金 - みる会図書館


検索対象: 大地(一)
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1. 大地(一)

に渡さなかったら、この広大な土地は一生かかっても買えなかっただろうということを、このと きふいに思いだしたからである。だが、それを思うと、よけい腹立たしくなってきて、まるで頑 固に自分の心に楯つくかのように、ひとりごとを言った。 ( だがあの女は、自分のしたことの意味を知らねえだ。子供が赤や緑の菓子をとるように、た だほしいからとったたけなのだ。もしおれが見つけなかったら、いつまでもふところへしまいこ んでおいただろう ) まだ阿藍は乳房のあいだに、あの真珠をしまっているだろうか、と彼は考えた。以前は、その しまい場所が何とも奇妙に思え、ときどきは考えてもみたり、心に思い描いてもみたりしたもの だが、いまは軽蔑を感じるばかりだ。というのは、彼女の乳房は、何人も子供を生んだため、し なびて垂れさがり、美しさなどまったくないからだ。そんな乳房のあいだに真珠をかくしておく なんて、ばかばかしくもあり、無駄なことだ。 それでも、もし王龍がまだ昔のような貧乏百姓だったら、また、もし洪水が彼の畑を水びたし にしなかったら、これは何でもないことであ 0 たかもしれない。しかし、彼は金をも 0 ているの だ。壁のなかに銀貨がかくしてあるし、新しい家の床下にも銀貨の袋が埋めてある。妻と一緒に 寝る寝室にも布に包んだ銀貨が箱にはい 0 ているし、敷ぶとんにも縫いこんである。腹巻にも銀 貨がいつばい入 0 ている。金には不自由しないのだ。それで、むかし金を手ばなすのは身を切ら れるようにせつなか 0 たが、いまは腹巻のなかに手を入れると、指がやきつくかと思われるほど で、早く使 0 てみたくてならない。金を大事にする気持がなくなり、男ざかりを享楽したいと思 うのである。

2. 大地(一)

彼は長男を呼んで言った。 「三男がそうしたいと思うなら、家庭教師をたのんでやれ。好きなようにさせるがいした。た、 ' だ、このことでおれに面倒をかけねえようにしてくれよ」 そして彼は次男を呼んで言った。 「畑仕事をする息子がいなくなったで、小作料や、とり人れどきに田畑からはいる銀は、お前 が管理してくれ。お前は目方も計れるし、桝目もわかるだで、わしの執事になるだ」 これは、金の出入りがすくなくも自分の手を経なければならないことになるので、次男は非常」 によろこんだ。彼は父の収入の金高が知りたかったのである。それに、もし一家の費用が必要以 上になれば、父親に文句も言えるわけだ。 王龍には、この次男が、他の息子たちよりもいっそうふしぎに思えた。というのは、結婚の当 日でさえ、彼は肉や酒に使う金を倹約して、料理の値段を知っている町の人たちには一番よい肉 を、そして招かねばならない小作人や田舎の人たちには、庭にテーブルを並べてあまり上等でな い肉や酒を出す、というふうに食卓を別にしたからである。百姓たちは毎日粗食しているから、 ←ほんのすこしよいものでも、たいへんな御馳走になるというのである。 地また次男は贈られた祝儀の金や品物にもよく注意していたし、また奴隷や召使たちにも、これ , 以上すくなくはできないという最少限度の金、をあたえた。社鵑にもわすか銀貨二枚をやっただけ 大 なので、彼女はせせら笑って、多くの人のいる前で聞えよがしに言ったものである。 「ほんとの大家というものは、銀なそにけちけちしないものですよ。この一家がこの屋嗷に住 . む柄だとは誰にも思えませんねー

3. 大地(一)

