ていたものだから、彼女に譲歩して、王一の庭で王一夫人が催すことになっている宴会を、蓮華 の中庭で開くことにしたのである。それは大きな美しい庭だった。一隅には南からもってきたザ クロの木が植えてあり、中央には八角形の小さな池があって、新しい小さな月が水面に映ってい た。彼らは菓子を食べたり酒を飲んだりした。子供たちは月明をうれしがって走りまわり、木の 蔭へ入ってかくれん・ほをしたり、出てぎたりして、ときどき走って行ってはお菓子をたべたり、 すこしばかり酒をすすったりした。一同は湯気の出ている出来たてのおいしい御馳走を腹いつば い食べた。こまかく切った豚肉をつめたのや、赤砂糖でつくってあってとてもおいしいのや、祭 日にふさわしいいろいろな菓子類を、たらふく食べた。御馳走が豊富にあったものだから、奴隷 たちもそんぶんたべたし、給仕している召使たちも、扉のかけにかくれたり、酒をもっと取りに 行くと見せかけて、さかんに食べた。彼らがどんなにぬすみ食いしても不足しないのだ。また夫 こごと 人たちの鋭い眼がそれを見つけても、叱言でその夜の興をそぐことをおそれて、今夜だけは何も 言わなかった。 みんながこうして飲み食いしているうちに、音楽の上手な王一の長男が笛を吹きだし、器用な 圜かぼそい指をしたつぎの息子が竪琴をと 0 て二本の細い竹の棒で絃をかきならして合奏した。二 地人は春に寄せる古典的な調べをかなで、そのあとで、明月に訴えた閨秀詩人の悲歌をうたった。 合奏がたいへんすぐれているので、母親の王一夫人は、すっかり得意になり、たびたび大声でほ 大 めたて、一曲終るやいなや、声高く叫んだ。 「もう一曲、何かやってごらん ! 宵月の下でこうして演奏するのは美しいものです ! 」 そして彼女は息子たちのすらりとした美しい容姿を自慢に思った。
270 の技術や能力のことばっかり頭につめて帰ってくるので、食ってゆく力もないことになる、と非 難していますけど、それでもわたしは、その人たちが外国へ行って、できるだけのことを習って 、ことだと思います。ただ、わたしは愛蘭がーー」こ かえって、それを御国のために使うのはいし 、ま言ったことも忘れたよ こで夫人は言葉をきり、しばらく顔をくもらせ、心のなかの憂いに、し うすであった。しかし、すぐに夫人は、また晴れやかな顔をして、きつばりと言った。「わたし は愛蘭の一生を、むりに型にはめようとは思っておりません。あの子がいやなら、そうしなくて もいいのです - ーーそして、あなただって、わたしの思うようにしなくてもいいのですよ。ただ、 あなたがこうしたいと思うことがあるならー・ーこうするというのならーー、と、わたしはそんな意 味で言っているのですよー、ーそのときは、わたしがその方法を考えてあげます」 元は、こうした新しい考えにすっかり眩惑され、すべてを納得することができす、うれしそう にどもりながらいうばかりであった。「・ほく、ただありがたく思うばかりです。そして、お言葉 がうれしくてたまらないのですー・ー」こういって彼は食卓につき、若者らしい新たな食欲と、安 らぎを得た心と、自分の家庭となる場所をえたよろこびとで、たつぶりと朝食をたべた。夫人は 笑い、満足して言った。「ほんとに、あなたが食べているところを見るだけでも、あなたがきて くれたのがうれしいですよ。それというのが、愛蘭はちょっとでも肥ってはいけないというので、 まるで食べようとしませんの。ほんのちょっぴり、仔猫がたべるくらい、そして、食べものを見 るとほしくなるからといって、朝のうちは起きてこないんですよ。あの子は、なによりも、美し くなることばかり気にかけています。このわたしの子がね。でも、わたしは若い人が食べるのを 見ているのがすきですよ」
これだけが王虎の知りたいと思っていたことだった。県長の弱々しい息苦しい声をきいている んびん と、彼は憐憫の思いに動かされた。彼は部下に大きな声で命じた。 「酒と食べものをも 0 てきて、この方にさしあけろ。この方についてきた人たちにも御馳走し ろ」酒食が出されると、彼は腹心の部下を呼んで命令した。「兵をつれて農村へ行き、農夫たち に穀物や野菜を市中へもってくるよう強制しろ。こんなみじめな戦いのあとだ。市民が食物が買 え、それを食って体力を回復できるようにするのだ」 こうして王虍が民衆のためを思う公正な処置をしめすと、県長は心から彼に感謝した。そして 王虎の思いやりに感動した。一方、王虎は、県長の、礼儀正しい、上品な育ちに感心した。