いまもいうたように、お前は紳士なんじゃ。紳士をつくるには三代かかるということじゃが、 あぶら それはまちがいじゃ。石鹸の脂と同じように金が紳士をつくりあげるのじゃ。お前を紳士にして くれたのも金じゃ。そうとも ! 金は、もうちょっとで、わしまで紳士にしようとしたのじゃ。 わしは、うちの両隣のあの二人の老いぼれニッカボッカ 訳注オランダ系 ) 紳士と同じくらい、 粗暴で、不作法で、つきあいにくい人間じゃが、あいっ共の間に家を買ったものだから、あの二 人は夜も眠ることができんのじゃよ ゅううつ 「金でできないことだってありますよ」いくぶん憂鬱そうにロックウォール青年は言った。 手 射「ばかなことをいうもんじゃない」おどろいてアンソニイ老人は言った。「わしが金を賭けるの 恋は、つねに金にじゃ。金で買えないものがあるかと思って、わしは百科辞典をのところまで全 神部調べてみたんじゃ。来週は増補版を調べなければなるまいと思っとる。どんなものを敵にまわ 金しても、わしは金に味方する。金で買えぬものがあるなら言ってみるがいい」 「まず第一に」と、いささか中っ腹になってリチャードは答えた。「上流社会の社交界にはいる 資格は金では買えません , 「なに ! 金で買えないって ~ 」金権の擁護者はどなった。「もし初代のアスターが大西洋を渡 る三等の船賃をもっていなかったら、どだい、お前のいう上流社会の社交界などは存在しなかっ たじやろう」 リチャードは溜息をついた。 「わしが言おうとしていたのは、そのことなんじゃ [ 前よりもすこし静かな声になって老人は言 151 ためいき
「わかったよ、リチャード」とアンソニイ老人は、ほがらかに言った。「さあ、クラプへでも行 ってくるがいい。肝臓の病気でなくてよかった。だが、たまにはお寺でマズマ大明神 ( 金の神 ) にお線香をあげるのを忘れるんじゃないぞ。金では時間は買えぬとお前はいうんだな ? さよ う、もちろん、いくら金を出しても、無限の時間を紙にくるんで自宅へ配達してくれと注文する カカと わけにはいくまい。だが、わしは『時』のおじさんが金鉱を歩きまわっているうちに踵に石でひ どい切り傷をつくっているのを見たことがあるぞ」 その夜、しとやかで、涙もろくて、だらけで、溜息ばかりついていて、財産の重みに押しつ 集ぶされそうになっているエレン叔母が、夕刊を読んでいる兄のアンソニイ老人のところへやって 短きて、恋するものの悩みという題目について講釈をはじめた。 ン「その話は当人からすっかり聞いたよ」あくびをしながらアンソニイは言った。「わしの当座預 金は、全部自由に使ってよいと言ってやったよ。そしたら、あいつは金の悪口を言いはじめた。 0 おきて 金なんぞ何の役にも立たんとぬかしおった。社交界の掟は十人の百万長者が東になってぶつかっ たところで一ャ 1 ドも攻めこむことはできぬと、ぬかしおった」 「まあ、アンソニイ」とエレン叔母さんは溜息をついた。「お金の力を、そんなに重く考えるの はどうかと思いますわ。まことの愛に関するかぎり、財産なんて何の役にも立ちません。愛は全 能ですわ。あの子が、もうすこし早く話してくれていたらよかったのに。相手のお嬢さんだっ て、うちのリチャードをことわることはできなかったと思いますわ。でも、いまとなっては、も う手おくれかもしれませんね。その方に話しかける機会は、もうないでしようからね。いくら財 154
生劇での役割は、そういういきいきした動きがすこしも感じられないところにあるのです。なぜ わたしがあなたに言葉をおかけしたか、その理由がおわかりになりますか、ミスター 「・ハ 1 ケンスタッカー」と青年はその後に自分の名をつけ足した。ここで彼は熱烈な希望にみち た表情になった。 「おわかりにならないでしよう ? 」と女は、ほっそりした指を一本立てて、かすかに笑った。 「でも、すぐにおわかりになりますわ。新聞や雑誌に名前を出さずにおくことなど、とうていで きませんものね。写真だってそうですわ。こうして小間使のヴェ 1 ルと帽子をかぶっているから グこそ、どうにか身分をくらまして外出することができるのですわ。あなたにお見せしたいくらい 待ですわ、うちの運転手が、わたしが気がっかないと思って、わたしのこのお忍びの外出姿を、あ 車きれたように見ていたようすを。