174 そこにはおまえたちが飲んだこともないようなうまい酒もあるのだ」 それをきくと部下はよろこび勇んで叫んだ。 「つれて行ってください。隊長どの、みんな、そんな土地へ行きたがっているのです」 王虎は、すごい笑いを見せて言った。 「そう簡単にはいかん。ます敵の兵力をさぐらねばならん。もし敵の兵力がわれわれよりもす ぐれていたら、何とかしてこちら側へ寝返りをうつようにせねばならん。おまえたち一人一人が スパイになったつもりで敵の内情をさぐりだしてくれ。われわれがどんな目的でやってきたかを さとられてはならぬ。けどられたらおしまいだ。おれが一足先きに行って陣地をきめておく。和 平谷とよばれる省境の蔀落に、みつ口を残しておく。部落のはすれに宿屋がある。酒の旗が立っ ている宿屋だ。みつ口がそこで待っていて、おれのえらんだ集合場所をおまえたちに知らせるこ とにすゑそれからおまえたちは、三人、五人、多くて七人ぐらいずつにわかれて、脱走兵をよ そおい、あとからぶらぶらやってこい。もしどこへ行くのかときかれたら、豹将軍に仕えたいと 思ってさがしているのだが、将軍はどこにおられるのか、と言え。各自に銀三枚すっ支給する。 つきに会うまでの費用だ。しかし厳重に申し渡しておくことが一つある。もしおまえたちのうち で、貧乏人に害を加えたり、娼婦でない女をおかすものがあれば、おれの耳にはいりしだい誰彼 の容赦なく二人すっ即座に殺すからそのつもりでおれ」 すると列のなかから一人の兵が叫んだ。 「隊長どの、われわれはいつになっても、ほかの兵隊のするようなことができないんですか」 王虎はどなりつけた。
なかに、無法にも貞淑な人妻や生娘を犯すものがあったら、容赦はせぬ。言いわけもきかすに即 座に殺してしまうぞ」 彼がこう言うのを、部下はじっときいていて、肝に銘じて忘れなかった。くろぐろとした眉の 下に二つの眼がぎらきらと輝ゃいている。この隊長は、根はやさしいが、人を殺すことなどすこ しも遠慮しないはげしさをもっていることを、部下はよく知っていた。若い兵士たちは彼を讚美 して、「虎だ。黒い眉毛の虎だーとつぶやいた。そのころの王虎は、まったく彼らの英雄だった。 こうして彼らは強行軍をつづけ、王虎の命令があってはじめて、足をとどめるだけであった。す べての兵士が王虎に服従した。なかには不平のものもあったであろうが、すこしも顔には出さな カュ / 、くつもあるが、そのうちの一つは、兄た 王虎が故郷に近い土地に落ちっこうとした理由は、し ちの近くにいれば、彼がひとり立ちして領地の住民から税をとることができるようになるまでの あいだ、兄たちから銀を確実に受けとることができるし、遠路を運ぶうち盗賊に奪われたりする 危険がなくてすむからであった。また、往々にしてあることだが、天運に見すてられ、大きな敗 に戦の非運におそわれたような場合には、兄たちのところへ逃けこむことができる。彼の実家は富 地裕だから、彼の身は安全だろう。そういうわけで、彼は兄たちの住む町をめざして一路北上した のであった。 大 故郷の町の城壁が明日は望めるであろうその前日のことである。王虎は部下の行進の速度がに ぶったので、いらだった。夜になって、出発を命じたが、彼らはなかなか腰をあげそうにない。 なかには、ふつぶつ不平を言っているものもあるのを、王は耳にした。ひとりは言っていた。
は言わなかった。彼は塗りのない小さなテーブルのそばに腰をおろして、酒のくるのを待ってい 亭主は酒瓶をもって出てきた。いま王虎からきいたことが気がかりらしく暗い顔をしている。 「皇帝さまがおられないとなると、どえらいことですな。人間のからだに頭がなくなったよう なものですて。乱世ですな。わしらをみちびいていく人がひとりもいないということです。旦那 さまは、縁起でもねえことをきかしてくださっただ。知らせすにおいてくださればよかったです わい。いったんきいたら忘れられませんからな。こんな田舎者でも気になりまさあ。いまは平和 でも、いつなんどきこの村がひっくりかえるかと思うど、毎日おちおちしていられませんわい 亭主は、うちしおれたようすで熱い酒をついだ。しかし王虎は相手にならなかった。こんない やしい男の心配など眼中になかった。彼としたら、この乱世こそ歓迎するところなのだ。