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検索対象: 第2次世界大戦のドイツ戦車
157件見つかりました。

1. 第2次世界大戦のドイツ戦車

し工毛毛なて シュノレツェンをつけた Ⅳ号 H 初期型戦車。車、。事 体前面には 30mm の装甲 板か追加されている Pz. Beob. wg. Ⅳ : J 型を改造して特殊観 は同し 7 . 5 cm の L / 70 とした応急型に改 駆逐戦車とほとんど同しものもあったら 測車としたもので、Ⅲ号戦車の同し改造 造することになった。これか Pz. Ⅳ / 70 ( A また、Ⅳ号戦車の生産は円 45 年 2 で、 70 とは L / 70 砲装備という意味である 型の供給が終った円 44 年後半から少数か 月には終らして、全部駆逐戦車に切換え 造られた。キューホラの横にホール式の られる予定だったが、実際には敗戦の日 ーベルンゲンベルケで造られた 2500 ペリスコーフを持ち、砲塔の上に無線ア 台のⅣ号戦車」型のほほ 300 台か Pz. Ⅳ まで切換えは行われなかった ンテナをつけているのが外観のうえで戦 Pz. Bef. Wg. Ⅳ ( 7.5 cm KwK L / 48 ) : 70 ( A ) になっていた 円 44 年春から改造された指揮車で、約田 0 車と異なる。 この 300 台のうち、一部はⅢ号とⅣ号 台か造られた Bergewagen Ⅳ : Ⅳ号戦車の旧式車を利 の共通シャシーを用いており、個々には ↓ト 油っ実い てをたて し置しれ 造装とさ 改速動は を変駆産 型の輪生 I 動後て 号駆、車し ハ圧み験な

2. 第2次世界大戦のドイツ戦車

Kpfw. Ⅳ Ausf. D (Sd. Kfz. 161 ) . 年 9 月から完成し、細部にいくつかの改 良か施されている。 ます、ドライバー席は A 型と同様に無 線手席よりすこし前進し、そのため車体 の外形も変化している。またこの近くに ヒストル孔か新設されている。次には乗 員のハッチドアーか外部開き式となった うえに 35mm の装甲板かついている。たた し、砲塔とキューホラは C 型と同しであ る。また、車体にとりつけた機銃は A 型 と同し位置にもどされ、角型のジンバル 式マウントに収められたか、これはⅢ号 戦車とほとんど同じである そのほか、キャタヒラーの幅はすこし 広くなり、スフロケットは新しくなった 円 42 年 8 月には、「Ⅳ号戦車の初期モテ ルは、修理に工場へ戻されたときに主砲 を長砲身の 7 . 5 cm KwK40 L / 43 に換装せ がヒトラーから出された よ」という命〒 が、この改装を受けた型は F 2 や G 型と 同しレベルまて攻撃力か強化されている 改装では、砲塔にペント ( 換気孔 ) を設 け、信号ホートは板でカバーされ、ファ ン・ペントか新設され、砲塔の周囲には 装甲スカートか固定され、エンジン・コ トメントの後面には 20mm 、車体前 面には 30mm の装甲板かポルト止めで追加 ・円 39 わ一を第 3 Ⅳ号 G 型戦車の戦闘室正面は 75 mm 砲の尾栓部とその手前の同軸機 銃。左下には弾薬框かみえる 上の写真の反対側からみたところ 照準器の接眼部、砲の後座カート、 俯仰および旋回用ハントルなど Ⅳ号 G 型戦車のドライバー・セク ション左側に操縦用ペタルとハ ンドル。右側は差動ホックス

3. 第2次世界大戦のドイツ戦車

いをな他て を線ン ケか トは、れ型戦ヒて節台ちと れンで後ら ワれ 部かれ調 3 の さヒ作の は西枚らにも 備に功そ用れは 2 け由でで < 配ー成はに にはつ自台ののるツか ・年フ 、車用 を 2 も構いン台 スかた ンと置はな機てハ何 ニニロ じしアも ラに一乢き利 ラ戦の成に 上のと便同 フ兵も完も 一でるのフいると用オ車 る時歩た レ車い体ン長えれ実ビ作て あ当のれくと ン橋て車ラか使こを、エっ ては兩 はスさし車ケ架れにで - 宙〒・刀、つ・カ と車リ発ら型 ッたさ式圧やしス車ほいわ ュし用め油冓結リ橋のとは たこイてつ > るリ造使止 連ギ架こ— こ日寸かの いフ改でジてきもイう ン詳 産れャ のば 生さキ < ルそ呼 行で < ・れ o 先引と はあ ア呼 イと 完の発 にその るのに 月、ムロるすも可 6 れ 時味 年さ て一意っ Q- ル」レ」に 、圧型っ 発産なはルを式 はも生に車デ字公 型台 ルのモ文 原かセこ新頭は 型たン はの後 使レ甲スとだた て一装甲ンのた し夕、装ジもえ 工同とた の達も もし O し 6 に同てらに とのけ > > 0 豼衣つは絽 E はで連てンか ラ大 2 し一量は ヒ最 、通レ重度 タはæしをト ャ甲はくプ一か大 キ装ト厚一ワた最 パレード中の 1 号指揮 戦車。ヒトラー リーニの他トイツ国防 軍首脳の顔かみえる I 号 B 型を改造した爆発物運搬車 無線操縦のものも計画された