うち明けて申しますと、もっとも高貴な家柄を示す姓が五つか 動 六つありますけれど、わたしの姓は、生れながらにして、その一つなのですわ。わたしが言葉を ・目 おかけしたのも、スタッケンポットさん・ーー」 「。ハ 1 ケンスタッカ 1 です」と青年は遠慮勝ちに訂正した。 1 ケンスタッカ 1 さん、せめて一度でも、自然のままの人間と・ー・ーいやしい富の虚飾や、 はかない社会的な優越などに汚されてない人とお話がしたかったからですわ。おお ! わたし が、どんなにうんざりしているか、あなたにはおわかりにならないでしようーーー金、金、金ー ほんとにうんざりしますわ。それに、わたしの周囲の人たちにしても、みんな同じ型につくられ た、くだらない操り人形が踊っているようなものなのです。娯楽も、宝石も、旅行も、社交も、 135
部なんです。彼女の時間は一時間、一分まで、何日も前から、あらかじめ予定がきまっているん です。でもぼくは、どうしてもあの娘と結婚したいんです、お父さん。さもなければ、この町は 永遠にどす黒い泥沼です。でも、手紙でそんなこと書けやしませんーー・・ぼくには、そんなことは やれないんです」 「ちえッ ! 」と老人は舌うちした。「わしのもっている全財産をもってしても、一人の小娘の一 時間か二時間をお前のものにすることができないというのか ? 」 「ぐずぐずしているうちに機会を逃してしまったんです。彼女は、明後日の正午、二年間滞在の 手 射予定で、ヨーロツ。ハへ出帆することになっているんです。二人きりで会えるのは、明日の晩、ほ 恋んの四、五分間だけなんです。いま彼女は、ラーチモントの伯母さんの家にいるんですが、ぼく 神は、そこへは行けないのです。でも明日の晩八時半の汽車でグランド・セントラル・ステーショ 金ンに着く彼女を馬車で迎えに行くことは許されています。ぼくたちはプロ 1 ドウェイを馬車を走 らせてウオラックス座へ駆けつけるのですが、そこでは、あのひとのお母さんや同じボックス席 の人たちがロビ 1 でぼくたちを待っているんです。そういう事情のもとにある七分か八分のあい だに、あのひとがぼくの愛の告白に耳をかたむけてくれると思いますか ? だめですよ。それ に、劇場や、そのあとでも、どんな機会があるでしよう ? 全然ありませんよ。お父さん、これ こそ、いくらお父さんの金でも解きほぐすことのできないもつれなんです。金では一分の時間だ って買うことができません。もし買えるものなら、金持は、もっと長生きしているでしよう。い まとなっては、出帆する前に、 ミス・ラントリーと話のできる見込みは全然ありません」 153
いるんだ」 「そうとも」カーナンはそう言ってグラスをあげた。顔いつばいに満足の微笑をうかべていた。 ーニイ君に乾杯だ。というのも、おめえが『愉 「おれは人を見る目をもっているんだ。さあ、 快ないい奴』だからさ 「まったくの話」とウッズは、あたかも声に出して考えごとをしているかのように言葉をつづけ た。「おれとお前との関係が決済ずみになっていたら、たとえニューヨークじゅうの銀行の金を 全部もってきても、今夜おれはここでお前を放すようなことはしないだろうよ」 び「そいつは、できねえ相談だろうな」とカーナンは言った。「とにかく、相手がおめえとくれば、 ひおれも安全というものさ」 の 「たいていの人間は」と刑事はつづけた。「おれの職業を、まともには見てくれない。この職業 にいる人間を決して芸術家や知的専門家と同列に見ようとはしないんだ。だが、おれはこの職業 ラ に、ばかばかしいほどの誇りをもっている。だけど、いまはもう何もかもだめになったよ。おれは 何よりもまず人間なんだ。」 用事であることは二の次ぎなんだ。おれはお前を見のがさなくちゃな らない。そして、つぎには警察をやめなくちゃならない。まあ、速達郵便車の運転ぐらいはでき るだろう。しかし、そうなれば、お前の千ドルは、ますます返せなくなってしまうな、ジョニイ」 おおよう 「いや、そんなことはちっとも気にすることはねえさーとカ 1 ナンは大様な調子で言った。「借 金なんざ棒引きにしてもいいんだが、それじゃ、おめえのほうが承知しねえだろう。おめえがあ れを借りてくれたというのが、おれにとっちゃ幸運の日だったというわけだ。まあ、この話は、 111
