220 な優美なものばかりだったからである。彼は軍閥の将軍の子にふさわしいような戦争や勝利の詩 はつくらなかった。戦友にむりにすすめられて革命の詩をつくるにはつくったが、それは勝利よ りも死ことをんだもので、戦友たちが求めるものとちがって、やさしい調子のものとなり、 元も、みんながよろこんでくれないのでがっかりしたものだ。彼は、「韻をふむと、こうなってし まうのだよ , とつぶやくように言って、二度とそんな詩。 よっくろうとしなかった。それというの も、彼は見たところ、おとなしくて柔順そうではあるが、心のうちには、頑固さと、ひそかな強 情さとをもっていたからで、このことがあってのちは、つくった詩を、だれにも見せなかった。 いま、元は生れてはじめて、だれからも命令をうけす、自分ひとりになった。これは彼にとっ ては、すばらしいことだったし、いままであこがれていた土地を、ひとり馬で行くのだから、そ のすばらしさは、ひとしおであった。いつのまにか憂鬱さがやわらいだ。青春の血が湧きあがり、 肉体が新鮮にたくましくなるのをお・ほえ、冷えきって澄んだ大気は鼻孔にこころよく、たちまち にして、心にうかんでくる詩の神秘以外は、すべてを忘れてしまった。彼は、いそいで詩をつく ろうとはしなかった。ひろびろとした砂地が高まり、雲ひとつない青空を背景にくつきりと姿を 見せている裸の山々を眺め、その山々のように澄みきった心境から、雲影もない空にむかって裸 になっている山のように完全な形で詩がうかんでくるのを待った。 こうして、この甘美な孤独の一日がすぎ、それとともに心が落ちついてきたので、彼は愛も怖 れも戦友も戦争のことも忘れることができた。夜になると、彼は田舎の飯店に泊った。亭主は子 供のない老人で、もの静かな後添いの女房もそう若くはなく、年老いた夫と暮していても、退屈 とは思っていないようであった。その夜の客は元だけで、あるじ夫婦は彼を気持よくもてなして
266 薬味がひどくきいているので、元は、すぐに満ちたりた気持になり、老夫人がいくらすすめてく れても、もう一口も食べられなかった。 元が食べるあいだ待っていた夫人は、食事がおわると、また彼を安楽椅子に招じた。温まり、 腹はくちくなり、 いい気持になった元は、夫人に、なにもかも自分ですらよく知らないことまで 話した。老夫人の大きな待ちかまえた視線に出あうと、とっぜん、内気さが消えてしまい、元は 自分の望みーー戦争がきらいなことや、大地に根ざした生活をしたいことや、それも百姓のよう な無知な生活ではなく、賢い農民、百姓たちにもっとすぐれた生き方を教えられるだけの知識を もった農民として生活したいことなどを、すっかり話した。それから、父のために軍官学校をひ そかに脱走したことを話したが、じっと自分を見ている老夫人の聡明そうな眼に、彼に対するな にか新しい理解の色が光っているのを見て、彼はどぎまぎしながら言った。「ぼくは父の敵にな って戦うのがいやだから脱走したのだと思っていましたが、いま話しているうちに、たとい大義 名分はあっても、いっかは戦友たちが行わなければならぬ人殺しがいやだったという理由もあっ たことがわかりました。。ほくには人は殺せませんーーー。ほくは勇敢じゃない、それは自分でも知っ ています。実をいえば、人を殺すほど人が憎めないのです。殺される人がどんな気持か : ほくに はいつもそれがわかるのです」 彼は自分の弱さをさらけ出したことを恥じ、老夫人を、おすおすと見やった。しかし、彼女は 静かに答えた。「誰でもが人を殺せるものではありません、ほんとですよ、でなければ、わたし たちはみんな死んでしまうじゃありませんか」それから、しばらく間をおいて、彼女は、もっと やさしく言った。「あなたが人殺しはできないというのをきいて、わたしはうれしく思いますよ、
