特に怒ったのは校長だった。このみえ坊の人は自分の目の力をおおいに自負していた。それで 彼が威厳をもっておどかすように目をむいても、ギーベンラートはいつも卑屈に恐れ入った微笑 をもって答えるだけだったので、彼はかっとなった。その微笑はしだいに彼を神経質にさせた。 「そんな底の知れないあほうづらでにやにや笑うのはやめなさい。おまえは声をあげて泣いてし かるべきところじゃないか」 それよりも心を打ったのは父の手紙だった。父は驚いて、心を入れかえてくれと彼に嘆願した。 校長がギーベンラート氏に手紙を出したのだった。父は驚いてなすところを知らなかった。ハン 下 スあての彼の手紙は、実直な人間の使うことのできる激励や道徳な憤りのきまり文句を残ら のず並べたものだった。しかしまた自然に哀れつぼい泣き言も漏れていた。それがむす子の心を痛 輪めた。 校長からギーベンラートの父親や教授や助教師にいたるまで、義務に精励する少年指導者たち はいずれもみな、ハンスの中に彼らの願いを妨げる悪い要素、悪く凝り固まったなまけ心を認め、 これを押えて、むりにも正道に連れもどさねばならないと思った。たぶん例の思いやりのある助 教師を除いては、細い少年の顔に浮かぶとほうにくれた徴笑の裏に、減びゆく魂が悩みおぼれよ うとしておびえながら絶望的に周囲を見まわしているのを見る者はなかった。学校と父親や二、 三の教師の残酷な名誉心とが、傷つきやすい子供のあどけなく彼らの前にひろげられた魂を、な んのいたわりもなく踏みにじることによって、このもろい美しい少年をここまで連れて来てしま 盟ったことをだれも考えなかった。なぜ彼は最も感じやすい危険な少年時代に毎日夜中まで勉強し
、ノスはこ 強に飽きると、ハンスのところにやって来、本を取り上けて、自分の相手をさせた。 , 、 の友だちをおおいに愛していたが、しまいには友たちが来はしないかと毎晩びくびくし、遅れな いように規定の勉強時間に倍も熱心に急いで勉強した。ハイルナーが理屈の上でハンスの勤勉ぶ りを攻撃し始めたのは、ハンスにとってなお一そうの苦痛だった。 「そりや、日やとい仕事さ」と、いうのだった。「きみはどんな勉強でも好きですすんでやってる のじゃない。ただ先生やおやじがこわいからだ。一番か二番になったって、なんになるのだい ? ・ほくは二十番だけれど、それだからといって、きみたち勉強家よりばかじゃない」 下 ハンスはハイルナーが教科書をどんなに取り扱うかをはじめて見た時も驚いた。彼はあると のき、本を教室に置き忘れて来たので、つぎの地理の時間の予習をしようと思って、ハイルナーの 輪地図を借りた。驚いたことには、ハイルナーはどのページも鉛筆で書きつぶしていた。ビレネー 半島の西海岸はグロテスクな横顔に引きのばされていた。鼻はポルトーからリスポンに達し、フ みさき イニテール岬の地方は、縮れた巻き毛の飾りに誇張され、サン・ヴァンサン岬は顔一面のひけの みごとにひねった先端になってした。。 、 - とこをめくってもその調子だった。地図の裏側の白紙には 、ノスは自分の本 戯画と大胆なこつけい詩が書いてあった。インキのよごれも珍しくなかった。 ( を神聖なものとして宝物のように取り扱いつけていた。それでこうした大胆さを、なかば神聖を けがす行為とも、なかば犯罪的ではあるが英雄的な行為とも感じた。 善良なギーベンラートは彼の友だちにとって快いおもちゃ、というよりは、一種の飼いネコに すぎないように見えたかもしれない。 ハンス自身ときどきそう感じた。しかしハイルナーはハン
