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検索対象: 第2次世界大戦のドイツ戦車
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1. 第2次世界大戦のドイツ戦車

EQUIPMENTS い一 4 対戦車砲として、また戦車につまれて連合軍戦車を恐怖 におとし入れた 88 砲。もとは高射砲として開発された < ドイツ戦車の主な装備について 共軸の機銃としては、ベルト給弾式の M G 34 かあり、これは射手がヘダルを踏 G 34 機銃を共軸式にとりつけるようにな むと発射てきる < 主砲 > っていて、照準器は TZF 9 b で、射程は A 照準器は TZ F 5 f か用いられ、射程ス PCBC 弾と MG 34 用のものが照準器内に ケールは A P C B C 、 H E それに A p 40 の 3 ドイツ戦車の主砲は 2 cm から 8 . 8 cm ま 種類か利用てきる。ただ、 MG34 は射手 スケールで表示されていた ( 。しかし、 H でいくつかの種類かあったか、それらは のカンて射程を計るようになっていたし、 E 弾用には砲の傾斜計を用いるようにな 共通して操作かセミ・オートマチック ( 半 発煙弾は H E スケールを利用して簡単な 自動式 ) で、発射は電気式に行われ、補 って不便だったが、連続発射のときは車 十算で求められるようになっていた 体側についている測距儀と望遠鏡を使っ 助として撃針を使って発火することもて 使用砲弾 て精密な照準かてきるようになっていた きるようになっている 口径を c 卩 1 ( センチメートル ) て表現し 使用砲弾 APCBC: Pzgr. 39 と書かれ、黒色 ているのは、当時のドイツかこの表示方 APCBC: Pzgr. 39 と書かれ、黒色 端部は A P 40 : Pzgr 4 0 と書かれ、黒色 成形炸薬弾 : Gr. 38 と書かれ、オリーフ・ 白色 法を用いていたためて、現在一般に用い られている mm ( ミリメートル ) 表示より AP40 : Pzgr 40 と書かれ、男色 クリーン 発煙弾 : Nb と書かれ、オリーフ・グリー : Spgr. と書かれ、黄色 セロかひとつ少い。なお、ドイツは現在 H E 成形炸薬弾 : Gr. 39 H ーと書かれ、 オリ でも火砲については cm 表示を続けている フ・グリーン 8 . 8 cm KwK 3 6 L / 56 これは、ティーゲル Ausf. E に装備さ れた威力の大きな主砲て、もとはといえ は Flak 絽と 36 対空砲に少し改修を加え て採用したものて、改修のなかには発射 に撃針を用いていたのを電気式に切換え たことも含まれている また、この主砲には同しマウントに M 一三ロ 7 .5cm KwK L / 24 7 .5cm KwK40 L / 43 Pz. Kpfw. Ⅳの初期型と pz. Kpfw. Ⅲの最 終型に装備された短砲身て低初速の主砲 Pz. Kpfw Ⅳの Ausf. F2 以降に装備され 共軸機銃には、他の主砲と同しく MG た大戦後半の長砲身高初速砲て、初期の 34 を用い、照準器は 5 cm 砲と同し望遠鏡 部はシングル・バッフル式のマスルフ 式の TZF 5 b である レーキをつけていたか、それ以降はタフ 使用砲弾 ルのものになっているなお、 L / 48 はこ の砲の改良型である APCBC: 7 . 5cmPzgr. と書かれ 、黒色 8

