王一 - みる会図書館


検索対象: 大地(三)
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1. 大地(三)

出てきて、月をあちこちゅらめかせているようだ。赤ん坊たちは母親の胸に眠っている。どこの 家の幼い者も、とっくに母の胸をもとめて眠っているころである。ただ王一夫人の末の娘だけは 起きていた。彼女は、今年十三歳になったばかりの少女だが、すらりとして、気が勝っており、 最近婚約がきまったので、おとなびていた。王一の第二夫人は、やさしい母親で、二人の子供を 抱いていた。一人は一年以上になるが、もう一人は生れてやっと一か月をすこし過ぎたばかりで ある。王一は、いまも変らすこの女を愛しているのである。王虎の妻たちはというと、これもお のおの自分の子を抱いていた。男の子は頭を母の腕によせかけて眠っており、満月の光が、その 顔にいつばいに降りそそいでいる。王虎は、その小さな眠り顔を、何度も何度も、あかす眺めて 夜半をすぎると歓楽はっきた。王一の息子たちは、一人すっ席から姿を消して行 0 た。彼らに は、ほかに楽しいことが待っているし、年長者たちの前に長くかしこま 0 て坐っているのは退屈 だったからだ。彼らは気がねをせすに平気で立って行ったが、王商人の次男は、うらやましそう にそのあとを見送っていた。父親がこわいので、思いきってついて行くことができないのだ。召 使どもも疲れて早く休みたがっていた。彼らは席から姿を消し、そちこちの戸口にもたれかかっ て、あくびをしたり、たがいに愚痴をこぼし合ったりしていた。 「小さい子たちが夜明けから起きたので、朝 0 ばらからその世話をしなければならなかったよ。 たいじん だのに、あの大人たちは、真夜中まで飲みあかそうっていうんだからね。だから、まだ用事があ るんだよ。わたしたちを寝かさないつもりかね」 うたげ けれども、ついに宴もおひらきになった。それよりまえに、王一は酔いつぶれてしまっていた

2. 大地(三)

12 度とあなたがたにお目にかかりま・せん ! その言葉は、とてつもなく両親をおどろかした。王一は、あわてて言った。 「おまえの好きな娘は誰だか言ってごらん。できるものなら、まとめてやりたい」 本当をいうと長男は妻として愛せるような女性を一人も知っていなかったのだ。彼が知って いるのは金でたやすく買えるような女だけであった。それでも、愛するに足る女性を知っていな いとは、けっして白状しようとしなかった。ただ、赤いくちびるをつき出し、不機嫌そうな顔を して、きれいな爪ばかり見つめているだけだった。しかし、その顔つきが、両親には、ひど気怒 いつも結婚の話になると、きまって最 っていて強情そうに見えるので、このときばかりでなく、 後には、「よしよし、話はこれまでとしよう ! 」と、何度も何度も彼をなだめるようなことになる のであった。じっさい、王一は二度も、わが子のために交渉をはじめた娘との縁談を、あきらめ なければならなかったのである。というのは、長男はそれをきくと、弟のように梁に綱をかけて 首をつると断言したからである。これが父母を恐怖させるので、いつも息子に譲歩してしまうの であった。 けれども、月日がたつにつれて、王一夫妻は、わが子の結婚を、いよいよ熱心にのそむように なってきた。彼は彼らの長男でもあり、後継者でもあり、その子は孫のうちでも第一位になるは ずだからである。長男が、あちこちの茶館へかよって、むなしく青春をすごしていることは、父 の王一も十分知ってはいる。また、衣食のために額に汗する必要のない青年は、みなそうして遊 び暮していることも知ってはいるが、王一も、ようやく血気がおとろえて、おだやかな老境に入 りかけるにつけ、この長男のことが心配でならなくなってきたのである。それに王一も夫人も、

3. 大地(三)

