水車のある教会 レイクランズは、上流の人たちが集まる避暑地の案内書には名前がのっていない。それはクリ 1 ランド山脈の低い突出部にある。もともとレイクランズ ンチ河の小さな支流に沿ったカン。ハ は、ものさびしい狭軌鉄道の沿線に立っている二十数軒の平和な村である。ことによると、この 教鉄道が松林のなかで道に迷って、恐怖と孤独感からのがれようとしてレイクランズへとびこんで るきたのではあるまいかとも思えたし、あるいは、レイグランズが迷子になって、鉄道の線路のわ のきにより集まって、汽車が家につれて行ってくれるのを待っているのではあるまいかとも思えた。 車それからまた、なぜここがレイクランズと呼ばれるようになったのか、それも不思議に思えて レイク くる。湖があるわけでもないし、周囲の土地も、とりたてていう価値もないほど貧弱なのだ。 ィーグル・ハウス この村から半マイルほどのところに、「鷲の家」がある。この大きな、広々とした屋敷は、 安い費用で山の空気を求めにくる客を泊めるためにジョサイア・ランキンが経営しているのであ る。ところが、「鷲の家」の経営は、愉快になるほどへたくそなのだ。近代的な模様がえはせず に古めかしい模様がえばかりしているのである。それに、概して、われわれの家庭と同じよう に、気のおけない程度に扱いがぞんざいで、楽しくなる程度に家のなかが乱雑になっているの だ。しかし、ここには清潔な部屋と、おいしくて豊富な食事が用意されていた。あとはいっさい 179
226 まざまな断面にス。ホットをあて、軽妙な文学的表現をもって、これを巧みに小さな短編形式にま とめあげる手腕の見事さは、ちょっと他に類がないだろう。 ューモアとウィットとペ 1 ソス、誰もが指摘するように、これが O ・ヘンリの独特の持味であ るが、もっと驚嘆に値するのは、その着想の奇抜さと。フロットの巧妙さである。豊富な想像力 と、しつかりした構成力をもった作家でなければ、とてもできる芸当ではない。 彼の作品は、いずれも起承転結がはっきりしているのが一つの特長である。二ページか三ペー ジのほんの短い小編でも、ちゃんと発端があり、ヤマがあり、そうして結末がある。もう一つの 特長は、さきにも書いたように「結末の意外性」である。最後の場面で、あっと読者の意表をつ 短くという趣向、これは O ・〈ンリのお家芸といっていいだろう。しかも、どんな作品の場合で ンも、ほとんど例外なく、しっとりとした、心の底からおのずとにじみ出るような笑いを誘われる というのは、この作者が、人間の心理、人情の機微に通じているだけでなく、彼自身、あたたか 0 ヒ = ーメインな、いの持主だからであろう。 O ・ヘンリの伝記を書いたアルフォンソ・スミス は、アメリカの文学史を飾ったすぐれた短編作家たち、アーヴィング、ポー、ホーソーン、プレ ハートなどと比較して、「 O ・ヘンリはアメリカの短編小説をヒ = ーマナイズした」と書 いているが、まさしく O ・ヘンリ文学の本質をつく適切な評言というべきだろう。 大久保康雄
善女のパソ ーチャムは街角に小さなパン屋を開いていた。 ( 踏段を三つのぼってドアを ミス・マ 1 サ 開けると、ベルがチリンチリンと鳴る仕掛けになっている店だ。 ) ミス・マーサは、ことし四十歳、銀行通帳には二千ドルの預金があり、二本の義歯と思いやり 深い心をも 0 ていた。ミス・マーサよりも、も 0 と結婚のチャンスにめぐまれない人でも、結婚 しているものが、世の中にはたくさんいる。 週に二度か三度、きまって店 ~ やってくる一人の客がいたが、彼女はこの客に関心をもちはじ めた。中年の男で、眼鏡をかけ、鳶色のあごひげは、ていねいに刈りこんで、さきがとがってい た。 , レリいドイツなまりのある英語を話した。着ている服は、すり切れて、ところどころつぎが しわ 当っており、つぎの当っていない部分は、皺くちやで、だぶだぶだった。しかし、いつも清潔そ うにしていて、たいへん礼儀正しかった。 いつも彼は固くな 0 た古。 ( ンの塊を二個買 0 て行 0 た。新しいパンは一個五セントだが、古く ま二個で五セントだった。この男は、いつも古。 ( ンしか買わなかった。 なった。ハン あるとき、ミス・マ 1 サは、彼の指に赤と茶色の汚点がついているのを見つけた。そのときか 善女の。ハン とびいろ しみ
