Kfz - みる会図書館


検索対象: 第2次世界大戦のドイツ戦車
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1. 第2次世界大戦のドイツ戦車

が小さいサウコップ ( 豚の頭 ) 式のもの になり、新たにステレオ式照準器と主砲 のジャイロ安定装置が標準装備となった バンテルⅡはまた、全車が指揮車とし ても使えるように計画されていた 円 44 年末には原型が完成して古いまま の砲塔をつんでテストか行われたが、当 時は生産も混乱しはじめていて、ついに 生産には入らなかった 圧 f. PzWg. パンテル (Sd. Kfz. 267 およ び 268 ) : これらは、戦車タイフの A 、 D または G 型に無線器とアンテナを追加し て指揮車としたもので、携行砲弾数は 64 発に減っている。追加された無線器は、 Sd. Kfz. 267 が Fu 5 と Fu 8 、 Sd. Kfz. 268 か Fu 5 と Fu 7 である Beob. PzWg. /くンテル (Sd. Kfz. 172 ) : 旧式化した戦車の D 型を改造して、自走 砲部隊の指揮官やスタッフ用にする計画 で開発された。砲塔は固定され、主砲は 外して木製のダミイをつけ、砲塔内には 地図テープルを設け、主武装は砲塔前面 のポールマウント式 M G 34 機銃だけであ った。原型が一台造られただけで、生産 には入らなかった。 Bergepanzer / ヾンテル (Sd. Kfz. 179 ) : バンテル戦車を回収するために造られた 大型回収車である。クルスク攻撃戦で故 障などのため立ち往生したバンテル戦車 は、それまでの絽トン・ハーフトラック の回収車では容易に動かすことができず、 ドイツ軍は多数のパンテルを戦場に放棄 しなければならないという大損害を出し このため、砲塔を外してオープントッ フにした車体に電動ウインチをつけ、ま わりを木枠とキャンバスで蔽って雨のと きでも作業できるようにした車輛がヘン シェル社で製作された。生産はのちにデ マク社に移管されて 300 台以上が造られ ている 回収作業のためには、ほかにエンジン ( 区入トママ 6 一・回齧鋻 ) 9 ・」@M4ued A ・・ Zd 3

2. 第2次世界大戦のドイツ戦車

Ⅲ号 L 型戦車。砲 塔後部の雑具箱の 下かくびれている のは、砲塔にある 後方用司占視ロの視 界を妨げないため : 円 43 年に鉄道の軌道上を走れるよう の生産ラインのあいだに入れて造られた から 7 田 75 までの H 型。 に改造した型で、キャタヒラーの下に鉄 このうち、 E 型の一部の後期型は細部 指揮車で、大戦中にすっと続けて生産さ 道用の車輪が張り出していて、東部戦線 か戦車の G 型と同じになっていたし、 H れている。最初のロットはシャシー番号 で少数か鉄道の防衛に用いられた 603 から 60370 までの D ー型 (Typ 3c/ZW) 型は最初は 3.7 cm のダミイ砲をつけてい クロッサー・ / くンツアーベフェールスヴ たが、のちには戦車の」型とほとんど同 で円 38 年から 39 年の生産、次はシャシー ーケン III/Gr PzBefWg. Ⅲ (Sd. Kfz. しになって、いる 番号 605 田から 60545 までの E 型で、円 39 266 , Sd. Kfz. 267 , Sd. Kfz. 268 ) : 戦車 さらにその後には円 42 年から 43 年にか 年中期から円 40 年まで生産、最後は 700 田 しいーー 上の写真と同じ車体 てあるか、防楯の装 甲板かはすされてい この装甲のつけ 方からスペースド アーマー式の増加装 甲てあったことがわ 5 8

