賢者 - みる会図書館


検索対象: ブッダの真理のことば感興のことば
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1. ブッダの真理のことば感興のことば

= 一 = 嫉みぶかく、吝嗇で、偽る人は、ただ口先だけでも、美しい容貌によ 0 ても、「端正な人」と はならない。 = 一 = これを断ち、根絶やしにし、憎しみをのぞき、聡明である人、ーーかれこそ「端正な人」と よばれる。 = 査頭を剃 0 たからとて、いましめをまもらず、偽りを語る入は、〈道の人〉ではない。欲望と食 りにみちている入が、どうして〈道の人〉であろうか ? = 一 = 大きかろうとも小さかろうとも悪をすべてとどめた入は、もろもろの悪を静め減ばしたので あるから、〈道の人〉と呼ばれる。 = 奕他入に食を乞うからとて、それだけでは〈托鉢僧〉なのではない。汚らわしい行ないをしてい るならば、それでは〈托鉢僧〉ではない。 章 眄この世の福楽も罪悪も捨て去。て、清らかな行ないを修め、よく思慮して世に処しているな らば、かれこそ〈托鉢僧〉と呼ばれる。 こ = = 究ただ沈黙しているからとて、愚かに迷い無智なる人が〈聖者〉なのではない。秤を手にも の 理 0 ているように、いみじきものを取りもろもろの悪を除く賢者こそ〈聖者〉なのである。かれは そのゆえに聖者なのである。この世にあ 0 て善悪の両者を ( 秤りにかけてはかるように ) よく考 える人こそ〈聖者〉とよばれる。 むさぼ

2. ブッダの真理のことば感興のことば

232 分の身をよくととのえて、悩みのうちにあって悩まない。 = 三この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして ( 自分の ) 主であろうか ? 賢者は、自 分の身をよくととのえて、いかなる東縛をも断ち切る。 = 四この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして ( 自分の ) 主であろうか ? 賢者は、自 分の身をよくととのえて、すべての悪い生存領域を捨て去る。 一宝この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして ( 自分の ) 主であろうか ? 賢者は、自 分の身をよくととのえて、すべての苦しみから脱れる。 = 六この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして ( 自分の ) 主であろうか ? 賢者は、自 分の身をよくととのえて、ニルヴァ 1 ナの近くにある。 以上第二三章自己 第二四章広く説く 一無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて心の静まる有益なことばを一つ聞くほ うがすぐれている。 = ことわりにかなわぬ語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて心の静まる、ことわりに

3. ブッダの真理のことば感興のことば

行僧はこのことわりを知って、栄誉を喜ぶな。孤独の境地にはげめ。 第六章賢い人 つみとが あやま ( おのが ) 罪過を指摘し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従 え。ーー隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように。そのような人につき 従うならば、善いことがあり、悪いことは無い。 ( 他人を ) 訓戒せよ、教えさとせ。宜しくないことから ( 他人を ) 遠ざけよ。そうすれば、その うと 人は善人に愛せられ、悪人からは疎まれる。 天悪い友と交わるな。卑しい入と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ。 芫真理を喜ぶ入は、心きよらかに澄んで、安らかに臥す。聖者の説きたまうた真理を、賢者は 第 つねに楽しむ。 こ合水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる入は矢を矯め、大工は木材を矯め、賢者は自己 の 理をととのえる。 一つの岩の塊りが風に揺がないように、賢者は非難と賞讃とに動じない。 全深い湖が、澄んで、清らかであるように、賢者は真理を聞いて、こころ清らかである。

4. ブッダの真理のことば感興のことば

し得ない。 六先ず自分の身を正しくせよ。次いで他人に教えよ。 セ先ず自己を正しくととのえ、次いで他入に教えよ。賢明な人は煩わされ悩むことが無いであ ろ、つから。 へ自分が他入に教えるとおりに自分でも行なえ。わたしは常にわが身をよくととのえている。 自分というものは、まことに制し難いものである。 九自分が他入に教えるとおりに自分でも行なえ。わたしはつねにわが身をよくととのえている。 賢者は自分の身をととのえているからである。 一 0 たとい他入にとっていかに大事であろうとも、 ( 自分ではない ) 他人の目的のために自分のつ とめをすて去ってはならぬ。自分の最高の目的を知って、自分のっとめに専念せよ。 この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして ( 自分の ) 主であろうか ? 賢者は、自 分の身をよくととのえて、 ( 自分の ) 主となり得る。 一 = この世では自己こそ自分の主である。他人がどうして ( 自分の ) 主であろうか ? 賢者は、自 分の身をよくととのえて、 ( 自分の ) 目的を達成する。 一三この世では自己こそ自分の主である。他入がどうして ( 自分の ) 主であろうか ? 賢者は、自 分の身をよくととのえて、徳行を達成する。 あるじ