だい、そこに持っているのは ? 」 「魚を少し。きのう・ほくが釣ったんです」 「そうかい。お見せ。どうもありがとう。まあおはいり」 ハンスはなじみの書斎にはいった。そこは牧師さんのへやのようではなかった。はち植え花の かおりもタ・ハコのかおりもしなかった。おびただしい蔵書は、どれを見ても、新しい、きれいに 塗られてつやのある、金めつきの背中で、普通牧師の蔵書に見るような、色あせてゆがんだ、虫 食いの穴だらけでカビの斑点のある本ではなかった。よく立ち入って見る人は、整理の届いた蔵 下 書を書名によって、新しい精神ーーー死減してゆく時代の古風な尊敬すべき人々の中に生きている ののとは違った精神ー・ーを読みとった。ペンゲルとか、エティンガーとか、シュタインホーファー かざみ 輪とか、牧師の蔵書の名誉になる金看板の書物は、メーリケによって「古い風見」の中で美しく感 動的に歌われている信心深い歌の作者のものとともに、 ここには欠けていた。あるいはたくさん の近代の著作の中に姿を消していた。要するに、雑誌はさみや、高机や、紙の散らばっている大 きな書きもの机などもひっくるめて、全体が、学者らしく厳粛に見えた。ここではさかんに勉強 するな、という印象を受けた。実際ここではさかんに行なわれた。もちろん説教や問答示教や聖 書講義などのためよりは、学術雑誌のための研究や論文、自分の著書のための予備研究の仕事だ めいそ ) しんえん った。夢想的な神秘主義や予覚的な瞑想はここからは追い払われていた。科学の深淵を越えて、 愛と同情とをもって、渇えた民衆の心を迎える素朴な心情の神学も追い払われていた。そのかわ りにここでは、聖書の批判が熱心に行なわれ、「歴史上のキリスト」が追究された。歴史上のキリ
モも で自 っ家 かを に木もは ほ父 と貧ハも け緑 こけ う満 ス足んて のだ の足 クげ はた 思贈 スほ マく のたわな や制 スそ 帽お ずを祭ま町ナ ギん っか ンた つ日 ては かお 界ほ がに のて ちカ 消青 どを は物 い日 か満 はを っ載 得た しな 歩は つも り待 マだ のち た道 慣彼激け れは び院 同は てむ つ痛 級新 いす親ナ 生し 103 輪 ら 出色かた断 に 、神凍そ り ス ケ ト る で ス の ン ス ら着なをけなな め で い万そ 事 。お . さ つ 車 下 脱 て う む と い 進 ん ち服川 の の校て 生 ら徒た ぶ ん で終す たそ人 日当 は るそみ だんん 、め慰だにはにし な の 点ずる ね さ熱や 、打顔 し ぐ あ い 0 よ 頭 、が物 、すは し つれたか様 は の のた牧彼ま 。師は ん 自 分 若 と は 同 頭 痛 悩 ん た と て ン 子 ~ 、がわ し、 り せ 、ぎ る と 思 っ 修 の 食 の な イく と か っ 、た 、慢 ど り 4 勿 冫こ . : 金 し ま な ・つ た ン う た ク リ ス ス に の も し、 キ。 ン フ ト り 、祝に う と 、欠ん親 と へ フ 。を家贈 ス術なを 心、 カ : た子も か歌机 たお彼 。祭を 、感受 も 母し で が え で い そ り し が て
はえた川っぷちさえも、見ずに過ごした。そこは皮なめし場が並び、川も湖のように深く緑色に よどんでおり、弓形に曲がった柳の細い枝が水の中までたれさがっていた。 ハンスは、自分がどんなにたびたび、半日あるいはまる一日ここで過ごしたかを思い出 、・こり、魚釣りをしたりしたかを した。またどんなにたびたびここで泳いだり、もぐったり、こしナ だが、それもいまはあらかた忘れてしまっていた。去年、 思い出した。ああ、魚釣りときたらー 試験のために魚釣りをとめられた時、彼は身も世もあらずわんわん泣いた。魚釣り、それは学校 に通った長い年月のあいだ、一ばん楽しいことだった。まばらな柳の木かげにたたずんでいると、 下 水車のせきの水音が近くに聞こえる。深い静かな水。水面の光の戯れ。なごやかに揺れる長い釣 のりざお。くいついて引き上げる時の興奮。びちびちはねる冷たいはちきれそうな魚を手に持った 輪時のなんともいえぬうれしさ。 いいコイをなんども釣り上げたことがあった。銀ウグイや、おいしいウグイや、 彼は生きの さい珍しい美しいャナギ・ハエなども釣った。長いあいだ彼は水の上を見おろしていた。緑色の川 の一隅を見ているうちに、彼は悲しい物思いに沈んだ。思えば、美しい自由な勝手ほうだいな少 年の喜びは遠い昔のことになっていた。無意識的に彼はひとかけらのパンをポケットから出し て、大小のたまを作り、水の中にほうりこんで、それが沈んで行き、魚にばくっと食われるのを 見つめた。はじめは小さい魚がやって来て、小さいかたまりをむさぼり食い、大きいかたまりを 食いたそうにロの先でこつんこつんとつついた。それからやや大きな銀ウグイがゆっくりと用心 深く近づいて来た。その広い黒ずんだ背中は水底とはっきり区別がっかなかった。この魚は慎重