3. 第2次世界大戦のドイツ戦車

6/LaS138/Pz. Kpfw. II Ausf. D(SG Kfz. 1 2 1 ) : 高速戦車を開発するため、ダ イムラー・ペンツ社か円 38 年に試作した もので、車体を全く新しくし、ハッチ類 は当時開発中だったⅢ号戦車を小型化し たものに改められ、乗員は 3 名から 4 名 に増加している。 また、サスペンションもトーションバ ー式となり、ロードホイールが大型化す るなど、大幅に改良されているが、砲塔 は C 型までと同じものであった 7/LaS 100 / pz. Kpfw. II Ausf. C (Sd. Kfz. 1 2 1 ) : c 型は B 型までと基本的には 同じもので、エンジン冷却とか視察ポー ドライバー用の 50mm 装甲ガラスなど か改められているにすぎない。生産は、 円 38 ~ 39 年で、シャシー番号は 260 田か ら 270 田。 しかし、連合軍の本格的な反撃が開始 また、砲塔がいくらか設計変更された され、また独ソ戦がはじまるといちどに ほか、車体前部はすこし拡げられて運転 その弱点をさらけ出し、円年から 42 年 室が広くなった。このため重量は 8 . 9 ト の東部戦線では手痛い損害を受けている。 ンに増大している。シャシー番号は 2 Ⅱ 0 ーから 23000 。 / ヾリエーション この頃になると、Ⅱ号戦車の生産工場 l/LaS 100 / Pz. Kpfw. II( 2cm) (Sd. は M A N のほか、フアモ、 MIAG 、ヴェク Kfz. 121 ) / Pz. Kpfw. II Ausf. a 1 マン、ヘンシェルも加わっている れがマイバッハ H L 57 工ンジンをつんだ 4/LaS 100 / Pz. Kpfw. Ⅱ Ausf. A(Sd. 最初の生産型で、円 35 年の生産。ロード Kfz. 121 ) : これがⅡ号戦車の最初の量産 ホイールはポキー式にガーダー式ビーム 型で、ドライバーのバイサーか新しくな リーフ・スフリングをとおしてとりつ っている けられ、車体前端は円形になっている。 シャシー番号は 230 田から 24000 。 シャシー番号は 200 田から 20025 。 5/LaS100/Pz. Kpfw. II Ausf. B . A I/LaS 100 / Pz. Kpfw. II Ausf. a2(Sd. 型とほとんど同じで、この後の C 型も大 きな違いはない。緒戦で大活躍したのは Kfz. 12D : 全体は引型に似ているが , この型と C 型である。シャシー番号は、 却系統の細部とエンジンルームが変更さ 240 田から 260 田。 れている。円 35 年の完成で、シャシー番 号は 200 凵から 20025 。 1/Las 100 / pz. Kpfw. II Ausf. a3 . 円 36 年に造られた追加先行生産型で、キ ャタヒラを改良し、サスペンションを強 化し、冷却系統を改良している。シャシ 一番号は 20026 から幻 000 。 2/LaS 100 / Pz. Kpfw. Ⅱ Ausf. b: れも円 36 年に造られた型で、エンジンを パワーアッフした H L 62 とし、キャタヒ ラを改良、駆動歯車やスフロケットを新 しくしている。 このため、重量は 7.9 トンに増加して いるが、装甲はまだ図 . 5mm のうすいまま である。シャシー番号は幻 000 から 2 Ⅱ 00 。 b 型は a 型とは車体前部が丸く膨らん でいるほか、車体後部は角形の空気排出 グリルをつけて延長していることか違っ ている 3/LaS 100 / pz. Kpfw. Ⅱ Ausf. c(Sd. Kfz. 121 ) : 円 37 年に造られた大幅改良型 で、サスペンションとガーダーが変った ほか、小型のボギーは大型の円板形ロー ドホイールとなり、以後の型はすべてこ の型式に統一されている。 ーイ第 し c 0 Ⅱ号戦車の防楯内側。上の写真で中央につき出しているのがテレス コープの接眼部。下も同じで、左側には 20g 砲、右側には M G 34 の 支持架が装着されている 25