とは言わなかった。睹けごとは頭のいいものが勝つも いところへきてくれてありがたい、 のと思っているので、勝負にまけたとは、面子の上からも言えないのである。彼はただ、「何か用 事かい」と言った。 王商人は例によって余計なおしゃべりはしなかった。 「ここに話のできるところがあるなら、そこへ行きましよう 王一は茶をのむテーブルのならべてある部屋へ案内した。すこし離れたところにある静かなテ ーブルをえらんで腰をおろした。王一は茶と酒を命じた。そして時刻に気がついて肉やその他の 料理を注文した。そのあいだ王二は黙 0 て待っていた。給仕が向うへ行ってしまうと、王二は、 すぐさま用件を切り出した。 「末の弟が、女房が死んだから代りがほしいというんですよ。今度はわれわれのところへ頼ん できたわけです。こういうことについては私よりも兄さんのほうが適任だと思いましてね」 こみあげてくるひそかな笑いをおさえるために、王二は、くちびるをひきしめた。しかし王一 は、それには気がっかす、大きな声で笑った。ふとった頬の肉がゆれた。 「まあ、おれの知っていることといったら、その方面のことだけだろうな。おまえの言うとお 地りだよ。家内のまえでそんなことを言われちゃ困るがね」 彼は笑って、こういうことを話題にするとき男たちがよくやるように、妙な眼つきをした。王 大商人は、兄の冗談の相手をしようともせす、黙って待っていた。王一も、まじめになって言葉を つづけた。 「ちょうど、 しいときに言ってよこしたよ。おれは、うちの長男の嫁をさがすために城内の娘た

4. 大地(三)

しかし自分の子が無趣味な育ちで音楽などもてあそばないので、王商人の妻は、大きなあくび をしたり、そちこちの人に声高に話しかけたりしていた。とくに彼らが・王虎のために選んでやっ た妻に向って、しきりに話しかけた。この弟嫁はかりちやほやして、学間のあるほうの弟嫁を露 骨に無視する態度をとった。王虎の娘のほうなど見向きもせす、男の子ばかり頬すりをしたり、 抱きよせたりして、いつまでも手放そうとしなかった。知らぬ人は、その子が男に生れたのは、 まったく彼女の手柄であると思ったかもしれないほどであった。 けれども王一夫人は、王二の妻に不快の思いのこもった視線を何度も投げた。王二の妻は、そ れに気がついても知らぬふりをするのをおもしろがってはいたが、しかし、はっきり口にだして 口論はしなかった。ほかの人は誰も気がっかないようであった。そのうち王一は、はっと気がっ いて、召使に命じて晩餐の食卓を室内に移させた。それからが本式の宴会である。給仕人たちは、 つぎからつぎへと、おいしい料理をはこんできた。この宴を設けるのにあれこれと指図して王 一が精根を涸らしてしまったほどすごい御馳走である。王一も王二も一度も聞いたことのないよ うな多くの料理が出た。アヒルの舌を香料で煮たのや、黒い皮をむいてしまったアヒルの脚など、 とても食欲をそそるような、さまざまの豪華な料理があった。 その夜は、みんなたらふく飲み食いしたが、一。 唯もその旺盛な飲食ぶりにおいて蓮華に及ぶもの はなかった。彼女は食べるほど、ますますはしゃいできた。例の大きな彫刻のある椅子によりか かり、つきそいの奴隷かあらゆる料理を彼女の皿へとり分けてやるのだが、ときには目分ですく おうとした。そうすると別の奴隷が彼女の手を持ちそえて陶器の匙で料理をすくわせた。すると 彼女は一生懸命にふるえるロのなかへ入れ、大きな音を立ててびしゃびしやするのであった。肉

5. 大地(三)

130 「おれも、いまでは年をとってきて、もう昔のようなわけにはいかぬのは、おまえも知ってい るとおりだ。おまえの意見は、なんでもきくようにするよ。この厄介な問題をきりぬける方法が あれば、きっとおまえの意見に従うよ、約東する」 じつのところ夫人にしても、この手におえぬ息子をあやつる方法を思いついたわけではない。 しかし、うつぶんを誰かにもらさすにはいられなかったのである。王一は彼女の気持が高ぶりは びなた じめたのを見てとると、大あわてで家をとびだした。庭のところを通ると、妾が日向で子供をあ やしているのが眼にとまった。彼はロばやに彼女に言った。 「奥さんがおこりかけているから、何か持って行ってあげておいてくれ。お茶でも、お経の本 でも、なんでもよい。それから奥さんをほめるんだ。あれこれの坊主たちが、ああ言ってほめた、 こう言ってほめました、てなことを言って、おだてておいてくれ ! 妾は、言われたとおり従順に、子をだいて立ちあがり、向うへ行った。王一は往来へ出て、ど っちへ行こうかと迷いながらも、この妾にはじめて逢った日を、ありがたいと感謝した。もし夫 人と二人だったら、とてもやりきれない生活だろうと思うからである。彼の妾は年をとるにつれ て以前よりもいっそう温厚で穏和になってきた。この点で王一は、まったく運がよかった。とか く妻妾が同居していると、しばしば喧嘩したりして、家庭生活がやかましいものである。とくに その一方か、あるいは両方が、主人を愛しているときは面倒なものなのだ。 しかしこの第二夫人は、いろいろこまかい事柄で王一をなぐさめてくれ、召使たちがしようと しないことまでしてくれた。召使どもは、この王一の屋敷の実権は誰が握っているかを心得てい るから、王一が男か女の召使に大きな声でなにか命令すると、「はい はい」と返事するだけで、

