子 - みる会図書館


検索対象: 大地(一)
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1. 大地(一)

「わしが死んだあと、あの娘をたのめるのは、おまえだけだ。あの娘は心に何の苦労もないし・ 心配ごともない。わしがいなくなっても何年も何年も生きるじやろう。しかし、わ 病気もない、 しがいなくなったら、食事の世話をしてくれるものもいないし、雨の日や寒い冬の日には家に入 れ、あたたかい日には日向に出してくれるものもいないのじゃ。これまではすっと、あの子の母 親とわしとが面倒をみてきたのだが、そういうことになれば、おそらくは往来へ追い出されて、 方々ほっつき歩くことになるじやろう。あの子が安全になれる道は、この包のなかにある。わし が死んだら、これを飯にまぜてあの子に食べさせてくれ。そうすれば、あの子も、わしのあとに ついてこられる。わしも安心できるというものじゃ しかし梨華は、彼が手に持っているものから身をひいて、やさしく言った。 「わたしは虫でさえ殺すことができません。どうして人の命を断っことができましよう。いい え、旦那さま、わたしはあの娘さんを、自分の娘として面倒を見ます。あなたは、わたしに親切 にしてくだすったのですものーーー生れてはじめて誰よりも親切にしてくだすったのですもの」 王龍はそう言われると、泣きたくなった。これまで、これほど彼の恩義を感じてくれたものは 一人もいなかった。彼の心は梨華にすがりつかんばかりになった。 「ともかく、この包は持っていてくれ。おまえよりほかに信用できるものはいないのでな。こ んな不吉なことは言ってはならぬがーー・おまえだとていっかは死ぬときもあるーー、おまえがいな くなったら誰がいる いや、誰もおらんーーー息子の嫁たちは、自分の子供たちのことや喧嘩り ことでいそがしいし、息子たちは男だから、あの子のことなど考えてはおられぬでな」 梨華は彼の言葉を聞きわけて。包をうけとり、二度とこのことについては何も言わなかった。

2. 大地(一)

土地を離れるときがきても、前に考えていたほど、そう容易に立ち去るわけこま、 冫しし力なかったの 3 だ。息子たちが早くうつるようにすすめたとき、彼は言った。 「それじゃ、わし一人だけの居間を用意しといてくれ。行きてえと思・つた日に行くだから。孫 がうまれる前には行くだ。そして帰りてえときには、この土地へ帰ってくるだ」 ふたたび彼らが無理にすすめると、彼は言った。 「それもそうだが、あの白痴の娘がいるだでな。あの子をつれて行こうかどうしようかと、じ つは弱 0 てるだよ。だが、つれて行くよりほかはねえだな。わしがいないと、誰もあの子のめし の世話をしてくれるものがねえだで」 王龍は長男の嫁をいくらか非難する意味で、こう言ったのであった。嫁は白痴の娘がそばへ寄 るのを、ひどくいやがった。彼女はひどいひがみやで、気むずかしやであった。 「あんな子は死んだほうがいいのよ。あの子を見るとお腹の子に悪い影響があるわ」と言って いた。王龍の長男は、嫁が白痴の娘をきらっていることを思い出したので黙ってしまい、それ以 上何も言わなかった。王龍は、非難めいたことを言ったのを後悔して、やさしく言った。 「次男の嫁が見つかったら行くだよ。すっかり話がきまるまで、陳のいるこここ 冫いたほうが好 都合だでな」 そんなわけで次男もすすめるのをやめてしまった。 それで、この家に残っているのは、王龍と三男と白痴の娘のほかには、叔父と叔母とその息子 と陳と使用人たちだけだった。叔父一家は蓮華が住んでいた奥の部屋へ移って、そこを自分たち の住居にしてしまった。しかし王龍は、そのことをそれほど苦にしなかった。叔父の余命がもう

3. 大地(一)