立派な服を、とっぜん阿藍や子供たちの前で着るのは恥かしかった。 だが、さすがにこういう 彼は茶色の油紙に包んで、顔なじみになった茶館の番頭にあずけ、いくらかの金をやって奥の部 屋へこっそり入れてもらい、二階へ上る前にそれらを身につけた。その上、彼は金メッキした銀 の指環まで買いこんで指にはめ、以前そり上けていた前額のあたりに毛がのびてくると、一瓶が 銀貨一枚もする外国製の香りのよい油でなでつけた。 阿藍は驚きの眼で彼を眺めたが、こういうことを、どうしてよいのかわからなかった。ただ、 ある日、昼飯を食べながら、長いことじっと眺めたあとで、ぼつりとこう言 0 ただけだった。 「あんたを見ていると、黄家の若旦那をおもい出します」 王龍は大きな声で笑って言った。 つまでも雇人みたいな恰好をしてなければいけねえのか ! 」 「金持になったのに、い だが心のなかでは非常によろこんで、その日だけは近頃にないほど彼女にやさしくしてやった。 財貨は、銀貨は、いまやどんどん家から流れ出て行った。あの女と一緒にいる時間だけに金を ←使うのではなく、彼女が可愛らしいようすでねだるものにも金を使った。彼女は手に入れたいも 地のがあると、いまにも胸がはりさけんばかりの調子でため息まじりにつぶやくのだ。 「ああ、あたしーー・あたしってーー」 すると、やっと彼女の前でロをきくことをお・ほえた彼がささやく。 「何だね、可愛いおまえ」彼女は答える。「今日はあなたから何のうれしいこともしてもらえ ヘイワン ないのね。お向いの部屋の黒王さんは恋人から金のヘャ。ヒンをもらったのよ。あたしは、ずっと

4. 大地(一)

「そうですか。そんなら結婚しましよう。もともと いいことなんだし、ヒスイなどに金をつか うよりも・必要なことにつかうほうがいいですからね。なんといっても人間は子供を持つのが本 当ですよ。しかし兄さんのように町の女はもらわないでくださいよ。実家のことをいつまでも口 に出したがるでしようし、それに亭主に金をつかわせるでしようからね。私はとてもいやです 王龍はこれを聞いて驚いた。というのは、長男の嫁を、立居振舞の正しい、しとやかな女で、 容貌も美しいと思っていただけでそんな一面があるとは知らなかったからだ。しかし次男の言っ たことは、まことに頭のよい話で、この次男が金をためることにも鋭敏で抜けめがないことを知 って、たいへんうれしく思った。じっさい彼は、この次男については、ほとんど知らなかったと 、、。活な兄の蔭で弱々しく育ち、高い声でもはりあげて話さないことには、少年時代 . も青年時代も、たいして人から関心を払われなかった。次男が町の商店へ行ってからは、王龍は 彼のことを日一日と忘れて行った。ただ誰かに子供が何人あるかときかれると、「三人です」と答 えて思い出すくらいのものであった。 いま、青年となった次男を見ると、彼は髪を短かく刈り、油でよくなでつけて、小さな模様の 灰色の絹の清潔な長衫を着て、きびきびとふるまい、眼はしつかりして、ひそかに相手を見ぬく 、ようであった。彼は驚いて心のなかで考えた。 ( うむ、これもおれの子か・ ! ) それから彼は声に出して言った。「どんな女がいいだかな ? 」 若者は前々から考えておいたかのように、よどみなくきつばりと言った。 「農家からもらいたいな。相当な地主の娘で、貧乏な親戚がなくて、持参金が相当あって、顔

5. 大地(一)

130 うんと作物がとれるだ ! 」 連中はロをそろえて王龍をやつつけ、叱りつけた 「豚のしつはを垂らした田舎者にや都会の生活はわからないし、金の使い方もわからないよ。 牛や ( の尻にくつついて、奴隷みたいに働きたがっているんだ」彼らはみな、おれたちは金の 使い方をよく知っているから、王龍よりも金持になる資格があると思っているのである。 しかし、侮辱されても王龍の気持は変らなかった。彼は他の連中に聞かせるために大きな声で いうかわりに、心のなかで言った。 ( 何といわれてもおれは金銀財宝があれば、立派な肥えた土地を買うだ ) 毎日そんなふうに考えているうちに、すでに彼のものとなっている土地への渇望に、どうにも がまんできなくなってきた。 自分の土地のことばかり考えっ・つけていると、毎日この都会で起っている事柄が、夢のように しか思えない。 どんなふしぎなこともそのまま受けいれて、なせそうなのかと疑うこともせす、ただ今日はこ んなことがあ 0 た、・と思うだけなのだ。たとえば、あちこちで人々がくば 0 ている紙きれのこと がある。ときには彼にさえも、そんな紙きれをくれる。 王龍は子供のときから、字を習ったことがない。だからこの都の城門や城壁に貼ってあるビラ を見ても、わすかの金で売ったり、無料でくれたりするビラを見ても、読むことができない。そ んなビラを彼は二度ほどもらったことがあるのだ。 はじめてもらったのは、ある日彼がいやいやながら人力車にのせて走った外国人からである。

