母親は落ちつきはらって、それにこたえた。 「そういう娘は、きっと好きな人と結婚すると思います」 王虍は、これを聞くと、すこし考えこみ、妻の顔を、しげしけと眺めた。これまでは、妻なん そ自分の目的を助けてくれればそれで十分だと思って、ろくに顔も見なかったのである。しかし、 眺めているうちに、彼は、はじめて知 0 た。妻は聰明な立派な顔をしているのだ。態度も沈着に 見え、思うことは何でもやりとげそうに思える。そして、彼がみつめても、別にあわてもせす、 もう一人の妻だったらロをす・ほめたり忍び笑いをするであろうのに、 この妻は、おちついて彼を 見かえしているのだ。彼は心のなかで感した。 ( この女は、おれが考えていたよりも利ロ者だ。おれはこれまで気がっかなかったのだ ) そし て座を立ちながら、こんどは声に出して、やさしく言った。「その時期になって、そうするのが いと思えたなら、おれはおまえのいうことに反対はしないよ 王虎の知っているかぎりでは、この妻は、つねに冷静で、生活に満足しているように思えた。 ところがいま、いつもそっけない夫のこのやさしさに接すると、ふしぎに感動したらしい。これ は奇妙なことだった。頬に血の色がのぼってきた。だまって熱情をこめて彼の顔を見あけていた 眼にはあこがれがひそんでいる。しかし、彼女のこうした変化を目にすると、彼の胸のなかには 女性にたいする古い反感がわいてきて、ロをきくのがいやになった。やらねばならぬ仕事を忘れ ていた、と小声に言いながら身をひるがえし、心のなかで動揺しながら急いでその場を去った。 妻に、そんなふうに見られると、妻がいとわしくなるのだ。 しかし、このときの結果として、彼が男の子を呼びにやると、学間のあるほうの母親は、さっ
をびしゃびしやと叩いこ。 われ知らす微笑をうかべて部屋のなかをしばらく大股に歩きまわった。彼は思った、自分自身・ の子供をもっということは、なんと楽しいことだろう ! もう兄の息子たちに頼る必要はない。 死後に生命をついで、軍事的勢力を拡大してくれる息子が自分にもできたからだ。すると、もう 一つの考え、自分には娘もあるのだ、という考えがうかんだ。娘をどうしようか、としばらく考 えていた。格子窓のそばに立ってひげをいじりながら、黙然として女の子のことを考えた。つい に確信のない調子でつぶやいた。 ( 時期がきたら立派な軍人と結婚させるのだな。娘にはそうしてやれるだけだ ) この日から王虎は二人の妻にたいして、新しい目的を抱いて接した。もっと多くの息子を生ん でもらいたいのである。血のつづいていないもののように裏切ることの決してない、真実な、孝 行な息子が、妻たちから、もっと生れてくるだろうと期待したからだ。彼はもはや、心の憂悶と 肉体の要求のためだけに妻に接するということはしなかった。息子を一目みたときに、彼の心の もだえは、からりと晴れわたってしまった。そして自分の肉体から多くの子供が生れ出ることの 「みをのそんだ。自分が老齢に達して身心がおとろえたとき、そばにいて自分をささえてくれる、 忠実で勇敢な武人としての息子たちを欲した。二人の妻は、自分こそ王虍の寵愛を手に入れよう . 地 と、ひそかに努力していたが、彼は、公平に二人のところへかよった。二人のどちらの妻にも、 大それそれ、そのままのあり方で満足していた。二人から同じ一つのことしか求めていなかったし ' どちらに対する要求も同じであった。息子が生れた以上、妻を愛していないなどということは、 もう彼にとっては問題ではなくなったのだ。
娘の、美しい、こましやくれた、小さな顔が、断髪の下から、ほがらかな黒い眼をして、画面か 加ら大胆にこちらを見ていた。王虎は、どうしてもわが娘とは思えなかった。彼女はきっと、近代 的とかいうおしゃべりな、陽気な少女の一人なのであろうと思って、唖みたいにながめていた。 それから学問のある妻を見た。まったく彼は、この妻のことは何も知っていなかった。夜、彼女 をおとすれた当時でさえ、全然知ってはいなかった。彼は娘よりも妻のほうを長くながめていた。 写真のなかから彼女は彼を見かえしていた。いつも妻のまえにいるときに感じた不安を、ふたた び味わった。彼のききたくないことを言いだしそうだ。彼のあたえたくないものを要求している ようだ。写真を眼に見えないところへ押しやって、彼はひとりでつぶやいた。 ( 人間は一生のあいだに、そう何でもするほどひまがあるものではない ! おれはいそがしか ったのだー爿女のことにつかう時間がなか 0 たのだ ) 彼は、みすから気を引き立てて、この幾年ものあいだ、妻たちにすら近づかなかったのは、自 分の一つの美徳であると思った。