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検索対象: 第2次世界大戦のドイツ戦車
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1. 第2次世界大戦のドイツ戦車

当時、最強の戦車砲 71 口径 88 ー砲を搭載したティーケルⅡ戦車 0 、 0 。し。しを 4 3 Ⅱでは同し水冷でも直列 4 気筒とオーソ これを装備したのは、 Pz. Kpfw. ⅢとⅣ ジンとして採用させるべく相当の努力を の後期型のほか、バンテル Ausf. D とティ ドックスなものになった したか、ついに実現しなかったのは惜し ーゲル Ausf. E かある まれる これが Pz. Kpfw. Ⅲになると水冷でも V 型気筒になり、クランクケースとシリ ラジェーターとファンは一体で、エン < 工ンジンその他 > ジンのすぐ横につき、大型工ンジンでは ンター・フ、ロックはアルミ製、シリンタ ドイツ戦車のエンジンには各種の型式 ラジェーターを左右に 2 コつけていた ・ヘッドが鋳鉄製となって軽量化も計 のものが用いられたか、共通しているの 始動にはスターターを使うか、これは られている は全部水冷式のガソリン・エンジンを装 電気を使ってもイナーシャを使っても作 ただ、航空工ンジンと違って、ガソリ 備していたことで、小型軽量である点は ンは 74 オクタンという低オクタン価のも 動できた。また、空気吸入孔にはもちろ ドイツの航空工ンジンともよく似ていた のでも使用できるようにしてあったか、 ん工アフィルターがついていた このうち、 Pz. Kpfw.l Ausf. A は 3 . 5 2 これでも大戦末期には深刻なガソリン不 クラッチ・プレーキ式のトランスミッ のクルッフ製の空冷水平対向 4 気筒とい 足て航空機と燃料の奪い合いになってい ションは、 Pz. Kpfw. I とⅡでは非常にシ ンプルなものだったが、それ以降のもの う毛色の変ったものを積んだか、 Pz. Kpfw. る I Ausf. B からはマイバッハ製の戦車専 では ZF とバリオレク ( 自動 ) 式の高級 タイムラー・ペンツ社などは、ティー ゼル・エンジンをドイツ戦車の標準工ン 用の水冷 4 気筒となり、 Pz. Kpfw. I B と なものとなり、ティーゲルではマイバッ ハ・オルバー完全再生式トランスミッシ ョンという技術的に非常に進歩したもの が使われるようになっている しかし、チェコ製の Pz. Kpfw. 35 (t) と 38 (t) は、エンジンはフラカ製 E PA 水 冷直列式ガソリン・エンジンを装備した まま最後までドイツ製のエンジンをつけ なかった。また駆動やサスペンションの 機構も違ったままだった 前ページと同じ機銃。パンテル A 型以後の車体銃として搭載された状態