やわらかい米のめしや、コショウをかけた肉類が、どんなにまずかったか、どんなに歯ごたえが なかったかをお・ほえていた。南ですごした青年時代の不愉快な歳月をお・ほえていた。彼は大きな 声で言った。 「それこそ望む土地だ。その男こそ望む相手だ。おれの勢力も拡張できるし、戦争の大局から 見てもすこぶる有利だ」 こうして計画は立ちどころに決定された。王虎は大きな声で従兵に酒をもってくるようにと命 じた。彼らは酒を汲みかわした。王虎は、兵の出動準備をととのえておくこと、この春にはじま るはすの戦争の情勢をさぐりに行 0 たスパイがもどってきしだい新しい地方めざして進撃するこ とを命じた。やがて腹心たちは席を立 0 て、いま受けた命令を実行するために出て行った。鷹だ けが、あとに残 0 た。彼は身をかがめ王虎の耳に口をよせてささやいた。声に殺気があり、吐く 息が王虎の頬に熱かった。 「戦争のあとでは、習慣にしたがって兵隊に掠奪を許してやらなければいけません。彼らは仲 間うちで不平を言っています。王虎将軍はきびしくて、ほかの軍閥であたえられるような特権が Ü得られないと、ぶつぶつ言 0 ているのです。諒奪を許さなければ彼らは戦わないでしよう」 最近王虎は、かたい黒い口ひげを立てていた。そのひげを物みながら、彼は、しぶしぶながら 言った。鷹のいうことも道理だと知ったからである。 「よろしい。では勝利のあかっきには三日間の掠奪を許すことにしよう。そのように兵に伝え てくれ。それ以上はいかんそー は、すっかりよろこんで立ち去った。しかし王虎は、しばらく不機嫌にそこに坐っていた。
彼は民衆のものを掠奪するなどということはきらいなのだ。しかし掠奪という報酬なしには兵が 生命を賭して戦わないとすれば、それもやなをえないではないか。掠奔に同意はしたものの、民 衆の苦しむさまが眼に見えるようで、しばらくは気分が悪かった。おれは軍人になるには、あま りにも気が弱いのだと思い、自分自身をのろった。結局、いかに掠奪されたところで貧乏人は何 もとられるものはないのだし、もっとも多く失うのは金持だが、金持は掠奪されても何とかやっ ていけるのだから、それにど苦にすることはないではないか、と自分に言いきかせて、むりにも 気を引き立てた。彼は気の弱いことを恥じた。民衆の苦痛を見るにしのびないような態度を見せ と思 たら、部下の軽蔑を招くだけであるから、絶対にそんな気持を部下には見せてはならない、 っこ 0 まもなくス。ハイが、一人、また一人と、もどってきた。そして、かわるがわる王虎将軍に報告 した。それによると、まだ戦争ははじまっていないが、南方の軍閥も北方の軍閥も、さかんに外 国から武器を購入し、軍隊を拡充強化しているから、戦争はさけられまい、ということだった。 この報告をきくと、王虎は、躊躇なく彼自身の戦争をはじめる決心をかため、その日すぐ部下に、 城門の外の野原へ集合するようにと命じた。あまり兵の数が多くて城内では集合するだけの広場 がないのである。その集合地点へ、王虎は赤毛の馬にまたがり、護衛をしたがえて乗りこんで行 った。右側には、あばたの少年がっきしたがっていた。あばたも、王虎に昇進させてもらって、 いまはもうロバではなく、駿馬にまたがっているのだ。王虎は、しゃんと胸を張り、さっそうと 馬上に構えていた。部下は静かに彼を仰ぎ見た。王虎の堂々たる風采、濃く、りりしい眉、新し く立てたロひげは、四十歳という年齢以上の貫祿をあたえており、世にもまれな勇姿だからであ
1i0 るし、あらゆる外国製の武器の射撃法も知っていた。手で持って投げると爆発して火啗を発する 武器もあった。 ( 手榴弾である ) 小銃のように手で引き金を引く砲もあ 0 た。 ( 迫撃砲である ) そ のほか、いろんな武器があった。王虎は長男と一緒に腰をかけて、これらすべての戦法を学んだ。 そして口にこそ出したくなかったけれども、王虎は、これまで見聞したこともない多くのことを 学んだのであった。そして、彼が持 0 ていた二門の砲、ただ二門しかない大きな砲を、これまで あんなに自にしていたことが、まことになさけないことに思われてきた。そうだ、彼は自分が 戦争についてさえ実に無知であることをさと 0 た。彼がこれまで夢想もしなかった、しかもどう でも知る必要のある多くのことがあるのを知 0 たからである。彼は毎夜おそくまで起きていて、 わが子の教官と語りあった。そして、さまざまの巧妙な殺人法をきいたーー空中から人間の上に 落ちてくる爆弾、海底からうかびあがってくる潜航艇、眼も及ばない距離を飛んで落下し、敵の 頭上に炸烈する大砲彈など。そういう話に王虎は驚異の思いをもってきき入った。 ( 外国では実に戦争の技術が発達したものだ。わしは知らなかった ) 王虎は思いにしすんだ。そして、ある日教官に言った。 「わしの領有している地方は肥沃でな、飢饉というのは十年か十五年に一回くらいしかない。 わしも多少の軍資金は積み立ててある。どうもわしは自分の軍隊に満足しすぎていたようだ。と ころで、うちの息子が、こういう新式の戦法をのこらす学ぶ以上、そ ういうことに熟練した軍隊 を持つべきだと思う。これからわしは外国で使用されている武器を購入することにしよう。わし の息子が大人にな 0 て、それを指揮するようになるまでに、わしの部下を訓練して、息子にふさ わしい軍隊を養成してくださらんか」
