ニルヴァーナ - みる会図書館


検索対象: ブッダの真理のことば感興のことば
21件見つかりました。

1. ブッダの真理のことば感興のことば

。おのれ自らをよくととのえて一切の苦難を捨て去る。 九 ( 訳文はセに同じ ) 一 0 何となれば、その人はその乗物によってはその境地 ( ⅱニルヴァ 1 ナ ) に達することはできな きずな 。おのれ自らをよくととのえて一切の東縛の絆を断ち切る。 10< ( セに同じ ) = 何となれば、その人はその乗物によってはその境地 ( Ⅱニルヴァーナ ) に達することができな 。おのれ自らをよくととのえて一切の苦しみから脱れる。 ll< (Jr) に同じ ) II= 何となれば、その人はその乗物によってはその境地 ( Ⅱニルヴァ 1 ナ ) に達することはでき 章ない。おのれ自らをよくととのえて、 ( その境地に向って ) 一切の繁栄を捨て去る。 = (9 に同じ ) ば一 = 何となれば、その人は、その乗物によってはその境地 ( = ニルヴァーナ ) に達することができ こ ない。おのれ自らをよくととのえたならば、かれは安らぎ ( ニルヴァーナ ) の近くにある。 の 感一三おのれ自らをととのえよ。ーー・・御者が良い馬をととのえるように。おのれ自らをよくととの えて、念いをおちつけて、苦しみの彼岸に達する。 あるじ よるべ 一四実に自己は自分の主である。自己は自分の帰趣である。故に自分を制御せよ。ーー御者が良

2. ブッダの真理のことば感興のことば

かも自分では賢者だと思う者こそ、「愚者」と呼ばれる。 = 三称讃してくれる愚者と、非難してくれる賢者とでは、愚者の発する称讃よりも、賢者の発す る非難のほうがすぐれている。 一一四愚かな者を見るな。そのことばを聞くな。またかれとともに住むな。愚人らとともに住むの は、全くつらいことである。仇敵とともに住むようなものだからである。思慮ある入々と共に 住むのは楽しい。 親族と出会うようなものである。 = 五よく気をつけていて、明らかな知慧あり、徳行をたもち、学ぶところ多く、しつかりしてい て、敏捷な入に親しめよ。 諸の星が月にしたがうように。 以上第一一五章友 第二六章安らぎ ( ニルヴァーナ ) 一亀が諸の肢体 ( 首と四肢と尾と ) を自分の甲のなかにひっこめるように、自分の粗雑な思考を おさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、東縛の覆いを完くときほ ・こして、なんびとをも謗るな。 = 忍耐、堪忍は最上の苦行である。安らぎ ( ニルヴァーナ ) は最高のものであると、諸のブッダ

3. ブッダの真理のことば感興のことば

) 、 , ここ亠の 一九〈悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のまもオー って、悩み無く暮そう。 むさぼ むさぼ 一究貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。食っている入々のあ いだにあって、貪らないで暮そう。 = 00 われらは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、 びを食む者となろう。 = 0 一勝利からは怨みが起る。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、 安らかに臥す。 = 0 = 愛欲にひとしい火は存在しない。ばくちに負けるとしても、憎悪にびとしい不運は存在しな このかりそめの身にひとしい苦しみは存在しない。やすらぎにまさる楽しみは存在しない。 = 0 三飢えは最大の病いであり、形成せられた存在 ( ⅱわが身 ) は最もびどい苦しみである。このこ とわりをあるがままに知ったならば、ニルヴァーナという最上の楽しみがある。 = 0 四健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の知己であり、ニルヴァーナ は最上の楽しみである。 ひとりい = 0 五孤独の味、心の安らいの味をあじわったならば、恐れも無く、罪過も無くなる、ーー真理の わずら つみとが