6. 大地(三)

したすがたも、すべて同じであった。しかし一度は蓮華のほうを見た。彼女は、ふとりすぎて、 呼吸するにも一占しげにあえいでいた。兄たち、花嫁の附添人、客人、その他、こうした儀式にお いて、おじぎをしなければならない人たちに対して立っているあいだも、蓮華の苦しげな息づか いが耳に人ってきた。 やがて結婚の宴に移ったが、彼はほとんど、どの料理にも箸をつけなかった。たとえ再婚では あっても、愉快にすべきが本当たから、王一は、さかんに冗談を言いはじめた。来客は笑い声を 立てるが、王虎がむすかしい顔をしているものだから、せつかくの笑いが弱々しく消えてしまう 一言も、ものを言わなかった。酒がくると、まるで のであった。王虎は自分の結婚の宴なのに、 のどが乾ききっているかのように、いそいで盃をあげた。しかし、ちょっと味をみると盃を下に おいて、苦々しけに言った。 「こんな酒しかないと知っていたら、おれの地方の酒をもってくるのだった」 幾日にもわたる結婚の儀式をすませると、王虎は、ふたたび赤毛の馬にまたがって帰途につい た。花嫁は女中と一緒にラバにひかせた馬車にのり、とばりをおろして、そのあとにしたがった が、王虍は一度もそのほうをふりかえらなかった。きたときと同じに、ひとりで旅をしているよ うなようすで、部下をすぐうしろに、さらにそのうしろに馬車をしたがえて、馬を進めて行った。 こうして王虎は、彼の支配する地方へ花嫁をつれてきた。それから一、二か月の後、次兄のえら んだ娘が、父親につれられてきた。王虎は、この娘もそのまま受けいれた。彼にとっては、一人 も二人も同じことなのである。 新年とその祝賀の祭日が近づき、そして過ぎていった。木々の枝には、まだ春のきざしは何も

7. 大地(三)

126 国制覇を達成するために出陣せねばならぬと心にちかったが、そのたびごとに、その征戦を翌年 までばさねばならない目前のもっともな理由が出てくるのであった。また彼の青年時代のよう な全国的あるいは局地的な動乱もなかった。全国にわたって、おのおの小さな領土をもっている 大勢の小さな軍閥が割拠していて、彼らを凌駕するような大英雄は一人もいなかった。この理由 のためにも王虎は来年まで待ってもさしつかえないと感じるのであった。春がすぎて、やがてそ の年もゆく。また一年は過ぎる。それでもなお彼は、いっか運命の日がくれば、思うがままの勝 利を得るために出動するという決心だけは捨てなかった。 息子が十三歳に近づいたある春のこと、兄たちの使者がやってきた。その使者の趣は、きわめ て重大であった。それはつまり、こういう次第であった。王一の長男が、その町の監獄に入れら れて苦しんでいるので、兄たちは、その青年を釈放してもらうために、法廷において、弟である 主虎の援助を得たい、 という依頼であった。王虍は、その話をきくと、これは省政府における自 分の権力と、その省の軍長に対する自分の勢力とをためす絶好の機会であると考えた。それゆえ 彼は、かねて考えていた征戦を、さらにもう一年延期して、兄たちに頼まれたことを実行すると 引きうけた。それには兄たちが弟たる自分に懇願してきたという得意さもないではなかった。ま た、兄たちの息子が監獄に入れられるとは不名誉のいたりで、自分の善良な息子の上にはけっし てをんなことは起るまいという、 いくらかの軽蔑の気持もないではなかった。 さて事件は以上のとおりであるが、王一の息子が監獄に入れられるようになった原因は、つぎ のとおりである。 王一の長男は、もう一一十八歳にもなっていたが、まだ結婚していなかった。婚約さえもしてい

8. 大地(三)