4. 第2次世界大戦のドイツ戦車

k9 Ⅸ号 D 型戦車 ( , アフリカ機甲軍所 属の車体て、全面サンドに塗られ ているか歴戦のため塗装の汚れか いちちるしい 上と同し車体を後方上からみたと一 , ろ。工ンシン・ルーム上面テッ、 キのカバーとクリルの様子かよく わかる

5. 第2次世界大戦のドイツ戦車

, ぃ粤淞ーを三 気管を上へ上けていて、ドライバーの前 円 42 年以後も基本的には同し自走車輛の S 型 : 最初スウェーテン向けに輸出を予 面装甲は全部 25mm 厚になっているといわ シャシーの生産を続けている 定していた 90 台の車車兩がこれで、輸出契 この戦車には次の種類の型かある れる。シャシー番号は 03 刀から 0475 。 約はドイツ軍の占領前に行われていたか、 A 型 : 円 39 年に最初に発注された型で、 E 型 : 円 40 年秋からの生産型で、Ⅲ号 H その後スウェーテンは同し車輛を Strv. ドイツの要求に合わせるため乗員数を 3 型やⅣ号 E 型と同様に装甲を大幅に強化 M / の呼称でライセンス生産すること している。前面装甲は 25mm の装甲板 2 枚 名から 4 名に増加している。最大装甲厚 で話しがつき、 39 年月には 9 0 台分の部 は 25mm 。シャシー番号は 00 田から田 50 を合わせて 50mm 、側面は 15mm 2 枚を合わ 品をドイツ軍用に生産する兪令が出され B 型 : ドイツの 2 次発注分で、シャシー せて 30mm となったか、外観からはほとん ど区別がつかない。 番号は田引から 0260 S とはスウ工ーデンの頭文字をとった C 型 : 第 3 次発注分て、外観がすこし異 このため、重量はⅡトンとなり、 もの。シャシー番号は田田から田 90 なる。初期の生産車は対フランス作戦に の車輛にはドイツ製の 3 . 7 cm 砲が装備さ G 型 : 円年末からの生産型で、 E 型や 間に合っている。シャシー番号は 02 引か れた。シャシー番号は 04 76 から 0750 F 型に似ているか、装甲板は 25mm や 15mm F 型 : 円年に造られ、 E 型とほほ同し ら 0370 を 2 枚重ね合わせたものではなく、はし D 型 : 詳細は不明だか、 たが、後部に排煙孔をつけていない。 部の車輛は排 めから 50mm と 30mm の厚さに造られたもの イギリスの戦争博物館におかれている 38 ( t ) 戦車。車体銃のマウントが失 われている。砲塔キューボラの前方にある円筒型のものはペリスコープ 第い : 第

6. 第2次世界大戦のドイツ戦車

ーな 11 Ⅳ号 H 初期型戦車 を上面からみたシ ン。シュノレツェ ンのとりつけ方か よくわかる。主砲 の 75mm 砲はさらに 長い 48 口径となっ 上と同し車体の後 ンユノレツェン の固定アーム、露 出しているアイド フー・ホイールの ンヤフト・フラケ ットなどに注意 左側の , 、ネ上げ式 フェンターは失わ 諸れている

7. 第2次世界大戦のドイツ戦車

1 944 年、フランスにおける s s 第 2 戦車師団第 1 2 戦車連 隊 " ヒトラー・ユーケント " 所属のⅣ号 H 型戦車 い第ン第を Ⅳ号戦車の生産に専念し、 J 型を造った Panzer Ⅳ / 70 ( A ) (Sd. Kfz. 162 / 1 ) : 大戦末期になると、フォマークか開発し このタイフはドイツ降伏のときまで生産 たⅣ号駆逐戦車かすぐれた攻撃力を持っ か続けられ、この戦車の最初の項で説明 したように、 DKW 500 cc 工ンジンを外し ていることから、ヒトラーはⅣ号戦車の て撚料タンクを増設し、射手用以外の砲 後者の例としては、牽引金具をⅢ号」 塔のビジョン・ホートを廃止し ( 生産を 型と同し側板と一体に張り出したものに 容易にするため ) 、砲塔は手動で動かす しているのか拳げられる。 生産を円 44 年 7 月に中止して、完成した ようになっている。 すべてのⅣ号戦車もこれに改造すること ただ、基本的には H 型と同しで、側面 を強く要求した。しかし、この頃月産 300 のスカート・フレートは残されている。 台に達していたⅣ号戦車は、部品メーカ もっとも、後期型では車体部分のスカー ーに相当の先行発注が行われていて、す トは太いワイヤで編んだ網に代えられ、 ぐに駆逐戦車に切換えることは不可能で リターン・ローラーは 4 コから 3 コに減 あったので、生産中止は 45 年 2 月とし、 っており、さらに排気系統が簡易化され、 その間に完成したⅣ号戦車はアルケット 金具の多くはⅢ号戦車とかなり共通化さ 社が設計した車体上部構造をつけ、主砲 れている