2. 第2次世界大戦のドイツ戦車

Pzkpfw. Ⅱ ausf L 4 Pzkpfw. Ⅲ ausf A 5 Pzkpfw. - 冫イノヾ Ⅲ ausf B 5 6000 2870 2450 375 3200 2490 360 0 . 65 Pzkpfw. - マイ / ヾ Ⅲ ausf C 5 5690 28 田 2335 375 3200 2490 360 0 . 65 Pzkpfw. Ⅲ ausf D Pzkpfw. Ⅲ ausf E 5 4630 2480 22 田 400 2200 2080 360 0 . 98 マイ / ヾッ / 、 HL66P 00 600 00 30 60 320 / 2280 ー XMG34 5 c m k w k 39 ー x 2 cm kwk38 または 20 20 30 20 20 30 235 200 5690 28 田 2335 380 3400 2047 360 0 . 63 マイ / ヾッ / 、 H L 田 8 TR 250 300 最大 . 5 図 5 X 3 . 7 c m k wk 2600 30 32 に 0 / 4425 3 x MG34 - マ・イ / ヾ 円 . 8 5 6000 2870 2450 375 3200 2490 360 0 . 95 ッ / 、 HL108TR 250 300 ッ / 、 HL108TR 250 300 X 3 . 7 c m k w k 最大図 . 5 5 800 600 2300 30 35 0 / 4425 3 XMG34 0 . 93 400 25 2860 385 2500 2950 5520 5 2 匚 6 Pzkpfw. Ⅲ ausf H マイ / ヾッ / 、 H L 貶 0 」 H M kgs 引 / 400 / に 0 5 800 600 2590 30 40 99 / 3750 2 x MG34 X 5 c m k w k 39 最大 30 320 300 ッ / 、 H L 田 8 TR 250 300 X 3 . 7 c m k w k 最大 . 5 5 800 600 2300 30 35 0 / 4425 3 xMG34 5380 2 引 0 2435 385 2860 2490 360 0 . 99 マイ / ヾッ / 、 H L に 0 TR 300 320 2300 30 40 に 0 / 3600 2 XMG34 ー X 3 . 7 c m k w k 最大 30 Pzkpfw. 290 Ⅲ ausf 5 0 . 99 360 2490 2860 385 2435 29 5380 F Pzkpfw. 600 800 田 5 Ⅲ ausf G 5 0 . 99 360 2490 2860 385 2435 29 田 5380 J 最大 . 5 X 3 . 7 c m k w k 3 xMG34 に 0 / 4425 35 30 2300 600 800 5 Pzkpfw. Ⅲ ausf L 0 . 94 400 2 引 0 2860 385 2500 2950 64 に 5 幻 . 3 マイ / ヾッ / 、 H L に 0 T R M kgs 引 / 400 / に 0 丐 5 800 600 2000 30 40 78 / 4950 2 x MG34 X 5 c m k w k 39 30 50 30 50 320 300 ausf A Pzkpfw. 600 800 田 5 Ⅲ ausf M 5 Pzkpfw. Ⅲ ausf 2 に 5 5 5560 2950 2500 385 2860 2 引 0 400 0 . 94 マイ / ヾッ / 、 H L 0 T R 300 320 最大 30 ー x 3 . 7 cm k wk または 5 c m k w k39 2 x MG34 に 0 ( 3 . 7c m ) または 99 ( 5cm ) / 3750 40 30 2300 600 800 馬 5 マイ / ヾッ / 、 H L に 0 T R M 300 320 最大 30 x 3 . 7 cm k wk または 5 c m k wk 39 2 xMG34 貶 0 ( 3 . 7c m ) または 99 ( 5cm ) / 3750 40 30 2300 600 800 5 kgs 引 / 400 / 貶 0 マイ / ヾッ / 、 HL 貶 OTRM 図 5 800 600 2200 30 40 99 / 3750 2 xMG34 X 5cm kwk39 30 50 30 50 320 300 64 に 34 田 ( 含シュ丿レツェン ) 2500 385 2860 2 引 0 400 0 . 94 kgs 引 / 400 / 0 マイ / ヾッ / 、 HL 貶 OTRM 丐 5 800 600 2000 30 40 84 / 3800 2 X MG34 X 5 cm kwk39 30 50 30 50 320 300