利で金を貸し、将来とれる収穫を担保にとった。洪水がひいて、ふたたび耕作できるようになれ ば、その地方一円の収穫全部が王二の倉庫へ流れこんでしまうほど、手きびしい担保をとったの である。けれども、いかに彼の富が莫大なものであるか、だれ一人知らなかった。彼は息子たち にまで小遣銭に不自由させていた。子供たちの前では不景気そうな顔をして、店や市場で番頭と して働かせていた。だから、王虎のところへ行っている長男をのそけば、息子たちは一人のこら ず、早く父が死ねばよいと待っていた。おやじが死んだら、店や市場ではたらくのをやめ、おや じが着せてくれない立派な着物を着たり、歓楽のために金をつかったりしてやろうと、みんなが 待ちかまえていたのである。 王二のひどい扱いを恨んでいるのは、その息子たちだけではなかった。附近一帯の農民のなか にも多かった。そのなかの一人で、王龍の死後、大きな土地を買ったそっ歯の農夫などは、その 土地の大部分が水びたしになったので、非常に困り、食糧がなくなって子供が餓死しかけるよう になったが、それでも王商人に借りようとはしなかった。彼は、洪水がひくまで、南の都会で乞 食でもして待っていようと、一家をつれて南へ去って行った。王商人にわが土地を握らせるより は、そんな暮しでも、まだましだと思ったのである。 しかし王商人は自分では正当なことをしていると思っていた。こんな窮乏の時節に借金したり 穀物を買ったりするのに、平常どおりの利子や価格を期待するのはまちがいであって、そうでな ければ、商人たるもの、どうして儲ける機会があろうか、と自分でも考えていたし、借りにくる 人には誰にでも公言していた。だから、みすから正当だと信すること以外のことは決してやって いないわけである。

9. 大地(三)

類でもなんでも食べた。歯はいまでも丈夫で健全なのである。 それから蓮華は、だんだんうれしくなってくると、ときどきちょっと食べるのを中止して、一 つか二つ、みだらな下品な話をする。若い人たちは、長者の前なので、あまり大笑いするわけに ししかなしが、それでも控えめに笑わすにはいられなかった。ところが彼女は、彼らが噛みころ している笑い声を耳をすまして待 0 ていて、それを聞きつけると、得意になって、いくらでもそ んな話をした。王一自身すら、まじめな顔をしてはいられないくらいだが、そばに夫人が厳然と 無言でひかえているので、その顔をながめて、やっと威厳を保 0 ていられる始末であった。しか し、あから顔の王二夫人は遠慮なく高笑いした。義姉がすましていて笑わないのを見ると、ます ます大声でげらけら笑った。王一の第二夫人さえも、夫人が笑わないから、・くちびるをかんで笑 いたいのをがまんしているが、袖で顔をかくしてしのび笑いをせすにはいられなかった。 そのうちに蓮華は、みんなが笑うのをきいて、いよいよ図にのってきた。こうなっては、 らなんでも見つともないから、だまらせなくてはならない。そこで王一と王二は、酒でもりつぶ し、眠らせてしまおうとした。彼女が王虎のことで何かみだらなことでも口にして王虎を怒らせ ってはたいへんだと思い、そうしようとしたのである。彼らは王虎のかんしやくを恐れていた。彼 らはまた、この蓮華の舌がうるさいので、梨華には、この一族の祝宴へくることを、しいてもす 地 すめなかったのだが、梨華が白痴の世話をすてて行くわけにはいかぬからと使のものに返事を託 大してきたときには、蓮華の記憶を呼びさまさないためには梨華がいないほうが上分別であると考 え、梨華の思うとおりにさせたのであった。 こうして、たのしい夜はふけて行き、真夜中になった。月は中天にゆらめいている。淡い雲が ホワ

10. 大地(三)

黄金の秋風は西からさわやかに吹いてきて、農民たちは収穫にいそがしい。満月は中空にさえ わたり、人々は中秋節の近づくのをよろこんで、天に感謝を捧げる準備をしていた。近年、一、 二回、不作の年はあったが、大きな飢饉もなく、匪賊もふたたび鎮圧され、戦禍もこの附近まで はおよんでこないので、人々はそれをよろこび感謝しているのである。 ワン・ホウ 王虎も自分の地位や業績をかえりみ、去年よりも勢力が増していることを知った。城内や城外 に宿営させてある部下を計算すると、げんざい彼のもとには二万人の兵がおり、銃は一万二千梃 つあった。その上、彼はいま軍閥の将領の一人と目され、その名を世間に知られるようになった。 戦後もどうやら主権者としての地位にとどまることができた例の弱い名はかりの大総統は、現政 地 府をくつがえそうとする南方軍と戦って彼の地位を守るために援助してくれた北方軍の将領に感 大謝状を送った。王虎も総統から感謝状と官名を贈られた一人であった。王虎に贈られた官位は、 あまり高いものではないが、ながながしい官名で立派そうにきこえるし、ともかく総統からの官 名である。王虎はこの栄誉を、一戦もまじえす、一銃も失うことなく、かちえたのである。 第二部息子たち ( 承前 )