なにごとが起ったのかと、おれは飛び起きて見た。赤い酋長がビルの胸に馬乘りになって、一 ーコンを切るのに使う 方の手にビルの髪の毛を巻きつけているんだ。小僧のもう一方の手にはべ 鋭いナイフが握られていた。前の晩に宣告した通り、ビルの頭の皮を本気でひんめくろうとして いるのだ。 おれは小僧の手からナイフをひったくって、もう一度寝かしつけた。しかし、そのことがあっ てからというもの、ビルは、すっかり元気がなくなってしまった。寝床のもとの場所へ横にはな ったものの、 月僧がそばにいるかぎり、もう二度と目をつぶって眠ろうとはしなかった。おれ 金 ひあぶ 代は、しばらくうとうとしたが、明け方近くなると、赤い酋長が日の出とともにおれを火焙りにす のると言っていたのを思い出した。べつに、びくびくしたり、怖がったりしたわけじゃないが、と 長 もかく、おれは起きあがって、。ハイ・フに火をつけ、岩にもたれた。 「サム、なんでそんなに早く起きるんだ ? 」とピルがきいた。 赤 「おれかい ? 」と、おれは返事した。「なに、肩のところがちょいと痛いんだ。起きて坐ってり や楽になるかと思ってね」 「嘘つけ ! 」とピルが言った。「おめえ、おっかねえんだろう。日の出とともに火焙りにされる と言われたもんだから、ほんとにやられやしないかと、おっかながっているんだろう。まった く、この小僧、マッチを見つけりや、やりかねねえからな。ひでえことになったもんだな、サ ム。こんな腕白小僧をつれもどすのに金を出す奴がいると思うかね ? 」 「そりや、いるともーと、おれは答えた。「こういう腕白小僧にかぎって、人一倍、親は可愛い
ロックウォール青年が書斎へはいってくると、老人は新聞をわきへやり、大きな、ひげのな い、あから顔に、愛情をこめたきびしさを浮べて、彼を見やり、一方の手で、もじゃもじゃの白 髪頭をかきまわし、もう一方の手でポケットのなかの鍵をがちゃがちゃいわせた。 「リチャード」とアンソニイ・ロックウォールは言った。「お前が使っとる石鹸の直殳ま、 らかね ? 」 大学を卒業してから、まだやっと六カ月にしかならないリチャ 1 ドは、ちょっとめんくらっ た。彼は、いまだにこのおやじの性質が本当にはわかっていなかったのである。はじめてパ 1 テ 集イに出た小娘のように、思いがけないことばかりなのだ。 短「一ダ 1 ス六ドルだと思います、お父さん」 ン「では、お前の服は ? 「大体、六十ドルぐらいでしようか」 0 「お前は紳士なんだぞ」アンソニイは、きつばりと言った。「近ごろの元気のいい若者のなかに は石鹸一ダースに二十四ドルもっかったり、服装に身分不相応の金をかけたりするやつがおるそ うだが、お前は、そういう連中に劣らぬくらい使える金をもっておりながら、やけに質素で、つ つましいものばかり使っておるじゃないか。もっとも、わしも、うちでつくっている昔からのユ 1 リカを使っているがねーー・・これは人情からばかりでなくて、これが一番純粋な石鹸だからじ ゃ。一個十セント程度の石鹸では、香料もレッテルも、ろくでもないものにきまっとる。お前の 年齢で、お前のような地位と身分の若者には、一個五十セントというのが、まず手頃じやろう。 150
えて渡してくれたんだものな。いっか、かならず返すよ。あの千ドルのおかげで、おれは助かっ たのだーーー実際、あのときおれが家へ帰ってみたら、あいつらはもう、おれの家財道具を歩道に 積みあげていやがったんだからな」 「だからさ」とカ 1 ナンはつづけた。「おめえがまちがいなく。ハ ーニイ・ウッズで、鋼鉄のよう に誠実で、紳士的に勝負をしなければならない人間だとすれば、恩を受けた人間を逮捕するため に指一本あげることはできねえはずだ。そうだ、おれも、商売用のイエール錠や窓の締め具を研 究するのと同じように、人間の研究もしなくちゃいけねえな。ところで、いま給仕を呼ぶから、 集ちょっとおとなしくしていなよ。おれは、この一、二年、禁酒していたんだ。ちっとばかりつら 短かったよ。しかし、こうしておれをつかまえた以上、運のいい刑事さんとしても、なっかしい酒 ンと名誉を旧友と分ちあいてえと思うだろう。おれは営業中は絶対に飲まねえんだ。しかし、一仕 事すませたいまは、大いばりで、わが旧友バーニイと一杯やることができるというものだ。おめ 0 えは何を飲むかね ? 」 さかびん 給仕が小さな酒壜とサイフォンをもってきて、ふたたび向うへ行ってしまった。 「お前のいう通り、勝負はお前の勝ちだ」とウッズは慎重に人差指で小さな金の鉛筆をころがし ながら言った。「おれはお前を見のがさなけれはならない。お前に手をかけることはできないん だ。あの金を返してさえいたらーーー・しかし、まだ返してはいない。それで万事お手あげというも のだ。とんだへマをやったものさ。ジョニイ、だけどおれは、いいかげんなことでこの場をおさ めるわけにま、 冫しかない。かってお前は、おれを助けてくれた。いまそれと同じことが要求されて 110