4. 第2次世界大戦のドイツ戦車

ル″ルルレルレ ( ラ弖 ) 0000 化が次々と実施されている。 潜水能力を切捨てたことは前述のとお 部の初期型を除い りだが、このほか、 てとりつけられていたファイフェルとい うェアクリーナーは北アフリカや東部戦 線では必要と見なされていたにもかかわ らす、円 44 年春頃からは外されてしまい、 また車体上に歩兵の攻撃に備えてとりつ 、、 S ″地雷投てき器も同様な運 けていた 命をたどった 一方、初期型では脱出ハッチが設けら れず、ヒストル発射孔が 2 コあったか、 間もなく砲塔左後方に脱出ハッチが設け られるようになり、砲塔上には装士眞手用 のペリスコーフが一コ、生産ずみの車車兩 にもさかのばってとりつけられている。 円 44 年春からは、ティーゲル B 型とバ ンテルと装備を共通化するために大幅な 変更が実施されている。円筒型のキュー ボラは、ティーゲル B 型と同じ 7 コのペ リスコーフを持つものに代り、また装嗔 手のペリスコーフは廃止され、 S 地雷投 てき器に代って砲塔上に榴弾投てき器が とりつけられ、円 44 年春からは、従来の ゴムタイヤつきの転輪に代って、鋼製タ イヤつきの転輪が使われている。 工ンジンは、最初の 250 台まではそれ までと同じ 2 匚 33 2 で 642 田を出すマイバ ッハ HL 幻 0 だったが、以降はティーゲル B 型やバンテル A 型と C 型と同じ 23 . 88 2 で 694 田を出すマイバッハ HL 230 と なっている Pz. BfWg ティーケル Ausf. E (Sd. Kfz. 267 または 258 ) : これは、ティーゲルの 指揮車型で、外観はアンテナが砲塔上に いくつかついている以外は戦車タイフと 同じで、少数だけ生産されている。追加 した無線機は Sd. Kfz. 267 では Fu 5 と Fu 8 、 Sd. Kfz. 258 では Fu 5 と Fu 7 。 ベルケ / ヾンツアー・ティーケル Ausf. E (Sd. Kfz. 185 ) : 戦車型の主砲を外し、砲 塔の向きを田 0 度変え、砲塔後部にウイ ンチ、前部にワイヤーローフ・ガイドを つけて回収車にした改造型で、少なくと も一台が造られている ( 改修は部隊で行 われたと思われる ) 。 ラム・ティーケル ( p ) : ホルシェ・ティ ーゲルのシャシーに巨大なタートルバッ ク式の上部構造物を載せて、市街戦のと きに建物を破壊することを狙っていた レニングラード攻防戦の結着がつかない 3 Pz. Kpfw. Ⅵ Tiger ( 初期型 ) ー 05

5. 第2次世界大戦のドイツ戦車

間が落ちないように周りに保護レールを 改造はダイムラー・ペンツの手で行われ、 なり、ロード・ホイールが一コ増やされ この車は車高か匚 4 m つけている 引台か造られた るとともにアイドラー・ホイールはすこ これを使用したのは、 NSKK ( 国家社会 し高い位置に上げられ、車体前部も変速 と低く、うしろに軽トレーラーを牽引す 主義者自動車部隊 ) である 機の改良にともなって僅かに上へ上った ることもできた クライナー・ノヾンツアーへフェールスワ Pz. Kpfw. I ( A ) シュレッ / く一 : それま 機銃の防楯は内側式に改められている。 ーケン (Sd. Kfz. 265 ) / K 1 pz. BfWg 生産は円 35 年から開始され、 I 号戦車 で使用されていたートンのハーフトラッ (Sd. Kfz. 265) : Kpfw. I の A 型と B 型を としては最も多く造られた。シャシー番 クに代って登場した回収車で、 円 40 年か 改造して指揮用としたもので、一 K ー B 、 ら一部の機甲部隊に配備されている。シ 号は 478 から田 500 まで。 Pz. Kpfw. I (Sd. Kfz. 101 ) Ausf. A/ 2 K ー B 、 3 K ー B の 3 種類があり、 B 型の リーズとしては先の弾薬輸送車のバリエ シャシーを用いたもの ( 約 200 台 ) が最 B フラム : A 型と B 型の少数を改造して 一部は Ausf. A のシャ ーションである 火焔放射戦車としたもので、このため右 も多く用いられた シーを使っているが、これでは出力不足 これは、装甲車輛部隊の指揮官か部 側の機銃が外され、ターレットには放射 で牽引力が不充分だとわかり、その後の 隊と行動をともにするために造られたも 用燃料タンクがつけられている。 多くは Ausf. B のシャシーを利用してい ので、最初の数台は角型のターレットを 円年に北アフリカ戦線に登場したか、 持っていたが、それ以後は固定式の角型 東部戦線でも使用されたと思われる。 ドライバ ファールシュレワーケン I のものになっている。乗員は 3 名で、室 Pz. Kpfw. I (A) ムニチオンス・シュレ ーの訓練用に Ausf. A と B を改造して造 内には地図テープルーコのほか、 Fu 6 と ッパー (Sd. Kfz. 1 1 1) : これはターレッ られた車輛で、ターレットと車体上部は Fu 2 の無線セットが一コすすあり、バッ トを外して天井にカバーをつけて、弾薬 全部外され、一部はクロスカントリー時 テリー充電用には専用のモーターがあっ 輸送車としたもので、円 39 年に造られた にオープン式の戦闘室に搭乗している人 1 号 B 型戦車初期の電撃戦では活躍し。たが、独ソ戦開始の頃から第一線から退いた