なった土地に種子を蒔いた。牛や種子、や鋤が必要なのだが、それ以上借金できないときは、人々 は土地を売り、田畑の残った部分に種子を蒔いた。王龍はこういう田畑を、どんどん手に人れた 9 しかし人々は金がどうしても必要たった。だから彼は安く手に入れることができた。 しかし田畑を売ろうとしない人々もいた。彼らは種子や鋤や牛を買う手段がない場合には娘を 売った。彼らのなかには、王龍か金持で、勢力家であり、そして親切な人だと知っているので、 彼のところへ娘を売りにくるものもあった。 彼は、まもなく生れる孫のことを考え、息子たちがみな結婚したら、そくそく孫が生れてくる ことを考えて、奴隷を五人買った。二人は十二歳で、大きな足と、たくましいからだっきをして いた。それよりも若い娘二人は家族一同の小間使にし、一人は蓮華につきそわせた。社鵑が年老 いてきたし、末娘がいなくなってから家ではたらくものがなくなったからである。ある日、彼は この五人を一度に買ったのであった。決心したことはすぐ実行できるほど彼は裕福だったからで ある。 それからほどないある日、一人の男が七歳かそこらの小さな、弱そうな女の子を抱いて売りに きた。王龍は、その子があまり小さくて、弱々しいので、最初は、ほしくないと言ったが、蓮華 がこの子を見て気に入ってしまい、駄々をこねるように言った。 「あたし、この子がほしいわ。こんなにきれいなんですもの、いまっかっている子は下品で、 いやなにおいがするので、好かないのよ」 王龍も、よく見ると、美しい、おびえたような眼をしており、痛ましいほどやせている。王壟 は半分は蓮華のきけんをとるために、また半分はこの子に食をあたえてふとらせたかったので、

4. 大地(一)

369 大地 ( 一 ) あわてて茶を出した。彼は最近生れた孫が見たいと言ったりした。そして、ひどく忘れつはくな っているので、おなじことをなんどもきいたりした。 「わしの孫は何人になったかな ? 」 一口かがすぐに答える。 「男の子が十一人に女の子が八人ですよ」 彼はおもしろそうに笑ってい 「一年に二人すっふえて行くのじゃな。わしにも数がわかるて。そうじやろうが ? 」 彼はしばらくそこに腰をおろして、周囲をとりまいている孫たちを見まわす。孫たちはもう背 丈の高い少年になっている。彼は、これらの孫どもを、どんな子だろうと眺めて、ひとりごとを つぶやく。 「あの子は、わしの父親に似ているな。あの子は劉さんにそっくりじゃ。この子はわしの子供 のときとおなじじゃて」 そして孫たちにたすねる。 「みんな学校へ行っとるのか ? 」 「行っていますよ。おじいさん」みんな、さまざまな声で一緒に答える。彼は、またたすねる。 「四書を習っているか ? 」 孫たちは、この頭の古い老人をけいべっして、若々しい澄んだ声で笑う。 しいえ、おじいさん、革命が起きてから、だれも四書なんか勉強しませんよ」 彼はちょっと考えてこういう。

5. 大地(一)

になっただ。そしてお前に金をくださるためにーー、金があれば食うものが買えるーー・食うものが チャンサ あれば生命が助かるだそ ! 」叔父は、それだけいうと、あとへさがり、よごれてぼろ・ほろの長衫 の袖をひるがえして、手を組み合せた。 王龍は動かなかった。立ちあがりもせす、来訪者たちに会釈しようともしなかった。顔をあけ て彼らを見ただけである。たしかに町からきた人たちで、よごれた絹の長衫を着ている。やわら かい手をしていて、爪を長くのばしている。十分に食 0 て、はなはだ血のめぐりのよい顔つきで ある。とっぜん彼はこの男たちにたいして無限の憎悪を感じた。うちの子供らは飢えて畑の土ま で食べているというのに、町からきたこの男たちは十分に飲み、かっ食らっているのだ。しかも 彼らは彼の困窮につけこんで、彼の土地を奪おうとしてやってきたのだ。彼はいまいましけに彼 らを見あけた。眼は深く落ちく・ほんでおり、顔はドクロのようであった。 「土地は売らねえだ」彼は言った。 叔父が前にすすみ出た。このとき、王龍の二人の男の子のうちの小さいほうが、足と膝で這っ て戸口のところまできた。このごろは体力がなくなって、赤ん坊のときに逆戻りして這って歩く のである。 「これがお前の子か ? 」叔父が叫んだ。「この夏わしが銅貨をやった、肥った子がこれか ? 」 人々はみなこの子を見た ~ 日ごろ全然涙を見せたことのない王龍が、このとき、とっぜん声も あげずに泣きはじめた。涙は、のどもとの大きな苦痛のかたまりを集めて溢れ、あとからあとか らと頬をつたわって流れた。 「いくらで買ってくれるた ? 」とうとう彼はきいた。三人の子は、どうでも養わなければなら

