長男 - みる会図書館


検索対象: 大地(三)
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1. 大地(三)

138 た。みんな絶望した。長男は食事もしない。首をくくって死んでしまうなどとロばしるありさま であった。王一も、まったく気が気でなかった。 あるタ方、青年が愛する人の家の裏のあたりをうろうろしていると、非常門があいて、愛人の 手紙をとどけにくる役の小間使が、そっと出てきて、彼を手招きした。彼はどぎまぎし、おそろ しかった。しかし情熱にかられて門をくぐると、そこの小さい庭に愛人が立っていた。彼女は、 すっかり覚悟ができていて、気が強く、いろいろな案を持っていた。けれども、顔を合わせると 言葉は容易に出てこない。紙に書く言葉のようこよ、 冫。しかないのである。青年のほうは、決してく るべきでないところへきているのだから、見つかったらたいへんと、びくびくしていた。しかし 娘のほうは気が勝っているし、それに学問があるから、あくまで願望を貫徹しようとしていた。 彼女は言った。 「わたしはもう旧式な人々にはかまいませんわ。どこかへ一緒に逃げましよう。わたしたちが いなくなったのがわかると、世間体があるから、きっと結婚をゆるしますわ。父はわたしを愛し ているのよ。わたしは一人娘で、母はなくなっていますの。あなたは長男でしよう。だから、な んとかしてくれますわ」 しかし青年が彼女の情熱にこたえて駈落するまえに、庭に面した扉があいて、不意に警察署長 があらわれた。娘の使いをする小間使にきらわれた下男が復讐のために密告したのである。署長 は従者たちに命令した。 「あの男をしばって牢へ入れろ ! おれの娘の名誉を台なしにしようとした男だ ! 」 愛人の父が警察署長で、誰でも監獄へほうりこめるということは、王一の長男にとって不運の

2. 大地(三)

12 度とあなたがたにお目にかかりま・せん ! その言葉は、とてつもなく両親をおどろかした。王一は、あわてて言った。 「おまえの好きな娘は誰だか言ってごらん。できるものなら、まとめてやりたい」 本当をいうと長男は妻として愛せるような女性を一人も知っていなかったのだ。彼が知って いるのは金でたやすく買えるような女だけであった。それでも、愛するに足る女性を知っていな いとは、けっして白状しようとしなかった。ただ、赤いくちびるをつき出し、不機嫌そうな顔を して、きれいな爪ばかり見つめているだけだった。しかし、その顔つきが、両親には、ひど気怒 いつも結婚の話になると、きまって最 っていて強情そうに見えるので、このときばかりでなく、 後には、「よしよし、話はこれまでとしよう ! 」と、何度も何度も彼をなだめるようなことになる のであった。じっさい、王一は二度も、わが子のために交渉をはじめた娘との縁談を、あきらめ なければならなかったのである。というのは、長男はそれをきくと、弟のように梁に綱をかけて 首をつると断言したからである。これが父母を恐怖させるので、いつも息子に譲歩してしまうの であった。 けれども、月日がたつにつれて、王一夫妻は、わが子の結婚を、いよいよ熱心にのそむように なってきた。彼は彼らの長男でもあり、後継者でもあり、その子は孫のうちでも第一位になるは ずだからである。長男が、あちこちの茶館へかよって、むなしく青春をすごしていることは、父 の王一も十分知ってはいる。また、衣食のために額に汗する必要のない青年は、みなそうして遊 び暮していることも知ってはいるが、王一も、ようやく血気がおとろえて、おだやかな老境に入 りかけるにつけ、この長男のことが心配でならなくなってきたのである。それに王一も夫人も、

3. 大地(三)

しだが、旧時代の人間というものは、なんと恥すべきなので うに両親になやまされているらし、 あろう、とロのなかでつぶやいた。そして自分は、この自由な時代の男女にふさわしい方法によ って彼女に接近しよう、と考えた。断じて仲だちはもとめまい、両親にも、彼女の兄にも世話に なるまい、という決心なのである。熱にうかされたようになって、あわただしく幾冊かの愛読の 小説をひらいて、自由恋愛の主人公は恋人にどんな手紙を書くのであろうかと研究した。それか ら彼は、それに似た手紙を書いた。 その手紙を彼は娘に宛てて書き、終りに自分の名を記した。手紙は礼儀ただしい巧妙な一言葉で はじまっていた。それから、自分は自由な霊魂であるとか、あなたもそうだと思うとか、だから あなたは私にとっては太陽の光にほかならないとか、あなたは牡丹の花の色であり笛の美しい音 であるとか、あなたは、あのせつなに私の胸から心臓を摘みとってしまったのだとか、そんなふ うなことを書きつらねた。手紙を書きあけると、彼は自分の專属の下男を使にして彼女のところ へとどけさせた。そして、その返事を熱病にでもかかったみたいになって待っていた。両親が病 気ではないかと心配したほどである。やがて下男は、返事はあとからおとどけするそうです、と 言って帰ってきた。彼は待つよりほかはなかったが、待つのは、とてもいやな気持だったので、 地家じゅうのものが、しやくにさわった。弟や妹がそばにくると容赦もなくなぐりつけた。召使ど もを叱りとばした。気のよい父の妾でさえ、「あなたは気が狂いかけている野良犬みたいです ! 」 大 と叫んで、自分の子を彼の手のとどかぬところへつれて行ってしまったほどであった。 三日後に使のものが返事を持ってきた。その三日間、返事を待ちかねて門のあたりをうろうろ していた長男は、それをひったくって、自室へとんで帰り、封を切ろうとして、あまりあわてて、