3. 第2次世界大戦のドイツ戦車

少′ノ Ⅳ号 F 2 型戦車に装備された 7 . 5 kwk44 L43 砲。戦車の 左手前には 7 . 5 徹甲弾 環かっき、形は戦車によって違いがあり、 白 Flak 38 対空砲を改造したものて、足へダ 成形炸薬弾 : 7 .5cm Gr. 38 と書かれ、 初期の戦車ては弾倉か外に露出していた ルを踏んて発射し、単発と自動連発の選 または緑色 が、 Pz. Kpfw ⅢとⅣては装甲スリーフか 択かできた : 7 . 5 cm Gr. 34 と書かれ、 H E オリ 使用砲弾 フ、・グリーン ついている 給弾は、共軸のものにはベルト式、車 発煙弾 : 7.5cm Nbgr. と書かれ、 オリーフ、 H E トレーサー : 弾体は黄色 ・グリーン AP トレーサー : 弾体は黒色、黄帯つき 体とりつけのものではドラム式て行われ 無塗装のアルミ製 A P 40 ている。しかし、円 42 年になるとこれた 5 cm KwK L / 60 けては不充分となり、 pz. Kpfw Ⅲの Ausf. 長砲身の 5cm 砲で、 pz. Kpfw. Ⅲの後期 砲弾の略号 M と N 、 Pz. Kpfw. Ⅳの Ausf. H と J などは 型に装備され、ベルト給弾の MG34 機銃 HE : 榴 3*—High ExpIosive 車長キューホラの上に円形レールをつけ を共軸式に持ち、この機銃の発射は射手 AP : 徹甲弾—Armor Piercing て、その上に手動の旋回機銃を追加する がヘタルを踏んで行なう APC : キャッフつき徹甲弓単一 Armor Pierc ・ ようになった 照準器は、望遠鏡式の TZF5e で HE 、 機銃はレール上を左右に 60 度、上に 80 ing, Capped AP およひ MG 34 用の 3 つの射程スケー 度まて動かすことかてき、使用しないと APCBC : 整形キャッフつき徹甲弾 Armor ルかついていた きはフラケットこと車内に格納していて、 Piercing Capped, BaIIistic Capped 使用砲弾 車長は頭と肩たけ出して来襲する敵機に < 機銃と補助武装 > APC : Pzgr. Pafr. 39 と書かれ、 応戦てきた。もちろん、接近する敵の歩 黒色 AP40 : Pzgr. Pafr. 40 と書かれ、 男色 兵に対しても有効であったことはいうま ドイツは 7 . 92mm の MG 34 機銃を陸軍の H E : Sprgr. Pafr. 38 と書かれ、オリーフ 多種多様な武器に活用したか、戦車ては、 でもない。 ・グリーン 共軸式の機銃も含めて、補助兵器はほと このほか、バンテルとティーケル、そ 2cm KwK 38 れに突撃砲戦車や駆逐戦車には、砲塔ま んど MG 34 に統一するという徹底ふりで Pz. Kpfw. II の主砲て、他の大口径砲と たは戦闘室の屋根の内側にナーフェルタ あった 異なり、装てんは左側からマカジンを使 それらは無線手か操作する装甲ホール イトグングスヴァッへ ( 近接防御兵器 ) と って行われ、マカジン一コには発の砲 マウントつきの MG 34 を車体の右前方に 呼はれる榴弾発射筒かとりつけられてい 弾か入っている。この砲は、もともとは た とりつけていた。ホールマウントは照準 9