6. 大地(一)

124 で彼を見上け、鈍重な調子で言った。 「売るものは、女の子のほかにや何もねえですよ」 王龍は息をつまらせた。 「おれは子供は売らねえ」彼は大きな声で言った。 「あたしは売られただよ , 彼女は、・きわめてゆっくりと言った。「あたしを黄家に売ったので、、 両親は故郷に帰れただよ」 「だからお前はあの子を売ろうというのか ? 「あたしだったら、・売る前に殺してしまうよ : : : あたしは奴隷のそのまた奴隷でした。死んだ 娘は一文にもならねえです。あんたのためなら、あの子を売ってもいいだーーあんたを故郷へ帰 すためにならな」 「この荒野みてえなところで一生を終ること 「おれは売らねえ」彼は、がんこに言い放った。 になっても、売らねえ」 しかし、ふたたび外へ出ると、これまで考えたこともないその考えが、意志に反して彼を誘惑 するのである。老父に紐の端をもたれて、よちょち歩きまわっている小さな女の子を彼は見た。 毎日食べものをあたえられているので、非常に育ちはよい。まだ全然ロはきけないが、それでも、 それほど大事にされているわけでもないのに、子供らしくむくむくとふとっている。老婆のロの ようだったくちびるも、笑いをふくんで、つやつやしい。大きくなるにつれて、彼と顔が合うと、 びどくよろこぶ。いまも子供は彼に笑いかけた。 ( あの子をふところに抱いたこともなく、そしてあんなふうに笑いかけたりしなければ、売う ラン

7. 大地(一)

326 「まだうるさく言うだか ! 」 青年は強情に言いつづけた。 「私や私の息子のことではないんです。私の末の弟、あなたの三男のことです。あれを無学の まま大きくするのはよくないと思います。学問をさせるべきだと思います」 王龍は耳新しいことなので、びつくりして眼をみはった。王龍は、すっと以前から、末の息子 を何にするか、その将来をきめていたのだ。 「字を腹い「ばいつめこんだ奴は、もうこの家にはいらねえだよ。二人でたくさんだ。あいっ はわしが死んだら、畑仕事のほうをやらせることにしてあるのだー 「ですから、そのためにあの子は毎晩泣いているんです。あれが青い顔をしてやせているのは、 そのためなんです」 王龍は三人のうち一人だけは百姓をやらせると決心していたので、王龍は、三男に何になりた いかきいてみようとも思っていなかった。だから、いまこの長男の言葉をきくと、いきなり眉間 を打たれたように感じて、黙ってしまった。彼は、ゆっくりとキセルを地面から拾いあげ、三男 について考えこんだ。末弟は他の兄弟の誰にも似ていなかった。母親に似て無ロな子だったので、 誰も彼には注意を払わなかった。 ? と王龍はおばっかなげに長男にきいた。 「お前はあの子が自分でそう言ったのを聞いたのか 「お父さん、御自分できいてごらんなさい」青年が答えた。 「それもそうだが、しかし一人は畑に残らにゃならねえだ。王龍は急に反駁するように言った。 声が高くなった。

8. 大地(一)

すませてから家へ帰った。 王龍は食事をすませ、冷たい水で日にやけたからだを洗い、茶でロをすすいでから、二番目の 息子を見に寝室へ入った。阿藍は食事のしたくをすましてから、寝床で横になっていた。そのそ ばに赤ん坊は寝ていたーーーふとって、おとなしい子で、ます申しぶんはない。ただ最初の子ほど 大きくはない。子供を見て王龍はすっかり満足して中の部屋へ戻った。毎年、子供がっきつぎと 生れるのだ。ーーそのたびに毎年赤い卵をくばるのでは、たまったものではない。あれは最初の子 のときだけでたくさんだ。毎年子供がふえる。家は幸運にみたされるーーーこの女は幸運だけをも ってきたのだ。彼は大きな声で父親に言った。 「お父つつあん。孫がまた生れたで、大きいほうはお父つつあんが一緒に寝てやってくんな よ」 老人もよろこんだ。孫の若い新鮮なからだで、年老いて冷えるからだを温めてもらいたくて、 老人は前々から孫と一緒に寝たかったのだが、これまでは子供が母親から離れなかったのだ。し かし、幼児らしくまだしつかりしない足つきでよちょちしながら、長男は母親の横に寝ている新 しい赤ん坊をじっとみつめていたが、やがてその真剣な眼で自分の場所を占領するものができた ことを納得したらしく、文句もいわすに祖父の寝床に寝るようになった。 今年も豊作だった。王龍は作物を売って手に入れた銀貨を、また壁のなかにしまいこんだ。黄 家の田からとれた米は、前からもっていた畑の二倍も収穫があった。その土地は土壤が濡ってい て肥沃なので、稲が、生えてもらいたくないところにまで、まるで雑草のように生いしげるので ある。その田をもっているのが王龍だということは、いまではもう誰でも知っていた。村では彼