彼は、すこしも彼女たちを愛していなかったのである。 もっともさびしい時間は、火鉢のそばに、ただひとり坐っているときであった。日中は何とか いそがしく時間をすごすことができる。しかし、また夜がやってくる。かって彼が過去において しみじみ味わったように、夜は暗く悲しく彼の心におおいかぶさってくるのであった。そんなと きには彼は自分自身を疑い、自分が老いこんでしまって、来春になっても、何ら新規の大征戦が 実現できないのではないかと思った。そして痛ましい微笑を火鉢の炭火に向け、あごひげをかみ ながら、悲しけに考えこんだ。 ( 誰だって、自分がしようと思ったことを、しとけるものはないのだろう ) しばらくたっと、
それそれ非常にちがっていた。一人は学間があり、楚で、静かで、落ちついていて、そこが好 ましかった。一人は、どことなく田舎びていて粗野な感じがするが、しかし貞淑で親切だった。 この女の最大の欠点は、歯の黒いことと、そばへ寄ると息がくさいことだった。王虎にとって幸 運なのは、この二人の妻が喧嘩をしないことであった。これは王虎の公平な態度のせいもあった ろう。この点については彼はひどくきちょうめんで、二人のところへ交替に行くのであった。実 をいうと、二人とも彼にとっては同じなのである。どちらも好きではないのだ。 もはや自分が欲しないかぎり、一人で寝る必要はなくなった。ただ、どちらの妻とも、うちと けた間柄にはならなかった。いつも不愛想に彼女たちのところへ行き、さだまった目的を果すだ けで、話もしなかった。どちらにたいしても、殺した妻にたいしたときのような、うちとけたと ころがなく、けっして気をゆるすようなことはしなかった。 ときどき、男が女にたいして、どうしてこうもちがった感情をもちうるのであろうか、と考え させられた。考えているうちに、死んだ妻は自分にたいして、けっしてうち明けたところがなか ったではないか、と苦々しげに自分に言いきかせた。娼婦のように奔放な情熱を示したときです ら、そうではなかった。いっか彼を裏切る計画を胸にひそめていたのだ。そう思うと、ふたたび 王虎は心を閉じて、欲情だけを二人の妻によって満足させた。そして、すくなくとも二人のうち、 どちらかが子を生むであろうと考え、それが彼の野心への新しい光明と希望とを燃え立たせた。 この希望によって、彼の栄光への夢は、もう一度鼓舞された。この年、この春こそ、どこかと大 きな戦争をして、権力と広大な領土とをかちとるのだと心に誓った。すでに勝利は彼のもののよ うに思えた。
ないのである。どうしてこんな奇怪なことになったかといえば、彼は、もっと若いころ、一、 年、町の新式の学校へ通ったことがある。そこで彼は、いろいろなことを習ったのであるが、そ こういうのがあった。青年が父母のえらんだ妻と結婚するというのは、旧時代 のなかの一つに、 の習慣への、いやしい奴隷的屈従であって、いやしくも青年たるものは、みな女性と交際して、 愛しうる娘と結婚すべきである、というのである。だれら王一が、あらゆる結婚適齢期の娘を調 べ、長男のためにこれならと白羽の矢を立てたのがあ 0 ても長男は、てんで受けつけす、あざわ らったり、ロをとがらしてすねたりして、自分の妻は自分でえらぶ、というのであった。 最初、王一夫妻は、その考えに憤慨した。このときばかりは一つの事件に対する夫妻の意見が 一致した。夫人は、はげしい調子で息子に言った。 「おまえは、どうして良家のお嬢さんと話をしたり、その人を好きだとかきらいだとかわかる ほど近づけると思うの。おまえを生み、おまえの気持も性質もよく知 0 ている両親よりほかに、 誰がおまえの妻をえらべると思うのです ? 」 けれども長男は非常に雄弁で、ひどいかんしやく持ちであった。長い絹の袖口をまくり上げ、 仼白いすべすべした腕を出し、蒼白い額にたれる黒い髪の毛をかきあげながら、母にまけすに大声 地で答えた。 「お母さんもお父さんも、すでに死んでいる旧時代の習慣よりほかには、なにもご存じないの 大 です。南のほうでは、富豪や知識人たちは、自分の息子に自分で妻をえらばせているのをご存じ ないのでしよう . 父と母は顔を見合わせた。父は袖ロで額の汗をふき、母はロをすばめた。それ を見ると息子はまた叫んだ。 「いいです。そうしたければ私に婚約させなさい。私は家を出て一一
