りつけるだけのもので、じっと見ていたら子供の頃、足に貼ったトクホンを思い出し、剥がすと 思きはさぞ痛かろうと思われる代物だった。 「ねえ、この人たち、どうしてこんな水着が着られるの」 の 着彼女は相変わらずマジメな顔をしていう。この彼女は通販で「簡単に抜ける脱毛器」を買った グ はいいが、腕や足で試した結果、あまりに痛くて本来使いたかった部分に使えなかったという。 イ毛が抜けなかった恨みがいまだに根強くあるようで、他人の「毛」にたいして異常に敏感なので 行ある。 最「どうしてったって、ちゃんと手入れをしているんじゃないの」 「手入れ ? どういう手入れよー毛って毎日毎日伸びるのよ」 せ「だから毎日やっているんでしよ」 に「う 1 ん。だってこんなの信じられないわ」 ん 彼女は金髪美人の水着を指さした。それはハイレッグなどという生易しいものではなく、ただ そ 故単に股間に五センチ幅のヒモをあてがっているだけだった。彼女はそのグラビアにじ 1 っと目を 近づけ、 て 「毛っていうのは朝剃ったって、午後になると伸びてきてゴマシオ状になるのよ。この写真じゃ よくわからないわねえ」 147
先月、私は普段とは全く違ってやたらと早起きになっていた。毎日毎日近所のものすごい騒ぎ で目がさめてしまう。きっかり朝七時に隣のア。ハ 1 トから、ギャーギャ 1 と子供がわめく声と、 「いったい何してんのよ、あんたたちは ! どうしておかあさんのいうことがきけないのよ、ま ったく ! 」 という金切り声の大合唱がきこえてくるからである。ジリジリーンという目ざまし時計のベル の音よりは、はるかに効果的ではある。最初は何でこんなに騒がしいのかわからなかったが、よ く考えると巷では小学校が夏休みに入っていたのだった。会社に行っている平日はまだしも、休 みの日など部屋の中にずっといると、四六時中この母親と子供の絶叫大合唱をきかされるハメに 太平の眠りを覚ます「早くしなさい ! 」 子供よりやかましい母親たちの金切り声
風が多く、どういうわけか皆お尻が小さいのである。地・ヘたに根をはっているようなしつかりと した下半身を持った子にはお目にかかれなかった。女の子はというとセミロングの髪の毛に半袖 のサマ 1 セ 1 タ 1 。ハステルカ一フ 1 のミニスカ 1 ト、白い。へタンコの靴をはいてすんなり長い足 で闊歩していく。道行く彼らを眺めながら、 景 「今の子はスタイルがいい」 光 的 とっくづく思った。私は小学校の給食の時にアルミカップにそそがれた脱脂粉乳を担任の先生 たに無理矢理飲まされた世代である。毎日毎日ホントに涙が出そうだった。後日、あの脱脂粉乳と 踏いうしろものが、実はプタのエサだったときいて、 「プタのエサなんか飲まされたからプタみたいになってしまったじゃないかー」 渋 と本当に頭にきた。 じ 私のまわりを歩いていたこの若者たちは、ちゃんと牛乳ビンからミルクを飲んだ世代である。 同 なだから彼らの後ろにくつついて歩くと彼らの臀部が私の胃のところにあるような気がする。胴長 が短足の私はカックリとこうべを垂れて彼らの尻にかこまれて歩くしかないのである。そしてしば らくそうして人波にもまれていくうちに、不思議なことに自分は歩いているはずなのにひとっと が れころに止まっているような錯覚に陥る。通りすぎていく彼らの顔をみていると、 「あれ、あの子とはさっきすれちがったんじゃないのかな」 155
私が初めて「うなぎ。ハイ」の存在を知ったのは高校生のときだった。いまは発行されていない 「ビックリハウス」という雑誌の読者の投稿欄に、 「浜松には、夜のお菓子『うなぎ。ハイ』という名物がある。近所のおじいさんは若い後妻をもら い、毎日うなぎ。ハイを食べていたら子供ができた」 という記事が載っていたからである。私は友だちとそれを読んで、 「うなぎ。ハイなんて気持ち悪いわね。夜のお菓子ってことわってあるところをみると、もしかし てこれは、大人のおもちやを売っている店にあるのかもね」 と話していた。そして「夜のお菓子うなぎ。ハイ」が話題になるたびに、ひと目でいいからそ 乙女心を刺激する「夜のお菓子うなぎ 。ハイーにネーミングの真髄を見た 2 ) 8
私が、町に住むようになって、六年目になる。若い女の子たちには、羨ましがられることが 多いが、休みの日のただならぬ込み具合を見ると、もっと静かな場所に住みたい、と思うことも しばしばである。しかし、きちんとした勤め人じゃなくても、近所の奥さん連中から、 「あの人、いったい何してんのかしらね」 という、疑惑の目つきで見られないところと、どこへ行くにも交通の便がいいから、ここを離 れられないでいる。というのは、表向きの理由である。ここを離れ難い一番の理由は、郵便配達 の男の子が、みんな異常なくらいハンサムだからである。 こういう仕事をしていると、普通の家庭よりも、小包、速達などの郵便物が多く、毎日彼らの どこへ行ったか町の健気な郵便 配達美青年。も一度帰れ我が胸へ