9. 大地(一)

心で言った。 ( あの子が美しくなって、大家の若旦那に気に入られたら、うまいものは食えるし、宝石も飾 れるから、売るなら金持のところへ売ったほうがいいだな ) しかし、そういう希望に対してみす から答えながら、また考える。 ( だけどあの子を売ったとしても、あの子の目方だけの黄金やル ビイは手に入るまい。故郷へ帰れるだけの金に売れても、牛やテーブルや寝台や腰掛は、どうし 、 : こ ? ここで飢え死するかわりに故郷へ戻って飢え死するために子供を売るのか 9 て買ったらししナ 畑に蒔く種子さえないじゃないか ) さっきあの男は、「金持があまり冨みすぎると、そこには道がある」と言ったが、どんな道があ るのか、彼は見当もっかなかった。 この小屋がけの村にも春がおとすれてきた。これまで乞食をしていた人々は、山や墓地へ、か よわい新芽をふき出した小さな緑の雑草、タンポポやナズナなどを掘りに行った。もうそこここ ←で野菜をかっ払ってくる必要もなくなった。・ほろを着たきたない女や子供が毎日小屋を出て、ブ 地リキだの、さきのとがった石だの、折れた小刀などを持ち、竹の小枝や、葦を裂いてつくった籠 を手にして、金を払わすとも、物乞いをせすとも手に入れられる食いものをさがして、郊外や道 ばたをあるきまわった。阿藍と二人の子供も、毎日、この群に加わった。 ワン・ルン だが、男たちは働かねばならない。王龍はいままでどおりに働いた。一日一日と日がのびてあ たたかくなり、日光はかがやき、時おりにわか雨が降る。すると人々の胸には欲望と不満がみち

10. 大地(一)

108 だろう。彼女の人生には、彼の知らない面が、なんとたくさんかくされていることであろう。彼 女は彼の眼に答えて言った。 「子供の時分にこう言って、生命をつないでいたことがあるのです。そして今年のような飢饉 の年に、あたしは奴隷に売られたのです」 それまで眠っていた老人が眼をさました。彼にも茶椀を渡し、四人は乞食をするために往来へ . 出た。阿藍は哀れつぼく呼びかけては道ゆく人々に茶椀をさし出した。彼女は女の子を、じかに 胸に抱いていた。女の子は眠っていた。阿藍があちこちへ茶椀をさしだして動くたびに、その子 の頭がぐらぐら動いた。彼女は物乞いをしながら、その子を指さして言った。 「旦那さま、奥方さま、めぐんでくださらぬとこの子は死んでしまいますーーあたしたちは飢 えているのですーー飢えているのです」 実際その子は頭があっちへぐらり、こっちへぐらりと動いているので、死んでいるように見え た。しぶしぶビタ銭を投けて行く人もいくらかいた しかし、しばらくすると、子供たちには乞食が遊びごとのようになってきた。長男のほうは、 恥かしそうに、きまり悪そうな笑顔で、ほどこしを乞うていた。それを見ると母親は、小屋のな かに引き入れ、顎にはけしく平手打ちをくわせてから、怒って叱言を言った。 「ロで飢え死しそうだと言いながら笑っている。なんて馬鹿なんだろう、そんならほんとに飢 え死するがいい ! 」そして、手が痛くなるまで何度も何度も二人の子供を打った。子供たちの顔 から涙が流れた。彼らは泣きじゃくった。彼女はふたたび子供たちを外へ追い出した。 「それでどうやら乞食になれる。また笑ったらもっとひどいよ」