粘土板 - みる会図書館


検索対象: 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見
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1. 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見

が、これにより刺激をうけて創造したと考えた方がよいであろう。インダス文字を分類すると、 三九六種類、原型は九〇〇種類といわれるから、そこには意識的な変容、つまり発展があったと せねばならない。 このほか、まえにものべた出土品のなかにはたくさんの度量衡があった。これは角岩でつくら おもり れているものが多かった。その錘の重さをはかってみると、 1 、 2 、 4 、 8 : : という整然と した比例をなしていた。小さいものから大きいものまで、整然とした比例をなしていたことは、 数量に単位があり、数字があり、原始的数学の基礎があったことが推察されるわけである。これ はハラッパの住民たちが、商業民族であった証拠である。 青銅の容器 ( ッポ、ナベ ) なども、かなり出土している。ちょうど純銅器文明から青銅器文明に 入っていった時期であり、芸術的作品としてはハラツ。ハから出土した遺跡にはたいして重要なも のはない。 ハラッパの住民がどんな宗教を信じたかということは、粘土板を考えてみなければならない。 たとえばコプラ蛇を背負った二人の婦人がひざまずいて礼拝している印章、たくさんの野牛や山 羊を犠牲にささげている図、菩提樹の下にすわっている女。角の生えた神、女神を礼拝している 図ーーーこれらはハラッパの宗教を考えるいい材料である。 モヘンジョ・ダロやハラッパの彫刻品は少ないが、男性像でヒゲを生やしているもの、ア。フリ

2. 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見

豊富だったことを示し、宗教や美術の活動は、粘土製の像が示している。好んでつくられたらし い妊娠した婦人の坐像は、大地の豊饒を象徴する母神である。ジ = リ 0 の家は煉瓦ででき、壁は 厚い石膏でおおわれ、町は大きな石をくんだ城壁でかこまれている。 新石器時代の末期から土器があらわれ、単純な幾何学模様から人物、動物の絵などがえがかれ る。紀元前四〇〇〇年ないし三〇〇〇年の金石併用時代には、エジ。フトとメソボタミアを中心と して周辺地域からも発見される。この時代にはメソボタミアの円筒印章や動物の像がエジプトで 出土している。エジプト文字はメソボタミアの初期の文字と類似した点がみとめられる。 メソボタミアの南部に、たくさんのシュメール人の都市国家ができたのは、 最初の歴史的人物 紀元前三〇〇〇年ないし二七〇〇年とされている。古い英雄伝説の伝えると ころから推測すれば、エンとよばれる国家の指導者は、戦争などの重要な国事は、都市の長老た ちや市民の代表者たちからなる会議にはかって決定していたようである。このような政治形態に たいして、最近「原始的民主制」ということばをあたえる学者もある。 この時代の国家の形態はまだ解明されていないが、「エンの土地」として広大な土地が記録され ている数個の粘土板が発見されている。また都市を意味する「ウル」の文字も絵文字に見いださ れているし、また神殿の「長」を意味するサングや、のちの時代に「使者」の意味につかわれた スッカルやウグラ ( 監督 ) の文字、さらにシャブガル ( 商人 ) 、シムグ ( 鍛冶工 ) 、ナガル ( 大工 ) など

