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検索対象: 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ
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1. 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ

これはまさに決定的な打撃であった。これからのち、ここはもはや単なる地方的な市でしかなか 代わって国際市場の中心となったのは・フリュージュである。ここはイタリア商人とハンザ商人 の独壇場であった。しかし一四世紀半ば以降、イギリスでも毛織物生産が始められ、イギリスか らフランドルへの原毛の輸入がとだえるようになると、毛織物の都市・フリュージュもまた衰退せ ざるをえなかった。三転して一五世紀に登場したのはアントワープであり、イタリアはここと定 ンザに代わってイタリア商人と結び繁栄したのは南ドイツの商人 期航路をひらくようになる。ハ たちであった。ここにかの有名なアウグス・フルクのフッガー家が、その富と勢力を一五、六世紀 に誇示しうるようになったそもそもの発端がある。 ーサーの友達でジョン“ガウアーという一人 一四世紀に、イギリスの詩人チョ 商売のからくり のロンドン商人がいた。ここでしばらく彼のひとりごとに耳を傾けることにし ら カ 「じつをいえば、商人のなかにもずるい考えをもった者と、正直に仕事をして毎日を暮らしていら る者との二通りがある。両方とも儲けのためにはたらいている点は変わりはないのだが、前者は北 やから よくない輩だといえる。今日、ヨーロッパの東から西のはてまで、どこにもかしこにもいる商人、 ト噌・グク 彼の名前は、ほとんどの人々によく知られている『ごまかし』である。悪知恵が彼の本性だ。 っこ 0 399

2. 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ

「まあ、私はまたあなたが食卓の上に跳びあがれ、とおっしやったのだと思いましたわー と一一 = ロっ そこで大笑いとなり、あとの二人の商人は、もう彼女を盥に跳び込ませる必要はない、 た。彼女の夫は賭けに勝ち、彼女は夫への従順を大いに讃えられた。 『塔の騎士』の意図とは逆に、私たちとしてはむしろ殴られた第一と第二の商人の妻の態度に注 目し、彼女たちに拍手をおくろう。この当時の女性の法的な、または社会的な地位や発言権は、 たしかに全体としてはまだかなり低いものであったし、夫たちは横暴だった。しかし、彼女たち の上に重くのしかかるあつい壁を、事実上すこしずつ打ちこわし、婦人の法的な地位をたかめ、 独立と自由への道を最初にひらいていったのは、都市の婦人たち、商人の妻だった。そしてまた、 経済的にも精神的にも夫婦共同体と呼べるものが現われてくる のは、商人の家庭においてであった。 活 とむら 人間にとっての最後の大事である葬いについて姓 世死の悲しみ は、ここではくわしくは触れまい。一四、五世の 暴紀になると、葬儀はだいぶおごそかなものとなった。もちろん後 フの国王、貴族とか大商人とかの場合である。式次第は、死者みず中 からが遺言書できめる場合もあった。 お通夜には、集まった人々が・ハイ・フルの七つの詩篇を一三回

3. 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ

せたと考えるのは早計だ。たとえば物の運搬がむずかしいときには、人は物にむかって動くもの である。中世の支配者は、君主も領主も、その散在した所領のあちこちを動きまわり、その場所 場所にたくわえられた物資を消費しながら、同時に支配者の役目をも果たしていったのである。 あんぎや こうして遍歴政治、行脚政治は、封建政治の根本特徴となった。ことに神聖ローマ帝国の君主な どともなれば、その旅行の頻度と距離はおどろくほどのもので、彼らは多くそのために早死した といわれている。聖職者もまた、その所領が、俗人領主のそれ以上に分散していたので、俗人以 上に旅行を強いられた。 僧侶はまた、彼らの属する教会組織が超国家的であるところから、特別に中世の交通に寄与し た。彼らはラテン語という国際語に頼りながら、師をもとめて、ヨーロツ。ハの各地を移動した。 よくひかれる例だが、皇帝オッ ー三世の師で、のちに法王シルヴェステル二世になったジェル 境 べール“ドーリアックは、南仏のアキテーヌに生まれ、スペインで数学を、北フランスのランス環 で論理学を学んだ。教会組織が発達するにつれて、ローマ教会と地方教会の交渉は頻繁になって生 会 ツ。ハの畄日阜口ま くるし、またクリュニーやシト ーのような修道院改革の中心ができると、全ヨーロ 社 建 ここに集まり、またその改革をつたえるために全ヨーロツ。 ( に散っていった。 しかし、旅行は社会の上層の人々に限られていたのではない。安いところで仕入れ、高い土地 で売るのを目的とした商人は、最初は当然行商人たったし、一般農民もまた旅行の困苦を霊肉の