5. ブッダの真理のことば感興のことば

一 = もしも一切の安楽を受けようと欲するならば、一切の愛欲を捨てねばならぬ。一切の愛欲を きわま 捨てた人は、実り窮り無い楽しみを受けて、栄えるであろう。 一三諸の欲望にしたがっているあいだは、心が満足を得ることが無かった。しかし欲望から退き 休止することを反省して見て、明らかな知慧によってよく満足した人々は、実に満足している のである。 すぐ 一四欲望によっては満足することがないから、明らかな知慧をもって満足するほうが勝れている。 明らかな知慧をもって満足した人を、愛執が支配することはできない。 一五愛欲を貪っている人々は実に放逸であって、なしてはならぬことを楽しんでいる。死の危機 が迫って来るのをかれらは見ない。 人生は短いのに。 一六愚人は享楽のために害される。しかしこの世で自己を求める入々は害されない。享楽を妄執 するがゆえに、愚者は他人をも自分をも害う。 一七たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。賢者は、「欲望は快楽の味が 短い」と知って、 一へたとい天上の快楽にもこころが喜ばない。正しく覚った人↑仏 ) の弟子はつねに妄執の消滅 を喜ぶ。 一九たといヒマ 1 ラヤ山にひとしい黄金の山があったとしても、その富も一人の人を満足させる わがまま

6. ブッダの真理のことば感興のことば

会高尚な人々は、どこにいても、執著することが無い。快楽を欲してしやべることが無い。楽 しいことに遭っても、苦しいことに遭っても、賢者は動ずる色がない。 会自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。財をも国をも望んではならぬ。 よこしま 邪なしかたによって自己の繁栄を願うてはならぬ。 ( 道にかなった ) 行ないあり、明らかな知 慧あり、真理にしたがっておれ。 かなたのきし * 会人々は多いが、彼岸に達する人々は少い。他の ( 多くの ) 人々はこなたの岸の上でさまよっ ている。 かなたの 真理が正しく説かれたときに、真理にしたがう人々は、渡りがたい死の領域を超えて、彼 岸に至るであろう。 賢者は、悪いことがらを捨てて、善いことがらを行なえ。家から出て、家の無い生活に入り、 ひとりい 楽しみ難いことではあるが、孤独のうちに、喜びを求めよ。 賢者は欲楽をすてて、無一物となり、心の汚れを去って、おのれを浄めよ。 むさぼ 兊覚りのよすがに心を正しくおさめ、執著なく貪りをすてるのを喜び、類悩を滅ばし尽くして 輝く人は、現世において全く東縛から解きほごされている。 けが

7. ブッダの真理のことば感興のことば

ちつけていて、この世でこの執著をのり超える。 セたとい年の若い修行僧でも、出家・遍歴して、仏の教えにいそしむならば、その人はこの世 の中を照らす。ーー雲を離れた月のように。 へたとい年の若い修行僧でも、出家・遍歴して、仏の教えにいそしむならば、その人は念いを 落ちつけていて、この世でこの執著をのり超える。 九以前には悪い行ないをした人でも、のちに善によ 0 てつぐなうならば、その人はこの世の中 を照らす。ーーー雲を離れた月のように。 一 0 以前には悪い行ないをした人でも、のちに善によ 0 てつぐなうならば、その人は念いを落ち つけていて、この世でこの執著をのり超える。 章 = 生命がまだあるうちに苦しまない人は、死後にいかなる点でも苦しむことはないが、道を見 たその賢者は、死後に悲しみ憂えることがない。 ば一 = 生命がまだあるうちに苦しまない人は、死後にいかなる点でも苦しむことはないが、道を見 こ たその賢者は、憂いのさ中にあっても憂えない。 の 感一 = 生命がまだあるうちに苦しまない人は、死後にいかなる点でも苦しむことはないが、道を見 たその賢者は、親族のあいだで輝く 一 0 修行僧らよ。汝らは悪いことがらを捨てて、善いことがらを行なえ。家から出て、家の無い