2. 第2次世界大戦のドイツ戦車

Ⅲ号 J 型戦車後期型を 正面からみたところ 長砲身の 60 口径 50E 砲 をつんた初めてのタイ プで、対戦車戦闘能力 か一段と向上した 4 ら生産に入った L 型の簡易・性能向上型 ては車体や砲塔側面のビジョン・ホート ようになっている を廃止して量産か容易なように改められ である シャシー番号は 760 田から 78000 。 生産ヒッチを上げるため、 ヒスト丿レ・ Typ 11/ZW/Pz. Kpfw. Ⅲ Ausf. N ている ホート、ビジョン・ホートなどの切欠き 円 42 年から 43 年にかけては、アフリカ (Sd. Kfz. 141 / 2 ) : Ⅲ号戦車の最後の生 は全部廃止されたうえ、車体側面の脱出 機甲軍にⅢ号 L (Tp) 型か配備されたか、 産型がこの N 型で、円 42 年末から生産に ハッチまでなくなった。これは乗員にと これらはオイルフィルターを大きくし、 入り、 43 年一月から完成車か出された っては不便だったが防弾効果を上けるう ェンジン・カバーを 2 枚から一枚の大き これらの主砲はすべて短砲身の 7 . 5 cm えでは有効で、そのほか、スペースド・ なものに変え、ファンの点検孔が大きく 砲で、 M 型と細部までほとんど同しだっ アーマーに加えて後期生産型では砲塔と なり、エンジン・カバーの扉には空気吸 たが、キューボラはⅣ号戦車と同様に 入孔のべントがつけられた。また、少漠 車体側面にスカート・アーマーをつけて 田 0mm 装甲板を張り、フレーキ点検ハッチ パズーカ砲などに対する防備を固めてい を走行中に砂を巻き上げないように後部 のヒンジはなくなっている る。スカート・アーマーは前期型の一部 Ⅲ号シュッルムバンツアー ( 突撃戦車 ) の空気排出孔下面には金属板を張りつけ にもあとからとりつけられた と呼ばれたのはこの型である。携行弾数 この型からはまた内部の弾薬貯蔵スへ ただし、このための重量増で砲弾携行 はすこし増加して、 7 . 5 cm 砲弾が 64 発、 ースか僅かだが広くなっているが、全体 数は 78 発に減っている。シャシー番号は 機銃弾が 3450 発になっている。シャシー に重量が増大したので、前部サスペンシ 番号は 760 田から 78000 で、 M 型と同じ c 7 田から 76000 。 ョンにはコイルスプリングを一本追加し Ⅲ号戦車は、 M 型が開発のヒ。ークに達 L 型の後半以降の生産車は , 主砲をⅣ していて、短砲身の 7.5 cm 砲が搭載可能 号戦車の主砲であった短砲身の L / 27 7.5 ている このほか、水上走行キットが備えられ の最大の主砲であった。この砲はもとも cm 砲としてさらに攻撃力を増強している たのもこのタイフからで、車体の扉や接 とⅣ号戦車に装備されていたものであっ が、同し頃からⅣ号戦車は長砲身の 7.5 合部にはシールが施され、エンジン排気 たか、Ⅲ号戦車はこれを積むことによっ cm L / 43 を装備している て大戦末期まで接近戦では連合軍の最新 孔部分も水をかふらないように改められ、 Typ 10/ZW/Pz. Kpfw. Ⅲ Ausf. M 型戦車にも引けをとらなかったといわれ これで水深匚 3 m までの川や沼を渡れる ( Sd. Kfz. 141 / 1 ) : この型は円 42 年末か イ 9 た

3. 第2次世界大戦のドイツ戦車

、、傑作戦車〃との定評を得ていた 車体は、車框部・前部構造・後部構造 ・砲塔の 4 つに分けて組立てられたあと ポルト締めして一体にされた。車体内部 2 コのバルクへッド ( 仕切板 ) はまた、 で 3 つの部分に分割され、後部のエンジ ン・ルームからドライフ・シャフトが真 中の戦闘室の下をとおって、前部にある クラッチとキャポックスに連結されてい 工ンジンは、同時代の他のドイツ戦車 と同しマイバッハ製で、水冷 4 サイクル V 型気筒力、ソリン式で、最初は出力 25 0 田だったか、のちには 320 屮に強化さ れている。ラジェーターはエンジンの横 にあって、冷却用空気はエンジン・カバ ーの横の右側グリルから吸入され、ラジ 工ーターを通ったのち、左のグリルから 左に抜けるようになっていた なお、エンジンは別に発電機を駆動す るために DKW 500 cc ・ 2 サイクルの補助 工ンジンが主工ンジンの左側にとりつけ られており、これで砲塔などを動かすよ うになっていた。この方法の場合、主工 ンジンが故障したり、停止中でも、電気 系統はいつも動かすことができるという 利点かあったが、後期生産型では、航続 距離を延ばすためにこれをとりはすして こに燃料タンクを増設している 撚料タンクは砲塔のバスケットの下に い丿し 1 941 年 1 1 月、北アフリカにおいてイキリス軍に捕獲され、点検を受けるハ号 E 型戦車。車 体前面の追加装甲板、 24 口径 75g 砲などに注意 = , 機銃の右側に D A K のマークかみえる / 2