それで、その苦境から脱出するお手伝いを私にさせていただきたいのです。私自身、これま でしばしばそうした目にあってまいりました。この興行中、私は、かなりの給料をもらっていま いや、それ以上でも、どうぞ自由に使ってくださ すし、貯金もいくらかあります。二百ドル いーーーーそのうち、あなたのほうで、ご都合がーーー」 うそ 「やめたまえ ! 」手をさしのべて少佐は命令した。「結局、わしの本に嘘はなかったようじゃ。 ) 」うやく ぎそん きみは金という膏薬で、どんな名誉毀損の傷でも治療できると思うておる。いかなる事情があろ 役 うとも、わしは行きずりの人間から金を借りようなどとは思っておらん。まして、きみのような 人 人間が、いまわれわれが論議しているような状況を金銭的手段で解決したいなどという無礼きわ うえじに ズまる申し出をして、それをわしが考慮するくらいなら、いっそ飢死したほうがましというもの プだ。ふたたび要求するが、この部屋から出て行ってもらいたい」 レ 1 グレイブズは、それ以上なにも言わずに出て行った。そして、その日のうちに下宿からも グ 出てしまったが、夕食の席でヴァ 1 デマン夫人が説明したところによると、『木蓮の花』が一週 間の興行をうつことになった下町の劇場の近くへ引越したとのことであった。 ひん ト 1 ルポット少佐とミス・リディアの状態は危機に瀕していた。少佐が気がねなしに借金を申 込めるような相手はワシントンには一人もいなかった。ミス・リディアはラルフ叔父に手紙を書 いたが、この親戚の切りつめた家計では、援助してもらえるかどうか、はなはだ怪しいものであ った。少佐は、いささか困惑の態で、「家賃の滞納」と「送金の遅延。に言及しながら、部屋代 の支払いがおくれたことについてヴァ 1 デマン夫人に弁明しなければならなかった。
ことは、これまで一度もねえんだ。これまでおれは、明日の朝めしがどこから舞いこんでくるか ゅうぜん 見当もっかねえのに、彫像みたいに悠然と構えて、この公園で何百回となく夜を過したんだ。と ころが、いまは、そんなわけにはいかねえ。なあ、ドウスン、おれはゼ = が大好きだ・ーーゼ = が おれの指のあいだからこぼれ落ちるようになったら、おれは神さまみてえにしあわせな気持にな るよ。そうなれば、みんながおれにおじぎをするし、おれは音楽や花やきれいな服にとりかこま れるんだ。そんなことは、おれには縁がねえと思っていたうちは、別に気にもしなかった。ぼろ を着て、腹をすかせて、このべンチに腰かけて、噴水の音に耳をかたむけて、車が表の通りを走 C 集 0 て行くのを眺めているだけで、結構しあわせだ 0 たんだ。ところが、金がまた手に入ることに 短なって・・ーーしかもそいつがほぼ確実になってみると こうやって十二時間も待っということ 力とうにもやりきれなくなったんだよ、ドウスンーー・どうにもやりきれねえんだ。それまでの めくら あいだに、いろんなことが起りうるんだ・ー・・・・盲目になるかもしれねえーー・・心臓の発作におそわれ 0 るかもしれねえーー金を手に入れる ~ 日。 一リこ、この世の終りということになるかもしれねえ アイドは、またしても金切り声をあげて立ちあがった。ほかのべンチにいた連中も、動きだ して、こちらを見はじめた。ヴァランスは彼の腕をとった。 「さあ、すこし歩いてみよう」と彼は、なだめるように言 0 た。「そして、気持を落ちつけるん だ。なにも興奮したりおびえたりすることはないよ。さしあた 0 て、お前さんの身には何も起き はしないのだからね。別に変った夜でもないじゃないか」 「その通りだ」とアイドは言 0 た。「ドウスン、おれといっしょにいてくれ・ーー頼むから、しば