4. 第2次世界大戦のドイツ戦車

Pzkpfw. Ⅳ ausf J Pzkpfw. V ausf A Pzkpfw. V ausf D Pzkpfw. Ⅳ ausf H 25 . 99 5 Pzkpfw. Ⅳ ausf G 25 . 0 5 43 . 0 5 45 . 5 5 23 . 5 5 7 田 5 3330 ( 含シュルツェン ) 2680 400 3520 2450 400 0 . 89 8860 8860 3270 3270 2995 2995 560 560 3920 3920 26 円 26 円 660 660 0 . 85 0 . 90 マイ / ヾッ / 、 H L 0 T R M ン / 、 HL に 0P30 -7 イノヾ マイノヾッ / 、 HL230P30 650 700 730 730 7 田 5 3330 ( 含シュルツェ 2680 400 3520 2450 400 0 . 89 kgs 引 / 400 / 貶 0 マイ / ヾッ / 、 H L に 0 T R M 6630 2880 2680 400 3520 2450 400 0 . 84 kgs 引 / 400 / に 0 マイ / ヾッ / 、 H L 貶 0 T R M 300 680 300 470 300 470 80 30 20 80 30 30 x 7 . 5 c m k wk 40 ( L 48 ) 2 x MG34 87 / 引 50 60 40 80 45 >< 7 . 5 c m k w k 42 ー X MG34 79 / 2500 50 30 20 50 30 30 X7.5cm kwk40(L43) 2 x MG34 87 / 2250 80 40 45 ー x 7 . 5 c m k w k 42 2 x MG34 79 / 4200 80 30 20 80 30 30 X7.5cm kwk40(L48) 2 x MG34 87 / 田 50 38 30 2200 600 に 00 320 4 0 30 2200 600 田 00 幻 0 45 . 7 35 引 0 ロ 00 9 38 30 2200 600 に 00 2 田 46 35 引 0 ロ 00 Pzkpfw Ⅵ圧ヘンシェル砲塔 Pzkpfw. E. 100 69.8 0 . 0 5 6 Pzkpfw. V ausf G Pzkpfw. Maus 田 7 . 998 6 Pzkpfw. Ⅵは ) E 56 . 9 5 44 . 8 5 286 8690 ( 含ます主砲 ) 3755 ( 含 ツェン ) シ・ユノレ 4480 3090 3320 485 570 4 貶 0 4900 2790 引 75 800 00 に 02 kgs 73 / 800 / 52 マイノヾッ / 、 HL230P30 マイ / ヾッ / 、 HL230P30 700 860 8860 3270 2995 560 3920 26 円 660 0 . 8 7 マイ / ヾッ / 、 H L 230 P 30 700 730 659 3670 3630 570 5880 2335 Ⅱ 00 8450 3705 3000 470 3605 2822 725 に 04 kgs 63 / 725 / ロ 0 マイノヾッ / 、 H L 230 P45 ダイムラー MB509 田 80 4200 ( 含増加タンク ) 200 田 0 田 0 240 200 200 x . 8c m k wk 44 x 7 . 5 c m k w k 44 MG151 / 20 ′べンツ 650 534 700 貶 00 L.n 8 8 8 8 -8 80 50 40 田 0 45 ー A 7 . 5 c m k w k 42 2 xMG34 82 / 4200 田 0 80 0 80 A 8 . 8 c m k w k 36 2 A MG34 92 / 3920 200 に 0 丐 0 240 200 200 ー x ロ . 4cm k wk または 丐 . 0cm k wk または貶 . 8c m k w k 2 xMG34 2 x MG34 84 / 5850 35 2500 850 00 ロ 0 20 30 4500 720 2000 田 6 46 35 ロ 00 ロ 7 45 . 4 35 2300 790 貶 00 田 0 23 30 0

5. 第2次世界大戦のドイツ戦車

3 初期の電撃戦におけるⅣ号 D 型戦車。当初は突破支援用 の戦車として開発され、当時は数が少なかった 車の主砲がいっへんに、、旧式″化してし まったため、 G 型からに予定されていた 長砲身砲を急きよ繰り上げて装備する必 要に迫られたためである。 このため、生産ラインでは同じ F 型で ありながら、長砲身と短砲身の両方のも のが流れる時期があり、前者は主として 東部戦線、後者は北アフリカ戦線へ回さ れた。もっとも、間もなくほとんど全部 が長砲身の F2 型となり、一部の短砲身 型もあとから長砲身に換装され、北アフ リカにもこれが出現したが、火力の弱い イギリス戦車にとっては大変な強敵で、 イギリス軍は、、 MK. 4 ・スペシャル〃と呼 んでこの戦車を恐れた Typ 7/BW/Pz. Kpfw. Ⅳ Ausf. G ( Sd. Kfz. 161 / 1 ) : G 型はⅣ号戦車のな かでも生産台数が最も多く、生産中にも 重要な変更がかなり行われている。 ます、主砲は初期のものではマズル・ プレーキがシングル・バッフル式で F 2 型と同じだったが、問もなくダブル・バ ッフル式となり、砲塔の前と横にあった 装てん手用のビジョン孔は廃止され、 部は射手用のものも廃止した 砲塔は屋根が補強されて田 mm が mm と なり、外からはわからないが内部は大幅 な変更を受けた。また、生産の途中で F 2 型の砲塔をつけたり、後期には短砲身 の KwK 40 砲を装備したものもあったか、 これは新型の生産が問に合わなかったの と、旧型が在庫して他に使い場所がなく なったためと思われる。 いものを標準としたほか、技術的にも構 防備を固めている。 円 42 年後半からの G 型は、主砲を L / 43 シャシー番号は 84000 にまで達したが、 造的にもいくつかの大きな変更をしてい に代ってさらに砲身の長い L / 48 とし、 42 メーカーは F 型と同様にクルップのほか、 年 7 月からは前部に 30mm 装甲板を追加し る。 砲塔と車体の前部に 30mm 鋼板を最初か て溶接またはポルト締めしたものが一部 ーベルンゲンベルケとフォマークの 2 ら追加したのもこの型からで、一部の車 社が加わっていて、間にだいぶ欠番があ 造られている。また、 43 年一月から、キ 輛では砲塔の前に V 型のスプラッシュ・ ューボラに田 0 mm の装甲をつけ、ハッチ プレート ( 跳弾 ) という板を溶接して、 Typ 7/BW/Pz. Kpfw. Ⅳ Ausf. H を一枚にしたものが出現し、車体と砲塔 ( Sd. Kfz. 161 / 2 ) : 主砲を 7.5cm の KwK 小銃弾などの直撃を避けている。 の側面には、、シュルツェン″と呼ばれる 駆動スプロケットは、 8 本スポークか L / 48 に統一し、キューボラも田 0 の厚 スカート板がついてパズーカ砲に対する