3. 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見

期間はやはり三カ年で、乳母への謝礼は大麦、油、羊毛であった。乳母の責任は重大で、「もし 乳母の手で養育中の子が死んたり、その子の両親の許可を得ないで、他人の子に乳をあたえたり 3 したときは、その乳母の乳房は切りとられる」と法律で規定されていた。 こうして少年期に達すると、学校へ行くことになる。 ここで当時の純愛の手紙を一つ紹介しよう。これは学園の恋である。ある男子学生が病気の恋 人につぎのような手紙を送った。 「ギミル・マルドウクからビビアさんへ。私のためにシャマシ神とマルドウク神が、あなたに 永遠の健康を与えてくたさることを祈ります。私はあなたの健康のことが心配でなりません。ご 様子を知らせてください、私はスビロン ( の学校 ) に来ています。あなたを見ることができませ んでした。たいへんがっかりです。どうして・ ( ビロンに来れなかったのか、わけをきかせてくだ さればうれしいです。マルケシュ・ハンの月 ( 第八月 ) にはお帰りになれるように。くれぐれもお体 に気をつけてください。私のために」 当時の学校は宮殿や神殿に付属しており、上流階級の子女のみがかよっていた。弁当もちであ る。学習することは、粘土板のシュメール文の読み書きから、算数の初歩、動植物、地理、鉱物、 さらに神話、伝説、詩歌の筆写、作文などである。学校は「粘土板の家」、校長は「粘土板の家 の父」、生徒は「粘土板の家の子」といわれた。卒業すると宮殿や神殿の書記となった。

4. 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見

割糸 は の 野問 を あ で を い ず は牛題 え も 通 る す人 な っ 山粘 は 八 に て の 羊 を板 不 粘 た オよ よ け 教 と 土 も は 的板 推 れ 小 ば だ 教 信 は た 定 な 念何 人し 的 す に 間 た る ら を に 象 な あ 使 し、 モヘンジョ・ダロ出土の粘土板。上のイ 用 鳥は 徴 い ら ンダス文字はまだ解読できていない。 が さ 、四 わ さ ヮ 角 だ れ ぶ も の う し タ ん粘 て な 種 た た い 冫こ . れ 護 そ こヒ も に い え の ア の に 符 か 特 た 粘 発 れ 板 ど な た の 達 が も 石 ら 別 し 土 の い は で に か板 描 の 来 そ で彫 は の 日 つ で て 節 た 粘 ん な あ で か り に の い き あ 商 メ あ れ な を て い ろ そ も 人 板 た 表 る か ソ る て う い 記 だ ポ 種 の と と 0 か れ を し、 上 ろ 所 し 文 る は い タ の た 字 う 持 オよ も う つ よ 絵 の と を か し ア る 画解 り て の は は文 読 い影 た そ ス 、字す た 響 れ し る カ 文 か 人 る 以 人 カ ; し シ で モ 字 は こあ あ 努 は で 上 、ン カ あ カ く 何 ろ し メ ら 彫 わ も お は る う わ の ら そ護 が れ . 意 の し ノし れ そ応 て 匠 の い な 決 く で 文 し な の し、 そ 定 貨 み あ 字 と て さ か る の 的 幣 を 文 ら る れ は ほ 的 見 字 だ れ な な た オょ メ 力、 な が ら る ん ソ 役ば と 人 し た と ポ よ 東と西を結ぶもの 289 ステア・ストン

5. 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見

は、注目すべきことである。 こうした都市文明が、土着の先史時代の農業社会のなかからどうして出てきた % 粘土板の発見 のか、これはなかなか興味ある問題である。 そこで二つの仮説が、いままで考えられている。一つは、この近所の先史農村がしだいに文化 的発展をとげ、モヘンジョ・ダロのような都市に上昇発展してきたとするものである。もう一つ の考えかたは、すでに完全に発達した他のどこかの都市文明が伝播してきて、この農村社会に影 響をおよ・ほし、その影響のもとに都市文明が生みだされたとするものである。 最近、この遺跡を研究したウィーラーという学者は、古代文明の起源についてのべている。 「この文明は、ある種の環境的事情が、創造的天才をもった民族にはたらきかけた結果である。 そしてこの環境的事情にたいして、もしこの民族が創造的想像をもっていなかったならばこんな カくも急速な発達をとげることはできなかったろう」と、この文明を、外来の に短しあいたに、、 先進文明の影響と土着民族文化との結合によって生みだされたとしている。 では、この都市文明はいつでき上がって、いつまでつづいたのであろうか、だれもが知りたい ところであろう。それを解明するためには、この遺跡から出てくる粘土板にきざまれている銘文 ( インダス文字 ) がその鍵となる。残念なことには、この銘文解読を二、三の人が手がけているが、 まだ人々をなっとくさせるような結論を出すまでにはいたっていない。