4. 大地(三)

132 そういうことは、これまでにも幾度もあるので、いつもなぐさめの言葉はおなじであった。 「わたしから見ますと、あなたほど立派な方はございません。わたしは、けっして不足はござ いません。奥さまは男というものをご存じないのです。男のうちであなたが一番立派な方だとい うことも、、ごそんじないのですわ。本当ですわ ! 息子や夫人からなやまされ、まだ思いき 0 て全部は売ってしまえすに残っている田畑のことで わずらわされているいまの境涯から脱けだそうとして、彼はこの妾にとりすがるのである。これ まで相手にした女たちのうちで、この女が一番気持がよい相手だと心のなかで思い、つきのよう につぶやくのも、まんざら理由のないことではなかった。 ( おれが養っているすべての人間のな かで、おれの価値をほんとに認識しているのは、この女だけだ ! ) そして彼の心は、今日は長男にたいするいつにない痛烈な苦々しさでいつばいだった。こんな に悩みの多い父に、さらに新しいめんどうをかけるとは、じつにいまいましい子である。 そんなことを思いふけりながら往来を歩いているとき、彼の長男もまた友人の家に訪間に行く 途中であ 0 た。そこで彼は、実に奇妙なふうに恋しうる娘にめぐりあうことにな 0 た。長男が会 いに行 0 た友人は、この町の警察署長の息子であ 0 た。そのころ賭博を禁止する新法倒が発布さ れたので、王一の息子は、いつもその友人とばかり賭けごとをしていた。見つか 0 て問題にな 0 ても、警察暑長のような有力者の息子なら、のがれられるだろうし、その友人もまた罪にはなら ないだろう、と思ったからである。この日、王一の息子は両親といがみあったので、そのむしゃ くしやした気持をしすめ、気を晴らすために、ほんのちょっと一勝負するつもりで、その友人を 訪間したのであった。

5. 大地(三)

ないのである。どうしてこんな奇怪なことになったかといえば、彼は、もっと若いころ、一、 年、町の新式の学校へ通ったことがある。そこで彼は、いろいろなことを習ったのであるが、そ こういうのがあった。青年が父母のえらんだ妻と結婚するというのは、旧時代 のなかの一つに、 の習慣への、いやしい奴隷的屈従であって、いやしくも青年たるものは、みな女性と交際して、 愛しうる娘と結婚すべきである、というのである。だれら王一が、あらゆる結婚適齢期の娘を調 べ、長男のためにこれならと白羽の矢を立てたのがあ 0 ても長男は、てんで受けつけす、あざわ らったり、ロをとがらしてすねたりして、自分の妻は自分でえらぶ、というのであった。 最初、王一夫妻は、その考えに憤慨した。このときばかりは一つの事件に対する夫妻の意見が 一致した。夫人は、はげしい調子で息子に言った。 「おまえは、どうして良家のお嬢さんと話をしたり、その人を好きだとかきらいだとかわかる ほど近づけると思うの。おまえを生み、おまえの気持も性質もよく知 0 ている両親よりほかに、 誰がおまえの妻をえらべると思うのです ? 」 けれども長男は非常に雄弁で、ひどいかんしやく持ちであった。長い絹の袖口をまくり上げ、 仼白いすべすべした腕を出し、蒼白い額にたれる黒い髪の毛をかきあげながら、母にまけすに大声 地で答えた。 「お母さんもお父さんも、すでに死んでいる旧時代の習慣よりほかには、なにもご存じないの 大 です。南のほうでは、富豪や知識人たちは、自分の息子に自分で妻をえらばせているのをご存じ ないのでしよう . 父と母は顔を見合わせた。父は袖ロで額の汗をふき、母はロをすばめた。それ を見ると息子はまた叫んだ。 「いいです。そうしたければ私に婚約させなさい。私は家を出て一一