8. 第2次世界大戦のドイツ戦車

、、傑作戦車〃との定評を得ていた 車体は、車框部・前部構造・後部構造 ・砲塔の 4 つに分けて組立てられたあと ポルト締めして一体にされた。車体内部 2 コのバルクへッド ( 仕切板 ) はまた、 で 3 つの部分に分割され、後部のエンジ ン・ルームからドライフ・シャフトが真 中の戦闘室の下をとおって、前部にある クラッチとキャポックスに連結されてい 工ンジンは、同時代の他のドイツ戦車 と同しマイバッハ製で、水冷 4 サイクル V 型気筒力、ソリン式で、最初は出力 25 0 田だったか、のちには 320 屮に強化さ れている。ラジェーターはエンジンの横 にあって、冷却用空気はエンジン・カバ ーの横の右側グリルから吸入され、ラジ 工ーターを通ったのち、左のグリルから 左に抜けるようになっていた なお、エンジンは別に発電機を駆動す るために DKW 500 cc ・ 2 サイクルの補助 工ンジンが主工ンジンの左側にとりつけ られており、これで砲塔などを動かすよ うになっていた。この方法の場合、主工 ンジンが故障したり、停止中でも、電気 系統はいつも動かすことができるという 利点かあったが、後期生産型では、航続 距離を延ばすためにこれをとりはすして こに燃料タンクを増設している 撚料タンクは砲塔のバスケットの下に い丿し 1 941 年 1 1 月、北アフリカにおいてイキリス軍に捕獲され、点検を受けるハ号 E 型戦車。車 体前面の追加装甲板、 24 口径 75g 砲などに注意 = , 機銃の右側に D A K のマークかみえる / 2

9. 第2次世界大戦のドイツ戦車

EQUIPMENTS い一 4 対戦車砲として、また戦車につまれて連合軍戦車を恐怖 におとし入れた 88 砲。もとは高射砲として開発された < ドイツ戦車の主な装備について 共軸の機銃としては、ベルト給弾式の M G 34 かあり、これは射手がヘダルを踏 G 34 機銃を共軸式にとりつけるようにな むと発射てきる < 主砲 > っていて、照準器は TZF 9 b で、射程は A 照準器は TZ F 5 f か用いられ、射程ス PCBC 弾と MG 34 用のものが照準器内に ケールは A P C B C 、 H E それに A p 40 の 3 ドイツ戦車の主砲は 2 cm から 8 . 8 cm ま 種類か利用てきる。ただ、 MG34 は射手 スケールで表示されていた ( 。しかし、 H でいくつかの種類かあったか、それらは のカンて射程を計るようになっていたし、 E 弾用には砲の傾斜計を用いるようにな 共通して操作かセミ・オートマチック ( 半 発煙弾は H E スケールを利用して簡単な 自動式 ) で、発射は電気式に行われ、補 って不便だったが、連続発射のときは車 十算で求められるようになっていた 体側についている測距儀と望遠鏡を使っ 助として撃針を使って発火することもて 使用砲弾 て精密な照準かてきるようになっていた きるようになっている 口径を c 卩 1 ( センチメートル ) て表現し 使用砲弾 APCBC: Pzgr. 39 と書かれ、黒色 ているのは、当時のドイツかこの表示方 APCBC: Pzgr. 39 と書かれ、黒色 端部は A P 40 : Pzgr 4 0 と書かれ、黒色 成形炸薬弾 : Gr. 38 と書かれ、オリーフ・ 白色 法を用いていたためて、現在一般に用い られている mm ( ミリメートル ) 表示より AP40 : Pzgr 40 と書かれ、男色 クリーン 発煙弾 : Nb と書かれ、オリーフ・グリー : Spgr. と書かれ、黄色 セロかひとつ少い。なお、ドイツは現在 H E 成形炸薬弾 : Gr. 39 H ーと書かれ、 オリ でも火砲については cm 表示を続けている フ・グリーン 8 . 8 cm KwK 3 6 L / 56 これは、ティーゲル Ausf. E に装備さ れた威力の大きな主砲て、もとはといえ は Flak 絽と 36 対空砲に少し改修を加え て採用したものて、改修のなかには発射 に撃針を用いていたのを電気式に切換え たことも含まれている また、この主砲には同しマウントに M 一三ロ 7 .5cm KwK L / 24 7 .5cm KwK40 L / 43 Pz. Kpfw. Ⅳの初期型と pz. Kpfw. Ⅲの最 終型に装備された短砲身て低初速の主砲 Pz. Kpfw Ⅳの Ausf. F2 以降に装備され 共軸機銃には、他の主砲と同しく MG た大戦後半の長砲身高初速砲て、初期の 34 を用い、照準器は 5 cm 砲と同し望遠鏡 部はシングル・バッフル式のマスルフ 式の TZF 5 b である レーキをつけていたか、それ以降はタフ 使用砲弾 ルのものになっているなお、 L / 48 はこ の砲の改良型である APCBC: 7 . 5cmPzgr. と書かれ 、黒色 8

