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検索対象: ギリシア神話
186件見つかりました。

1. ギリシア神話

悩を見かねて火をつけてやります。ヘラクレスはその礼に彼に弓をあたえ、彼は後年その弓 でトロイア城攻略の立役者となるのです。 天より黒雲が舞いおり、稲妻が天地の間を ところが、火葬壇に火が燃え上ると見る間に、 走ったかと思うと、ゼウスがヘラクレスを天上に運び上げました。ヘラの怒りもようやくと け、ヘラクレスは彼女の娘へべ ( 青春 ) を妻として、神の列に加えられたといわれます。 ヘラクレスは十二の難業を果たした後にも数々の遠征をおこない、またそれらの途中にも 数多くの手柄を樹てたのですが、ここではすべて省略し、いきなり英雄の死と神化を述べま ふばっ した。英雄の生涯の意味を問うには、これだけで十分と思えたからです。不抜の意志とあり あや きょ・つだ あまる力をもちながら怯懦な君主に仕え、われとわが手に息子を危め、愛情から出た妻の行 為によって命を落とす。このような生涯に不条理な、それゆえ人間的な苦のみを見るか、最 後には天界に迎えられて、地上では報われることの少なかった彼の苦悩の一生にも救いが用 雄意されていたと考えるか、それは人それぞれでしよう。 ◆テセウスーー英雄の晩年′ 英 テセウスの伝説はヘラクレス伝記の焼き直しと考えられるところが多分にあります。 Ⅳ アテナイ王アイゲウスは旅の途中にトロイゼンのピッテウス王の客となり、王女アイトラ ふじよ・つり

2. ギリシア神話

は技術の無力が、意識されていたというべきでしよう。それと同時に、「自覚しうるがゆえ の悲しみ」といえば近代的にすぎるかもしれませんが、そ、ついったものが、このプロメテウ スの中にはあるように田 5 われます。 しかし、なによりも印象ぶかいのは、プロメテウスが内包しているアイロニーでしよう。 わざわ 彼は人類にあらゆる技術を授けながら、自分にふりかかる災いから逃れる術を知りませんで エルビス した。さらに、人間には「盲目なる希望」をあたえ、すべてを知っては生きてゆけぬことを 教えながら、自身はゼウスさえも知らない秘密を知り、すべてを予知できるがゆえにこそ大 いなる苦を受けているのです。このようなアイロニカルな生のあり方は、ギリシアの作家た わちがとりわけ好んでとりあっかったところなのです。 わわれわれも、はじめにプロメテウスを神と人間をつなぐ存在とよび、ついで彼が両者をわ 話かっことになる皮肉な結果を見ましたが、いまアイスキュロスのアイロニカルなプロメテウ という考察を見るこ アス像において、プロメテウスはすなわち人間そのものにほかならない、 シ とができるのではないでしようか。なぜなら、プロメテウスのなかに、圧制からの自由を求 ギ めてやまない精神の崇高な奮闘を見るにせよ、神の意志に逆らう愚かな思いあがりを見るに せよ、それは生きて苦悩する人間の姿にほかならないのですから。またそれゆえにこそ、こ