彼は酒 をついで息もっかずに盃をほした。熱い酒が血のなかにひろがった。頬がほてり、頭がぐらぐら するのを感じた。彼はあまり飲ますに勘定を払い、酒をもう一杯買って、表で待っているみつロ のところへ持って行ってやった。みつロは大よろこびで、両手で盃を受けて、こぼさないように すすった。まるで犬が飲むときのような恰好で、びちゃびちゃなめた。それから仰向いて、底に たまった残りを、のどに流しこんだ。上唇がさけているので、うまく飲めないのである。 「ここいらをおさめているのは何という 王虎は、ふたたび酒亭にひきかえして亭主にきいた。 人だね」 亭主は、あたりを見まわし、誰もいないのをたしかめてから、声をひそめた。 「豹将軍とよばれる匪賊の頭目ですだよ。残忍な、ひどい奴でして、税金を払わないと、なら こ 0
また彼が罰せられるかもしれぬということも事実だった。だが、彼がこんなにもいそぐもっと深 い真の理由は、この女を渇望するあまり、やむをえぬ日数以上は待ちきれなかったことである。 女を無事に自分のものにしてしまわねば心を安んじて戦うこともできす、武人としての価値を発 揮することができないことを知っていたのだ。だから彼は、みつ口をせき立てて、はげしく強く 命令しておいたのである。 「あの商人の兄は、きっと、銀はみな人に融通してあるから、すぐには間に合わんとほざくだ ろう。おまえは兄のいうことなんそ、きく必要はない。ただ、王虎はまだ、豹将軍を殺したとき に奴から取った名剣をもっており、鋭利この上もなく、たちまち人をあやめる剣だと言え」 みつロはこの恐を最後の手段としてとっておいて、はじめのうちは用いなかった。しかし次 兄が、またもう一つ別の理由、つまり、そんな家も家族もないような女は娼婦にちがいない、そ んな女と正式に結婚して家へ入れては家門の恥だという理由から、結婚費用を出ししぶったので、 とうとうそのおどしを使うことにした。みつロは、その女は匪賊の山寨にいた女だということは、 心の底では言いたかったのだが言わなかづた。何らかの方法で、その女と王虎が結婚するのを中 止させたい誘惑にかられ、兄たちに助力を頼もうかとも思ったが、王虎が自分の思い立ったこと は何でもやりとげる性質であるのを知りぬいているので、その誘惑をおさえて、おどしを使うこ とにしたのである。 これを聞くと次兄は、あちこちとび廻って、貸し出してある銀を、できるだけ集めにかからね ばならなかった。融通してある銀を、そんなに急に引きあけるとなると、利息が損になるので、 残念でたまらなかった。だから彼は、陰鬱な面持で長兄のところへ行って言った。
と、いらだたしげに、何かほかの日常のことを話題にして、話をそらせてしまった。そして、こ んなことばかり何度もくりかえしてきいた。 「最後の戦いに参加する準備はできていますか。策略こそ最上の戦術です。そして最良の戦い は、勝敗が決する最後の戦いに、勝つほうへつくことです」 彼は自分があまりにも情熱に燃えていたので、彼女のもっ冷めたさには全然気がっかなか 0 た。 春じゅうす 0 と彼は待 0 ていた。待っことは、いつも彼をいらだたせるのだが、新妻がそばに いたために、こんどは耐えることができた。静かな平野の暑い陽ざしのなかに、からさおの音が ひびきわた 0 た。小麦が刈りとられたあとに、コウリャンが丈高くしけり、もう穂を出しはじめ た。王虎が待 0 ているあいだに、各地で戦いがはじま 0 た。北方の軍閥も南方の軍閥も、それそ れ同じように同盟を結んだ。しかし王虎はまだ動かなか 0 た。彼は南方の軍閥が勝 0 ては困ると 思 0 ていた。南方のあの小柄な、色の浅黒い、ひねこびた将軍たちと手をにぎることを考えると、 へどが出るほどいやになる。だから、ときどき彼は憂鬱にな 0 た。南方が勝 0 たら、しばらく山 中にかくれて、つぎの機会を待っことにしよう、と不機嫌にひとりごとを言 0 た。 にしかし彼は、全然なにもせすに待 0 ていたわけではない。新しい熱意をも 0 て部下を訓練し、 地そして、なおい 0 そう兵力の増強をはか 0 たのである。多数の勇敢な青年を、新しく軍に編人し た。古い兵を昇進させ、士官にして、新兵を指導させた。こうして彼のひきいる軍隊は膨脹して 大 一万にも達し、この軍隊をやしなうために、酒税、塩税、通行税を増額、徴集した。 このころ、彼が直面した唯一の難間題は、小銃が足りないということだ 0 た。この不足を補う ためには、二つの方法のうち、どちらか一つを実行せねばならぬ、と考えた。策略によ 0 て銃を