4. 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ

人をよせつけようとしているし、また猿や大に芸を仕 ぎんゅう 込んだり熊を踊らせたりする人、レスラー、吟遊詩人、 る 無数の大道商人などが人々を娯しませたりびつくりさ て し せたりしている。おきまりのよからぬ人々も多い。売 を ひなた 施春婦、すり、かつばらい、愚連隊、乞食など、日向が ひかげ 侶あれば日陰もあるのは、中世も現代の市も同じことだ。 日没になるとふたたび鐘が鳴る。大市を支配するシ 食 たいまっ ーニュ伯の下にある取締役人たちが、松明持ち 中を従え、店じまいを告ける鐘をガランガランと振って 歩く。これ以後、夜は商売をすることはいっさい禁じられる。しかし役人たちが取締りに悩むの は、むしろこの夜なのた。夜はまことに浮浪者、よっぱらい、泥棒、乞食、それにこの市をあい びきの場所と心得てやってくる浮気な男や女たちなどの天下だからである。 織物の市、皮の市、大市ではどんな商品が売買されたか。おのおのの市の開催には一定の順序 秤の市 が次第に定められるようになった。まず最初の八日間は、商人たちがやっ てきて荷物をほどき、商品を屋台に並べて店を準備する。その後の一〇日間は「織物の市」かっ づぎ、これが市の皮切りだ。この期間中は他の商品は売買されない。 たの 394

5. 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ

商品の転覆をふせいだ。荷馬車が次第に普及するようになったのは、一般に一二世紀頃からのこ とである。 一三世紀以降、国王の力が強まってきたイギリスやフランスでは、封建貴族による道路課税は 次第に減って、国王による課税がこれにとって代わり、また道路の治安も多少は改善された。一 一三五年には、イギリス国王ヘンリ ー一世が国内主要道路すべてについて、二台の馬車がすれち がえるくらいに、あるいは一 , ハ人の者が馬上で肩をならべられるくらいに広くなくてはならない と命令している。また一二八五年に、同じくイギリスで、市場に通ずる主要道路について道の両 側からそれそれ六〇メートル以内の地帯は、樹木や雑草を取り払って見透しをよくするよう命し おいはぎ た法令がつくられている。これは沿道に追剥の類が旅人を待ち伏せしてかくれるのを防止しよう としたためだ。 しかし一般的にいって、旅は中世を通じ依然として危険と出費の多い難事 集団旅行と旅の早さ であった。それはまさに冒険であり、運命に対する賭けであった。高価な 商品を運ばねばならぬ商人たちは、だから一人旅を好まなかった。大金持の商人のなかには、護 衛隊を個人用にやとって旅行する者もあったが、ふつうにはキャラ・ハン ( 隊商 ) が利用された。当 時の旅行者を代表する者が商人と巡礼者であったことはいまさらいうまでもないが、彼らは同一 方向、同じ場所へ行く者同士が集まり、ひとかたまりになって集団旅行をした。 3 / 4

6. 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ

えず、ロ・ハの逃げたのがわからなかったのだろう。 このような有様だから、道路や橋を作ったり、補修したりするのは、当時の人々にとってきわ きしゃ めて大事なことであった。たからこのために材料や労力を提供することは、教会への喜捨や巡礼 あんぎや 行脚と同じように霊魂の救済に役立っと考えられ、近くの司教がこのような行ないをした者の罪 ゆる を赦すことも間々あることだった。 おいはぎ 道路は、悪いだけではなくて、また危険でもあった。追剥がしばしば出没したからで 追剥 ある。遠路の旅で、この種の災難にまったく遭遇しない旅人は、まずなかっただろう。 たとえ幸運にも無事に旅を終えた者があったとしても、たえざる追剥への恐怖と警戒のために、 災難に遭ったと同じほど神経をすり減らしたにちがいない。道路で盗みや略奪をやる者はいろい ろいた。経済的に窮乏した貴族や騎士 ( 盗賊騎士といわれる ) 、戦争がなくて給料を支払ってもらえ ルーティエ ない傭兵たち、罪を犯したり借財したりして領主のもとを逃げ出してきた農民などであった。 ら 一三〇八年のこと、二人の貴族が城内でヴ = ネッィアの商人たちと取引きをしていた。貴族が もっているたくさんの織物の梱を、商人たちに市価の半値で売ろうというのである。しかし案にら っこうに現われ 相違して、商人たちの顔にはこういうときにいつもみせるあの笑いと活気が、い てこない。な・せといって目の前の織物はもともと彼らのものだからだ。商品を運ぶ途中でここに いる貴族にとられ、商品ともども費族の城に連れてこられ、無理やり「取引き」させられている はぎ こり 369

7. 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ

がわかろうというものだ。 ジョン“ガウアーの以上の言葉は、なかなか味わい深いものを含んでいる。およそ古今東西を 通じて商人といわれる人々のなかにひそんでいる共通点とか本性とかいったものを、みごとに描 き出し浮彫りにしているからだ。よく経済史家の一部には、資本主義社会が成立する以前の商業 資本を、「商略および欺瞞」によって不当に大きな利潤を獲得し産業資本の健全な成長を抑える 悪いものと決めてかかっている人がいる。たしかに「商略および欺瞞」の発生する余地は、時代 をさかの・ほるほど大きい しかしそれは、まだその当時の商品生産の規模が小さく、したがって頻繁な商品の流通が見ら れないために交通が発達せず、商品の運搬が困難なだけまた商人の運搬手数料も大きくなり、 「商略および欺瞞ーも生ずるという意味でのことで、別に、商業資本自体が良いとか悪いとかい う問題ではない。商業資本が発展するのは、あくまでも商品生産の発展を土台にしてのことであ り、したがってそれはむしろ逆に、来たるべき産業資本の時代を準備し予告する歴史的役割を果 たしている。当時の商業資本が見せた悪い現象面だけにとらわれて、その本質を見失い、近代社 会以前の商業資本が原理的に産業資本を抑圧する性格をもっと考えるのは、たいへんな見誤りで あるというほかない。 イ 02