緑の扉 かりにきみがタ食のあと葉巻を一本ふかすのに十分間を割りあて、そのあいだ、気晴らしにな るような悲劇でも見ようか、それとも寄席で何かまじめなものでも見ようかと迷いながら、・フロ 1 ドウ = イを歩いていると仮定しよう。とっぜん誰かの手がきみの腕にふれる。きみはふりむい 集て、ダイヤモンドを光らせ、ロシア産の黒貂の毛皮を着飾ったすばらしい美人の、ぞくぞくする 短ような瞳をのぞきこむ。彼女は、いそいできみの手のなかに、やけどをするほど熱いバター はさみ 1 の二番目のボタンを切り ール。 ( ンを押しつけ、小さな鋏をきらりととり出して、きみのオー とり、意味ありげに、たった一一一一〔、「平行四辺形 ! , と叫んで、不安そうに肩ごしにふりかえり 0 ながら、横町を飛ぶように走り去る。 これこそ真の冒険というものだろう。きみは、これに応じるだろうか ? いや、応じないだろ 1 ルバンを捨て、なくなったボタンのあ う。きみは困惑して顔をあからめ、気まりわるそうにロ たりを弱々しくまさぐりながら、そのままプロードウ = イを歩きつづけるだろう。おそらくきみ はそうするにちがいない。ただし、もしきみが純粋な冒険心をまだうしなっていない幸福な少数 者の一人であるなら、話はまたちがってくるが。 真の冒険家というものは、これまでにも、そうたくさんはいなかった。真の冒険家として書物
ものも着るものもないことも、たびたびありました。母は、ときどきやさしくしてくれましたけ れど、父はいつも乱暴で、わたしはよく打たれたものです。父も母も怠けもので、一カ所に落ち つけない人間だったようですわ。 ある晩、アトランタの近くの河のほとりの小さな町に住んでいたときのことですけれど、両親 が大喧嘩をしました。たがいにロぎたなくののしり合っているときに、わたしは知ったのです ああ、エイプラム神父さま、わたしは、はじめて知ったのですわ、わたしには権利さえない ということをーー・おわかりでございましようか ? わたしには名前を持っ権利さえなかったので 集すわ。わたしは誰の子かもわからない人間だったのです。 短その夜、わたしは家出をしました。アトランタまで歩いて行って、仕事を見つけました。そし ンて、自分で自分にローズ・チ = スタ 1 という名前をつけて、それ以来ずっと自活してきたので す。これで、わたしがラルフと結婚できない理由がおわかりになったでしよう ? ああ、わた 0 しには、どうしても彼にそのわけをうち明けることができないんです」 れんびん この場合、いかなる同情よりも彼女を元気づナ、、、 冫し力なる憐憫よりも効果があるのは、エイプ ラム神父が彼女の悲しみを軽くあしらってやることであった。 「なんだ、そんなことですか ? 」神父は言った。「ばかばかしい。わしはまた何か大変なさしさ わりでもあるのかと思っていましたよ。かりにもその青年が立派な男であるなら、あんたの家系 ちり のことなど、塵ほども気にかけないはずです。ねえ、ロ 1 ズさん、わしのいうことをよくききな さい。彼が愛しているのは、あなた自身なんですよ。いまわしに話してくれた通り、正直に彼に
