郎 264 人』で知られ、また、『アイヴァンホー』など歴史小説の作が多い。 ( 八 ) Geschehen ( 独 ) 事件、できごと。 ( 九 ) Nachbild ( 独 ) 模造、偽物。 ( 一〇 ) ポンチ一八四一年にロンドンで創刊された週刊の漫画雑誌『。ハンチ』に由来する滑稽な風 刺画。いまの漫画にあたる。 一 ) ナポレオン三世 NapoleonIII ( 1803 ー 1873 ) ナポレオン一世の甥。一八五一一年にフランス 皇帝として即位、専制政治を行なったが、一八七〇年の普仏戦争に敗れ、イギリスに亡命し ( 一 (l) ヌーポー式二十世紀初頭のフランス・ドイツに起った新芸術派 (Art nonveau) の図案様 式。おなじ太さの線を使うのが特色で、単調で情味にと・ほしいが、素朴な味わいがある。 ( 一 = l) アフラ、べーン Afra Behn ( 1640 ー 1689 ) イギリスの劇作家・小説家。イギリスの最初の 職業女流作家として活躍した。戯曲『漂泊者』小説『オルーノウコウ』がある。 ( 一四 ) 外濠線東京の市街電車 ( いまの都電の前身 ) の路線のひとつ。御茶の水、土橋間を走り、 皇居の外濠を一周する。 ( 一五 ) 甲武線御茶の水と八王子間を走る甲武鉄道株式会社経営の私鉄。いまの国電中央線の前 身。 ( 一六 ) 世紀末十九世紀の末、フランスを中心とするヨーロッパに現われた虚無的、頽的な思想 傾向。文学ではポーやポードレール、ワイルドらがそれにあたり、日露戦争後、わが国にも 大きな影響をあたえた。 ( 一七 ) 偕行社陸軍の駐屯地で「ー将校の団結と親睦をはかるために設けられたクラブ。東京では九 しんばく
注 263 注 ーコン Francis Bacon ( 1561 ー 1626 ) イギリスの政治家・哲学者。観察と実験にもとづ き科学的に新知識を発見すべきことを説いた。デカルトとともに近代哲学の祖と呼ばれる。 ( ニ ) 桃は果物のうちで一番仙人めいている中国では桃は古来仙果として珍重され、仙女西王母 の特ち物になっている。また、食べて年齢をのばしたという伝説もある。 ひょりみ ( 三 ) 洞が峠で昼寐をしたどちらっかずの日和見的・傍観的な態度をとること。洞が峠は京都府 と大阪府の境界にある峠。天正十年 ( 】 582 ) の山崎合戦の時に筒井順慶がここに陣をしき、 明智光秀・羽柴秀吉のいずれに味方するかとの形勢を観望したという故事がある。 ( 四 ) 赤門東京大学はもと加賀百万石の藩主前田家の江戸屋敷跡で、前田家時代の御守殿門 ( 徳 川将軍の息女を妻に迎えた家にのみ許される朱塗りの門 ) がそのまま残っていた。このため 〈赤門〉の語が東大の俗称ともなった。 ( 五 ) ラスキン John Ruskin 0 田 9 ー一 98 ) イギリスの美術評論家。ラファエル前派の連動を擁 護し、自然美を描くことの必要と方法を説いた。晩年は社会的関心を深め、資本主義体制の 不合理と矛盾を批判した。 ( 六 ) 太陽明治二十八年一月に博文館から創刊された総合月刊雑誌。政治・経済・社会方面の評 ちよぎゅう 論にも重点をおいたが、明治三十年代中期まで高山樗牛や長谷川天溪らの文芸評論が文壇の 注目を集めた。 ( 七 ) スコット walter scott ( 】 7 コー富 32 ) イギリス浪漫派の詩人・小説家。叙事詩『湖上の美 べ
郎 四 ( 二七 ) ワットマン (Whatmann) イギリスのケント州で作られる厚手で純白な上質画用紙。水彩 画に用いる。 ストレイシーイ . ( 二八 ) 迷える子〔 Stray Sheep ( 英 ) 〕『新約聖書』のマタイ伝十八章十二ー十四節に、〈あなたた ちはどう思うか、ここに百匹の羊をもっている人がいて、そのうちの一匹が群れをはなれ去 ったら、九十九匹を山において、いなくなったのをさがしに行かないだろうか ? そして、 もしそれを見つけたら、まことに私はいう。 迷わなかった九十九匹よりも、この一匹のこと のほうを喜ふだろう。それと同様に、天におられるあなたたちの父は、この小さなものの一 人さえも亡びることを、おのそみにならない〉とある。 ( 一一九 ) イ・フセン Henrik lbsen 0828 ー】 906 ) ノルウ = ーの劇作家。近代劇の祖といわれ、明治中 期から島村抱月らによって日本に紹介され大ぎな影響をあたえた。多くのドラマで新しい女 性像を創造し、たとえば『人形の家』 ( 1879 ) のノラは自我にめざめ、女である前に人間で あることを求め、家も夫も愛児も捨てて家出する。 ( 三〇 ) ダーター、フアプラ〔 de te fabula ( 羅 ) 〕〈お前について、話が〉の意で、古代ローマの 詩人ホラテイウス (Quintus Horatius Flaccus. 65 ー 8 B. C. ) の『諷刺詩』第一巻第一句に 見える語。 "Quid rides ? mutato nomine de te Fabula narratur" ( お前は何がおかしいの か ? 名前を変えれば、お前について、話が語られているのだ ) 。 ( 三一 ) 日英同盟ロシアの南進政策に対抗するために、明治三十五年に締結されたイギリスとの軍 こうさ 事同盟。当時、この同盟の成立を記念して、日英両国旗を交叉させた日英同盟旗が作られた。 ( 三一 l) サッフォー (Sappho) 前七世紀ごろの古代ギリシャの女流詩人。すみれ色の髪と美しい容 姿をもち、美少年パオンとの恋に破れて、レウカスの海に投身したと伝えられる。
注 265 段坂の中途にあった。 ( 一八 ) 天長節天皇の誕生を祝う祝日で、いまの天皇誕生日にあたる。当時は十一月三日、のちに 明治節と改められた。 ( 一九 ) 火宅法華経の説く比喩のひとつで、人が三界に住んで煩悩に苦しむさまを焼けつつある家 にたとえ、その家のなかで迫ってくる運命も知らずに戯れる子どもにたとえた言葉。 〔 Romantische 一「 onie ( 独 ) 〕ドイツ浪漫派のシ、レーゲル、ティ 1 クら ( 二〇 ) 浪漫的アイロニー がその芸術的創作ならびに批評の原理として説いた語。芸術家の自我意識だけをよりどころ とし、すべてを超越した精神的自由性を意味する。ここでは、超越的な態度の比喩。 ( 一一一 ) シ、レーゲル F 「 ied 「 ich schlegel 07 ー】 820 ) ドイツの美学者で、ドイツ浪漫派の理論 体系を確立した。 ( 一一一 l) グルーズ」。目 paptiste G 「。ミ。 0725 ー〕 .80e フランスの画家。市井の風俗に取材した絵 を多く描いた。 ( 二 lll) ヴォラブチアス〔 V01uptuous ( 英 ) 〕肉感的な。 オプ、インテレクチ、アル、デヴェロツ。フメント "HistorY0flntellectualDe ・ ( 二四 ) ヒストリー、 velopment" 『知的進化史』一一巻。イギリスの哲学者・歴史家クロ 1 ジャー (J0hn c 「 ozier, 一 849 ー】 92D の著書で、一八九七年から一九〇一年にかけて刊行された。 べーンの代表作で一六八八年 ( 二五 ) ォルノーコオルーノウコウ ( 0r8n0k0 》 the royal slave)0 に書かれた。近代小説の原型のひとっとして重要な史的意義をもつ。 ( 二六 ) サザーン Thomas southe 「 ne ( 】 660 ー】 740 ) イギリスの劇作家。一六九六年に『オルーノ ウコウ』を脚色して発表し、評判になった。 にんのう
四 268 文芸界の革新をめざしたが、明治四十一一年に純然たる演劇団体に改組、新劇の基礎を固めた。 ( 四四 ) ( イドリオタフヒア Urn BuriaI 。「 Hyd 「 iotaphia 『壺葬論』イギリスの医師プラウン (T. こつっぽ B 「 owne. 一 605 ー三 82 ) の著書。発掘された古代の骨壺に託して独得の死生観・霊魂不滅論 を展開している。その文体は荘重ですぐれている。 ( 四五 ) 聖徒イノセント (lnnocentius) ローマ法王の名で十三名いるが、ここではイノセント三世 ( 1160 ー 12 】 6 ) をさすのであろう。法王権の強化につとめた。 ( 四六 ) アドリエーナス ( ドリアヌス (Publius Aelius Hadrianus, 76 ー 138 ) 。ローマの皇帝。芸 れいびよう 術を奨励した。その霊廟は在生中にみずから建造したので、ローマ建築の代表作のひとつに 数えられている。 ( 四七 ) 。ヒエルロチー Pier 「 e Loti 0850 ー〕 .923 ) フランスの小説家、海軍士官として、世界各地を 訪れ、明治十八年には日本にも立ち寄ったが、その間の見聞に基づぎ、『お菊さん』や『秋 の日本』が書かれた。 ( 四八 ) 祐信西川祐信 ( 】 671 ー 1751 ) 江戸中期の京都の浮世絵師。写実的だが優雅な作風で知ら さしえ れ、浮世草子の挿絵を多く描いた。 ふんそう ( 四九 ) 活人画背景の前で扮装した人が絵の中の人物のように動かずにいる見世物。 ( 五〇 ) タイムス社ロンドン・タイムズ社。英国の有名な新聞社で、当時、日本で『プリタニカ百 科辞典』を販売する時、いまでいう月賦販売の方法をとった。 ( 五一 ) affect ( 英 ) 好む。 ( 五一 l) Amaranth ひゅ属の観賞用植物で、葉鶏頭、三色期頭などをふくむ。 ありのり ( 五 lll) 森文部大臣森有礼 ( 】「ー】 0 ) 政治家。旧藩士で、明治十八年伊藤博文内閣の文部