8. 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ

半のイギリスで、商人のことを「泥足」、商人裁判所を「泥足裁判所」といったというが、じっ にうまい表現をつかったものだ。 「おちない汚れ ! おちない汚れ ! 」 とうはう と叫んで歩いている者がいる。何かと思ったら、泥で汚れがおちなくなってしまった衣類は当方 できれいにいたします、という洗濯屋だった。 道路を歩いているのは人間だけではない。むこうから羊の群れがやってくる。牛ものっそりの っそり歩いている。横町からは鵞鳥や鶏が突然とびだしてきたりして、私たちをびつくりさせる。 じっさい都市内には菜園や果樹園が多く、時に農村を歩いているような錯覚にさえおそわれる。 しかしいちばん始末におえないのは豚だ。これは歩くだけでなく、ときどき道のまんなかに根 をはったように動かなくなってしまう。沿道の人々が動物の臓物や腐った魚などをむやみやたら とおかまいなしに投げ捨てるものだから、豚がそれに首を突っこんでムシャムシャやっているわ カ 動 けだ。これでは道路はまるで豚の放牧場のようなものである。 原 そういえば一一三一年、フランス王ルイ六世の息子の何とかというのが父王の生存中に死んでた ら しまったのも、この豚が原因だったということだ。彼がある日、セーヌ左岸のサンージャック通あ りを馬に乗って通ったとき、この根の生えた豚が馬の足のあいだにからまり、馬がよろけたため に道に投げ出され、打ちどころが悪くて死んだのだそうだ。 がちょう

9. 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ

壕や壁で囲まれ、まるで小さな城のようであった。 「無上の歓しみ」、「無上の喜び」、「美しい部屋、ラインの・フドウ酒、柔らかな寝床」、「千鳥、肥 えた鶏、雉」、「優しく礼儀正しい人々」。 一四世紀のフランスの一詩人は、この地方の印象をこれらの言葉で表現した。またほかの人々 はつぎのようにも一 = ロった。 「都市の女たちはヨーロッパ中で最も美しく着飾り、彼女たちに贅沢すぎるほどの生地はない。」 「焼肉、ゆで肉、。 ( イ、ブドウ酒、ビール、しようが、香辛料など、市民たちは食物のことしか 考えず、またこれだけあればもうたくさん、ともけっして思わない。 この地方では飢えのため死 ぬ者よりも、食いすぎや飲みすぎで死ぬ者の方が多い。」 お 「日曜日に人々は何をするだろうか。彼らは居酒屋へいって憶えがなくなるまで飲み、また遊び に時を過ごす。女たちはダンスにうち興じて跳ね回り、集まって酒を飲み、あげくの果ては喧嘩 ら をはじめる。彼女らは一週間の儲けを一日で費ってしまうのだ。」 カ ゆた しかしながらこのように裕かではなやかな生活を送っていたのは、主として商人とその家族たら しゆくじゅう すきにん ちだけであった。肝心の織物生産者はみじめな暮らしを送っていたのだ。彼らは縮絨工、梳人、 染物師などに分かれているが、ことに城外から親方の仕事場に通ってくる職人たちは貧しかった。 3 彼らの家は、部屋が一つと屋根裏に小さな物置が一つあるきりだ。屋根裏といっても階段を七 たの

10. 世界の歴史〈3〉 中世ヨーロッパ

古いものと中世世界は一三世紀からのち、次第にうねりを高めた新しい波に洗われる。 新しいものと ままで確固不動とみえたものはそれによって浸蝕され、朽ちて波間にただよい はじめ、かわってそれまでひっそりと地中に秘められていたものが、新たな生命力を与えられ活 動しはじめるようになった。 この新しい波とはいったい何だったろうか。それは発展していく交換貨幣経済と、それにもと づき開花し繁栄した都市の動きであった。 都市経済が活となるにしたがい、人々の生活様式や精神態度、また社会のしくみや政治のあ り方などのいっさいが、いちじるしい変貌をとげていった。それまで「働く人」 ( 農民 ) 、「戦う 人」 ( 騎士、世俗貴族 ) 、「祈る人」 ( 聖職者 ) の三者から成り立っていた中世社会に、あらたに商人 あらたな原動力 ひ 毛織物で名高いイー プル市 ( フランドル ) の印章。これは自治 都市のしるしの一つ であった。 3 イ 0