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検索対象: 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民
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1. 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民

0 ) 句がついていた ) とコルペールの絞章「蛇」との決闘と評していた。そのうえフーケの大邸宅に うたげ 招かれたルイ十四世は、「夢の国のような宴」に、王侯をもしのぐ豪奢な生活に出くわした。フ ーケは王の御機嫌をとるために招いたのだが、王はかえって屈辱と脅威とを感じた。王は皮肉を こめていわざるをえない、「今後私はあなたを招く気になれないでしよう。」 一六六一年九月フーケは逮捕された。三年つづいた裁判のあいだ、「蛇」は「りす」を不利と するために、書類に作為するなどの策動をおこなった。裁判官たちの不公平も明白であった。一 きんこ 六六四年フーケは終身禁錮に処せられ、翌年コルべールは財務総監の地位についた。 当時四六歳のコルべールは、前任者とはおよそ対照的であった。謹厳な顔つき、 大理石の人 粗末な衣服、早朝五時半には部屋に現われて、「食卓に向かう美食家のように」 執務を始めた。そしてその近よりがたく冷たい性格によって、彼は「北方人」、「大理石の人ーと 一つもよばれている。しかし休息をもとらず、快楽をも求めず ま業 5 集工に働くこの男は、フランスにとってまことに得がたく有能王 に内 場家な存在であったのだ。 太 《事の イ 一〔仕時 コル・ヘールの目的は、ヨーロッパ諸国との「富の戦争 ・ ( が当 」一一職すにおいてフランスの優位をきずくことであった。彼は財政 戀ミ驪事を改革し、輸出入を調整して商工業を保護育成し、諸外国 物仕 染て 23 ノ

2. 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民

では、「立法権が常置でなく、執行権が一人の人間の手にあり、そのものが立法府にも関与して いるような国家では、その一人の人間も最高とよべよう」と述べて、君主の地位を認めている。 これは、ステュアート朝の絶対主義的反動をおさえてうちたてられた王権と議会との調和を基 礎とする立憲君主政を理論的に説明したものである。なお、ロックは、政府が人民からの信託に 反した場合には、人民は革命権をもっとしているが、このように一見急進的な主張を彼がなした のは、一六八五年のモンマス公の反乱の失敗により当時人民大衆の蜂起がふたたび起こる危険が ないと判断したからである。 ロックはあらゆる意味で、「名誉革命の哲学者」であった。 みずたひろし 名誉革命を「革命」名古屋大学の水田洋教授の『社会思想史の旅・ーー・イギリス』という本のな というイギリス人 かにこういう話が書いてある。 「イギリスの中学生と、歴史の話をしていて、うつかり一六四九年の革命などというと、たちまく っ ち『ちがうよ、革命は一六八八年で、一六四九年は内乱だよ』と、訂正されてしまう。」 お 現在のイギリス人の「常識」からすればビ、ーリタン革命より名誉革命の方が重要である。学に 者のなかでも正統派の歴史家たちにはこの見解が多い。「ビューリタン革命は失敗したが、一六王 八九年の政治革命は成功したーとか「名誉革命はイギリス史および阯界史の転換期である」とか〃 いわれている。またある歴史家は。ヒ = ーリタン革命を「失敗した革命」、名誉革命を「成功した