とい うのは、彼は飯死しかかっており、そして眼のまえの食卓にならべられた御馳走に異様に眼を光 らせはしたものの、ぐっと欲望をおさえつけて、ふるえる手をしつかとにぎりしめ、来客が主人 側にたいして述べなければならぬ儀礼上の辞退の挨拶を礼儀ただしく述べ、王虎が主人の席につ くまでは遠慮して箸もとらなかったからである。食事にかかってからも、がつがっしたようすを 見せないように自制している。王虎は、ひどく気の毒になって、とうとう用事があるからと口実 をもうけて席をはすしてしまった。そして県長が一人で遠慮なく食べられるようにしてやった。 県長の従者は別室で食べていたのである。あとで王虎は、部下が、彼らの茶椀も皿も洗う必要が ないほどきれいになっていた、といってふしぎがっているのを耳にした。 市場にふたたび野菜類がいつはいになり、往来の両側には行商人がかごに食物をならべはじめ たのを見て、王虎は心からよろこんだ。日ましに市内の男女はふとってきた。顔から暗い鉛色が 去り、康な、すんた血色をとりもどした。冬じゅう王虍は城内にとどまって、税制の改廃をし
扉がひらく音がしたので、元は熱のこもった眼をそのほうにむけたが、こんどは愛蘭ではなか った。それは老夫人で、彼女は、すべての人々に、この家をいつもくつろぎと快適さとに満ちて いるものにしようと心がけている人らしく、静かに入ってきた。うしろに温い食物の皿を盆にの せて捧げた下僕をしたがえていた。「お料理はここにおいてちょうだい。さあ、元、わたしをよ ろこばせたいと思ったら、もうすこしたべてください。だって、汽車のなかの食べものには、こ んなお料理はありませんものね。さあ、おあがり、わたしの息子ーーーわたしには、ほかに息子は いないんだから、元、あなたはわたしの息子ですよ。わざわざわたしを探し求めてきてくれたの が、わたしにはうれしいのです。それに、どうしてここにくるようになったのか、その理由を、 すっかり聞きたいのですよ」 元はこの善良な夫人がやさしくいうのをきき、その顔が表情も真情も誠実なのを見、こころよ くひびく声をきき、テーブルのそばに椅子を寄せてくれたとき、小さなおだやかな眼にあふれる 親切そうな色を見ると、不覚にも涙が眼頭ににじむのをお。ほえた。彼は燃えるようなはげしさで そうだ、こんな 田 5 った。どこへ行っても、こんな心のこもったもてなしをうけたことはない にやさしくしてくれた人はいなかったのだ。急に、この家の温かさ、部屋の色の明るさ、耳にの 地こっている愛蘭の笑い声、この老夫人の気のおけない態度、そうしたものが一つになって彼をつ つみこんだ。彼は心をこめて食べた。それというのが、ひどく腹がすいているように感じたし、 大 料理は店から買ってきたものとはちがって、念入りに調味してあるし、脂もソースも、たっふり 使ってあったからで、元は、かっては田舎料理をうまそうに食べたことは忘れはて、いまはこれ ほどおいしい滋養のある料理はないと思って、満腹するまで食べた。それでも、料理は脂っこく、
232 くのはどうしたろう 忘れていたが 「台所に入れときましただよ」と老人が答えた。 「ワラと乾大豆を食わせて、池の水を飲ませ ておきましただ」そして元が礼をいうと、彼は言った。「そんなこと、なんでもねえですよ。あ なたさまは、わしのむかしの御主人のお孫さまじゃねえだかね」そして、これだけいうと、とっ ぜん彼は元の前にひざますき、大きな声でうめくように言 0 た。「むかしは、あなたさまのおじ いさまも、この土地で、わしらと同じ百姓をしていましただー・ = わしらと同じ普通の人間でした だ。この村で、わしらと同じように暮していましただ。でも、いつも貧乏で食うものも食いかね ているわしらよりは運がよくてー - ーそれでも、むかしはわしらと同じ百姓だ「たあのおじいさま に免じて、あなたさまがこ一、へおいでにな 0 たわけを、うちあけてはくださらねえだかね」 元は手をとって老人を立たせた。しかし「・それはあまりやさしくとはいえなか 0 た。というの は、彼はこうしたうたぐり深さにうんざりしはじめていたし、また、えらい人物の子息として、 これまで自分の言葉はいつもそのまま信じられてきたからである。そこで彼は、どなりつけるよ うに言った。「ざっき一言ったとおりだ。い ぼくのた くども同じことをくりかえすのはいやだー あに災難が起るかどうか、やがてはっきりするだろう ! 」それから老婆にむかって言った。「腹 がすいたから、食べるものと、上等の酒があったら持ってきてくれ」 老夫婦は黙々と給仕をし、そして彼は食べた・。しかし、朝たべたときほど、うまいとは感じな かった。すぐに満腹したので、やがて、それ以上口をきかすに立ちあがり、また寝室へ行って、 眠ろうと横になった。しばらくのあいだ寝つかれなかった。あの単純な百姓たちに腹が立ってい たからだ。 ( 阿呆どもが ! ) と彼は心のなかでどなった。 ( 正直かもしれないが、その上に馬鹿が