飛び出し、その本領を発揮しようとした。そうすると、大寝室になまなましい毒舌と少年たち一 流の痛烈な悪口が乱れ飛んだ。 こういう学校の校長、あるいは教師にとって、生徒の群れが共同生活を始めて数週間ののち、 化学的化合物が沈澱するのに似た観を呈するのを見るのは、教訓冫 ーこ富むとうとい経験であるにち がいない。それはさながら液体の浮動する濁りやかすが固まるかと思うと、またほぐれてほかの 形になり、しまいにいくつかの固体ができあがるようなものである。最初のはにかみが征服さ 下 れ、みんながたがいに十分知りあうと、波の動きと模索とが始まった。寄りあう組ができ、友だ のちと反感とがはっきり現われた。同郷のものや以前の学校仲間が結びつくことはまれで、たいて 輸いは新しく知りあったものに近づいた。都会のものは農家の子に、山地のものは低地のものにと いうふうに、隠れた衝動に従って、多様と補いとを求めた。若いものたちは不安定な気持ちでた がいに探りあった。彼らの中には、平等の意識と同時に、独立を望む心が現われた。そこにはじ めて、多くの少年の子供らしいまどろみの中から、個性形成の芽ばえが目ざめたのである。筆紙 には書けないような愛着としっととのささやかな場面が演ぜられ、それが発展して友情の契りに なったり、おおっぴらにいがみあう敵意になったりした。やがてそれそれのいきさつに従って、 友愛の厚い間柄ができたり、仲のよい散歩になったり、あるいは激しいとっくみあいや、 , なぐり あいになる、という結果を招いた。 ハーメルがはっきりと ハンスはこうした動きに外面的にはかかわりを持たなかった。カール ちんでん
115 をいれることも、どんな誤りを告白することもできなかった。それで、無気力な、あるいはまた ずるい生徒たちは、彼と非常にうまくいった。ところが、気力のある正直な生徒たちにかぎって うまくいかなかった。というのは、ちょっと反対をほのめかしただけでも、彼はかっとなり、正 しい判断を失うからである。気を引き立てるような目つきと、しんみりした調子で、父親がわり の友だちの役割をつとめることにかけて、彼は名人だった。こんどもその手を演じた。 「おかけ、ギーベンラート」と、彼は、おすおすとはいって来た少年の手を強く握ってから、う ちとけていった。 下 「少し話したいことがあるのだが。おまえといっても、 の 「どうそ、先生」 輪「おまえは自分でも、最近成績が、少なくともヘブライ語では少しさがったことを感じているだ ろう。おまえはいままでヘブライ語ではたぶん一番だったろう。だから、急にさがったのを見る 車 のは残念だ。たぶんおまえはヘブライ語にもう興味を感じなくなったのだろうね ? 」 「そんなことはありません、先生」 「よく考えてみなさい。そ ういうことはありがちだ。たぶんほかの課目に特に力を注いたんだろ しいえ、先生」 「ほんとかい ? よろしい、それじゃ、ほかの原因をさがさなくちゃならない。それをつきとめ る加勢をしてくれるかい ? 」