182 とがわかった。小さな古い荒れ果てた寺で、山門はとざされていた。 王虎は近づいて扉に耳をあてて、なかのようすをうかがった。何の物音もしない。鞭の柄で扉 をたたいてみた。いつまで待っても誰も出てくるようすがない。彼は腹を立てて、はげしくたた いた。すると、扉をすこしあけて、頭のはけた、ひげのない老僧が顔を出した。皺だらけのしな びた顏である。王虎は言った。 「一夜の宿をお願いしたい , 王虎の声は、深山の静けさのなかに、するどくひびいた。 こ扉を開いただけで、細い声で言った。 けれども老僧は前よりもちょっと余計冫 「ふもとの村に宿屋や茶店がございましようがな。ここには世捨人が数人おるだけで、食物は 肉のない粗末なものばかり、飲むものは水じゃて。とてもお宿はいたしかねまする , 老僧は王虎を見ながら、法衣のしたで膝をがたがたふるわせている。 王虎は無理に扉を押しあけ、老僧をしりめに、あばたとみつ口に声をかけた。 「これこそわれわれが探していたあつらえむきの場所だ」 王虎は僧侶たちには眼もくれず、すかすか奥へはいって行った。本堂に足を入れると、広像や ほさっ 菩薩の像が立っているが、それも寺と同じように古びて金箔がはげ落ちている。王虎は仏像など には一顧もあたえなかった。本堂を通りぬけると、僧侶たちの住な庫裡である。そのなかでわり にきれいな、ちかごろ掃除したらしい小さな部屋を自分の場所ときめ、そこで帯剣をはすした。 みつロは、あちこちをさがして食物をもってきた。もちろん、すこしばかりの飯とキャベツだけ である。
ばろ・ほろの服を着て、頭に布をかふせて、匪賊に変装させているので、はじめ王虎は、この連中 がはたして自分の部下であろうかとうたぐった。何者か見きわめがつくまで近づくのを待っこと 彼らが自分の部下であるとわかると、王虎は、赤毛の馬からおりて、道ばたのナツメの木の下 に腰をおろした。精神的に気力をうしなっているので、こうして坐って、鷹の近づいてくるのを 待っていたのである。王虎は時間がたつにつれて怒りが消えゆくのをおそれた。おそろしいほど の苦痛をもって、いかに女に裏切られたかを、むりにも思い起して怒りを燃えつづけさせた。彼 の怒りと苦しみのひそかな根は、自分で妻を殺しはしたが、殺した妻をまだ愛しているというこ とだった。 , 彼女を殺したことをよろこびながら、同時に熱情をもって彼女を恋慕していたのであ る。 この苦しみは彼を不機嫌にした。鸞が前にくると、眼をほとんど眉の下にかくしたまま上けも せすに、うなるように言った。 「どうだ、銃を取りそこねたろう」 鷹は、とがった顔をしているが、弁は立っし、敏捷で自尊心が強かった。自尊心の強さと怒り っぽい性格が、彼を勇敢にするのである。彼は昂奮した口調で言いかえした。 「匪賊がこっちよりもさきに銃のことを知っているなどと「どうして私にわかるもんですか。 ス。ハイか何かから銃の話をきいて、先廻りしたのです。あなたが私に命令する前に匪賊が知って いたのだから手はないじゃありませんか」 といったふ 彼はそう言って、自分の銃を地面に投げだし、腕を組み、おれが悪いんじゃない、
しかし、彼女のゆっくりした静かなもの言いは、次男の妻の廻転の早い舌には、敵すべくもな かった。弟嫁はまくし立てた。 「子供に乳をやらなけりゃならないことは、だれでも知っています。わたしは、乳のみ子があ って、吸わせる二つの乳房があることを、はずかしいとは思いませんよ ! 」 彼女は、つつましく上衣にボタンをかけるどころか、これ見よがしに子供を抱きかえて、もう 一つの乳房を吸わせた。彼女の大きな声をきいて、近所の人たちが、喧嘩だというので集まって きた。女たちは手をふきふき台所や中庭から駈けだしてきた。通りすがりの百姓たちは、とっく り喧嘩を見物しようというので、野菜かごをおろした。 