4. 第2次世界大戦のドイツ戦車

その座席は昇降式なので、キューボラの VsKfz. 622/Typ I/BW/Pz. Kbfw. Ⅳ ている 上に上半身を出して走行することができ Ausf. A : BW 仕様で造られたクルッフ製 A 型よりエンジンの出力か上って 320 た。主砲の右側にある砲手席も調節式た の最初のロットで、最初は試作 622 型車 田となり、変速器は SSG 76 という 6 速の ったか、これは主砲弾や機銃弾の装填な ものに変っている。このほか、前面の装 と呼はれたものである ど、戦闘作業の邪魔にならないようにす これは、 35 台しか造られす、試験に使 甲は . 5mm から 30mm に強化され、車体前 るためであった われたのちに訓練用に回されてしまった 面の段違いはなくなって直線となってい この 2 人のためにはまた、砲塔前面に ので、実戦には出なかったが、エンジン る。このほか、運転手のバイサーか 2 枚 それそれビジョン・ホートがあり、砲塔 のスライド式のものになり、前部の 2 名 はまだ 250 田のマイバッハ HL 田 8 TR と の両側には点検ドア、ヒストル孔のほか、 いう初期のもので、これに 5 速の ZF S の乗員用点検孔かツイン式のものからシ 装甲つきヒジョン・ポートかあった ( こ FG 75 キアポックスを組合わせて最大速 ングルのものになって、キューホラに装 れらは型によってついたりつかなかった 度は 30 km / h てあった。クラッチは乾燥式 甲がついた 3 枚ティスク式で、スフロケットへ 6 速 さらに、砲塔のヒストル孔は角形から 走行転輪はゴムタイヤつきで、 2 コか あるいは 5 速を伝えていた。そして、ス 楕円形になり、左手の信号孔には小麦粒 ホキー式に組合わされて全部で 8 コあり、 テアリンクはこのクラッチを利用したウ のような形をしたフードがついている 各ホキーの前輪の下にリーフスフリンク イルソン・クルッフ製のクラッチ・フ、レ つまり、実戦型となったわけで、シャシ がとりつけられている。駆動用のスフロ ーキ式であった 一番号は 802 田から 80242 。 ケットか前に アイドラーが一コすつう 主砲は新たに開発した 7 . 5 の K w K Typ 3/BW/Pz. Kpfw. Ⅳ Ausf. C . しろにあるのは普通の戦車と同してある L / 24 て、車体はのちの型と外型かすこし このタイフは円 38 年から 39 年にかけて、 違って、運転手か無線手よりすこし前に 図 0 台造られて、ホーランド侵攻に参加し 発煙装置としては、初期の型は車体後 位置したため左半分が前へ張り出し、車 て大活躍をしている 部に発煙器をつけていたか、後期型は砲 長キューホラは単純なドラム形て、砲塔 ただし、基本的には B 型とほとんど同 塔側壁に発煙筒をつけて、これを電気ス の後壁に埋めこまれたような特異な形を しで、砲塔前面の装甲が 20mm から 30mm に イッチて発射するようにしていた しているところに特徴かあった。砲塔の 強化され、共軸機銃に装甲スリーフか追 無線アンテナはバネつきで、必要に応 両側には D 型の点検孔かついていた 加されたくらいが主な変更点である。 40 して水平位置にでき、 2 m もあるこのア 生産は円 37 年から 39 年にかけての長い 号車からはエンシンかインバルス式マク ンテナは乗員の手て車内に収容すること 期間て、シャシー番号は 8 田田から 8 田 35 。 ネットをつけた 300 田のマイバッハ HL もてきた。これは障害物を突き破って前 TRM となった 進するときに必要てあった Typ 2/BW/Pz. Rpfw. Ⅳ Ausf. B 円 37 年に 45 台か造られ、円 39 年のホーラ シャシー番号は 803 田から 80440 。 / ヾリエーション ンド作戦のときには早くも実戦に参加し Typ 4/BW および Typ 5/BW/Pz. Ⅳ号 F2 型戦車の車体前部 右か司占視ロ、左か車体銃の ホールマウントて、その上 のハッチか開放されている / 5

5. 第2次世界大戦のドイツ戦車

一 20000 上と同じ車体。後部は右側がエンジン・スペース、左側は無線手席とその関係スペースになっている 初期の生産型Ⅱ号 c 型。砲塔上にはふくらんだハッチかみえる

