、 変っていましたよ」 その方は言われた。 そろ 「皆が口を揃えて、あの東洋の魔女たちの勝利は快挙だというような書き方をした中で、あ なたひとりが、そう思えなくて困っている有様が手にとるように見えて、おもしろかったな。 まことに同感しましたよ。それ以来、僕はあなたの書くものに注目するようになったんだ」 私は少しはじらった 2 私があのとき、あの「快挙」に心がついて行けなかったのは、私の青 春時代から今までのものの考え方と深い関係があって、そのとき、急に心がわりができなかっ ただけのことなのだ。 私は、昔から「なせばなる」とは決して思えなかったのだ。私は日本が戦争に負けるときに しんし
いらず ないし、当世風の流行に合わなくても、その一途な幼さをいとしいと思うのである。 表現の根源 なまり 昔、私のクラスに一人の美少女が転校してきた。一一一一口葉にかすかな訛があったので、私は、彼 した。ところが、廊下で彼女がフランス人の修 女がおおかた関西からきたんだろう、と考えて しやペ 道女と喋っているのを聞いたとき、びつくりしてしまった。彼女は。ハリから帰りたてで、日本 語より、フランス語のほうがうまかったのである。 その美少女が、後年、不良青年で有名であった切れ者の氏と結婚した。その結婚のときに は反対者も多かったかも知れない。私が当時氏をよく知っていたら、やはり忠告したに違い ないのである。 カールフレンドばかり多一くて、 「およしなさいよ、あんなの。頭はいいかも知れないけど、。 たこさく しいから誠実な人を選びなさい」 ろくなことになりやしないわよ。もっと、田吾作でも、 ともかく、二人は結婚した。私が彼女の夫である氏と仕事の上で親しくなったとき、二人 はもう四人の子持ちだった。 あるとき、いまだに往年の不良青年風のおもかげを残している氏が私に言った。 「うちの女房は、料理とアンマがうまいんだ。僕、毎日うちへ帰ると、四十分すっ女房にア
私はなぜ彼と結婚する気になったか 私は娘時代に : 、 ホーイフレンドたちと箱根へキャンプに行ったことがある。折あしくその夜、 雨が降ってきた。すると一人の青年はレインコートをとり出して着たし、もう 一人はシャツを ) ゞ ) 0 この二人は、それぞれにそれらしい出世の仕方をしている。レインコートの青年は、役人と して緻密な仕事をしているし、シャツを脱いだ青年は商社マンになって、アフリカの未開発民 族に日本製の自動車を売っている。 あの箱根の湖畔の夕方の、ひとつの光景は、驚くほどの正確さで二人の青年の未来を暗示し た。二人の青年はともに賢かったのである。その先は、どちらの性格を好むかというだけであ ろ , つ。 る 求よく一言われていることだが、グループの中で見ると人間はよくわかるという。私は満二十歳 と一か月になったとき、『新思潮』という同人雑誌に加って小説を書くようになった。そこで私 はは、何人かの同人たちが、それぞれに異質の才能を持っことをみつけてびつくりしたのだった。 なかには組織的な頭や、苦労人らしい優しさや、文学へのひたむきな信仰や、才気にれた不 良つばさなどがあって、めいめい作風も生き方もまったく違うくせに、相手の立場をあまりお かさない人げがあった。 らみつ
ま - つよ・つりよく 体と心の包容力の大きな子であることが、私の子供に期待する第一の点であった。夫は彼を 毎日曜ことに自転車のりにつれ出した。その頃の鍛練と中学へ入ってからの陸上のおかげで、 彼は競輪選手のようなたくましい脚をしている。 母が願うささやかな生 体が丈夫で何でもやれると思うこと、これこそ、男女を問わす第一の「人間的」な要素であ る。私自身も、心の健康はともかく、肉体的にはかなり強い。長い距離を歩けるし荷物も持て る 息子が、小学校六年生のとき、小堀流の水泳を習わせた。オリンビック式の早く泳げること かよりも、私は水を読むことから始める日本の古式泳法を習わせたかった。彼はその年に早くも れすみ 込家の傍の幅六百メートルほどの湾を泳ぎ切るようになり、その翌年、さらに長崎の鼠島の水練 に参加してからは、一応水の中で身を処する自信をつけたようだった。 自ある日、私の家にお客さまがあった。 Ⅳ「太郎ちゃん、大学なんかうまく人れなかったら海人になれよ。今、もぐってみせると、 7 い金になるんだってよ」 「どれくらいになるんですか」 あま