部屋にはいると、伯父が大きな腹を族から両手で抱えあけるようにして立ちあがった。その腹 からは錦織の長衫がカーテンのようにたれていた。伯父は、あえぎながら、客にむかって、挨拶 あねうえ の言葉をのべた。「ええと、嫂上に、弟の息子に、愛蘭 ! ところで、ええと、この元も背が高 くて、色が黒くて、おやじによう似とるな いや、似てはおらんー・ー・たぶん、いくらかおやじ よりはおとなしいようだーーー」 伯父は太鼓腹に波うたせて、あえぐように笑い、またやっとのことで椅子に腰をおろした。っ づいて伯母が立ちあがったが、元が横目で見ると、ととのった灰色の顔をしていて、黒い繻子の てんそく 上衣とスカートを着た、きわめて質素な上品な婦人で、両手を袖にいれて前でくみ、小さな纏足 をした足なので、立っているのもお・ほっかなげであった。彼女は一同に挨拶をして言った。「お ねえ 変りもなくて、なによりでございます、嫂さん、それに元さんも。愛蘭、あなたはやせましたね 細くなりすぎましたよ。近ごろの若い娘さんは、やせるために食べるものもろくろく食べす、 男の服のような大胆な、からだにびったりした服を着るようになりました。どうそおかけくださ 住伯母のそばに元の知らない女が立っていた。磨きたてたパラ色の頬、石鹸で洗ってびかびかし 地ている肌、田舎風に額からまっすぐにたらした髪、非常に明るいが賢こすぎるというほどではな い眼をした女である。誰もこの女の名を教えてくれないので、召使なのか、そうではないのか、 大 元には見当もっかなかったが、やがて母が、この女にむかって、ていねいな挨拶をしたので、こ れが伯父の第二夫人であることがわかった。そこで元がちょっと頭をさげると、その女は顔をあ からめ、田舎の女がするように、両手を袖に入れておじきをしたが、ロはきかなかった。
104 王虎は怒っているが、彼自身も泣きたいような気持になり、無田「こ . 王冫いかめしそうにしてひげをひ ねっていた。腹心の部下は子供を抱きあげ、どこかへつれて行った。王虎は子供が食べなかった 料理の皿をみつめながら、しはらくのあいだ、苦しい思いで、じっと待っていた。みつ口が戻っ てきたときには、子供をつれていなかった。王虎は、うなるように言った。 「早く言え ! すっかり話してくれー ためらいがちに部下は言った。 「病気ではありません。さびしくて、ごはんがたべられなかったのです。これまで、ひとりき りでいたことがないので、遊び仲間もほしいし、お母さんや妹さんたちにも会いたがっているの 「だが、もうぶらぶら月日を空費していてよい年じゃない。 母親を恋しがるなんて、もっての ほかだ」王虎は、ほとんどわれを忘れ、ひげを引っぱり、椅子の上で身をもみながら叫んだ。 みつロは主人の気性をのみこんでいるので、すこしもこわがらなかった。彼は落ちついて答え 「それはそうです。しかし、ときどきお母さんのところへ行けるようになさったらよいと思い ます。それともお嬢さんが遊びにくるようにするかですね。まだほんの子供なんですから、そう すれば坊っちゃんも、ひとりでいることに、だんだんなれてくるでしよう。 それでないと、ほん とに病気になりますよ」 王虎は、しばらくだまって坐っていた。そして、はげしい嫉妬になやまされていた。彼の殺し た妻が、彼よりも死んだ匪賊を愛していたということで彼を苦しめたとき以来、一度も味わった
るものすべてが気にいり、あかるく輝く陽光に心がはすんでいたので、どんなことがあってもこ こで暮したいと思 い、たのしさを顔にあらわして徴笑し、だだっ子みたいに叫んだ。「それでも いよ。・ほ ~ 、はここに ~ 洛ちつくー なにも、おまえたちが心配することはないさ。おまえたちの 食べるものを食べさせてくれればいい。 まあ、しばらくのあいだ、ここで暮すことにするよ」 彼は、なんの飾りもない部屋に腰をおろし、壁に立てかけた鍬や犁、やはり糸につないで壁に つるしてある赤い唐がらし、一、二羽の鶏と一緒にたばねた玉ネギなどを見まわし、なにもかも が気にいった。すべてが彼には珍しかったのである。 