不思議 - みる会図書館


検索対象: 半径500mの日常
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1. 半径500mの日常

最近、私と友だちの間ではどうして人間には「個体差」があるのか話題になっている。どうし てああいうことが起きるのか、不思議でたまらないのである。友だちの子は五年前に男の子を 出産した。ところが彼は生まれたときにすでに四千三百グラムもあって、その産婦人科病院で生 まれた赤ちゃんの、三デブのうちのびとりとして記録されることになってしまった。子は身長 は百五十五センチ、体重四十四キロ。どちらかというとヤセ型である。父親も中肉中背である。 親戚にも大柄な人はいない。それなのに生まれた子供は大型なのだ。 ふつう新生児室には、くちゃっとした同じような赤ん坊が並んでいて、顔つきでは見分けがっ かないものだが、彼女の赤ん坊は顔が肉でつつばって、てかてかと光っている。体も巨大だから 同級生を義母と間違われ、しみじみ 思う人類の「個体差」の不思議

2. 半径500mの日常

が常である。 母「それは自分で身の回りのことができないからじゃないの」 の 身「ああそうか。どうしてみんな自由に恋愛を楽しまないのか、あたし不思議でたまんないの」 と、おかきをポリポリ食べながら文句をいう。そろそろ還暦というのにめちゃくちや元気で、 る すおばさん、おじさんが大嫌い。私が近くに住んでいながら年に二、三回しか会わないようにして いるのは、あまりに。ハワーがすさまじくて、ちょっとやそっとのエネルギーでは太刀打ちできな て きいからだ。この人はきっと泉重千代よりも長生きするのではないかと、私は信じて疑わない。 に 娘 ら し の が た し て 男 て し

3. 半径500mの日常

私が子供の頃は、お店で。ハック入りのお餅がいつでも買える時代ではなかったので、お米屋さ んがのし餅を抱えてくると、子供心に、 「もうすぐお正月なんだなあ」 と感じたものだった。誕生日とクリスマスにしか食べられなかったケ 1 キ。病気のときと遠足 のときしか食べられなかった・ハナナ。お正月にならないと食べられなかったお餅。今の子供たち には、どうしてこんなものを楽しみにしていたんだろうと不思議がられるだろうが、当時の私に してみれば、みんなおいしくてたまらない、夢のような食べ物だったのである。 お餅が届くと母親が包丁で切り分けた。そのうちのほとんどは雑煮になるのだが、私は食事と 死んじゃうかも : : : 正月の餅の悲劇に ひるんだ私。今の子供はかわいそう 237

4. 半径500mの日常

私は物を収集するとか何かに熱中するとかいうことがほとんどないのだが、最近、 「このままのめり込むとドッポにはまりそうだな」 と怯えていることがある。それは通信販売である。どうしてこんなに興味を持ってしまったの かを考えてみると、その徴候は子供のころからあったようである。小学生のときに買っていた少 年マガジンや少年サンデ 1 の通販の広告ペ 1 ジはいつも同じものしか載っていないのに、妙に子 供心をそそられた。私の場合は胸板が厚くなるプルワ 1 カ 1 とか、何でも透けてみえる透け透け 眼鏡は必要なかったが、頭のよくなるエジソン・ハンドだけは欲しかった。ついでに不思議な生き 物シ 1 モンキ 1 にも心が動いていた。ところが小遣いをもらっている身なので、通信販売で物を 昔エジソンバンド、今六十円の。ハンスト 私を惑わせる通信販売の妖しい魅力

5. 半径500mの日常

親のスネを頼りのマンション購入 自称「自立する女」の恥しらず げにすさまじきは肉食民族、産婆なく 三畳間でハサミ片手に子を産み落す 芸能人夫婦の家庭を想像してみると、 絶対遊びにいきたくないのは誰の家 ? 巨人ナメクジにヘビの群、蚊に襲われて 真っ赤っ赤。それでも行くぞマゾ旅行者 同級生を義母と間違われ、しみじみ 思う人類の「個体差」の不思議 あなたは誰かのそっくりさん ? 思い出したくない屈辱の過去 デブは嫌だしガンも嫌。悩みは 尽きぬ、ひとり暮らしの食生活 友人の妻を便利屋とも思う男の情けなさ 休日に夫の友人の世話をする人妻哀れ 薬九層倍とはよくもいったり。人の弱み につけこんで、暴利をむさぼる漢方薬局 「どうして男って結婚したがるのかしら」 娘にきいてどうする、独り身の母よ

6. 半径500mの日常

当時、私はどうしてきっちりとまっすぐ並んだり、行進曲に合わせておもちゃの兵隊みたいに 歩かなければいけないのか、とっても不思議だった。べラベラ喋って話を聞かないというのなら た し ともかく、とりあえず縦に並んでいればいいはずだ。同じクラスの男の子が、例の・こつい顔の体 誰 に育教師に、 な 「どうしてあんなにきちんと並ばなければいけないんですか」 ん と聞いたら、 「教師のいうことを聞け」 とだけいってごまかした。私たちはプン殴られるのが怖いから、嫌だけど我慢して「前になら ニえ」や「行進」をしていたのだ。 チ 中学は同じような状態が続き、高校生になってやっと解放された。しかし恐ろしいことに、大 イ ず学の前期の体育の授業が、何と「行進」だったのである。前期の授業中、男子も女子もただひた 思 すら歩き回っていた。 に チ 「イチ、ニ、イチ、ニ、ぜんた 1 い、とまれ ! イチ、ニ」 マ 繿をへドがでそうになるほどやらされた。四人一組になって、そこいらへんを歩き回り、 中「ぜんた 1 い、とまれ ! イチ、ニ」 町 といったときに、びたっと四人の足並みが揃わないと、合格点がもらえないのである。私たち 247