6. 第2次世界大戦のドイツ戦車

油圧クラッチ・プレーキが配置されてい ルフレンデ 30 ジンバル・マウントに載せ 特殊型 たか、これらの多くはⅣ号戦車と共通で られ、外側に角型の装甲フレームがつい Ⅲ号戦車は生産車を改造または転用し ていたか、それ以降の型はクーゲルフレ あった て次のように多数の特殊装備型があった 工ンジン室はもちろん戦闘室とは別に ンテ 50 ホール・マウントに変更され外観 Pz. Kpfw. Ⅲ Ausf. F/G/H ウンテル なっていて、中間に防火ができる隔壁が も変っている ワーセン・タウヒパンツアー : イギリス あり、エンジンはそのうしろの車体後部 前部の 2 人の乗員のためにビジョン・ 本土上陸作戦用に考えられた潜水戦車で、 の真中に収まり、撚料タンクとバッテリ フ、ロックつきの側面バイザーかとりつけ 車体はシーリング材を使って完全に水密 ーか両側におかれ、ラジェーターはエン られているほか、車体下面に側面脱出扉 構造とし、砲塔のハッチは内側から密閉 が設けられていたが、 M 型以降は生産を ジンのうしろに 2 コ並べられていた でき、主砲や機銃孔、それにキューボラ 砲塔は手動で動き、射手がクランクを 容易にするためこれらは全部廃止された にはコム製カバーをつけて上陸直後に火 回して動かしたが、装嗔手でもできるよ 乗員の残りの 3 名は砲塔内にあり、車 薬で吹きとは、せるようにした うになっていて、 2 人が同時に操作する 長と射手は砲塔の壁にとりつけられたシ そのほか、砲塔と車体の継ぎ目は空気 と砲塔が速く回るようになっていた。車 トに坐っていた。しかし、砲塔と車体 与圧式のゴムチューフ、をつけ、エンジン 長と射手には砲塔の回転位置と目標位置 を区切るケージはない。これら 3 名の乗 の吸気部分もシールされ、砲塔の上に を示す装置かついていた 員用にはまた、側面に横開きの扉のほか、 無線器は、大戦中のドイツ戦車に共用 m のシュノーケル・チューフかとりつけ ヒションとヒストル・ホートがついてい られた。シュノーケルからエンジンの吸 だった Fu 5 かーコで、アンテナはバネつ たが、ヒストル・ホートのほうは後期型 ・排気ができるようにしたほか、乗員室 きで車体の右に立っていて、押し倒され ては廃止されている。車体の下面には駆 の換気、侵水する海水の排出のほか、海 ても元の位置に戻すことができた 動シャフトかとおり、前方にはキアホッ 上の艦船との無線連絡ができるようにア クスとタイムラー・ペンツ / ウイ丿レソン 「、軍て 」」カく アチ たツ スエ ギ面 《一イ側 5 3

7. 第2次世界大戦のドイツ戦車

外し、砲けん引や弾薬けん引用に用いら らは pz. Kpfw. 38 ( t ) を使用している部隊の を用いているほか、細部がすこし変って 指揮車として配備され、のちには自走砲 れた。使用は円 43 年から いる 部隊の指揮車に用いられたものもある しかし、円 42 年 4 月から Pz. KPfw 38 ( t ) Pz. Kpfw. 38 t) Fahrschulewagen : 旧 Aufklarungspanzer 38 ( t ) (Sd. Kfz. 140 のシャシーは全部自走砲に使われるよう 式化した戦車を訓練用に転用したもので、 / l) : 砲塔と車体上部を外し、 Sd. Kfz. になったので、戦車とし完成しないもの 円 43 年以降、多数か訓練学校に配備され 222 装甲車のオーフントッフ式ターレッ もあった。シャシー番号はⅡ田以降 ている トをつけた装甲偵察車で、円 44 年に約 70 Pz. BefWg. 38 ( t ) : 無線器を追加して指揮 Pz. Kpfw. 38 ( t ) mit HoI zvergaser: 部は前部の機銃を 台か改造されている れは珍らしい木炭車で、小数の戦車の砲 車となった車輛で、 Munitionsfahrzeug auf Fahrgestell 外し、またエンジン・ルーム上に大型の 塔を外し、木炭ガス発生器を備えてガソ Pz. Kpfw. 38 ( t ) : 標準型の戦車の砲塔を フレーム・アンテナをつけている。これ リンを節約するためのテストか行われて 38 ( t ) 戦車 35 ( t ) と異り大直径の転 輪を採用し、主砲 の 37 砲も改良さ れた長砲身となっ 独ソ戦初期、戦場に遺棄された 38 ( t ) 戦車。人物はソ連兵でエンジン を点検している。ポンネットの開 き方に注意

8. 第2次世界大戦のドイツ戦車

連合軍に捕獲された 35 ( t ) 軽戦車。操縦席はド イツ式と違い右側にあ る。車体側面にはドラ イバー用スリットがつ けられている 35 ( t ) 戦車チェコ・ス コダ社が開発した軽戦 車で、ドイツ軍に装備 されて初期の電撃戦に 参加した 侵攻作戦で活躍し、その後ロシア戦線て も使われている。しかし、ロシアではこ の戦車のステアリンク装置が圧縮空気で 作動するようになっているため、冬期に は故障が続発し、ヒーターを新しく備え なければならなくなった。これに対して 部の車体はステアリングを機械式に改 めたが必すしも成功しなかった そして円 42 年以降は第一線から退いて 訓練用や他の任務のために改造された またスロパキアとルーマニア陸軍にも配 備され、ソ連軍と戦っている この戦車は、後輪駆動ということもあ って機構か簡単なことも特徴のひとつで、 工ンジンはスコダ直列 6 気筒に 0 田の T- Ⅱガソリン・エンジンで、変速器は速、 ステアリンク、は圧縮空気を使っているの で運転は楽で、とくに長距離走行に適し ていた 車体はリペット構造で、主要部分はポ ルト止め、ホキー式サスペンションを持 ち、キャタヒラーの寿命の長いのも特徴 てあった / ヾリエーション この戦車の改造型には次の 3 種類かあ Pz. BefWg35(t): 標準型の戦車を指揮車 としたもので、強力な無線器を追加した のでエンジン・ルームの上に大きなアン テナかついている。造られた台数は少な く、全て第 6 戦車師団に配属されている。 Zugkraftwagen 35 ( t ) : 砲塔を外して牽 引車または軽車車兩の装甲回収車として用 いられたもので、牽引力は貶トンであっ 6 3