4. ブッダの真理のことば感興のことば

は説きたまう。他人を害する人は、他人を悩ますのだから、出家した〈道の人〉ではない。 三だれに対しても荒々しいことばを言うな。言われた人々はその人に言い返すであろう。怒り を含んだことばは苦痛である。報復が ( その人の ) 身に迫る。 四こわれた鐘のように、汝がいつも自分を動揺させ ( 煩悩をおこす ) ならば、汝は生れては死ぬ 流転の迷いをながく受けるであろう。 五しかし、こわれた鐘が音を出さないように、汝が自分を動揺させ ( 煩悩をおこす ) ことが無い ならば、汝はすでに安らぎ ( ニルヴァーナ ) に達している。汝はもはや怒り罵ることがない。 六健康は最高の利得であり、満足は最上の宝であり、信頼は最高の友であり、安らぎ ( ニルヴァ 1 ナ ) は最上の楽しみである。 章セ飢は最大の病であり、形成された存在↑わが身 ) は苦しみである。このことわりをあるがま まに知ったならば、安らぎ ( ニルヴァーナ ) に専念するものとなるであろう。 ばへ善い領域↑天 ) におもむく人々は少ない。悪い領域 ( Ⅱ地獄など ) におもむく人々は多い。こ こ のことわりをあるがままに知ったならば、安らぎ ( ニルヴァ 1 ナ ) に専念するものとなるであろ の 九びとびとは因縁があって善い領域↑天 ) におもむくのである。ひとびとは因縁があって悪い 領域 ( Ⅱ地獄など ) におもむくのである。びとびとは因縁があって完き安らぎ ( ニルヴァ 1 ナ ) に

5. ブッダの真理のことば感興のことば

とばも静かである。行ないも静かである。 何ものかを信ずることなく、作られざるもの ( Ⅱニルヴァーナ ) を知り、生死の絆を断ち、 ( 善 悪をなすに ) よしなく、欲求を捨て去った入、 かれこそ実に最上の人である。 九へ村でも、林にせよ、低地にせよ、平地にせよ、聖者の住む土地は楽しい 究人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむであろう。 かれらは快楽を求めないからである。 第八章千という数にちなんで 一 00 無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれて 一 0 一無益な語句よりなる詩が千もあっても、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれている。 一 0 = 無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて心の静まる詩を一つ聞くほうがすぐれ ている。 一 0 = 戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者であ きすな

6. ブッダの真理のことば感興のことば

307 感興のことばまとめの句 まとめの句 ( 一 ) 無常と ( 一 l) 愛欲と ( 一一 l) 愛執と ( 四 ) はげみと ( 五 ) 愛するものと、 ( 六 ) 戒しめと ( 七 ) 善い行ない と ( 八 ) ことばと ( 九 ) 行ないと ( 一〇 ) 第十として信仰と、 ( 一一 ) 道の人と ( 一一 l) 道と ( 一一一 D 尊敬と おも ( 一四 ) 憎しみと ( 一五 ) 念いをおちつけてと ( 一六 ) さまざまなことと ( 一七 ) 水と ( 一八 ) 花と ( 一九 ) 馬と、第一〇に ( 二〇 ) 怒りと、 ( 二一 ) 如来と ( 二一 l) 学問と ( 二一一 D 自己と ( 二四 ) 広く説くと第五に ( 二五 ) 友と ( 一一六 ) 安らぎ ( ニルヴァーナ ) と ( 二七 ) 観察と ( 二八 ) 悪と ( 二九 ) びと組みずつの章と ( 三〇 ) 楽しみと ( 三一 ) 心と ( 三一 l) 修行僧と ( 三一一 l) バラモンと、 これらの三十三であると伝えられている。 正しく覚った人の説かれたこれらの章とまとめの句が終った。

7. ブッダの真理のことば感興のことば

286 にゆるがない。 風が吹いても岩山が動揺しないように、修行僧は、食ばりが減びてなくなるから、岩山のよ うにゆるがない。 一大風が吹いても岩山が動揺しないように、修行僧は、愛執が減びてなくなるから、岩山のよう にゆるがない。 財を蓄積することなく、わがものという思いが存在せず、また ( 何ものかが ) ないからとい 0 て憂えることのない人、ーーかれこそ「修行僧」 ( 托鉢僧 ) とよばれる。 天他人に食を乞うからとて、それだけでは〈托鉢僧〉なのではない。在家の行ないをしているの であれば、それでは〈托鉢僧〉ではないのである。 一九この世の福楽も罪悪も捨て去って、清らかな行ないを修め、よく思慮して世に処しているな らば、かれこそ〈托鉢僧〉と呼ばれる。 = 0 仏の教えを喜び、慈しみに住する修行僧は、見るも快い、静けさの境地に到達するであろ = 一仏の教えを喜び、慈しみに住する修行僧は、動く形成作用の静まった、安楽なる、静けさの 境地に到達するであろう。 = = 慈しみに住し、仏の教えを喜ぶ修行僧は、堕落するおそれなく、ニルヴァーナの近くにいる。