3. 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民

て本国経済を衰えさせたばかりか、一五六八年、ついにオランダの新教徒を独立戦争に立ち上が らせた。オランダはヨーロッパで最も毛織物工業の発達した地方だったが、そのラシャこそはア メリカの銀をヨーロッパに持って来るための必需品だった。オランダを失ったことによってス。へ めんどり インは金の卵を生む雌鶏をなくしたようなものだった。反乱を鎮圧するための戦費はスペイン王 室を破産させたし、おまけに勇敢なオランダ商人は大西洋でスペインの「銀の船 , を襲い、アジ アへの通商路を片っ端から奪いとった。 オランダの独立戦争は、その最後の段階でドイツの三十年戦争と重なりあった。オランダはド かね ィッの新教徒に金を送って援助し、スペインもまたオーストリアー ( プス・フルク家を助け、西ド ィッで新教諸侯、スウェーデン軍、フランス軍と戦った。だが、こうして流されたスペイン人の 血もっかわれた金も、ドイツの事態をすこしもよくしなかったばかりか、皇帝はスペインをウェ争 教 ストファリア会議から締め出そうとする陰謀でこの恩に報いた。 宗 さ この条約で、オランダとスイスの独立が国際的に承認された。それはどちらも二つの ( プス・フ ルク家の没落を象徴する事柄だった。ヨーロツ。 ( の地図は塗り変えられ、国際政治の重心は移っま た。新たにイギリス、フランス、オランダという、資本主義経済の発展の順調な国々が進出し、血 ずうたい 一方図体ばかり大きい病人国ス。〈インの運命は、秋の夕日のようにつるべおとしに落ちていった。

4. 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民

諸侯のあいだに妥協が成立してからは、国内戦争としての意味もほとんど失っていた。それはた だヨーロッパの支配権を争う二つの強大なカトリック勢力、すなわちオーストリアとス。ヘインの 二つのハプスプルク家と、フランスのプルポン家との国際戦争としてだけ戦われつづけたのであ る。なおスウ = ーデン軍も依然ドイツにとどまっており、この四つの国の軍隊がドイツを戦場と して戦った。フランスⅡスウ = ーデン軍がやや優勢とはいえ、たがいに決定的な勝利のないまま、 これから一〇年以上もドイツの北から南まで押されてはまた押しかえす死闘をくりかえした。 このあいだ、戦争に飽いた傭兵軍の掠奪暴行はますますはげしくなるばかり、町や村も荒廃し しにがみ きずあと つくした。ドイツにとりついた死神の鋭い爪は、深い深い傷痕を残した。 「戦争は別の手段での政治の継続である」とはドイツの将軍クラウゼヴィ 女子供をつれた軍隊 ツツの有名な言葉だが、三十年戦争をこれほど長びかせたのが第一にこの 戦争の複雑な政治的性格であったことはいうまでもない。しかし現代のボタン戦争とまったく正 反対のこのだらだら戦争の悠長さは、また当時の軍隊の性格や技術の水準にもよるところが大き 。戦争という死神も足の速さが時代によって違うわけである。 まず傭兵軍は食糧その他を行くさきざきで調達した。だがそれはすぐに掠奪となった。またそ うでなくては、傭兵隊長の「戦争企業」も高くついてしまう。もちろん士官も兵士も掠奪が目当 てで軍隊に加わっていたのだ。いわば掠奪は傭兵軍の生理作用みたいなものだった。軍規が比較

5. 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民

の強大な海軍国と戦わなければならなかった。そして、今度はこの海の強敵のみではなく、強大 な陸軍と強い領土的野心をもっフランス国王ルイ十四世の大軍十数万の侵略を同時に受けたので ある。この両強国の同時攻撃に対して祖国を守り抜くことは不可能にみえた。オランダ海軍はよ くイギリス海軍をおさえていたが、国内の戦局は好転せず、情勢は絶望的である。このような事 態にさいして、いまやすくすくと伸びてきている「オレンジの樹」に、ふたたび祖国を救い、戦 いを勝利に導く栄光の伝説が力強くよみがえってきた。 父ウイレム二世の死後に生まれた公子ウイレムは、ヤン“デ“ウィットを中心とするホラノト 州議会任命の委員団の保護監督のもとに育てられていた。利ロなこの少年は、忍耐強くこの環境 なぞ おもて に耐えた。感情を面にあらわさず、冷たい表情、その心のなかは「スフィンクスのように」謎で ある。しかし血統は争えない。一一二歳になった彼の態度物腰には、名門オランニエ家の跡取りの 風格があらわれていた。病身であるが、知力はすぐれ、意志力の強さは祖先伝来である。さすが 栄 のデウィットも、鷲の子を鳩に教育することはできなかった。 の 人々の若き公子への期待がたかまるのに反して、デウィットへの憎しみの念が深まった。国ン えんさ きたい オ 家をこの危殆の淵に追い込んだ責任者として、デ“ウィットは怨嗟の的となった。 ついに一六七二年八月、彼はその職を辞したが、それでは事はすまなかった。政治的狂熱に駆 られた民衆の怒りは、しばしば暴君の圧制より恐ろしい報復をする。すでに兄のコルネリス“