た真赤な帽子がかぶせてあった。無学な妻のほうは、赤ん坊の帽子の上に、小さな金色の依像を 一列にぬいつけていたが、学問のあるほうの妻は、そんな幸運のまじないなど信じていないので - 花を刺繍してやっていた。この相違以外には、二人の赤ん坊は、まったく同じように見えた。王 虎は、おどろいてまばたきしながら見つめた。二人も赤ん坊が生れていようとは思わなかったの だ。それから、やっとどもりながら言った。 「ど どうしたのだ どうしたというのだーー・」 学間のある妻が立ちあがった。彼女は動作がすばしこくて、ものの言いかたも優美だった。い つも美しい、なめらかな言葉づかいで、古詩や古典から引用した学問的な文句を間にはさなので ある。彼女は光った美しい歯を見せてほほえみながら言った。 「お留守にわたしたちが生んだ赤ん坊です。頭のさきから爪さきまで丈夫で申しぶんのない子 供たちです」そう言って彼女は、自分の子をさし出して王虎に見せた。 もう一人の妻も負けてはいなかった。自分の生んだのは男の - 子で、学間のある妻のほうのは女 の子だったからだ。まっくろな歯と、歯のぬけた隙間を見せたくないので、めったに口をきかな 仼いのだが、いまは黙 0 ていられす、立ちあが 0 て口をす・ほめながら言 0 た。 「旦那さま、わたしのほうは男の子ですーーそちらは女の子です ! 王虎は、なんとも答えなかった。自分のものである二人の子供ができるということは、しオ 大いどういうことか、さつばりわからなかったので、ロがきけなかった。彼はその二人の小さな生 きものを、じっと無言でみつめた。赤ん坊のほうでは彼のことなど、ちっとも見てはいないよう に思われた。王虎を、まるで木か壁か、つねにそのへんにいつもある物ででもあるかのように、
この時間を、毎夜なんとかして延ばそうとするのだが、やはり避けられなかった。愛する妻を 思いだす時間である。彼は悲しかった。しかし、悲しみながら、、彼女が生きていてくれたらと は、けっして望まなかった。彼女が、けっして彼が信じ胸襟を開いて真底から愛しうるような女 でないことは、もう知っているし、たえすそのことを自分に言いきかせていたからだ。かりに彼 が妻を許し、殺さすにおいたとしても、つねに彼は妻を恐れていなければならなかっただろう。 そして、そのような恐れは彼の心を分裂させたであろうし、引きさかれた半分の心で栄達への道 をすすんだところで、彼の大望を成就することはできないであろう。 夜、彼は自分にこう言いきかせるのであ 0 た。しかし、をれにしても普通の匪賊にくらべてい くらかましなくらいの、ただの無知な男にすきない豹将軍が、どうして、あのただものとは思え ぬ女の愛をかちえたのであろうか。豹将軍が死んだのちまでも、彼女は豹に愛着をもっていた。 生きている自分が、あれだけ愛したにもかかわらす、女は死んだ彼を忘れなかったのである。そ う思うと胸が痛んた。 というのは王虎は、妻が自分を愛していなかったとは信じられないからである。彼がいま横た わっているこの寝台の上で、いかに彼女が情熱的で奔放であったかを、いくたび彼は、むさ・ほる ように思い起したことであろう。愛のないところに、あのような情熱が湧きでてくるとは信じら 地 れなかった。生きている自分が、死んだ豹ほども彼女の心をとらえ得なか 0 たとすると、これだ 大けの地位があり誇りをもっていても、どこか自分は、自分が殺した豹将軍よりも人間として劣 0 3 ているのではあるまいか。そう思うと、気持が沈み、気分が減入ってきた。もちろん自分が豹将 軍よりも劣っているとは思えなかった。しかし、そうにちがいないと感じないわけこよ、
23 大地 ( ) けた仕事にとりかかることにし、一方王商人は女房と相談するために家へ帰 0 た。 家につくと妻は門前の当の残っている往来に立っていた。両手を前掛の下に入れてあたためて いるが、ときどきその手を出しては、行商人が売りにきた鶏の胃袋にさわってみている。雪が降 ると鶏は自分でエサをさがすことができない。だから、鶏の値が下るのである。もう二、三羽ほ しいと思 0 ていたところなので、王二の妻は、夢中にな 0 て鶏のほうはかり眺めていて、夫がそ ばへきても顔もあけなかった。王商人は家へ入ろうとして妻の横を通りすぎながら声をかけた。 「おい、それがすんだら話がある」 彼女は、いそいで二羽のめんどりを選んだ。行商人が脚をしばってはかりにかけるとき、目方 のことでちょっとやり合 0 たのち、や 0 と値段がきま 0 て、家のなかへはい 0 てきた。