よち歩きの子供の名前にしては、いささか大げさすぎる名前だが、しかし山地に住む人たちは、 えてして調子のよい、いかめしい名前を好むものなのだ。母親が何かの本のなかで、こういう名 前を見つけて、それを自分の娘に応用したのであった。アグレイア自身は、幼い時分、ふだんこ の名前で呼ばれるのをいやがって、勝手に自分を「ダムズ」と呼んでいた。粉屋とその妻とは、 しばしばアグレイアをなだめすかして、この不思議な名前の出所をきき出そうとしたが、結局む だであった。ついに夫婦は一つの意見に到達した。家の裏の小さな庭に、娘が特別に好きで、心 ロードデンドロン をひかれている「しやくなげ」の花壇があった。おそらく娘は、「ダムズ」という名に、自分の 照好きな、このむつかしい花の名前と、通じ合うものがあると思「たのかもしれない、と考えたの 短である。 アグレイアが四歳になったとき、彼女と父親は、毎日午後になると、水車小屋のなかで、ささ やかな行事をやって一日の仕事を終えることにしていた。天気さえよければ、きまってそれが行 0 われた。夕食の支度ができると、母親は娘の髪にプラッシをかけ、きれいな = ・フロンを着せて、 水車小屋へ父親を迎えにやった。粉屋は娘が小屋の入口へやってくるのを見ると、粉のほこりで 真白になって出てきて手をふりながら、この地方に古くからある粉ひきの歌をうたった。それ は、つぎのような歌だった。 水車がまわれば 麦粉がひける。
いつけたかったのです。いま、その望みは、かなえられました。一生のうちで一度は経験したい と望んでいた最も幸福な時をすごすことができました。これからわたしは自分の仕事と小さな安 貸間に戻って、向う一年間は満足な気持で暮します。わたしは、このことをあなたにお話したか ったのですわ、ファーリントンさん。というのは、わたし・ーー・わたし、あなたがわたしを嫌って はいらっしやらないと思ったし、それに、わたしはーー・・わたしは、あなたをお慕いしていたから ですわ。でも、ああ、いまのいままで、わたしは、あなたに嘘をついていなければなりませんで した。だって、何もかも、まるでおとぎ話のようだったのですもの。それで、ヨ 1 ロツ。 ( のこと 集だの、本で読んだ外国のことなどをお話しては、自分が上流階級の貴婦人であるかのようにあな 短たに思わせていたのですわ。 ン いま着ていますこのドレスもーー・人前に着て出られるのは、これ一枚しかないのですけれど オドウド・アンド・レヴィンスキーの店から月賦で買ったのですわ。 0 値段は七十五ドルでしたわ。寸法をとって仕立ててもらったのです。即金で十ドル払い、残り は週に一ドルずつ集金にきますの。わたしがお話したかったのは、大体これで全部ですわ、ファ スイヴィ 1 リントンさん。それから、わたしの名前が、マダム・ボーモンではなくて、マミー・ ターだということを申しあげます。いろいろと親切にしていただいて、ありがとうございまし た。この一ドルは明日ドレスの月賦の支払いにあてます。では、部屋へ引きとらせていただきま すわ」 ロレ・ト・ファー丿 ーントンは、冷静な顔つきで、ロータスで最も美しい婦人客のうち明け話に
137 れることが、はやっていますのよ。これは、目下ご滞在中のダッタンの。フリンスが、ウォルドー フ・ホテルで晩餐会を催されたときに思いっかれたのがはじまりなのですわ。でも、これもすぐ にまた別の気まぐれに変ることでございましよう。現に今週もマデイソン・アヴェニューで開か れたある晩餐会で、めいめいのお客さまのお皿の横に緑色のキッド革の手袋がおいてあって、そ れをはめてオリ 1 プをたべるという趣向になっていましたわ 「なるほど」と青年は謙虚な態度で言った。「そういう社交界の奥深くでおこなわれる特殊な風 流ごとは、一般のものには全然わかりませんね」 「ときどき」と女は、彼が誤りを認めたことに対して軽くうなすいてから言葉をつづけた。「わ っ 待たしは、もしわたしが恋をするようなことがあったら、相手は身分の低い男の方ではないかしら 車と思うことがありますわ。のらくら遊び暮すような人ではなくて労働する人ですわ。でも、結局 自は、自分の好みよりも、身分や財産が要求するものが勝っことになるかもしれませんね。現にい まも、わたしは、二人の方から求婚されていますのよ。一人はドイツのさる公国の大公ですわ。 その方には、大公の酒乱のために気が狂ってしまった奥さまが、どこかにいらっしやるか、ある いはいらしったのではないか、とそんなふうに想像されますの。もう一人の方は、イギリスの侯 爵ですけれど、たいへん薄情で、お金にきたないので、むしろ大公の悪魔主義のほうを選びたい くらいですわ。なぜ、こんなことを、あなたにお話しせずにはいられないのか、おわかりになり ます力 / ゝ、・、ツケンスタッカ 1 さん ? 」 「パ 1 ケンスタッカ 1 です」と青年は小さな声で訂正した。「ほんとうに、ぼくがあなたのご信