10. 第2次世界大戦のドイツ戦車

1 940 年冬、独ソ戦にそ なえて訓練中のⅢ号 E 型戦車。塗装はターク ・クレーの車体に大き な白フチっきの数字を 書いた当時の標準的な もの と また前端のハッチは一部の車輛では円形 のものになっている。円 37 年から 38 年に かけては 5 台が改造されて 7.55 砲装備 の Stuk auf Fgst . KPfw. Ⅲ (stuG Ⅲ ) となっている。シャシー番号は 602 田か ら 60 幻 5 。 Typ 3a/ZW/Pz. Kpfw. Ⅲ Ausf. C. 円 37 年から 38 年に Typ2 / ZW と並行して 台造られた型で、サスペンションを変 えて、内側の 2 組の車輪を半楕円形リー フスフリングで結合し、前後の車輪は独 立の半楕円形リーフスフリングに支えら れている 1942 年、北アフリカにおける第 1 5 戦車師団第 5 戦車連隊のⅢ号 G 型 シャシー番号は 603 田から 60 引 5 。 戦車。主砲は 42 口径 50 mm 砲を装備している Typ 3b/ZW/Pz. Kpfw. Ⅲ Ausf. D ンションにはトーションバーを採用して Sd. Kfz. 141) : Ⅲ号戦車の最初の生産型 /ZW と同し仕様に直されて、Ⅲ号 D 型と いるか、これは同し年に同社か DB9 とい で、円 38 年に同型式の指揮車輛とともに 呼ひ名まで変えられている。ドイツ側の うトンのハーフトラックのほかⅡ号戦車 30 台すつ造られた。サスへンションは C 公式記録によると、このとき前面装甲は の D 型と E 型に採用して好成績だったた 型とすこし変って、前後の車輪へアの半 30mm になったことになっているか、写真 めで、以後のⅢ号戦車はすべてトーショ 楕円形スフリングは上へ折曲げてとりつ で判断する限りは一部の車車兩、それも、 ンバーを標準とするようになる けられている。また、燃料タンクはそれ 元は Typ 2/ZW であった。シャシー番号 ZW 38 にはこのほか、前面と後面の装甲 までの型が 2 コだったのを 3 コに増設し は 602 幻から 60225 の中に多かったよう たので、燃料容量はに 52 から 2502 に を 30mm に増強し、運転手のバイザーと車 である 体機銃のマウントを再設計している。し 増加している ホーランド作戦では、初期の zw 型原 かし、これらの改修で重量が増加したた 前面の装甲は最大で 30mm と厚くなり、 型と改良型がすべて参加しているが、Ⅲ め、エンジンは 320 田の HL に 0 TR V 型 キューホラに装甲も施された 号戦車という呼称が採用されたのはちょ 貶気筒Ⅱ , 900CC のものとなり、デフには シャシー番号は 602 幻から 60255 。 うどこの円 39 年 9 月である 並行生産された指揮車車兩は、 TYP3c 新型のフレセレクターっきシンクロメッ ZW 38/Typ 4/ZW/Pz. Kpfw. Ⅲ Au シュ式のもの、変速器には前進田速・後 ZW と呼はれるもので、 Typ 3b/ ZW が部 sf. E コ 938 年にダイムラー・ペンツか提 退 4 速のバリオレックス SRG 328 ー 5 を 隊配属になったとき、初期の Typ 2ZZW 出した大幅改良型で、 zw 38 と呼ばれた と 39/ZW のサスへンション、エンジン、 初期の ZW 型では、半楕円形リーフスフ つけた サスペンションは、走行車輪か片側に 装甲およびキューボラを改修してほほ、 3b リングか不評であったことから、サスペ