めんどり を椅子の下に投けこみ、夫の話をきくために、その椅子の上に、ななめに腰をおろした。 王商人は、そっけない、事務的な調子で言った。 「弟の家内が急に死んだので後妻をほしが 0 ている、おれは女のことは何も知らんが、おまえ はこの二年間、息子たちの嫁をさがすために一生懸命にな 0 ている。弟の嫁にいいようなのがあ 三るかね」 彼の妻は誕生、葬式、結婚というようなことには非常に興味をもっていて、いつもそんなこと ばかり話題にしているので、即座に答えた。 「わたしの実家のとなりの家に、よい娘がいます。もう少し若か 0 たら、うちの長男の嫁にほ しいくらいいい娘です。気立てのよい、倹約な娘で、何もいうところはない・んですが、欠点は子 供のときから歯が虫くいで黒くな 0 ていることです。ときどき抜けるようです。でも、はすかし
しかし自分の子が無趣味な育ちで音楽などもてあそばないので、王商人の妻は、大きなあくび をしたり、そちこちの人に声高に話しかけたりしていた。とくに彼らが・王虎のために選んでやっ た妻に向って、しきりに話しかけた。この弟嫁はかりちやほやして、学間のあるほうの弟嫁を露 骨に無視する態度をとった。王虎の娘のほうなど見向きもせす、男の子ばかり頬すりをしたり、 抱きよせたりして、いつまでも手放そうとしなかった。知らぬ人は、その子が男に生れたのは、 まったく彼女の手柄であると思ったかもしれないほどであった。 けれども王一夫人は、王二の妻に不快の思いのこもった視線を何度も投げた。王二の妻は、そ れに気がついても知らぬふりをするのをおもしろがってはいたが、しかし、はっきり口にだして 口論はしなかった。ほかの人は誰も気がっかないようであった。そのうち王一は、はっと気がっ いて、召使に命じて晩餐の食卓を室内に移させた。それからが本式の宴会である。給仕人たちは、 つぎからつぎへと、おいしい料理をはこんできた。この宴を設けるのにあれこれと指図して王 一が精根を涸らしてしまったほどすごい御馳走である。王一も王二も一度も聞いたことのないよ うな多くの料理が出た。アヒルの舌を香料で煮たのや、黒い皮をむいてしまったアヒルの脚など、 とても食欲をそそるような、さまざまの豪華な料理があった。 その夜は、みんなたらふく飲み食いしたが、一。 唯もその旺盛な飲食ぶりにおいて蓮華に及ぶもの はなかった。彼女は食べるほど、ますますはしゃいできた。例の大きな彫刻のある椅子によりか かり、つきそいの奴隷かあらゆる料理を彼女の皿へとり分けてやるのだが、ときには目分ですく おうとした。そうすると別の奴隷が彼女の手を持ちそえて陶器の匙で料理をすくわせた。すると 彼女は一生懸命にふるえるロのなかへ入れ、大きな音を立ててびしゃびしやするのであった。肉
のだ。なぜなら彼の妻と彼の母とのあいだが円満に行っていないからである。彼女は新知識があ るので、生意気で、二人きりのとき彼が意見したりすると、夫にむかって堂々と反験した。 「なんとおっしやるの。あんな年とったごうまんな女性に召使のように仕えねばならないとお っしやるの。現代の若い女性は、自由で、姑になんか仕えなくてもいいということを、お母さん は知らないのかしら」 また事実この若い嫁は姑など全然眼中においていなかった。だから老夫人は、例のとりすまし た態度で、こんなあてこすりをいうのであった。 「わたしの若い時分には、なすべき義務として姑につかえたものです。毎朝わたしは姑のとこ ろへお茶を捧げて行って、挨拶をしたものです。そうするようにしつけられたものです」 てんそく すると嫁は断髪の頭をうしろへそらし、纏足もしてない美しい足で床をけって、ひどく無遠慮 な調子でいうのである。 「しかし、わたしたち現代の女性は、だれの前でも無意味に頭をさけたりはしませんわ ! 」 こんな争いが絶えないので、夫は、くさりきっていたのだ。以前のように歓楽によって気晴ら にしをすることもできなかった。妻が監視しているし、彼女はあらゆる遊び場所を知ろうとするか 地らである。彼女は彼の行くところへはどこでもついてくる大胆さがあり、平気であとを追って往 来まで出てきて、わたしも一緒にまいりますわ、とか、現代の女性は決して家にばかり閉じこも 大 っているものではありませんわ、とか、男女は同権ですわ、とか、大声でとうとうとまくし立て るのであった。往来の人々は、それをおもしろがって黒山のように集まってきた。、ひどく体裁が わるいし、妻は大胆でどこへでもついてくると思うので、若い夫は、遊里からいっさい遠のいて