6. 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民

フリードリヒがプロシアの王冠をかぶってからまだ半年とたたない一七四〇年 女子の相続権 十月、彼はオーストリアのカール六世死去のしらせを受け取った。まもなく、 彼はヴォルテールに手紙でこう告げた。 「皇帝が死にました。これはわたしの平和の構想をくつがえします。 ( 来年 ) 六月には、女優や ざんごう ( レエや芝居のかわりに鉄砲、兵隊、塹壕があるでしよう。それゆえ ( 劇団を招く ) 契約を破棄 せねばなりません。」 したがいったい、それはなぜ起こらねばならないのか。 見通しは確実に戦争らし、 ハ。フス・フルク家の跡継ぎは二三歳の美しいマリア日テレジア ( テレサ、在位一七四〇ー八〇年 ) だ った。カール六世は、自分にもう男の世継ぎが望めぬと知ってから、この長女に中部ヨーロッパ ハプスプルク家の系図 に散在する広大な領土 を相続させるため、じ勃 ア つに涙ぐましい努力を シ 払った。このため、一。フ 国 七二四年、領土の永久軍 -0 不分割と男子相続者の 00 0 ない場合女子にも相続 レオポルト一世 ( 一六セー一 4 う五 ) カール六世 ( 一セ一一ー一七四 0 ) ョゼフ一世 ( 一セ 0 五ー一セ一一 ) ( 一四 0 ー一セ八 0 ) マ丿アⅡテレジア フラ、ノッ一世 ( 一セ四五ー一セ六五 ) マリアアマリラ ( ・ハ円ラソア選帝侯 ) マリア“ョゼファ ( サフソニア選帝侯 ) レオポルトニ世ーー ( 一 v 九 0 ー一セな l) ョゼフニ世 ( 一セ六五ー一セれ 0 )

7. 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民

「祖国の友よ。わたくしが反逆者でないことを信ぜよ。わたくしは祖国を愛してこの生涯を生き 抜き、祖国を愛してここに死ぬ」 ・こうん そして、死刑執行人に、「早くせよ」といってひざまずいた。その政治的信念の強さと傲岸な わいろ 態度で政敵の憎しみを買っていた老政治家の白髪の首は斬り落とされた。スペインから賄賂をと ひぼう って講和をはかったなどという政敵の誹謗は事実無根であった。祖国への反逆ということも、政 敵が考える祖国と彼の祖国とが違っていただけである。かくて、オランダ独立の最大の政治的功 労者は、祖国の宿命的な政争のなかにその生涯を断頭台の上で終えた。 いまや、ホラント州商人貴族の望む共和的体制と対スペイン和平態勢維持の方向は阻止され、 主戦派が擡頭してくる。一六二一年、休戦期間満了とともにふたたびスペインとの戦いが続けら れた。総督の権限は強化され、総督が連邦議会の支持のもとに七州の上に統一的支配をふるう傾 向が強くなってくる。そして、オランニエ派がたたえる標語のように、「オレンジの樹 ( オランニ 栄 工家 ) には立派な実がみのるーのであった。 の 共和国の陸海軍総司令官で六州の総督職を兼ねていたマウリツツは一六二五年、五八歳で死んダ ラ だ。彼は戦争の苦労のために実際よりだいぶ老けてみえたが、とくに数年前のオルデン・ハルネフ オ しわ エルト処刑事件の心労が老いの皺を深くしていたという。 ー ) が継 彼のあとは、腹違いの弟フレデリックヘンドリック ( 英語ではフレデリック“ヘンリ