6. 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見

三 0 メートルほどの深い峡谷をなしている。これをつたって南へ一キロ行ったところで、ふと道 ばたの黄土崖を見ると、厚い赤い第三紀の粘土層のうえに、灰と土器の破片が累々とまじった層 が露出していた。これこそ助手の買いあつめた石器の出土した地点にちがいないと直感した博士 は、すぐさま発掘にとりかかることにした。 この層を掘りくずしていくうちに、底の方から、表面を美しくみがきあげて黒で彩色した赤い 土器が出てきた。その色あいといい、文様といい、すばらしい出来である。地質学者であった博 士は、このときまで先史考古学について通り一ペんの概念しかもっていなかった。石斧をつかっ ていた石器時代人が、どうしてこんな芸術的に発達した彩色土器 ( 彩陶 ) をつくりだせゑたろうか。 博士はしろうとの不確かな知識をもとにしてこの山のなかにまでふみこんできた無鉄砲を、いま さらのように後悔した。自分は考古学をすて、やはり地質学者としての本筋にもどるべきではな いか。むさくるしい村の宿の寝床で、博士は仰齠遺跡のなげかける謎をめぐって幾夜か思案をか さねた。 けつきよく、石器が土器とおなじ層に出てくるかどうか、念のためにもう一度しらべてみるこ とだ。博士は気をとりなおして、村の子供に小銭をやって石器を集めさせたところ、そくそくと 石器が見いだされた。そして一日がかりで黄土の峡谷の崖の断面の層位を精密に検討するうちに、 とうとう土器が出てくるのとおなじ灰の層から、みごとな磨製の石斧を見つけた。黒と赤の美し

7. 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見

の専門職の名、南部の平野からは産出しないクーグ ( 銀 ) 、ウルドウ ( 銅 ) などの金属の名、シェ ( 大麦、穀物 ) 、ガン ( 土地、耕地 ) 、ウッキン ( 人民、集会 ) 、ガル ( 強い、大きい ) 、シャム ( 売買 ) な どの楔形文字に当てはめることのできる絵文字はたくさんに見いだせる。 このような粘土板から、単語をよせあつめてビック・アップし、他の考古学的記録を参照しな がらパズル式に当時の政治、とくに経済、社会の状態を復元するこころみが、主としてソ連の学 者によっておこなわれている。このやりかたは、この時期の研究法としては着実な興味ある方法 といわなければならない。しかしまだこの時期の粘土板から国家の形態をくみとるまでにはいた っていない。 紀元前一一六〇〇年頃になると、エンシま ラ帽 の とかルーガルの称号をもった都市国家のは 頃る 君主があらわれてくる。この時代を初期 前デ王朝期とよぶ。シュメールの文献的史料、 まグ シ 、ア川、るの最古のものは、前二六〇〇年頃のキシは 、、一、 ~ す、。一て = 王メシリムがのこしたものである。そ歴 第、ののぶ れはかれがニンギルス神の神殿に奉納し シュか メース・ヘッド ンシを 一工ガ子た、石の拳棒にしるされ、

8. 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見

つぎの指令書は、収賄官吏について命令している。 「シン・イディンナムにハンムラビかく命ず。シュムマン・ラ・イルはつぎのごとく余に報告し 3 てきた。『ドウル・グルグルリに収賄事件が発生しました。収賄した本人とこれらの事件の知識 をもっている証人がここにおります』と。いまこのおなじシュムマン・ラ・イルと一人のラガ・フ 官と一人の : : : 官とをなんじのもとに出発させる。なんじがこの粘土板を読んだら、ただちに事 件を調査せよ。もし収賄の事実が明らかになるならば、銀あるいは賄賂として提供されたすべて のものに押印して余のもとにとどけさせよ。収賄した者、証人をともに余のところへつれてこさ せよ」 役人の怠慢については、 「シン・イディンナムにハンムラビかく命ず。商人ィリシュ・イビは余につぎのごとく訴えてき た。『三〇グルの大麦を代官シン・マギルに貸した。私はかれの借用書をもっています。三年の あいだ、かれに返済をもとめましたが、かれは大麦を返済してくださいません』このように訴え てきたので、余はかれの提出した粘土板をしらべた。シン・マギルは大麦とその利息とを支払わ ねばならない。なんじはそれをイリシュ・イビにあたえよ」 穴をあけた代官のしりぬぐいを、国家がしたのである。代官のこの後の運命はわからない。 運河の清掃は、近くに居住している賦役負担者によっておこなわれた。