王一の妻は、集まってきた陽にやけた、いやしい顔をみると、どうにも堪えられなくなり、そ の日は出かけるのをやめにして、轎をかえし、せつかくの楽しみを、すっかりめちゃくちゃにさ れて、また中庭へはいってしまった。 一方、田舎育ちの妻は、このような気むすかしいことを言われたのは、はじめてだった。母親 というものは、どこでだろうと子供に乳をのませるのはあたりまえである。赤ん坊は、どこで泣 きだすかわからないが、赤ん坊をだまらせる唯一の方法は乳をやること以外にないということは だれでも知っている。そこで、彼女は立 0 たまま、義姉のことを、おもしろおかしく悪口を言い はじめた。群集は腹をかかえて笑い、芝居でもみているようなつもりで大よろこびであった。 物好きにそこへ残ってきいていた王一夫人っきの奴隷は、女主人のところへ行って、田舎育ち の弟嫁が言ったことを、忠義ぶってくわしく報告した。 「奥さま、あの人はこんなことを言っていましたよ。奥さまがすごくいばっているので旦那さ
い菓子を一つやった。白痴の娘は思いがけなく菓子をもらたものだから、よろこんで歓声をあ げて食べた。梨華は、しばらくそれを悲しけに見守っていたが、思いあまってため息をついて言 っこ 0 「わたしに親切にしてくれ、わたしを奴隷でなく扱ってくれた、たった一人のひとのわたしに 残してくれた形見は、あなただけよ」 けれども白痴の娘は、夢中で菓子を食べているだけだった。自分からはロもきかないし、話し かけられてもわからないのである。 こんなふうに梨華は葬式までの日々を待ちくらした。王龍の息子たちですら、やなをえない用 事でもないかぎり近寄らなかったので、僧が読経にくる時間のほかは、毎日、ひっそりと静まり かえっていた、屋敷内に住む人たちは、精霊が残っていると考えて、不安を感じたり、恐れたり していた。王龍は、たいへん頑強な人だ 0 ので、肉体にやどるという七つの精霊が、そうたや すく遺骸から去 0 て行くとは思えなかったのである。あるいは、ほんとうに精霊はまだ立ち去り はしなかったのかもしれない。 というのは、屋敷には、これまでなかったような奇妙な音が満ち 0 ているように思え、女中たちは、夜寝ていると冷たい風が寝床のなかへ吹きこんできて髪をみだ されてしまったとか、女中部屋の格子窓をがたがたゆすぶる音がきこえたとか言っていたし、料 理番の手から薬罐がたたき落されたとか、奴隷が立って給仕をしていると手から茶椀がするりと 大落ちたとか、そんなうわさまで立っていたからである。 息子たちゃその妻たちは、召使どものそういった話をきいて、無智な愚かさだと笑ってはいた ものの、内心、不安な気持だった。蓮華は、これらのうわさをきいて言った。
274 てくれ」 商人の王二は、すこし嘆息した。ちょうど正月前で、土地を売るにはよい時期ではないし、そ れに、いま畑に植わっている小麦の収穫を見こんでいたからである。しかし店へ帰って、そろば んをはじき、損得を計算してみると、高利で貸つけてあるところから銀を引きあげるよりも、土 地を売ったほうが得だということがわかった。そこで彼は土地を売ることにした。よい土地を売 ると広告すると、買手はいくらでも集まった。千元あまりに売れた。みつ口には九百元だけわた し、王虎がまた要求してくるときの用心に、残りは手もとへとっておくことにした。 みつロは単純な男だから、主人の王虎から、百元やそこらのために手間どってはならぬと言わ れたことを思いだし、渡されただけのものをもって帰って行った。王商人は、残りの銀を、いそ いで高利で廻し、とにかくこれだけでもたくわえることができたと考えて気持をなぐさめた。 この土地売却の取引にあたって、一つだけわすらわしいことがあった。というのは、土の家か らあまり遠くないところの土地を、一つ二つ売ってしまったからである。たまたま売買のために 畑に人があつまっているとき、梨華が家の前の打穀場へ出てきた。そして、人が集まっているの に気がついて、手を額にかざして見ると、まばゆい日光を通して、土地を売っているらしいよう すがうかがわれた。 , 彼女は、いそいで王商人のところへ行き、彼をわきへ呼んで、非難をこめた 眼で言った。 「また土地を売るのですか」 王商人は、ほかにたくさん面倒な用事があるので、梨垂などにわずらわされたくなかった。た から彼は不愛想に答えた。 リ・水ワ