6. 第2次世界大戦のドイツ戦車

38 ( t ) の正横面。ドライバーの覗視ロは 35 ( t ) のスリットからクラッ べに変っている。その左側にはジャッキカヾつけられている になっていた。重量は田 . 5 トンで、最大 いる っている 速度は 60km / h 。円 42 年には原型まで完成 このほか、 Pz. Kpfw. 38 ( t ) の主砲を 7 . 5 Pz. Kpfw. 38(t) nA . 軍の新型戦車の開 発要求に沿って、円年に BMW 社か試作 したと思われるが生産には入っていない cm の KwK40 L / 48 に換装する計画が円 44 した偵察用のモテル ( nA とは新型、 neuer 年にクルッフ社で樹てられたが採用され Pz. Kpfw. T ー 25 : ドイツの 25 トン級戦車 Art を意味する ) で、砲塔は溶接となり、 円 44 年末には 7 . 5 cm の の要望に応えて提案された車車兩で、スコ なかった。また、 KwK 42 L / 70 砲をつむ計画もあったか実 工ンジンは 250 田 V ー 8 てあった。しかし、 夕社は自社の 7.5cm 砲装備の T ー田計画を 軍の要求か中止になったので、円 42 年に 現していない。 ペースに、自動装填機をつけ、バンテル はキャンセルになっている 戦車と同し L / 70 7 . 5 cm 砲を積んだもの 自走車輛改造型 Pz. Kpfw. T- 1 5 : ドイツ軍占領後にスコ を考えた。車体は全部溶接構造とし、外 夕社か開発した戦車のひとつで、円年 Pz. Kpfw. 38 ( t ) のシャシーを利用して数 形には傾斜を与え、 450 屮の空冷工ンジ に計画を提出し、 Pz. Kpfw. 38 ( t ) nA と同し 種類の自走車輛か生産され、これらは大 ンを後部に積み、シャシーは田 . 5cm 砲ま 高速偵察車車兩として開発にかかっている 戦後半から非常に重用された。前述のよ でつめるように考えられた。全体の設計 シャシーは幅広く長くなり、エンジンは 円 42 年以降のこの戦車の生産ライ はソ連の T ー 34 の影響が強く感しられる 220 屮の空冷ティーゼルか予定され、前 ンは砲塔をつけすに自走車輛用のシャシ か、チェコとしては画期的な大型車であ 面装甲は 50mm 、側面は 30mm 、車体外形は ーとして完成し、これからマルダーⅢ、 った。しかし、結果としてバンテルか採 防弾効果を大きくするため傾斜が多くつ ヒソン、ヘッツアーなどの量産型自走砲 用になったので生産には入らす、モック き、主砲には 5 cm のものまて積めるよう アッフか完成したあとで計画は中止にな か造られている。 6 9