てはす たのだ。さっそく将軍のホテルへ行って、どういう手筈になっておるか、きいてみよう」 、・ハードの玉タンをかけ、いつものように入口で立ちどまって、 少佐が例の「ファーザー ていねいにお辞儀をしてから出て行くのを、ミス・リディアは悲しげな微笑を浮べて見まもって いた。 その晩、彼は暗くなってから戻ってきた。フルガム議員は、少佐の原稿を読んでくれた出版社 の人と会ったらしい。出版社の人は、この本を端から端まで染めあげている地方的および階級的 一一偏見をとり除くために、逸話などを注意深くいまの半分くらいに削れば、出版を考慮してもよい 一と言ったのだそうだ。 の いつもの作法の 少佐は烈火のごとく怒った。しかし、ミス・リディアの前へ出ると、すぐに、 ズ 習慣にしたがって平静をとりもどした。 イ グ「でも、どうしてもお金が必要なのよ」鼻の上に小皺をよせてミス・リディアは言った。「さっ きの二ドルをください。今夜、ラルフ叔父さんに、すこし送ってくれるように電報をうちますわ」 少佐はチョッキの上のポケットから小さな封筒を引っぱり出して、テ 1 プルの上へ投げだし た。 「いささか無分別だったかもしれんが」と彼は、おだやかに言った。「ほんのはした金じゃと思 うたものだから、今夜の芝居の切符を買ってしまったよ。新しい戦争劇じゃよ、リディア。ワシ ントンではじめて上演されるこの芝居を見たら、おまえもよろこぶじやろうと思うてな。この芝 居では南部が非常に公平に扱われているということじゃ。白状すると、実はわし自身この公演が こじわ
それというのも、彼が叔父に勘当され、これまでたんまりもらっていた手当が全然もらえなく なってしまったからなのだ。そして、そうなったのも、すべて甥のヴァランスが、あの娘のこと で叔父の意見に従わなかったからなのだ。しかし、ことわっておきたいのは、これからの話が、 その娘のことではないことだ , ーー・だから、そういう話を根ほり葉ほりききたがる読者は、これか らさきは読まなくてもよろしい。ところで、この甥とは家系のちがう別の甥がもう一人いた。か ちょうあい ってこの男は、未来の後継者として叔父の寵愛をうけていた。ところがこの男は、それほど長所も ないし先行きの見込みもないところから、ずっと以前に、落ちぶれて、どこかへ姿を消してしま 集っていた。それを、ここでもう一度その男を探し出してきて、もとの地位にもどそうということ 短になったのだ。そこで、ヴァランスは、堕天使ルーシファ 1 が奈落の底に落ちたように華々しく ン転落し、この小さな公園の、ぼろをまとった亡者どもの仲間入りをすることとなったのである。 かたいべンチに腰をおろしていた彼は、身体をうしろにそらし、笑いながら煙草のけむりを木 0 きずな の下枝に吹きかけた。人生のあらゆる絆を一挙に断ち切ることができたので、わくわくするよう な解放感を味わい、よろこびに胸が高鳴るのをおぼえた。気球乗りが繋留索を断ち切って気球を 浮揚させたときの興奮そのままだった。 かれこれ時刻は十時だった。べンチでのらくらしているものも、あまり見当らなかった。公園 に住んでいる連中は、晩秋の寒さには、頑固に反抗するくせに、春の冷たい軍勢の前線攻撃に は、なかなかおいそれとは出てこないのである。 そのとき、噴水の近くのべンチから、一人の男が立ちあがって、ヴァランスのほうへ近づいて