係なはすなのだ。王虎はびつくりしながらも、彼らは、なにゆえに起っのであるか、またどうい う名目で戦うのであるか、とたすねたが、スパイたちは知らなかった。そこで王虎は、学生が武 装するのは悪いことをした教員を排斥するためであろう、一般民衆が闘うのは、悪い役人にいじ められて、もうがまんできなくなり、そいつを殺して問題を片づけるつもりだろう、などと想像 していた。 それにしても、ともかくこの新しい戦争がどんなふうに展開するか、自分はそれにどんなふう に対応すればよいか、その見通しがつくまで、王虎は自分一個の戦闘は行わないことにした。彼 は租税を貯蓄して大いに武器を買い入れた。いまでは王虍も河口の港が領内にあるので、兄の王 商人の助力を乞う必要がなくなったのである。その港を自分の手に収め、船をやとい、武器を外 国から容易に密輸入することができるのだ。省政府では、その密輸入をかぎつけても、彼を味方 冫いっかは起るにちがいない戦争 の将軍だと必得ているから、見て見ぬふりをしている。それこ、 に際して、王虎の持っている武器は、みんな自分らのためになると知っていたからである。 こうして形勢を観望しているうちに、王虎の兵力は強大となってきた。彼の愛する息子も大き くなって、十四歳の春をむかえた。 王虎が偉大な軍閥の領袖となってからの十五年以上のあいだ、彼は、いろいろな点で幸運であ った。そのうちの主要な点は、彼の領内では全般的な大飢饉がなかったということである。もち ろん、無情な天の下にあってはまぬがれられないことで、部分的な小さな飢饉は、あちこちにあ ったが、彼の領地全体に及ふようなのはなかった。だから、一地方が飢えれば、その地方からは 税金をとり立てないでも、人民が飢えていないか、あるいはそれほどひどくは困っていない他の
春たけなわとなり、白い桜の花や淡紅色の桃の花が、軽やかな雲のように、緑なす野にたな ワン・ホウ 彼らは二つのことを待っていた。 びいている。王虎は腹心の部下をあつめて戦争の協議をした。一 第一は北と南の軍閥のあいだに、新たに戦争がはじまるかどうか情勢を知ることである。前年、 ぜいじゃく 彼らのあいだに成立した休戦は脆弱な一時的なもので、風や雪や泥のなかで戦う不便さから結ん だ冬のあいだだけの休戦にすぎない。それを別にしても、南と北の軍閥は本質的に相容れないも のをもっている。北方人は、からだが大きく鈍重ではあるが、勇猛だ。南方人は、敏捷で、策略 にとみ狡猾である。そのように気質がちがうばかりでなく、人的にも一一一一〕語の点からも異ってい るから、長期間の和平は、ますむすかしい。王虎とその腹心が待っているもう一つのことは、新 年早々各方面へ出したス。 ( イがもどってくることである。待っているあいだに、王虍はどの地方 を攻略して領土をひろげるかについて、腹心のものと相談した。 腹心たちは、王虎が自分の居間にしている大きな部屋に集まって、階級にしたがって席につい た。鷹が言 0 た。 「北は攻められませんね。北とは同盟を結んでいますからね」 地 すると豚殺しが大きな声で言った。彼は、鷹よりも利ロでないと思われるのはいやだが、その 大くせ容易に新しい案がうかぶような人間ではなかった。だから、なにごとについても、鷹が何か 5 いうと、粗野な山びこのように、そのあとについてどなるのがくせなのだ。 「そうだ。それに、土地が貧しくて、やせていて、豚だって、やせた、ひどいのばかりで、あ