7. 第2次世界大戦のドイツ戦車

0 ア事 1 ・を・物 1 941 年春、独ソ戦 にそなえて訓練中 の第 6 戦車師団第 65 戦車連隊のⅡ号 c 型戦車 N の設計を選び、この原型は Las 田 0 ( 農 が、出来上ってみると信頼性が高く、戦 Ⅱ号戦車 Pz. Kpfw. Ⅱ 業用トラクター 0 型 ) という呼称を与 車として有用なことがわかったので、生 この戦車も、本来の目的は訓練用であ えられて連合国の目をこまかし、円 35 年 産台数もどんどんふえ、円 39 年から 40 年 った から 37 年にかけて相当数の先行生産型が におけるポーランドと西部戦線の戦いに 同し訓練用には I 号戦車があるが、 造られ、テストが徹底的に行われた結果、 おいてはドイツ機甲師団の主力戦車であ れは武装もエンジンも小さくて、中型以 サスペンション、エンジンのレイアウト、 り、とうぜん装備数も最も多かった 上の戦車の訓練には不適当と判断された ドイツ軍の緒戦の大進撃はこ 装甲の厚さに大幅な設計変更が行われて つまり、 ので、ドイツ軍機械化の先覚者ルツツ将 の訓練戦車を中心にして、武装や数のう いる えで優勢な敵と対決したわけである。 軍などはこれよりすこし大型のものを整 この車は、レイアウトは運転手が車体 備する必要があると判断していた。これ 円 40 年 5 月にフランスへの侵攻が開始 の前部、コマンダーと射手か砲塔内に坐 されたときのⅡ号戦車の保有台数は 955 ならば、完成が遅れている中型戦車か登 るオーソドックスなもので、最初の型は 台といわれ、生産はその後も円 42 年まで 場するまでの急場をしのぐにも有効であ マイバッハ製水冷 6 気筒の H L 57 工ンジ 続行され、生産終了時でもドイツ陸軍の ンい 30 屮 ) をつみ、変速器は前進 5 速 った この戦車の保有数は 800 台以上だった 陸軍兵器局は円 34 年 7 月、クルッフ、 ・後退ー速の z F 系のもので、これに単 四年に入ってからは、北アフリカや M A N 、ヘンシェルの 3 社に対して要求仕 板クラッチとクロスシャフトをとおして 東部戦線で偵察を主体として使用され、 様を提示し、旋回式の砲塔に KwK302cm 前部スフロケットを駆動させて動力を伝 砲と共軸式機銃を装備した田トンの訓練 達している。 これが円 42 年まで続いた 戦車の設計提出を依頼した H E 弾も使用できない小口径の砲しか 初期の型以外は、エンジンを 0 田の これに対し最初に原型を完成したのは 持たないこの戦車は、すでに円 40 年でさ マイバッハ H L 62 とし、砲塔には KwK30 クルッフで、これは LKA - ヨ (Pz. Kpfw. I え旧式であったが、機甲師団の戦法と編 2 cm 砲を左、共軸式の M G 34 機銃を右に の原型 ) のターレットを大きくして規定 成が有効だったのと、敵の反撃が予期し つんでいる たより遙かに弱かったのがこの戦車に幸 の武装を施し、 LKA- Ⅱと呼んだ この戦車は前に述べたように、実戦に しかし、陸軍は車体が長くて低い M A 使用する目的で造られた訳ではなかった 23

8. 第2次世界大戦のドイツ戦車

し工毛毛なて シュノレツェンをつけた Ⅳ号 H 初期型戦車。車、。事 体前面には 30mm の装甲 板か追加されている Pz. Beob. wg. Ⅳ : J 型を改造して特殊観 は同し 7 . 5 cm の L / 70 とした応急型に改 駆逐戦車とほとんど同しものもあったら 測車としたもので、Ⅲ号戦車の同し改造 造することになった。これか Pz. Ⅳ / 70 ( A また、Ⅳ号戦車の生産は円 45 年 2 で、 70 とは L / 70 砲装備という意味である 型の供給が終った円 44 年後半から少数か 月には終らして、全部駆逐戦車に切換え 造られた。キューホラの横にホール式の られる予定だったが、実際には敗戦の日 ーベルンゲンベルケで造られた 2500 ペリスコーフを持ち、砲塔の上に無線ア 台のⅣ号戦車」型のほほ 300 台か Pz. Ⅳ まで切換えは行われなかった ンテナをつけているのが外観のうえで戦 Pz. Bef. Wg. Ⅳ ( 7.5 cm KwK L / 48 ) : 70 ( A ) になっていた 円 44 年春から改造された指揮車で、約田 0 車と異なる。 この 300 台のうち、一部はⅢ号とⅣ号 台か造られた Bergewagen Ⅳ : Ⅳ号戦車の旧式車を利 の共通シャシーを用いており、個々には ↓ト 油っ実い てをたて し置しれ 造装とさ 改速動は を変駆産 型の輪生 I 動後て 号駆、車し ハ圧み験な