8. 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民

翌年、ポ〈ミアの新教徒は、いまや敵とな 0 た皇帝フ = ルディナント二世をポ〈ミア王位から 追い、かわりに新教連合の盟主、若いカルヴィン教徒のファルツ伯フリードリヒを王に迎えた。 ュニオンリーグ これでいままで ( プス・フルク家領内の問題だった反乱は、連合対連盟の国内戦争にひろがった。 しかし翌一一〇年、ポ〈ミアの新教徒は優勢な皇帝軍に粉砕され、敗れたファルツ伯をはじめ、 土地を取り上げられた貴族など三万人の新教徒がこの国をのがれた。ライン川中流・下流域でそ の後つづいた新教諸侯の抵抗も、一六一一三年までにはおおかたしずめられ、ドイツではいまや、 皇帝を中心にカトリック派が完全な勝利をおさめたかに見えた。 ほとんど一度消えかかった戦争の火の手をもう一度燃え上がらせたのは、一六一一 国際戦争へ 五年、デンマ 1 ク王クリスティアン四世のドイツへの侵入であった。そのうえ、 これは内戦をいきなり国際戦争へと発展させた。デンマーク王をドイツの戦場に突入させたおも争 な動機は、北ドイツの新教諸侯の盟主として雄飛しようとする野心であ 0 たが、その背後にはド教 さ ィッの新教勢力の絶減を恐れる新教国イギリス、オランダの援助、さらに同じカトリックであり ま ながらハプスプルク家の強盛をなによりも憎むフランスのあと押しがあった。 クリスティアン四世の率いる新教軍は総勢六万、しかし南に下るあいだにあまり方々に分遣隊血 の率いる連盟の軍隊とワ を出しすぎて主力を弱めてしまった。一方カトリック側は名将ティリー めんしようきん レンシ = タインの皇帝軍とが別々に、抵抗する村を焼きはらい、都市からは免焼金を取り上け、

9. 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民

ばんさん アレクセイ帝は、ある日、大貴族マトヴェーエフの晩餐に招かれたが、そ 少年皇帝ビヨートル こで給仕に出たひとりの娘がいかにも清楚で、理知的であるのに深く心を ひかれた。事情を聞いてみると、この娘は孤児で、マトヴェーエフが親がわりに引きとって世話 しているとのこと。帝は、 「では私があの娘によいおむこさんを見つけてあげよう」 と約束した。それから数日後に、マトヴェーエフは宮廷によばれたが、皇帝が見つけだした「よ いおむこさん」とは、なんと皇帝自身であった。この娘がナターリアナルイシキンで、やがて 。ヒョートルの母となる女性である。 ところで、このマトヴェーエフ家は、妻がイギリス人であることからも知られるように、モス ハンマ 1 をふるう帝王 ピ置ートルが愛用した 宇宙儀。ナルトフ作 284

10. 世界の歴史〈8〉 絶対君主と人民

最初の議会政治家ウォルポール南海の泡沫国民的重商主義 平和外交イギリス帝国の建設者大ビット イギリス人の生活 ノーフォーク農法カプのタウンゼンド 囲いこみ廃村の 歌マニュファクチャ 。へスト ロンドンの大火口ンド ンの繁栄コーヒー店 古い社会と新しい思想 〈執筆分担〉 大野真弓・ヒューリタソ革命王政はなおつづく君臨 すれども統治ゼずイギリス人の生活古い 社会と新しい思想 山上正太郎プルポン王家の歩みルイ太陽王ロココの 人々 ハンマーをふるう帝王 相田重夫ロシアのあけ・ほの 陽気な貴婦人革命 木谷勤血なまぐさい宗教戦争軍国プロシアの勃興 理想と現実の争い 保坂栄一オランダの繁栄 むすび