3. ギリシア神話

取りおろし、長いあいだとっておかれたこの肉の一片を煮るのです。そのあいだも、ふたり は客たちにいろんな話をしかけ、客たちの手もちぶさたを和らげよ、つとはかったり、桶に湯 をいれて、彼らの手足を温めさせたりもします。 前述のような、がたがたのテープルを据えると、貧しい老夫婦にできうるかぎりの、心づ くしの食べ物と飲み物を運んできます。その品々もさることながら、なによりも神々の心を そぼく 打ったのは、老人たちの善意と、その善意を反映した素朴な顔つきだったのです。 とくり - やがて、老夫婦は、徳利にいれた酒がからになっているのに、ふたたびひとりでにいつば いになるという現象がくり返されているのに気づきます。驚いたふたりは、自分たちのもて なしの不行き届きを心配するかのように、天の神々に祈りを唱えます。そして、自分たちが 飼っているたった一羽の鵞鳥をさえ、客のためにつぶそうとするのです。 ついに、神々は自分たちが神であることを明かし、自分たちに門前ばらいをくわした他の 罰住民たちには罰をくだすが、この老夫婦だけは例外としよう、とにかく自分たちのあとにつ といてくるようにといって、ふたりを山のなかへつれてゆきます。ふたりがふり返ってみると、 罪 村はすべて沼の底に沈んで、自分たちの家だけが残っているのです。そして、その家が、見 Ⅵ る見る、大理石と黄金でできた神殿に変わってゆくのです。老人たちの善行にたいして、望 がちょ・つ 149

4. ギリシア神話

とです。 イオの場合には、この状况は、 思うままに言葉を発することさえできれば、 自分の名や、わが身の不幸を知らせられるだろうに というふうに、比較的簡単に , ーーしかし核心をついてーーー表現されていますが、ザムザの場 合には、やはり近代作家のリアルで入念な描写によって、つぎのように述べられます。 まぎ グレゴールはそれに答える自分の声を聞いてぎよっとした。むろん紛れもないこれまでの しってみれば下の方か 自分の声にはちがいなかったが、その昨日までの自分の声の中に、、 ら、どうしようもない、苦しそうな、びいびいいう声がまじってくるのだ。このびいびい めいりよ - っ 声はただ最初の瞬間だけはたしかに言葉の明瞭さを妨げずにいるが、そのかわり語尾をひ どくあいまいなものに変えてしまい、聞いている相手にこっちのいうことがわかってもら えるかどうか蚤しいほどのものであった。 202

5. ギリシア神話

神助がありました。その導きにより、彼はますゴルゴンたちの姉妹であるグライアイのとこ すか じゅほう ニュンフ いどころ ろへ行き、ゴルゴンの住み処と難事業に必要な呪宝 ( mag 一 c object) をもっている妖精の居処 を教わります。三人でひとつの目とひとつの歯をわけもっグライアイから眼球を騙しとり、 その返却とひきかえに教えを聞きだしたのです。そして妖精のところへ行き、翼あるサンダ じゅほ・つ かぶとかくみの ル、首を入れる特別の袋、ハデスの兜 ( 隠れ蓑 ) などの呪宝を得、さらにヘルメスから金剛の たて 鎌、アテナから磨きあげた青銅の楯をあたえられます。 アテナに導かれていくと、ゴルゴンたちはちょうど眠っていました。三人のうち、ただひ とり不死ではなかった妹のメドウサを狙い、ベルセウスは顔をそむけつつ近づき、楯に映し はくじんいっせん た姿を見ながら白刃一閃、その首を切り落としました。メドウサの姉たちがとび起き、物音 のするほうへ追いかけますが、姿をかくす兜をかぶったベルセウスの姿は見えません。メド たね ウサはこのときポセイドンの胤を宿しており、切られた首のところから、翼のある天馬ベガ ソスとクリュサォルが生まれました。 みち きさき ベルセウスが帰り途にアンドロメダを救った話も有名です。エチオピア王ケベウスの妃カ きり・よ・つ ッシオペイアは器量自で、海の妖精たちよりも美しいと誇ったため、ポセイドンが怒って、 しんたく さいカ その国に津波と海の怪物を送りこみます。神託によれば、その災禍から逃れるには王女アン ニュンフ ねら こんご・つ