9. 第2次世界大戦のドイツ戦車

Kpfw. Ⅳ Ausf. D (Sd. Kfz. 161 ) . 年 9 月から完成し、細部にいくつかの改 良か施されている。 ます、ドライバー席は A 型と同様に無 線手席よりすこし前進し、そのため車体 の外形も変化している。またこの近くに ヒストル孔か新設されている。次には乗 員のハッチドアーか外部開き式となった うえに 35mm の装甲板かついている。たた し、砲塔とキューホラは C 型と同しであ る。また、車体にとりつけた機銃は A 型 と同し位置にもどされ、角型のジンバル 式マウントに収められたか、これはⅢ号 戦車とほとんど同じである そのほか、キャタヒラーの幅はすこし 広くなり、スフロケットは新しくなった 円 42 年 8 月には、「Ⅳ号戦車の初期モテ ルは、修理に工場へ戻されたときに主砲 を長砲身の 7 . 5 cm KwK40 L / 43 に換装せ がヒトラーから出された よ」という命〒 が、この改装を受けた型は F 2 や G 型と 同しレベルまて攻撃力か強化されている 改装では、砲塔にペント ( 換気孔 ) を設 け、信号ホートは板でカバーされ、ファ ン・ペントか新設され、砲塔の周囲には 装甲スカートか固定され、エンジン・コ トメントの後面には 20mm 、車体前 面には 30mm の装甲板かポルト止めで追加 ・円 39 わ一を第 3 Ⅳ号 G 型戦車の戦闘室正面は 75 mm 砲の尾栓部とその手前の同軸機 銃。左下には弾薬框かみえる 上の写真の反対側からみたところ 照準器の接眼部、砲の後座カート、 俯仰および旋回用ハントルなど Ⅳ号 G 型戦車のドライバー・セク ション左側に操縦用ペタルとハ ンドル。右側は差動ホックス

10. 第2次世界大戦のドイツ戦車

PANZERKAMPFWAGEN 35 ( t ) / 38 ( t ) 35 t) 戦車 Pz. Kpfw. 35 t) 円 39 年 3 月にドイツがチェコスロパキ アを占領したとき、チェコには多数のす ぐれた戦車があった。それがこれから述 べる 35 ( t ) と 38 ( t ) 戦車で、ドイツ陸軍はこ れらの戦車とその生産設備をすべて接収 ドイツ陸軍は当時、これらよりすぐれ たⅢ号、Ⅳ号戦車を生産してはいたか、 まだその数もじゅうぶんではなく、戦車 師団の定数も不足していたので、そのま ま戦車師団で使うこととした。これらの 戦車は、当時ドイツ戦車師団の主力であ 6 2 った I 号、Ⅱ号戦車より武装が強力だっ たばかりでなく、技術的にも多くの特徴 を持っていた。そしてドイツ軍が、その 後のポーランド侵攻、対フランス戦で大 きな戦果をあげた陰には、これらチェコ 製戦車の活躍を見逃すことができない。 とくに西部戦線における電撃戦には、 第 6 、第 7 戦車師団がチェコ製戦車で装 備されて活躍したことは有名である。 35 ( t ) 戦車は、四 34 年から 35 年にかけて S- II という名称でスコダ社において開発 され、のちに T- Ⅱと呼は、れた。そしてチェ コ陸軍に LtVz 35 として採用になり、 円 35 年から 38 年にかけて生産が行われた 重量は田 . 5 トン、最大装甲厚 25mm の車 体には、 3.7 cm の KwK 34 ( t ) 砲が装備され ているが、この砲は操作性や射程におい てドイツ戦車の 3.7 cm 砲よりすぐれてお り、当時としては世界水準を上回るもの であった そしてドイツのチェコ占領後問もなく pz. Kpfw. 35(t) として採用されたが、 (t) と はチェコのドイツ語 tzeco のイニシャル をとったもので、ドイツで使われた外国 製兵器にはこの例が多くみられる。 ドイツ軍に徴用されたのは 200 輛以上 といわれ、その大部分は第 6 戦車師団に 配属されて、ホーランドやフランスへの Pz. Kpfw. 38 ( t )