8. ブッダの真理のことば感興のことば

238 さき セ人が吉祥草の葉の尖で臭った魚を包むならば、その吉祥草でさえも悪臭を放つ。悪人に交り つき合う人々も同様である。 へ人が。ハラ 1 シャの葉でタガラ ( 香木の粉末 ) を包むならば、その葉もまた芳香をただよわす。 同様に、立派な人々と交るならば、善いことが現われる。 九 ( 自分では ) 悪いことをしていなくても、悪事をなす人とっき合うならば、同じ悪事をしてい るのではないかと疑われ、その人に対する悪い評判がたかまる。 一 0 つき合っている悪人は、悪に触れられているが、また他入に触れて、悪をうっすであろう。 やづっ 毒を塗られた矢は、箭筒の東のなかにある、毒を塗られていない矢をも汚す。悪に汚れること を恐れて、思慮ある入は、悪人を友とするな。 = どのような友をつくろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような 入になる。人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである。 一 = それ故に、賢者は、自分は、果物籠が ( 中にいれる果物に ) 影響されるようなものであるとい うことわりを見て、悪人と交るな。善人と交れ。 ーーー匙が汁の味 一三愚かな者は、生涯賢者たちに仕えても、真理をはっきりと知ることが無い。 を知ることができないよ、つに。 またたき 一四聡明な人は、瞬時のあいだ賢者たちに仕えても、ただちに真理をはっきりと知る。ーー舌が

9. ブッダの真理のことば感興のことば

一一八一詩に見られるように、 instrumental(**) を支配する。 (Lüde 「 0" き 0 ミミ、ド 224 , S. 156. ) = 三四思慮ある人ーー・ dh a. ヒンディ 1 語および現代のサンスクリット語では、自動車運転手に「気をつけて ドライヴせよ」というとき、「気をつけて」を dh 一 ra という語で表現する。古代においてもはたしてそう いう意味であったかどうかは問題であるが、 dh a をただ「賢者」「智者」と訳してしまっては、他の多く の類似語とのニュアンスの区別がはっきりしない。インドに生きている伝統を採用することにした。 第一八章 = 三六第二三六 、一三七の二つの詩はどの漢訳にも見当らない。恐らく後世での插入であろう。 〃だからーー s 。 . 文章の最初に来る指示代名詞は、「だから」という理由を示すことがある。 品 0 罪を犯した人ーー a ( 一 dh 。 nac ぎ n. その語源については諸学者の見解が一致しないが、意味は 'sinful' と いうことである。 (). Andersen: Pa ミ Glossary, p. 17. ) 注一一四一聖典—manta. ヴェーダ聖典の本文のことである。バラモンたちは朝夕これをとなえる。 読誦しなければ : : : 汚れ 1 リ文註解によると、「聖典 ( par 一 ya ( ( i) であろうとも、あるいは技術で と あろうとも、読誦しない人、すなわち努めはげまない人にとっては減びてしまうか、あるいは不断に現れ の ることが無いから、〈読誦しなければ聖典が汚れる〉というのである。」当時は聖典は暗誦によって伝えら 理 真 れ、技術はロ伝によって伝えられていたから、人が暗誦をやめてしまったら、聖典は消え失せてしまうの である。紙や樹葉に書かれた聖典の読誦を想像してはならない。書かれた聖典の読誦は西暦紀元後に一般 に行なわれるようになった。

10. ブッダの真理のことば感興のことば

第一八章花 第一だれがこの大地を征服するであろうか ? まただれが神々とともなる閻魔の世界を征服する であろうか ? わざに巧みな人が花を摘むように、善く説かれた真理のことばを摘み集めるの こ はだれであろうか ? の 感 = 学びにつとめる人こそ、この大地を征服し、神々とともなる閻魔の世界を征服するであろう。 わざに巧みな入が花を摘むように、学びにつとめる人こそ、善く説かれた真理のことばを摘み 集めるのであろう。 一 0 水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は力をこめて ( 矢を ) 矯め、大工は木材を矯め、 慎しみ深い人々は自己をととのえる。 = 深い湖が、澄んで、清らかであるように、賢者たちは正しい教えを聞いて、こころ清らかで ある。 一 = 大地のように汚されることがなく、門のしまりのように動揺することなく、 ( 深い ) 湖に汚れ た泥がないように、そのような境地にある人ーー実に諸の賢者は汚濁を離れている。 以上第一七章水