男はつまり永遠に女の素顔を求め続ける。素顔がやつばりいいや、と思うか、タヌキのよう けしょ・つ な化粧でも、それがなかなかかわいいわイと思えば、この二人は続いていくのである。 何かに向き合っている女の姿 好きにならせることに比べれば、恋人や夫に嫌われるのは簡単なようだ。 ようするに、あわれさのない女になればいいのである。 あわれさという一一 = ロ葉は、日本語として大変に深い陰影にとんでいるが、私は今、いわゆるも ののあわれから、本当の憐れみまで、すべてを含めてもいいように思う。 、ぎたよ / したり、食事のあとで 變い妻がいる。だらしない格好をしていたり、家中を平気で裸で歩、 ついて歯をせせ「たり・ : ・ : 決して夫はこういう妻を憎む訳ではないが、こんな女なら、別 る 求に気にかけてやらなくてもいいと思うのである。 よその男とすぐなれなれしくなる妻、経済力がありすぎる上、自分の生き方にいささかも疑 問や不安を感じられないでいる妻、政治的に発展しすぎる妻、そのどの妻の姿を見ても、彼女 らをひとりでほっほらかしても、あわれという感じは愑いてこない。 娘たちの中にもそのようなタイプの人がいる。 うわさばなし おくめん 臆面もなくセックスの話をする。男の気をひきそうな服装。すきだらけの態度。噂話ばかり
ができる、と私は評価したのである。 しかし、彼がもし官吏であったら : : : 私は寒気がする。日本の国はもう終りだ。すべては期 日にまに合わない。予算の数字はゼロがひとっ多かったり少なかったり、めちゃくちゃになる。 きちょうめんな人は、それにむいた組織の中では、立派な能力を示し、多くの人間を統率し 動かすことができる。その反面、多くの場合、きちょうめんな人は創造的ではあり得ない。そ のどちらが上だとか下だとか、ということではないが、人間を見るときに、必ずしもきちょう めんなのがよくて、だらしのないのが悪い、という訳でもないということなのである。むきに よって、人間の持ち味はどのような効力も発揮する。 生まれつき精薄ぎみの息子を持っ母がいた。息子は気もきかないし計算も確かではない。し かし辛抱はよい。彼は知恵おくれの子供たちのための中学を出ると、デパートの発送係になっ てもう十年、仕事に不平ひとっ言わずに働いてきた。 「うちの坊やは、本当にいまどき珍しい美徳を持ってる。素直で優しくて辛抱強い。勤め先 でもうんと大切がられている」 と母親は自信を持って言う。どんな人間にも美点があり、どんな有能な人にも弱点はある。 私は道徳的な評価をあまり信じてはいないが、人間が必ずどこかにおもしろい才能を持ってい という人は、彼 るということだけは、否定する訳にはいかない。「あいつはろくでなしで :
112 るようなスビードで車を走らせるときにも言える。時速百五十キロで車を走らせるということ は自殺・殺人の可能性を含む大それたことかも知れないのだが、恋をしている娘にとっては、 自動車の運転のうまい彼は英雄にしか見えぬのである。 ようは、恋とは客観的な真実ではなく、我々がどれだけ相手を誤解できるかということだ。 これはある言い方では人を見る眼がないとも言えるが、別の一面ではそれだけ相手をふくらま せて考えられるということはひとつの才能なのである。 「当節は命がけの恋愛なんてなくなってしまいましたわねえ」 という人がいるが、それは人々が冷静になったのと同時に、度外れの自己投影を相手に投げ かけられる才能が少なくなったからでもある。もちろん恋愛の香気をかきたてる第一の要素は、 自分たちの恋愛が誰からも支持されていないという孤立無援の孤独感である。親に反対され たって、家出をしてしまえば今では、健康な男女ならその日から職業にありつくことができる。 社会も又若い人々に理解がある、というポーズが好きだから、子供たちの恋愛に反対する親た ちというのはよほどものわかりの悪いやつだ、という言い方をする。 だからもし若い人々に本当の恋愛の味を味わわせたかったら、親たちも友人たちも、こぞっ て彼らに反対すれよ、、。ゝ ーししカって社会の掟や戦争があった時代には、愛し合っている男女がど うしても結ばれないというケースがあっこ。 オ今の日本には戦争もない、社会の掟もない。恋人 おきて