8. ブッダの真理のことば感興のことば

218 七 すぐれた叡智ある人に向っておもむく。 = 恥を知り、明らかな知慧あり、よく心を統一安定しているこの人は、一切の悪を捨て去る。 良い馬が鞭を受けたときのように。 大馴らされた馬は、戦場にも連れて行かれ、王の乗りものともなる。自らをおさめた者は、人 々の中にあっても最上の者である。かれは世のそしりを忍ぶ。 この世で騾馬を馴らしたら良い。インダス河のほとりの血統よき馬を馴らすのも良い。クン ジャラという名の大きな象を馴らすのも良い。しかし自己をととのえた人はそれらよりもすぐ れている。 へ何となれば、その人はその乗物によってはその境地 ( ニルヴァーナ ) に達することができな おのれ自らをよくととのえてこそ、速やかに静けき境地におもむくのである。 << ( 訳すと七に同じ ) 何となれば、その人はその乗物によってはその境地 ( ニルヴァ 1 ナ ) に達することはでき かなた ないであろう。おのれ自らをよくととのえて、迷いの生存のうちにありながら苦しみの彼岸に おもむくのである。 へ ( 訳文はセに同じ ) 九何となれば、その人はその乗物によってはその境地 (= ニルヴァ 1 ナ ) に達することができな おのれ

9. ブッダの真理のことば感興のことば

262 ゆるがないようなものである。 森は楽しい。世の人々はここで楽しまないが、情欲のない人々はここで楽しむであろう。か れらは快楽を求めないからである。 一へ村にせよ、森にせよ、低地にせよ、平地にせよ、聖者の住む土地は楽しい。 一九善き人々は遠くにいても輝やく、 雪を頂く高山のように。善からぬ人々は近くにいても 見えない、 夜陰に放たれた矢のように。 = 0 善人で賢者であり道理を考える人々とだけ交われ。深遠にして大いなる道理を知慧によって 洞察せよ。 = 一戦場の象が、弓から射られた矢にあたっても堪え忍ぶように、われはひとのそしりを忍ばう。 多くの人は実に性質が悪いからである。 = = われは、迷いの生存のうちに恐ろしさを見、また迷いの生存のうちにさらに破減を見て、そ れ故にわたしは迷いの生存を喜ばない。 わたしは生存の減亡を ( 執著して ) 喜ぶこともない。 をずな 一三何ものをも信ずることなく、作られざるもの ( = ニルヴァーナ ) を知り、生死の絆を断ち、 ( 善悪をなすに ) 由なく、欲求を捨て去った入、ーーかれこそ実に最上の人である。 = 四 ( 「妄愛」という ) 母と ( 「われありという想い」である ) 父とをほろばし、 ( 永久に存在すると

10. ブッダの真理のことば感興のことば

一 = 一それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する入も憎む人もい きすな ない人々には、わずらいの絆が存在しない。 = 一 = 愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる、愛するものを離れたならば、憂 とうして恐れることがあろうか ? いは存在しない。・ = 一三愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。どう して恐れることがあろうか ? 一 = 四快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。快楽を離れたならば憂いが存在しない。どう して恐れることがあろうか ? = 一五欲情から憂いが生じ、欲情から恐れが生じる。欲情を離れたならば、憂いは存しない。どう して恐れることがあろうか。 = 一六妄執から憂いが生じ、妄執から恐れが生じる。妄執を離れたならば、憂いは存しない。どう して恐れることがあろうか。 = 一セ徳行と見識とをそなえ、法にしたがって生き、真実を語り、自分のなすべきことを行なう入 は、人々から愛される。 = 一へことばで説き得ないもの ( ⅱニルヴァーナ ) に達しようとする志を起し、意にみたされ、諸の のぼ 愛欲に心の礙げられることのない人は、〈流れを上る者〉とよばれる。 さまた のり