6. 第2次世界大戦のドイツ戦車

II 号 A 型戦車の砲塔前面。 X 印 2 つは第 6 戦車師団のマークだか、 これはイギリス側て書いたもの 多いが、これは敵の目をあざむくためだ ったと思われる。 Pz. Kpfw. Ⅱ Ausf. H と M(Sd. Kfz. 121 ) : これらはⅡ号戦車の最終型だが計 画のみに終っている。工ンジンを 200 田 のマイバッハ HL-P とし、装甲を 30mm に 強化し、轍距を拡げ、砲塔は 3 人を収容 できるように大きくし、最大速度は 65km /h を出せるようにする計画であった 式作は円年 9 月から開始され、 42 年 7 月から生産に入る予定であったか、 れは中止されて II 号戦車の生産自体も間 もなく終了している。 Pz. Kpfw. Ⅱ ( フラム ) (Sd. Kfz. 122 ) : 火焔放射戦車への改造型で、円 39 年に計 8/LaS138/Pz. Kpfw. Ⅱ Ausf. E(Sd. 画がたてられ、同年に 3 台、翌 40 年には 中頃まで約 500 車兩が生産されているが、 Kfz. 1 2 1 ) : E 型は D 型と似ているが、キ 85 台が Pz. Kpfw. Ⅱ Ausf. D と E を改造し すでに完全に旧式化したこの戦車かこれ ャタビラがハーフトラック類に用いられ て造られている。これは東部戦線で火焔 ほどまでも造られたのは、円年以降に たゴムバッドつきのニードル・ローラー 放射戦車が必要になったためで、その要 機甲師団を 26 コ師団に大拡張するには、 ・べアリングつきとなり、これにともな 望を満たすため戦車としては性能が必ら 新型のⅢ号やⅣ号戦車を造っていたので って駆動スプロケットや車輪も変更され すしも良くなかったこれらの戦車をあて は生産が間に合わなかったためである。 ている。シャシー番号は 278 田から 28000 。 F 型の後期のものには、砲塔後部に格納 ることになったものである 箱を追加したほか、ダミーの運転手バイ 円 39 年のポーランド作戦終了後に、そ 放射装置は車体前部左右の小さなター サーとヒストル・ホートをつけたものが れまでの主な生産車は前面に 20mm 装甲板 レット 2 コにノズルをつけ、 2 ~ 3 秒の を追加して厚さを 35mm としたので、この 部分の形が変っている また円 40 年末からは、 F 型と同じキュ ーボラを追加したものが多くなったので、 外観からだけでは各型の識別が非常に難 かしくなった 9/LaS 100/PZ. Kpfw. Ⅱ Ausf. E(Sd. Kfz. 121 ) : Ⅱ号戦車の最終生産型で、実 戦の経験を生かし、また偵察能力を向上 する改良が多く施されている。 前面装甲の厚さは最初から 35mm となっ たのはもちろんのこと、側面の厚さも 20 mm に増強され、ビジョン・フロックが 7 コもついたキューボラか新設されている。 ただ、重量が 9 . 5 トンにも達したため、 スヒ。ードが少し落ちたが、防弾を優先す るためには止むを得ないとされた 生産は円年 3 月からはじまり、 42 年 1 0 0. ↑ターレットを下からみたところ コ - 冫ンタ ース・キューホラ→ 0 26