今から八年くらい前、私は失業していた。もちろん無収入になってしまったために家に入れる お金がない。すると我が母は一言、 「金がないなら体で払え」 と時代劇に出てくる女郎屋のオヤジみたいなことを言うのであった。それからは朝七時半にお きて朝御飯を作り、そのあと掃除、洗濯、昼御飯をたべてテレビをみてからしばしポーツとする。 そしてハッと我にかえり買物カゴをかかえて駅前にとび出していくという生活だった。 毎日の仕事の中で一番いやだったのがこの買物だった。いつ行っても常連おばさん軍団が・ハリ ケ 1 ドをはって、私なんかは仲間にいれてくれないのである。どうせ同じ金を出して買うならよ 店頭に並ぶおばさんの鉄壁の臀部 カゴをのぞかれ、買物はラクじゃない
私は四、五年前まで、主婦というのは立派な女でなければできないことだと思っていた。ダン ナに朝食を食べさせて、掃除、洗濯。昼食は朝の残りものですませて、ホッと一息つくのも束の 、買物にいってタ食の準備。ダンナが帰ってきたら風呂をわかし、跡片付けをして、おまけに ニャンニャンまでしてしまうのである。毎日食事の献立を考え、ダンナが夜遅くに友人をつれて 帰ってきても、嫌な顔もせずにこやかに酒の肴なんかを作って出さなければならない。これは完 璧に私には不可能なことで、私はハナからこれはダメだとあきらめていた。ところが、だんだん、 実はそうではないようだと気がっきはじめたわけである。 私が今住んでいる所は集合住宅で、ほとんどの住人が子持ち世帯である。私は昼間家で仕事を 社会的ル 1 ル欠如の主婦の群 ダンナの顔を見てみたい
たまに混雑した電車に乗ると、つくづく乗り方が ( タになったなあと思う。勤め人のころはど こにもっかまらなくても、土俵の徳俵に爪先立ってふんばる相撲取りみたいに、揺れに応じてす ばやく足腰が動いたものだった。しかし自堕落に毎日を家の中で過ごすようになってからは、ち よっとの揺れでもつんのめってしまうような、ヤワな体になってしまったのである。 ある日の午後、私はある展覧会に行くために銀座線に乗っていた。昼間だというのに車内は、 都内を動き回っているらしいサラリーマンやプティックの大きな紙袋を持った若い女の子、中年 の奥さん連中でなかなかの混みようだった。吊革にもびっしり人がっかまっていたので、仕方な く私はどこにもっかまらずに不安な面持ちでぼーっと立っていたのだ。不安は当たった。たとえ 会社を辞めたらャワになった我が体 地下鉄銀座線で右往左往わしづかみ とくだわら 189
ら、そのなかに同じ物をくりかえし食べないで、食生活に変化をもたせる、ということが書いて あった。これはえらいことだとあわてた。家族が何人もいて毎食「和」「洋」「中」と変化をつけ られればいいが、一人の場合そのために材料を買っても消費し切れないので、調理法は違えど同 じ材料が食卓に並ぶことになる。これだったらわざわざ無理して作らなくても、外食にしたほう がよっぽど充実した食生活が送れるような気がする。しかしそれでも外食にふみきれないのはな ぜか。私は外食をすると見事に体重が増えるのである。自炊の内容は貧しく、小学校高学年の家 庭科の教科書に出てくるような、「ほうれんそうのお浸し」に「お味噌汁」といった粗食である。 ところが外食になると、いろんなものが目の前に並んで豪華である。それにくらべたら私の食事 など、カロリーが低くて自然ダイエットみたいなものなのだ。ガンも嫌だけどデブも嫌だ。食べ ることはとても大切で、ないがしろにできないことは充分わかっているが、毎日のこととなると 本当に頭が痛い。それを飲めば満腹感もあり、必須栄養素もすべてとれる錠剤でも発明されない ものかと、私は本気で期待しているのである。
彼らはホッとしたのか、今度は私を差し置いて「思い出の女の子」について勝手に話を盛り上 げていた。ちょうちんプルマ 1 じゃないびったりしたプルマーをはいた体操部の彼女はよかった 2 だの、目のばっちりした一年下の子を待ち伏せしただの、次から次へと話はっきないのだ。 「〇〇さんはよかったなあ」 「ボクは△△さんが好きだった」 彼らの口からでてきたのは、当時嚀になっていた女の子とは別の名前だった。少しでも他の子 より多く話していると、すぐ 「あやしい , と嚀がたったものなのだ。 「◎◎さんじゃなかったの ? 」 「あっ、あれはね単なる友だち。本命は〇〇さんだったの」 名前がでたのは、どの子も十二、三歳でありながら妙に色っぽい子ばかりだった。色気のイの 字もなくただそこいらへんを笑いながら転げ回っていた私とは、全く違うタイプである。男好き するタイプはすでに小、中学校のころから目立っていたのだ。彼らは本命には自分の気持ちが伝 えられずに、ただ遠くからじっと姿を見てため息をつく毎日だったという。そのため息をつく女 の子がひとりやふたりではなかったのにもまた驚いてしまった。