9. 第2次世界大戦のドイツ戦車

/ ヾンテノレ A 型のサスペンション・ アームトーション / ヾーにつなか り、左側から転輪をはめこむ。手 前はアイドラー・ホイール / くンテル G 型のキューホラ中に みえるハンドルはハッチを開閉す る把手。キューボラ外縁にはゴム ・ / くットを上につけたテレ・スコ ープカヾならんている パンテル G 型の上面開口部がす べて開かれており、エンジン・ル ームの中力ヾみえる ( , キューホラ・ ハッチの開き方に注意 7 2 6

10. 第2次世界大戦のドイツ戦車

0 ア事 1 ・を・物 1 941 年春、独ソ戦 にそなえて訓練中 の第 6 戦車師団第 65 戦車連隊のⅡ号 c 型戦車 N の設計を選び、この原型は Las 田 0 ( 農 が、出来上ってみると信頼性が高く、戦 Ⅱ号戦車 Pz. Kpfw. Ⅱ 業用トラクター 0 型 ) という呼称を与 車として有用なことがわかったので、生 この戦車も、本来の目的は訓練用であ えられて連合国の目をこまかし、円 35 年 産台数もどんどんふえ、円 39 年から 40 年 った から 37 年にかけて相当数の先行生産型が におけるポーランドと西部戦線の戦いに 同し訓練用には I 号戦車があるが、 造られ、テストが徹底的に行われた結果、 おいてはドイツ機甲師団の主力戦車であ れは武装もエンジンも小さくて、中型以 サスペンション、エンジンのレイアウト、 り、とうぜん装備数も最も多かった 上の戦車の訓練には不適当と判断された ドイツ軍の緒戦の大進撃はこ 装甲の厚さに大幅な設計変更が行われて つまり、 ので、ドイツ軍機械化の先覚者ルツツ将 の訓練戦車を中心にして、武装や数のう いる えで優勢な敵と対決したわけである。 軍などはこれよりすこし大型のものを整 この車は、レイアウトは運転手が車体 備する必要があると判断していた。これ 円 40 年 5 月にフランスへの侵攻が開始 の前部、コマンダーと射手か砲塔内に坐 されたときのⅡ号戦車の保有台数は 955 ならば、完成が遅れている中型戦車か登 るオーソドックスなもので、最初の型は 台といわれ、生産はその後も円 42 年まで 場するまでの急場をしのぐにも有効であ マイバッハ製水冷 6 気筒の H L 57 工ンジ 続行され、生産終了時でもドイツ陸軍の ンい 30 屮 ) をつみ、変速器は前進 5 速 った この戦車の保有数は 800 台以上だった 陸軍兵器局は円 34 年 7 月、クルッフ、 ・後退ー速の z F 系のもので、これに単 四年に入ってからは、北アフリカや M A N 、ヘンシェルの 3 社に対して要求仕 板クラッチとクロスシャフトをとおして 東部戦線で偵察を主体として使用され、 様を提示し、旋回式の砲塔に KwK302cm 前部スフロケットを駆動させて動力を伝 砲と共軸式機銃を装備した田トンの訓練 達している。 これが円 42 年まで続いた 戦車の設計提出を依頼した H E 弾も使用できない小口径の砲しか 初期の型以外は、エンジンを 0 田の これに対し最初に原型を完成したのは 持たないこの戦車は、すでに円 40 年でさ マイバッハ H L 62 とし、砲塔には KwK30 クルッフで、これは LKA - ヨ (Pz. Kpfw. I え旧式であったが、機甲師団の戦法と編 2 cm 砲を左、共軸式の M G 34 機銃を右に の原型 ) のターレットを大きくして規定 成が有効だったのと、敵の反撃が予期し つんでいる たより遙かに弱かったのがこの戦車に幸 の武装を施し、 LKA- Ⅱと呼んだ この戦車は前に述べたように、実戦に しかし、陸軍は車体が長くて低い M A 使用する目的で造られた訳ではなかった 23