7. 第2次世界大戦のドイツ戦車

Pz. Kpfw. III Ausf. L ( 第 21 戦車師団・ 1943 年春北アフリカ ) けて K 型 ( L / 60 5 cm 砲装備 ) が田 0 mm 装 そして、 K 型になると、無線器を移す てダミイ砲がつけられ、中央にはポール 甲つきキューボラや追加バイザーを装備 だけで戦車から指揮車に早変りできるよ ・マウント式の機銃が一丁とりつけられ して登場した。これは、 M 型戦車の改造 うになった。車には 5 cm 砲のほか地図テ ていた ープルや観測ペリスコープ ( キューホラ である 車内にはこのほか、 Fu8 と Fu4 無線器 そして、円 43 年以降、Ⅲ号戦車が師団 の前にとりつける ) があり、装嗔手は無 や拡声器、ペリスコープ式の双眼鏡など から退役すると、 L 型戦車のおよそ 3 分 線手としても働けるよう訓練されていた を備え、自走砲中隊の指揮コントロール の 2 に相当する多数が、ウンバウ Pz. Bf これだと、指揮官は必要に応じて指揮車 に重用されている Wg. Ⅲ Ausf. L という指揮車に改装されて を変更できるという大きな利点があった 乗員は 4 名。のちには、 L 、 M および いる ( ウンバウとは改装の意味 ) 。 このタイフはまた、積んた無線器の種 N 型からも改造され、そのときは主砲を このうち、 D ー型と E 型は砲塔を前方に 類によって次の 3 種に分類された つけたままであった 向けたまま固定して、 3.7 cm 砲に似せた Sd. Kfz. 266:Fuロ ( 大隊、連隊用 ) Pz. Kpfw. Ⅲ (PaK7.62cm ( r ) ) : これは ー砲をつけ、実際の火器は車体銃と Ⅲ号戦車を捕獲したロシア軍が、 T 34 戦 Sd. Kfz. 267 : Fu13 、 Fu 6 、 Fu 8 砲塔上の旋回機銃一丁だけであった。そ ( 師団用 ) 車と同し 7 . 62cm 砲を装備したものを、ド して、ビストル・ポートには車内から機 イツ軍か再捕獲して用いたときにつけた Sd. Kfz. 268 : Ful 3 、 Fu 6 、 Fu 8 、 Fu 7 銃が発射できるようにし、車体後部デッ ( 地対空連絡用 ) 呼称で、ソ連側の呼称は SU76i0 キ上には大きなレール型のアンテナがつ これらの車輛には別に、各戦車間の連 改造された車車兩は砲塔が外されて、車 いたほか、ロッド型アンテナ 2 本と星型 絡用無線器も備えていた 幅一杯に近い固定装甲をつけ、上部は開 アンテナー本 ( 9 m のウインチ・マスト / くンツアーベオパ / 、ツンクスワーケンⅢ 放式になっていて、実質的には突撃砲で 上にとりつけ ) か追加されていた /Pz. BeoWg. Ⅲ (Sd. Kfz. 143 ) : 円 43 年 あった。このためもあって、装甲板は前 しかし、これ以降の型はレールと星型 に戦車型を改造して造られた特殊装甲観 面か 30 から 40mm 、側面が田 mm から 15mm に のアンテナを外して普通のマスト型アン 測車で、改造されたのは主に E 、 F およ なっている テナをつけている。 び G 型で、砲塔の右には中央線から外れ 5 9

8. 第2次世界大戦のドイツ戦車

/ 2 / 3 = 4 ま編紀こ行・当な トフルク攻防戦においてイギリス軍に捕獲された第 5 軽機甲師団 1 号 A 型戦 車。車体横のアンテナ・ケースが失われ、アンテナは前方に倒されている ーランド、フランス戦などに参加したか、 もともと主力戦車としては火力か劣るこ の戦車が、歴史に残る快進撃をみせたの は、ドイツ側が戦車を師団、軍団単位に 集中したのに対し、相手か戦法や訓練に おいて戦車を主兵力として扱わなかった ことか大きな原因になっている I 号戦車の生産はクルップの他、 M A N 、ヘンシェル、ウエグマン、タイムラ ・ペンツの 4 社があたり、総生産数は 円 39 年までに約丐 00 輛、その後改良型の ための車体が若干数生産された / ヾリエーション LKA 1 : クルッフ製の原型で、円 34 年に 3 台だけ試作。 1 A LaS クルップ /pz. Kpfw. I (MG) (Sd. Kfz. 101 ) Ausf. A: 円 34 年生産の最 初の生産型で、クルッフ製の原型をベー スにして、生冷工ンジンを積み、車体と サスペンションが短い シャーシ番号は 8000 から田 477 。 1 B LaS マイ / Pz. Kpfw. I (MG) (Sd. Kfz. 101)Ausf. B . 前者より車体か長く 3 2 / こ ) プ ( 0 ( 0 7 ′ 8 「 1. ′プ / イ′をプ′ IO I 号 A 型に装備されたクルップ M 305 空冷ガソリンエンジン