た。私はそこでお別れして報告に帰ったのであります」 ひきつづいて使者がくる。小将軍が何をしたか、何を飲み食いしたかを報告するのである。三 日目の終りに、少年は船に乗るところへ着いた。それからは長江を下って海に出るのである。そ の日からは手紙を待つよりほかはなかった。使者もそこからさきへはついてゆけないからである。 わが子のいなくなったさびしさに王虎が耐えてゆけるかどうかは、王虎自身にもわからなかっ た。けれども、二つの事件が起って、彼の心を散じさせ。まぎれさせた。一つは、南方から帰っ たスパイどもが、奇怪な情報をもたらしたことである。 「非常にふしぎな戦争が南方で起ろうとしているらしいです。それは、いままでのような軍閥 と軍閥のあいだの戦争ではなく、 一種の現状打破、革命の戦争だそうです」 王虎は、すこしはかにしたように答えた。このごろ彼は、きけんが悪かった。 「それは何もめすらしいことじゃない。おれも若かったころ、革命戦争ということをきいて、 立派なことだと思って参加して闘ったものだ。ところが結局は、ただの戦争だった。軍閥たちが 一時連合して帝制を倒したが、成功すると、また四分五裂になってしま 0 た」 地王虎がそう言ったにもかかわらす、帰ってくるスパイは、みんな同じ話をした。 いえ、どうも変った戦争のようです。国民軍と呼ばれて国民全体のための戦争だと申して 大 おりますー 「どうして人民どもが戦えるのか、と、王虎は眉をよせて、おろかなスパイどもを叱った。「彼 らが小銃を持っているか。棍棒や、板刧れや、熊手や、鉚で戦争がやれるつもりなのか」そして
と、そのほうの始末をつけなければならないのである ( 六日目の夜明け、王虎は大軍をひきいて城門を出た。大軍ではあるが、全軍の半数にやや足り ないほどの兵員は残してあった。出動する前に王虎は老県長に会った。県長は老衰して、このご ろでは寝台に寝たままで、起きることができなかった。王虎は、県長と県公署を保護するために 兵力を残しておく、と言った。県長は、自分の策動を押えるために軍隊を残して行くのだと知っ てはいたが、弱々しい声で、いんぎんに礼を述べた。残留部隊の隊長は、みつロであった。残留 組は、とり残されて掠奪に行けないのを不満に思っているので、これはなかなか容易ならぬ地位 であった。王虎は残留部隊の不満をおさえるために、忠実に留守中の職務を果したら賞与を出す こと、またこのつぎの戦争にはきっと出征させることを約東せざるをえなかった。これで彼らは ' いくらか満足した。すくなくとも不満がいくらかおさまった。 出動するにあたって、この軍の指導者である王虎は、南方から侵略してくる敵を撃退し、民衆 を守るために出兵するのだ、と告けさせた。民衆は敵の襲来をおそれて、熱心に主虎の壮挙を歓 迎した。商業組合は相当の軍資金をあつめて王虎に贈り、多くの市民が軍隊の出発を見送りにき た。そして市民たちは、王虎が軍旗を立て、杳をたき、豚を殺していけにえとし、武運を天に祈 るのを、遠くからながめていた。 、 - 彼よこの戦争には、部下と これがすなと王虎は、意気軒歸として、さっそうと征途につした。一。 武器をたすさえたのみならす、巨額の銀をもたすさえてきていた。彼は将軍として、やみくもに 戦闘に猪突するような人間ではなく、聡明な智謀冫 こすぐれた軍人だった。だから、戦うまえに敵 を買収するつもりなのである。かりに、はじめは買収がきかないとしても、包囲戦が長びくうち
んなのは殺しても役に立ちませんよ。わしも見ましたがね、背骨が鎌みたいにとんがっていて ' 牝豚なんそ、仔が生れるまえから腹の仔がかそえられるほどだ。戦争してまで取りたい土地じゃ ないね」 王虎は、ゆっくりと言った。 「しかし南へ進出するわけにはいかん。南へ出れば、おれの故郷だ。故郷の連中から、自由に、 平気で、重い税金をとり立てるなどということは、誰しもできはせんからな」 みつロは、あまりしゃべらなかった。他のものが言うだけ言ってしまわないと、けっして意見 をのべなかった。このときも、みんなが意見を述べてしまったので、はじめて口を開いた。 「かって私の故郷だった地方があります。いまでは私にとっては何でもありません。ここから 南東にあたり、ここと海との中間にあるのです。非常にゆたかな土地で、一端が海に面していま す。海にそそぐ大河にそうてひろがっている土地で、田畑が多く、低い丘陵もあり、河には魚が たくさんいます。ただ一つの大きな町は県公署の所在地ですが、そのほかに村や市場のある町が たくさんあり、住民は勤勉で富んでいます」 王虎は、これをきいて言った。 「そうか。しかし、そんなよい土地を軍閥が占拠していないはすがない。・ とんな人物がいるの みつロは、ある将軍の名をあけた。その将軍は、かって匪賊の首目であり、つい去年、南方軍 に投じたのである。その将軍の名前をきいたとき、王虎は即座に、その匪賊の百目に戦いをいど むことにきめた。彼は、こんにちにいたるまで、いかに自分が南方人を嫌悪していたか、南方の、