6. 大地(三)

っている居間へ彼女がはいってくると、彼の気持をかきみたすからである。娘は、あまりにはて 間な着物を着ており、赤いザクロの花や、芳杳のつよい白いジャスミンの花を髪にさしてくるのだ。 とくに彼女は肉桂の小枝を編んだ髪にさすのが好きであった。王虎は肉桂の香りには耐えられな かった。非常に甘く、強烈で、彼はそういう匂いが大きらいなのだ。彼女はまた陽気で、わがま まで、いばりやで、王虎が女性についてきらう性質を残らすそなえていた。彼がもっともきらっ たのは、この娘がはいってくると、長男の眼に生きいきとした光がかがやき、くちびるに徴笑が うかぶことであった。彼女だけが長男を陽気にさせ、庭じゅうを駈けまわらせ、遊ばせることが できるのである。 王虎は自分の心が、ただただ息子にのみ夢中になっていて、長女にたいしては閉ざされており 離れてゆくのを感じた。彼女が赤ん坊だったときに感じた、かすかな愛の衝動は、彼女がすらり とした少女になり、 一人前の女になる気配を見せてくるにつれて、いまや消えうせてしまった。 だから、母親が学校へ入れる準備をしているときくと、彼はよろこんで、気持よく銀を出してや り、すこしも物惜しみしなかった。いまこそ息子を独占できると思ったからである。 彼は息子がまたさびしがってはいけないと思い、そんなひまがないように、その生活の日課を 、つばいに満たすようにしてやろうと思った。彼は長男に言った。 しいか、おれたちは、おまえもおれも、男なのだそ。だからおまえもお母さんの居間へ行く のはやめたがいい。ただし、子としてごきけんうかがいに行かねばならぬときは別だ。女どもと 一緒にいると、たとえ母や妹と一緒であっても、一生をうかうか遊んでくらしてしまう。まった く、あいつどもの生活といったら、のんきな、ぬらりくらりした生活法だからな。女は、しよせ

7. 大地(三)

味がないのか、それとも長男にたいする愛です 0 かり満足してしま 0 たのか、しまいには妻たち のいる後房へは、さつばり行かないようになってしまった。その理由の一つは、子供が彼の部屋 で一緒に寝るようにな 0 てからというもの、夜おきあが 0 て女のところへ通うのは、子供の手前 きまりがわるいという一新の強い恥心からであった。多くの軍閥は富強になってくると、後宮 にたくさんの美女を集め、山海の珍味に飽くことを知らぬのであるが、王虎は、いつにな 0 ても 断じてそんなことはしなか 0 た。巨万の富は、ことごとくあけて小銃の購入と兵士の給与に当て た。ただ、いっふりかかるかも知れぬ危難の年にそなえて、一定の金額を貯蓄し、そして徐々に それを増額して行 0 た。そして彼自身は、きびしい質素な生活をおくり、長男以外のものは近づ けす、孤独に暮していた。 ときたま王虎は、長女を呼んで彼女の兄である長男と遊ばせた。それが彼の届間へはいってく る唯一の女性であった。最初の一、二回は母親がついてきて一、二分ほど腰をおろした。しかし 王虎は、彼女にそはにいられると、気ますくて落ちつかなかった。それに彼は、この女が何かの ことで自分を責めている、と感じていた。自分に何かをのそんでいる、何かわからないが不満を もっている、そう感じられるのである。だから彼女がくると、口さきだけは、ていねいに逃けロ 地上をつく 9 て、その場をはすしてしまった。とうとう彼女も、彼に何かを期待するのをあきらめ たらしくて、ふつつりすがたを見せなくなった。まれに長女が呼ばれて遊びにくるときにも、つ れてくるのは、いつも奴隷の女だった。 俿しかし、一、二年すると娘もこなくな 0 た。娘の母親から、娘を学間させるためにある学校へ 行小せたいと、ことづてをよこした。王虎はよろこんだ。というのは、きわめて厳格な生活を送

8. 大地(三)