9. 第2次世界大戦のドイツ戦車

外し、砲けん引や弾薬けん引用に用いら らは pz. Kpfw. 38 ( t ) を使用している部隊の を用いているほか、細部がすこし変って 指揮車として配備され、のちには自走砲 れた。使用は円 43 年から いる 部隊の指揮車に用いられたものもある しかし、円 42 年 4 月から Pz. KPfw 38 ( t ) Pz. Kpfw. 38 t) Fahrschulewagen : 旧 Aufklarungspanzer 38 ( t ) (Sd. Kfz. 140 のシャシーは全部自走砲に使われるよう 式化した戦車を訓練用に転用したもので、 / l) : 砲塔と車体上部を外し、 Sd. Kfz. になったので、戦車とし完成しないもの 円 43 年以降、多数か訓練学校に配備され 222 装甲車のオーフントッフ式ターレッ もあった。シャシー番号はⅡ田以降 ている トをつけた装甲偵察車で、円 44 年に約 70 Pz. BefWg. 38 ( t ) : 無線器を追加して指揮 Pz. Kpfw. 38 ( t ) mit HoI zvergaser: 部は前部の機銃を 台か改造されている れは珍らしい木炭車で、小数の戦車の砲 車となった車輛で、 Munitionsfahrzeug auf Fahrgestell 外し、またエンジン・ルーム上に大型の 塔を外し、木炭ガス発生器を備えてガソ Pz. Kpfw. 38 ( t ) : 標準型の戦車の砲塔を フレーム・アンテナをつけている。これ リンを節約するためのテストか行われて 38 ( t ) 戦車 35 ( t ) と異り大直径の転 輪を採用し、主砲 の 37 砲も改良さ れた長砲身となっ 独ソ戦初期、戦場に遺棄された 38 ( t ) 戦車。人物はソ連兵でエンジン を点検している。ポンネットの開 き方に注意

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て、しゅうふんな活躍かできなかったと D 型の生産台数は約 600 台 いわれる のとりつけ位置 出しは車間標示灯 左雑具箱下の張り 本失われている。 電用マフラーが 1 って左側の補助発 みたもの。車体向 体を真うしろから 前ページと同 - じ車 に代って双眼鏡式の照準器がついた。ま にふえている。さらに望遠鏡式の照準器 れた ) 、ホイールのナットは田コから 24 コ ことが多くて実戦部隊がさんさん悩まさ ものとなり ( D 型ではホイールか割れる ト式で防禦板がっき、ホイールは丈夫な れた。また車体用機銃はポール・マウン つけた新型となり、表面に丸味かつけら キューホラは装甲つきへリスコーフを あちこちで改良されている。 ると引続いて生産に入った型で、細部が Kfz. 171 ) : 円 43 年 7 月に D 型の生産が終 Pz. Kpfw. V / / くンテル Ausf. A (Sd た、生産を容易にするため射撃孔兼用の薬 莢銃弾投出孔は廃止されている ( これで砲 塔も頑丈になった ) 。工ンジンや変速器の 不調は懸命の対策の効果が出てその後次 第に減少し、生産台数は約 00 台に達し Pz. Kpfw. / くンテル Ausf. G (Sd. Kfz. 1 7 1 ) : 四 44 年 2 月には、、、 V 号戦車バンテ ル〃という呼称に代って、、バンテル戦車 " という呼称か用いられるようになったか、 ちょうと、時を同じくして、改良された G 型が出てきた このタイフは、円 43 年 2 月以来研究さ れていたバンテルⅡ型とタイカー II 型の 改良点のいくつかを採り入れていて、車 体側面はそのうしろの燃料タンクを止め て一板の装甲板で造るようにしたのて防 弾がうまくできるようになり、同時に板 の厚さは 40mm から 50mm となり、傾斜は 30 度から 40 度に増加した ドライバーのヒ ジョン・ハッチは廃止されて回転式ヘリ スコーフか代りにつき、ドライバーと無 線手用のヒホット式ハッチはバネつきヒ ンジ式のものになった 後期モテルではさらに主砲防楯のテー バーを少なくした。これは前期モデルだ と、砲弾か当りようによっては下側に入 って車体に被害を与えたからてある また、車内の弾薬室は砲弾収容量を 79 発から 82 発にふやしたほか、スライド式 の装甲扉をつけ、スカート ・アーマーの とりつけ方も改良された