急に彼は空腹を感じ、老夫婦の食べていた、ニンニクを包みこんだ餅が、いかにもうまそうに 思えた。「ぼくは、おなかがすいた。なにか食べさせてくれないか、おばさん」 これをきくと、・老婆は叫んだ。「でも、あなたさまのようなご身分の方のお口に合うようなも のは、何もごぜえましねえ。鶏が四羽おりますで、なによりもそれをます一羽っふしますだがー ーこんなますい餅しかご、せえましねえ。それも小麦粉でこしらえたのじゃねえですだよ . 「ここにあるものは、・ほ 「それが食べたいんだ , ー。。大好きなんだ ! 」元は心からそう言った。 くは、なんでも好きなんだ」 地そこで老婆は、や 0 とのこと、それもまだ半信半疑のていで、 = ン = クの茎のぐるりに餅をう すくのばして巻いたのを持ってきた。しかし、それでは気がすます、秋に塩漬にして貯えておい た魚をさがしだしてきて、もてなすつもりでそれに添えた。彼はそれをすっかり平らけた。彼に % とっては上等の食事であった。これまで食べたどんな食事よりもおいしかった。なせなら彼は、 なんの気がねもなく食べたからである。
すぐにまた流れ出てしまうのだ。 彼は腹心のものを部屋によんで、ひそかに言った。 「これまでにないような新しい徴税の道はないか」 腹心のものは頭をかいて、たがいに顔を見合せたり、あちこちを眺めたりしていたが、何も考 えっかなかった。みつ口が言った。 「食べるものや日常品に重税をかけると、人心が離反しますからね」 それは王虎もよく知っていた。あまり重税をかけて、上から押えつけて食えないようにすると、 民衆というものは命がけで反抗してくるものである。王虎はこの地方に相当の勢力をはり、地盤 もかためたが、民をまったく無視できるほど強大なところまでは行っていなかった。だから、 現在以上に大衆の負担にならないような新しい課税方法を考え出さなければならなかった。そこ で、この町の主要産業である酒ガメの製造に眼をつけた。この地方でできる酒ガメ一個について 銅銭一個か二個を課税するのである。 この地方の酒ガメは有名だった。見事な陶土をねって、青いうわぐすりをかけ、酒を入れ、同 じ美しい陶土でふたをして密封し、銘を入れるのである。この嬲は、美しいカメに入 0 ている銘 酒として全国に名が通っているのだ。王虎はこれを考えついたとき、腿を打ってよろこんだ。 地 「酒ガメの製造業者は、いい儲けをして、毎年、富をふやしている。ほかのものと同様に税を 大負担しないという理氤はないじゃないかー 腹心たちも、これは名案だと、よろこんで賛成した。王虎は、その日ただちにこれを施行する ことにした。施行にあたって、彼が主要な覆ガメ製造業者に、いんきんに伝達させた説明の趣旨
276 やがて、挨拶がすっかり終ると、 いとこたちは別室でお茶をのむようにと元をさそった。彼と 愛蘭は目上のものたちから解放されるのをよろこんで招きに応じた。元は黙って彼らのおしゃべ りをきいていた。 , 彼ら同士は、よく知りあっているが、元は、し 、とことはいうものの、彼らにと っては他人みたいなものだったからである。 元は彼らを一人一人よく観察した。一番上のいとこは、もう若いという年でもなく、やせても いす、父親のように腹がっき出しかけていた。暗色の毛級の洋服を着ていると西洋人のように見 え、白い顔は、いまだに美しく、やわらかい手は肉づきがよく、つやつやしていて、いとこの愛 蘭のほうを、落ちつきのない眼で、あまりながく見ているので、彼の美しい妻は、鋭い声で、ち よっとあてこすりを言って、そのまま、なにかほかのことに話をそらせた。それから二番目のい とこ、詩人の盛がいた。長くのばした髪の毛が顔にたれ、指はながくて白くてきやしやで、顔に 瞑想的な微笑をうかべている。三番目のいとこだけは、容貌も動作も、やわらかなところがなか った。十六歳かそこらの少年で、普通の灰色の学校の制服を着て、、 ~ 目まできちんとボタンをかけ、 顔は美しいとは義理にもいえなかった。不恰好な形で、にきびだらけで、両手はごっごっして、 だらりと袖口から長くたれている。ほかのものがしゃべっているのに、 この子だけはロをきかず、 近くの皿に盛 0 た。ヒーナツツを食べているが、いかにもむさ。ほるように食べているくせに、青年 いいたいようだっ らしい憂鬱が顔をおおっているので、全然食べる意志もないのに食べていると 部屋のなかや、みんなの脚のあいだを、小さな子供たちが、かけまわっていた。十と八つの男 の子が二人、女の子が二人、それに女中が持った紐にゆわえつけられている、きいきい泣くニっ