6. 大地(一)

八十町歩。一か所にかたまってはいないけれど、みんな広いところですよ。全部売ると思うわ、 即座に女は答えた。この女は老大人の持っているものは、何でも、最後の一尺の土地まで知り つくしているらしい、と王龍は感じた。しかし、まだ信じかね、この女を相手に取引をする気に はなれなかった。 「老大人は、息子さんたちに相談もせすに一族の土地を売るようなことはなさらねえのじゃね えかね」彼は突っこんでみた。 しかし、女は、やっきとなって答えた。 「そのことだったら、心配はいりませんよ。売れたら売るようにつて、息子さんたちも老大人 に言っていたから・ね。この土地で生活したいなどと思っている息子さんは一人もいやしません。 凶年になると匪賊が荒しまわるので、みんな言っています。『こんなところに住めやしない。土 地を売って、その金を分けることにしよう』ってね」 。しいだ」王龍は、まだ信用できなかった。 「それじゃ、金は誰に払えよ、 「老大人にですよ。ほかに誰がいるの ? 」女は、すらすらと答えた。しかし王龍は、金は老大 ←人の手からこの女の手に渡るのだ、と思った。 地彼はそれ以上この女と話しあう気になれす、「またきますだーーいずれそのうち」と言いすてて 門のほうへ歩きだした。すると、女があとを追ってきて、往来へ出た彼に背からするどい声で言 「明日のいまごろ いまごろか午後ー・・・・ーいつでもいいですよ」 王龍は返事もせずに往来を歩いて行った。彼はいま聞いた話に、ひどく気持が混乱して、すっ

7. 大地(一)

美な匂いでいつばいになった。これに使う銀を一十龍は惜しまなか 0 た。彼はそのために平和を得 たからだ。 冬が去り、水がひきはじめたので、王龍は方々の畑を見にまわることができたが、するとある 日、長男がついてきて、誇らしげに言った。 「お父さん、まもなくもう一つのロがふえます。お父さんの孫のロです」 これを聞いて王龍はふりかえり、笑って両手をこすりあわせて言った。 「じっこ、 冫しい日だて、まったくよ ! 」 もう一度彼は笑った。そして陳をさがして、町へ魚やうまい食べものを買いにやらせ、それを 息子の妻にあたえて言った。 「これを食べてな、からだのしつかりした孫を生んでおくれ」 この春のあいだじゅう、王龍は孫が生れてくるのを楽しく思いくらした。他の仕事でいそがし いときにも、このことを心に思いうかべた。心が苦しいときにも、これを考えてなぐさめられた。 ←春がすぎて夏になるにつれて、洪水のために土地をはなれた人たちが、冬に疲れはてて、一人 地また一人、あるいは一団また一団と戻ってきた。彼らの家があったところは、いまは何もない。 ただ水びたしの黄いろい泥ばかりなのに彼らは、 . 戻ってきたことをよろこんでいた。この泥から、 家はふたたび築けるのだ。しかし屋根にするムシはは買わねばならぬ。多くの人々が王龍のとこ ろへ金を借りにきた。彼は高利で金を貸した。借りたい人がじつに多いのを知っていたからだ。 そして抵当はかならす土地でなくてはいけないと言った。彼らは借りた金で、水が乾いて肥沃に

8. 大地(一)

「あたしが以前その下で働いていた料理女と、ちょっと話をしただけですだが」と彼女は答え た。「よその国へ行っている五人の若様たちが、湯水のように金をつかうし、おまけに買った女 があきると、みな家へ送ってよこすので、お屋敷もながいことはあるまいと言っていましただ。 それに老大人も、毎年一人か二人すっ妾をふやすし、老夫人は毎日、金貨にしたら二つの靴にい つばいになるほどの阿片を吸ってしまうそうです」 「そうか」王龍は呆然として言った。 「それから三番目のお嬢様がこの春は結婚なさいますだ、と彼女は話しつづけた。「その持参 金は、王様の身代金ほど莫大なもので、大きな都の顕職の椅子が買えるほどだそうですだ。持っ ておいでになる衣裳は全部、蘇州や漢ロで特別に織らせたものばかりで、よその国の女の流行に , 負けないために、上海から裁縫師がたくさん職人をつれてきて仕立てるのだそうですだ」 「そんなに金をかけて、誰と結婚するんだろう ? 王龍は、そんな莫大な財宝が流れ出ること ) に感嘆と恐怖を感じた。 「上海の大官の次男の人だそうです」と阿藍は言った。そして、しばらく黙っていたあとで、 つけ加えた。「老夫人が土地を売りたいとおっしやっていましただから、よほど困っていらっし やるのだと思第ますだーー、お屋敷の南の、城壁のすぐ外にある土地です。肥えた土地で、城壁を かこんでいる濠から簡単に水がひけるので、これまで毎年米をつくっていた場所ですだ」 「土地を売るって ? 」王龍はくりかえした。それでやっとうなすけた。「それじや木当に困っ - ているんだろう。土地は誰にとっても肉や血だものな」 彼はしばらく考えていたが、急に思いついて手で頭を打った。