6. ギリシア神話

として語られているのです。 地上をさまよい歩く間のデメテルについても、いろいろな神話が語られています。エレウ シスでバウボという女が、大麦とハッカで作るスープで女神をもてなしますが、娘をうしな って悲しみに沈む女神はこれを受けず、このときバウポが着物の前をたくし上げ、みずから こつけい の秘所をあらわして滑稽なしぐさをしたため、女神も思わず笑いだして飲物を口にしたとい われます。性的なしぐさが衰えた自然に活力をよみがえらせるとする考え方もひろく分布し ており、アマテラスオオミカミの岩戸隠れとそれにつづくアメノウズメノミコトの踊りの日 本神話と、このバウボの一件との類似もはやくから指摘されているところです。 ほ - っこ・つ ホスピタリティ 姿をやっしたデメテルの世界彷徨はまた、異人歓待を説きすすめる神話にもなっています。 じゅんしやく こらっしみず これは、たとえば弘法清水の伝説などに典型的に見られるものです。巡錫の弘法大師が喉が 乾いて水を所望したところ、女がわざわざ遠くからきれいな水を汲んで来てくれたので、こ 々れでは不便だろうと、杖で地面を打って清水を湧き出させ、他方、洗いものをした汚れ水を ぶつかけた女の村には良い水か出ないようにした、こういう話です。 あるとき、デメテルが例の大麦スープでもてなされたところ、女神が喉の乾きからあまり Ⅲ に激しい飲み方をするのを見て、アスカラボスという少年があざ笑います。女神が怒って、 わ のど フ / ′ 4

7. ギリシア神話

V 人間生と死 す 由 す け は な オ ス ・つ と と 不 と の る 来 の そ ン 母 に 々 る を な 敬 を と 雨 の す た す の ド き も と が準 子後 。投 な 願 リ る め る く 降備 げ 大 彳丁 、や ス を っ ( こ へ ア 地 為 死 り 人 も た た み し レ ゼ ウ つ ウ 水 だ 石 、を と に カ て っ ス も 絶 し妻 そ あ ア け は ら リ ス て と オ 男 ろ か ひ が イ ん れ ん の い ま に 骨 て ら た ギ オ ク ン し 大 は す 切 人 ス と て リ ピ ピ た 地 れ む 石 る ス ト で ク ) ン は乗 の 勇 な デが ア 人 で ユ コ - ら と 、民 ウ フ カ 箱 ち の と を ば 神 族 が ア か ア リ 舟 ま ら 放 だ も 母 あ 舌 み カ カ の は ち ま っ と オ と 総 た の れ イ イ 九水す ン た悟ず 骨 し 称 ア オ レ を 叶は 石 り て と 人 ン 日 の ス 地九 ん 下 し や は な は 面 夜 生 女命 ば よ に が 実 イ 越 る イ に 体 オ ま に ぜ し し わ オ っ ⅸ て 茫に 下面 河 ら と し れ な が け ン れ然投い て と り を り あ ア を で たし た 自 げ わ り す 人 ' イ へ ま る し ) 冫示 い よま と 失 れ と し ま の ま よ カゞ レ つ 河 せ 、名 お す と ゼ い た て ン る 命 パ ま が ん 祖 は ウ 石 ル し ば の と ド お デ ス ナ た 系な れ か ら に か ウ ロ カ き並ふ - っ な り ら ら れ ス ツ ロ日 リ 謝 ソ 天 で ま は た 民ラっ は 各 し す っ か 者 ク 草スた オ ギ の ス ン 犠山 し ら 部 が と た た ス リ が牲覧に ト 生 て は 族 ち が ン を 着地 盆 人 ろ 、人 じ の で ア ス 上 をひ 間捧 き 名 は 、民 た 、や げ の 翻 と が ま オ尓 へ 族 そ デが ア す生すん の 生 ま を レ を イ い ウ て よ ずす 。類 ば ン 構 言見 カ 母 オ っ リ と 。や に . 成 ロ わ は か 明 っ る 一三ロ 105