9. 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見

古代オリエントの歴史を読んでいると、王朝の存続期間、王の在位期間を ハンムラビ王の年代 はじめ、いろいろな事件の年代が本によってちがっていることに気づくで 3 あろう。ハンムラビ王の治世年代もいろいろに書かれている。これは、キリスト紀元のような多 くの国に共通する紀年法がないことからおこるものである。古代にはいろいろな暦があったので、 ある事件のおこった年をきめるためにはキリスト紀元に換算する必要がある。 しかし古代の年代のかそえかたはかなり不確実であるため、換算もだいたいの年をきめること ができる程度の場合も少なくない。したがって、その時代に使用されていた紀年法からは独立し た紀年法が必要である。今日の天文学は、数千年、数万年以前にあった日蝕などの天体現象を、 分秒たがわず計算することができる。だから、もし古代の粘土板などの資料に天体現象の記事が あれば、天文学の計算によってその年月日を算出すればよいわけである。 その最初の資料となったものは、アッシリアのアッシュール・ハニバル王の図書館から発掘され た一つの粘土板である。それには、「アッシ = 1 ルに叛乱が発生した。シマヌの月に日食が起こ った」と記録されていた。この日食の日を、楔形文字の偉大な解読者エドワード・ヒンクスが現 代天文学の計算を利用して前七六三年六月十五日と算出したのが、オリエント史の最初の絶対年 代の決定となった。この年代を基準とし、アッシリア時代の暦法官がつくったリンム表という年 代記を参考にして、前九世紀からのアッシリア国王の治世年代は組み立てられた。

10. 世界の歴史〈1〉 古代文明の発見

そのころは石天岩の石切場のある人口二千ぐらいの寒村で、北京から平漢線の汽車で一一時間あ まり、琉璃河で支線に乗りかえなければならなかった。博士は、かねてから目星をつけていた、 この鳥や獣骨の化石のましっている石灰岩の台地を本格的に発掘するため、同僚をともなってき たのである。 大きな竜の骨がたくさん出る場所があるという村人に案内されて、博士は周ロ店の駅の西一五 〇メートルほどの丘の中腹に立った。ふと見ると一〇メートルほどの石灰岩の崖のさけめには石 つばいつまっている。夢中になって採集をはじめた博士は、や 天岩の断片と大きな動物の骨がい がてとっくの昔に絶減した ( イエナの顎骨や犀の歯などを見つけた。よく調べてみると、ここは がんらい前世紀 ( 鮮新世ォルドヴィス期 ) の石灰岩の洞穴で、そこに粘土、砂、砂岩、礫岩などが 層をなして堆積したのである。この粘土層の中には鋭く角がとがった石英の断片がまじっていた。 目ざとくひろいあげて見いった博士の頭には、一瞬霊感のようなものがひらめいた。これは物 を切る道具ではないか。すぐそばには石英の岩脈があるから、洞穴の天井からおちた自然の断片 かもしれない。原始時代の人間がつくったものかどうかわからないが、ともかくかれらがっかっ た物ではなかろうか。周ロ店の洞穴のなかに人類が住んでいて、射とめた動物の肉を料理するた め、この石英の破片を使用したのであろう。 同僚をのこして北京に引き揚けるまえに、博士はこのうず高い洞穴の堆積物を指さして、