9. 大地(一)

ャベッと一緒に煮たいとも思うが、しかしこれは、油と醤油を買った後で金が残っていたらの話 である。頭を剃らせたら、たふん牛肉は買えなくなるだろう。しかしまあいい、頭を剃らせよう、、 と彼は急に決心した。 老人にはなにもいわすに、彼は早朝の戸外へ出た。暗紅色の暁だが、太陽は地平線の雲をやふ って、小麦や大麦におりた露に光っている。百姓の習性から王龍はすぐに他のことを忘れ、立ち どまって穂先を調べてみた。麦はまだ実がついていない。雨を待ち望んでいるのだ。彼は大気の 匂いをかぎ、心配そうに空を眺めた。暗い雲、重たげな風、雨はそこにあるのだ。彼は線香を買 ほこら って、地神の小さな祠にそれを捧げようと思った。こんな日には神様にすがりたくなるのだった 9 畑のなかの小径づたいに彼は急いで歩いて行った。近くに町の灰色の城壁がつらなっている。 ホワン その城壁の楼門を入ると、黄家という大地主の屋敷があって、そこに彼の嫁となる女が子供のと きから奴隷として使われているのである。世間ではよく「大家の女奴隷と結婚するよりは独身で いたほうがいい」などと言っている。しかし彼が父親に向って、「おれはいつまでも女房を持てね えのか」ときいたとき、父親は言ったものである。「このごろのように時世が悪くなってくると、 婚礼にもたいへんな金がかかるし、どんな女だって、一緒になる前に金の指環や絹の着物をほし がるだで、貧乏人は奴隷をもらうより仕方がねえだよ」 そして父親は思いきって自分で黄家へ出かけて行って、あまっている女奴隷はいないだろうか と頼んでみたのである。 「あまり若くねえ女奴隷で、何よりもべっぴんでねえ女を , と老人は言った。 王龍は、べっぴんであってはいけない、 というのが不満だった。他人が祝ってくれるような美一

10. 大地(一)

158 「わすかばかりの、金のことでまいったのでごぜえますが。彼は、ためらいがちに言 0 た。 すると、たちまち老大人は門扉を閉じてしまった。 「わしのところに金にない」彼の声は前よりも高くなった。「あの匪賊野郎で泥棒野郎の執事 ーー借金は めが、全部ぬすんで行きおったーーあいつの母親も、母親の母親も地獄へ行くがいい 払えんそ」 「そうではないんでーーちがいますだよ」王龍はあわてて言った。「わしは金を払うためにま いりましたんで、取立てにまいったのじゃありません」 すると、王龍がまだ聞いたこともないようなするどい叫び声がして、女の顔が、ふいに門の外 へあらわれた。 「まあ、すいぶん長いことそんな言葉はききませんでしたよ」女はきんきんする声で言った。 王龍は自分を見ている美しい利ロそうな、あでやかな女の顔を見た。「お入りなさいー彼女はき びきびと言って、王龍が通れるだけ門をあけ、彼が門のなかへはいっておろおろしているうちに、 うしろへ廻って、またしつかりとかんぬきをかけてしまった。 チャンサ 老大人は咳をしながら王龍を見て立っていた。うすよごれた灰色の繻子の長衫を着て、裾から 毛皮の裏が出ている。繻子の厚さやなめらかさから見ても、前にはさだめし立派な着物であった こもわかるが、いまは方々に汚点がついており、しわだらけなのは、これを着 冫力いないと誰冫 たまま寝るからであろう。王龍も老大人を見返した。好奇心もあるが、怖い気もする。これまで 大冢の人というと、なんとなく怖い気がしていたからだ。だから、評判の高い老大人がこの老人 であろうとは、どうしても思えなかった。彼の父親よりも威厳がないのだ。彼の父親は、もっと