ようなことを思いふけるのがつねであった。心中にそんなことを感じてくると、王虎は、おのれ のひげに向って、つぶやくように言うのであった。 ( その人間は、おれなのだ ! ) 王虎がこんなにも長男にたいして愛情を抱いているということから、一つの奇妙な事件が起っ た。それはこうだ。学間のあるほうの妻が、長男が毎日彼のところへ召されることを聞いて、あ る日、自分の娘を飾りたてて彼のところへつれてきたのである。はなやかな新しい衣裳を着せて いた。その色は、じつにあざやかな淡紅色で、手くびには小さな銀の腕環まで巻きつけ、黒い頭 髪をピンクのリポンで結んでいる。こうして娘の父の注意をひこうとしたのである。王虎は困っ てしまい、女の子にはどう言ってやったらよいかわからないで、眼をわきへそらせると、妻は気 持のよい声で言った。 「この小さい娘も、あなたに見ていただきたいとねがっています。この子は、あの男の子にち っとも劣らす丈夫で、美しゅうございます 王虎は、順番で彼が夜の闇のなかを訪れるときの彼女しか知らないので、こんなことをいう彼 女の勇気に、いささかたじたじとなって、義理で、つぶやくように言った。 「女の子としては、かなりきれいだな」 , しかし娘の母親は、それでは満足しなかった。彼は、ほとんど娘の顔も見ないでいうのだから、 なおさらである。そこで彼女は、さらに一押しした。 いえ、旦那さま、ちょっとでも、この子を見てやってくださいまし。この子は、ありふれ た子ではございません。あの男の子よりも三月も早く歩きましたし、二年たらすですのに、四つ

9. 大地(三)

ちのことを調べていたところなんだ。これはと思うような娘は、たいてい知っている。うちの長 男には県長の弟の娘で十九になるのと婚約させようと思っているんだーー善良な、いい娘だよ。 ししゅう もう家内も、その子の刺繍ゃなにかを見たんだ。美人ではないが、貞女らしい。ただ一つ困って いるのは、長男のやつめ、自分の妻は自分で見つけるなどというはかな考えをもっていることだ 南のほうでは、そんなことがはやっているのだそうだね。おれは長男に言ってやった。 L こ では、そんなことをするわけにはいかん、好きなのがあったら、正妻とは別に第二夫人にすれば いじゃないか、とね。せむしの子は、家内が家族のなかから誰か僧侶にしたいと言っているの で僧侶にしようと思っている。からだの立派な、ちゃんとした子を坊主にするのはもったいない からね」 王商人は兄の家庭のそういった事柄には全然興味をもっていなかった。どの息子でも、早晩、 結婚しなければならないのはあたりまえで、自分の息子だって気そのとおりである。だが息子の 結婚のことなどに彼は時間を浪費したくなかった。そんなことは妻の責任だと考えているので、 すべて妻にまかせているのである。ただ、嫁として迎える女は、健康で、働きもので、葭節でな ければならない、 とだけ言ってある。王商人は兄の長話にがまんができなくなって言った。 「その娘たちのなかに、弟の嫁としてふさわしいのがいますか。弟みたいに一度結婚したこと のある男に、よろこんで娘を嫁にやる親がいるでしようかね」 けれども王一は、こういう風流な問題については、決してせきこんだりはしなかった。あれこ れと、彼自身が見たのや他人からきいた娘たちの記憶をゆっくりと思いめぐらしてから、やっと 返事をした。

10. 大地(三)

140 ~ 友の収穫前で、現金がとぼしかった。弟の助力を借りねばなるまいと思った。また監獄へ入れら れている長男のこともある。そのほうも心配だ。不自由させないように食糧や寝具も入れてやら なければならない。その手続きがすむと、王商人を呼びにやり、居間に坐って弟のくるのを待っ ていた。夫人のほうは半狂乱のていで、彼の部屋にははいらない習慣を忘れて、彼が頭をかかえ て坐っているところへはいってきた。夫人は彼女が忍ばねばならぬ苦難を訴えて、いろいろな神 仏に祈った。 夫人が、どんなに泣き悲しもうと、どんなに責めようと、このときの王一は、いつものように 心をうごかされなかった。長男が、こんなふうに警察署長の権力の手に捕えられてしまったこと で心の奥底までおびえきっていたからだ。そのうちに王二が、すこぶる落ちついてやってきた。 そんな事件はまるで知らないといったふうな涼しい顔をしている。けれども、この話は、すでに いたるところにひろがっていた。手ごろの話題なので、召使たちが、みんなしゃべってしまった のだ。王二の妻も知っていて、彼にすっかり話した。いや、すっかりどころか、尾ひれをつけて 話したのであった。彼女は、ひどく悦にいって、幾度も幾度もくりかえした。 「あんな母親の子ですし、おやじさんは、あんな道楽者ですもの、ろくなことはありやしませ んよ。わたしにはよくわかっていたんです」 しかし王一の居間の椅子に腰かけた王二が、兄夫妻がこもごも語る話をきくと、二人は息子の 罪は、きわめて軽微なもののように言っている。王二は裁判官みたいに落ちつきはらい、青年の 無罪はあたりまえだと信じているような顔をして、ただ彼を釈放させる手段を考えているような ふりをしていた。けれども彼は、兄が大金を借りたがっているのだと最初から知っていたのであ ワン・アル