7. 半径500mの日常

といいながらもまんざらでもなさそうにニャニヤしている。おばさんたちは、 「あらホントに男前になったじゃないの、ねえ」 と感心している。結局彼らはそのファンデ 1 ションと眉墨、口紅の大胆トリオを買っていった。 確かに化粧をして彼らは男らしい顔にはなったが、化粧してそのようにみせるというのも不思議 なような気がした。 ところが先日新聞を読んでいたら、その化粧品が予想以上に売れているという記事が出ていた。 売り出した当初は学生が主だったのだが、営業マンが得意先の印象を良くするために買い求めて いくケ 1 スもふえてきたとのことだ。女だって素顔よりも化粧したほうが肌もきれいにみえるし マシにはなる。しかし男性までそういうことが必要なのかというと私の頭の上にはクエスチョン マ 1 クがついてしまうのである。 以前私と同年配の男性が、 「ボク、デ。ハートのウインド 1 に飾ってある洋服をみて、あれ欲しいなあって思うんだけどいっ もお金がなくて買えないんだ」 というのをきいてビックリ仰天したことがあった。まさか男性が女性のようにデ。ハ 1 トのウィ ンド 1 をみて洋服を欲しいと思うなどと考えたこともなく、 「なんだ男も女もたいして変わりないんじゃないか」 162

8. 半径500mの日常

と怒りをこめた大きな字で書いてあるのだった。名指しで非難してあるというのはよほどのこ となのだろうが、私はそのふとどきなゴミ捨て人の名前がどうしてわかったんだろうと不思議で ならなかった。ゴミのチェック係が終夜生け垣に潜んでいて、ゴミ捨て人のあとをつけていった か、捨ててあったゴミをチェック係が持ち帰り、新聞紙の上にでも広げて名前がわかるようなも のがないか調べたのに違いない。ゴミを持ち帰っても、ティッシュ 1 。ハ 1 や紙の切れ端ばか りで名前がわからないこともあるだろう。何しろゴミだから手にするのもばばっちいものが入っ ている可能性が大である。それをものともせず捨てた人が誰かを徹底追及するなんて、すさまじ い熱意である。もちろんル 1 ルを守らず捨てるほうが悪いのだが、だからといって公衆の面前に 名前を貼り出すというのはなかなかすごい。このようにチェックの厳しくなった地域で前日の夜 にゴミを出したら犯人の家を捜しだし、捨てたゴミをわざわざ返しにくる人が絶対いる。正直い って前日の夜に出せるんだったら寝坊もできるし、どんなにいいかと思う。しかしチェック係の あまりの厳しさにビビッてしまい、部屋がすぐレゲエのおじさん風になってしまう私なのである。 102

9. 半径500mの日常

と書いてあるのを読み、まだまだ使わなければならないのに、そんなにブッチンブッチン血管が 切れてたまるか、と、最近はなるべく怒らないようにつとめている。 幸いこのときは、忙しいこともあってうまく断れたのだが、部下がこういう電話をかけている のを耳にして、まわりにいる先輩や上司は注意しないのか、不思議であった。 それからしばらくして、私は某社に原稿を届けにいった。実は締切ギリギリだったので、郵便 で送って何かあると困るので、都心まで出向いたわけである。化粧だけはギッチリして、顔の表 情がない若い受付嬢に、封筒に入れた原稿を渡した。もちろん相手の所属部署、名前、そして私 の名前も記入ずみである。ところが二、三日たって、先方の担当者から、 「原稿どうなってますか」 とあわてて電話がかかってきた。私は驚いて、 「おととい受付の人に渡しときましたけど。きいてみて下さい」 といった。後日、送られてきた掲載誌に無事私の原稿は載っていた。そしてまた三カ月たって、 また同じ会社に原稿を届けにいった。理由は前のときと同じである。このあいだは、受付嬢の手 違いで、担当者にスム 1 ズに原稿は渡らなかったが、たまたまそういうことがあったのであろう、 と、二、三年前の私からは考えられないくらい、鷹揚にかまえていたのである。とにかく例のプ ッチンが恐いのだ。しかし、びとこといわなきや気がすまないのが私の性格で、受付嬢のもとに

10. 半径500mの日常

買うというと、親は、 カ 魅「こんなものを買ったら騙されるに決まってるじゃないの」 し 妖 といって絶対に注文するのを許してくれなかった。お金をためて買うといってもだめ。自分の の 売手にとって品物を確かめられないものは、みんないかがわしいといった。 信 「そんなに子供を騙すものが、どうして漫画の本に載っているのだろうか」 通 せと不思議な気がしたが、親の猛反対にあって、子供のころは通信販売で物を買ったことはなか 惑ったのである。 それから時はすぎ、学校を卒業して自分でお金を稼ぐようになると、通信販売で大いばりで何 スでも買える立場になった。南極 N 号を買おうが、郵便局止めの恥かしい写真を買おうが、誰にも ~ 文句をいわれない。しかし当時もまだ通信販売には、ずっと飽きずに使えるような商品は少なか + った。友だちの家に遊びにいって、通信販売で買ったぶら下がり健康器が部屋の隅に置かれて、 今室内もの干しと化しているのを目撃したのも一度や一一度ではない。ところがこのごろは違う。大 ン手のデパートが通信販売をしているので、家にいながらそれなりのいい買物ができる。不精者の ン私にはびったりなのだ。 ジ いちばん最初に通信販売で買ったのは、あおむけになって背骨の両脇をグリグリする指圧器で ある。最初は疑い半分だったのだが、広告に偽りはないうえ異常に気持ちがいい。猫みたいにあ