8 ろ半分くらい野ブドウがおいかぶさっていた。 「諸君の健康を祝す」と職人は叫んで、三人とコツ。フを打ち合わし、腕まえを示すため、コップ を一息に飲みほした。 「きれいなねえさん、からつぼだぜ。すぐにもう一杯もって来てくれよ」と、彼は女給仕に向か ってどなり、テープル越しにコップを差し出した。 ビールは上等で冷たく、あまりにがくなかった。′、 、ノスは自分のコップを楽しく味わった。ア ウグストは通らしい顔をして飲み、舌打ちし、かたわら詰まったストーヴのようにタ・ハコをすっ 下 こ。ハンスはそれを静かに感嘆していた。 の こういうふうに陽気な日曜日を持ち、当然その資格のある人間のように、人生を心得、愉快に 物やることを心得ている人たちと一しょに、料理店のテー・フルに向かってこしかけるのは、やはり 悪くなかった。一しょに笑い、ときには自分から思いきって、しゃれを飛ばすのは、すてきだっ た。飲みほしてから、力をこめてコップでテー・フルをとんとんたたき、屈託なく「ねえさんもう 一杯」と叫ぶのは、すてきで男らしかった。ほかのテー・フルの知りあいに向かって乾杯したり、 ほかの者と同じように、消えた葉巻きの燃えさしを左手の指にはさみ、帽子を背くびのほうにず らしたりするのは、すてきだった。 一しょに来たよその職人も調子づいて、話しだした。 , 彼の知っているウルムの錠前屋は上等の ウルム・ビールを二十杯も飲むことができた。それだけたいらげると、ロをぬぐって、「じゃ、こ んどは上等のブドウ酒の小びんを一本」と、 いうのだった。また昔知っていたカンシュタットの
分ががやがや騒ぎながら急いで走って来た。 「いよう、ギーベンラート。うまくやってるな」 ハンスは気持ちよさそうにからだを伸ばした。「うん、悪くないな」 「神学校にいくのはいつだい ? 」 「九月になってからだよ。 いまは休暇だ」 彼はうらやましがられた。うしろのほうで悪口の声が高くなって、だれかがつぎのような句を 歌っても、 ハンスはまったく平気だった。 シュルツェの内のリザベトと 同じようになりたいものよー あのこは昼間も寝ておじゃる。 わっしはそうはいかぬそい 彼は笑うだけだった。そのあいだに少年たちは裸になった。ひとりはいきなり水の中へ飛びこ んだ。ほかのものたちはまず用心深くからだをひやした。その前にしばらく草の中に寝るものも おくびようもの あった。じようずなもぐり手がしきりにほめられた。臆病者がうしろから川の中に突き落とされ て、人殺しと叫んだ。みんなは追っかけっこをしたり、走ったり、泳いだり、岸で甲らをほして いる連中に水をはねかしたりした。水のはねる音ときやっきやっという声でそうそうしかった。 車輪の下
残すということを知らない。 ル・ルチウスはそのやり口を物の所有、つかみうる物にひろげたばかりでなく、精神 の世界においても、できるだけ得をしようと努めた。彼はきわめて利ロであったから、精神的な 所有というものはすべて相対的な価値しかないということを忘れなかった。それで、力をいれて おけばのちの試験で効果を収めうるような課目だけをほんとに勉強し、他の課目では欲をかかす、 中位の成績で満足した。覚えることでも、やることでも、彼はいつも同級生の成績だけを標準に した。二倍の知識で二番になるより半分の知識で一番になることを彼は望んだ。それでタ方仲間 下 のものたちがいろいろな娯楽や遊戯や読書にふけっているとき、彼が静かに勉強しているのが見 のうけられた。ほかのものたちの騒いでいるのは、 っこう彼のじゃまにならなかった。それどこ 輪ろか、彼は、ときどきねたみ心のない満足したまなざしを、騒いでいるみんなの上に投げた。も しみんなも勉強していたら、彼の努力はもうけにはならなかっただろうから。 なにせ彼は勤勉な努力家だったから、こうしたいろいろなするさや手くだを悪く取るものはな かった。しかしおよそ極端に走るもの、極端に欲ばりなもののたぐいに漏れず、彼もまもなくば かばかしいふるまいを犯すにいたった。修道院の授業は全部無料だったので、彼はこれを利用し て、ヴァイオリンの授業を受けることを思いついた。多少の下ごしらえがあったわけでも、耳や天 分があったわけでもなく、音楽を楽しむ気があったわけでさえなかった。だが、彼はヴァイオリ ンだって、結局ラテン語や算術と同じように習えるものだと考えていた。音楽というものはのち になって役にたっし、人間を好ましく気持ちよくするものだということを聞いていた。それに学 工