注 267 ( 三三 ) カリーカチュアー〔 caricature( 英 ) 〕戯画。 ( 三四 ) 歌麿喜多川歌麿 ( 1753 ー 1806 ) 江戸後期の画家。狩野派に学び、優艶な美人画によって浮 世絵の新しい様式を完成した。 ( 三五 ) ヴェラスケス Diego Rodriguez Velazquez ( 1599 ー 166e スペインの宮廷画家。華麗な色 彩と類型を脱した個性的な描写とによって、後世に大きな影響を与えた。 ( 三六 ) 十六武蔵親石一個と子石十六個を盤上に引いた線にしたがって動かし、相手の石を奪いあ って勝負を決する遊戯。はしめ賭博の一種だったが、のちに家庭遊戯となった。 ( 三七 ) マクスエル James Clerk Maxwell ( 1831 ー 1879 ) イギリスの物理学者。電磁波が光と等速 でんば 度で伝播することを理論的に証明した。 ( 三八 ) レベデフ Pyoty Lebedev ( 1866 ー 1912 ) ロシアの物理学者。マクスエルの理論を実験で証 明したのは一八九九年である。 ひょうぼう ( 三九 ) クールべ工 Gustave Courbet ( 1819 ー 1877 ) フランスの画家。徹底的な客観主義を標榜し、 その題材を平凡な市井の出来事、人間、景色にもとめた。〈私は羽根のある天使を描かない。 なせなら私はそんなものは見たことがないから〉とはその信条である。 ( 四〇 ) Vérité vraie ( 仏 ) 本当の真実。 ( 四一 ) モロー Gustave Moreau ( 1826 ー 1898 ) フランスの画家。幻想的なイメージを精細な描写 で表現した。 ( 四一 I) シャヴァンヌ Pierre Cécile Puvis de Chavannes ( 1824 ー 1898 ) フランスの画家。劇的な ふんいき 奔放を避け、淡彩優雅な色調で静寂な雰囲気を巧みに表現した。 ようよら・ ( 四三 ) 文芸協会明治三十九年一月に坪内逍遙が島村抱月と協力して創立した演劇団体。初め広く ゅうえん
イギリス 午過になったから出掛けた。会場の人口は運動場の南の隅にある。大きな日の丸と英吉利の国 こうさ 旗が交叉してある。日の丸は合点が行くが、英吉利の国旗は何の為だか解らない。三四郎は日英 とん 同盟の所為かとも考えた。けれども日英同盟と大学の陸上運動会とはどう云う関係があるか、頓 と見当が付かなかった。 運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色が大分褪めている。競技を看る所は西側に つきやま ある。後に大きな築山を一杯に控えて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追い込む仕 ひょり 掛になっている。狭い割に見物人が多いので甚だ窮屈である。幸い日和が好いので寒くはない。 第、レ」第ノ 郎然し外套を着ているものが大分ある。その代り傘をさして来た女もある。 三四郎が失望したのは婦人席が別になっていて、普通の人間には近寄れない事であった。それ 四からフロックコ 1 トや何か着た偉そうな男が沢山集って、自分が存外幅の利かない様に見えた事 であった。新時代の青年を以て自からおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人の間 三から婦人席の方を見渡す事は忘れなかった。横からだから能く見えないが、此処はさすがに奇麗 である。悉く着飾っている。その上遠距離だから顔がみんな美しい。その代り誰が目立って美し いという事もない。只総体が総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に 打ち勝っ色ではなかった。そこで三四郎は又失望した。然し注意したら、何処かにいるだろうと 思って、能く見渡すと、果して前列の一番柵に近い所に二人並んでいた。 ようや たちま 三四郎は目の着け所が漸く解ったので、先す一段落告げた様な気で、安心していると、忽ち五 六人の男が眼の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである。決勝点は美禰子とよし 子が坐っている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見詰めていた三四郎の視線のうちには是 136 すみ