8. ギリシア神話

るまいのみを事としていましたが、やがておたがいの手にかかって身を滅ばし、かびくさい ハデスの館へと降って行きました。 ここまでは、人類は悪くなる一方でした。しかしつぎに、「五時代の神話」を単純な堕落 しかん ( し力なくなる一時代が入ります。ゼウスは第四番目として英雄の種族を 史観と見るわけによ ) 、 つくりましたが、彼らは先の種族よりも義しく徳高く、いまの人間からは半神とよばれるほ どだったのです。しかし彼らもまた、あるいはテーバイ市をめぐる攻防で、あるいは海の向 こう、トロイア平原での戦闘において命を落としていったのです。そして死後には、大地を うれ マカロン・ネソイ とり巻いて流れるオケアノスのほとり、至福者の島々で心に憂いもなく生きつづけたとされ ます。 へシオドスが生きる現在は第五番目の時代、こんな時代になる前に死んでしまうか、もっ くろがね と後で生まれてくるべきだったと嘆かずにはいられない時代で、ここに生きるのは鉄の種族 となのです。この時代の行く末を、ヘシオドスは予一言者のような目で見ています。そこには、 飢えや戦争の恐怖よりむしろ、人間の心の荒廃が見えています。客人と主人、友と友、兄と 弟は相親しまず、子どもは老いたる親を尊ばす養育の恩に報いようともせず、暴力が正義と 3 ねた なり、善人が馬鹿にされて悪人が褒めそやされ、人々は妬みあい憎しみあって、アイドス だらく

9. ギリシア神話

アプロディテの誕生 に も いす もも 上 を 泡彡さ 開 よ し ロ れ泡が 、新 け、 な く け か 子 っ は ノ 天大 げす 見カ た 押 天 に ス ら 湧わ久 空陸 し と を も 明 : 父 し る の 生 し手 地 も よ を と き て がに る 下 の に起 く を 大ガも げ生 が と っ 去 い で 海離 る き 非 ど す に 勢 地ァ分 世 の布界 存 、す り り 面 常 が れ め て に 上し る い に て フ 、曲・た日 ま 4 妾 同 代 と にて な が い ロ つよ物 休い し 近 ま 時 っ 現 に の し ) 泡 みま し す っ は た わ た に わ つ イ ち 波 と て ま の なす れ が 、打 く 。説 そ た れ中 い の る て 、王弩神 そ ち 添そギ く 、あ て れ で リ ネ申 天位い話 は さ い る 臥ふシ 簒えは 美 か わ 話 ま と 人 、地 人 世分奪を の き 間 と ら ぐ の しア で 神 乙おま 海 をの よ 両 は界離 の の女めわ 求 っ 者 闇 の神 話 ち 旧 に に 女がり 落 めの 大 は 話 な を を の 神育に ち て神 っ 押 く 陸 は じ の 月リ 、成白 お 半 ま 離話 に ち わ し っ め 0 29

10. ギリシア神話

「愛」とエロス像 かいびやく ガイア 天地開闢のはじめに、まず「カオスーが生じ、ついで、「大地」と、地底の「タルタロス」、 そして「エロス」が生じたとされていることは、「世界のはじまり、の章で述べました。そ しんと - つき のばあい、そのことを伝えているヘシオドスの『神統記』によれば、エロスというのは、不 死なる神々のなかでもっとも美しく、神であろうと、人間であろうと、その理性と思慮とを 失わせるような強大な力をもっ存在であったのです。「愛」というものが、天地のはじまり とほとんど同じくらい古く、理性や思慮ではどうにもならないほどの強い衝動をあらわすも のであることが、ここで語られているとおもわれます。 ェロスというのは、現在では、「エロ」とか「エロチック」というような言葉からも察せ られるように、何か「下半身」的な、浅薄な、不純なもののようにとられがちですが、しか し、ヘシオドスに見られたエロスは、天地のはじめにまでさかのばりうる、強力で、あらが いかたい、神々や人間の生成と男女の結合を促すという、ひとつのすぐれた創造原理として 考えられていたのです。ある意味では、神としての可視的な具体性がなく、抽象的な思考の 152