をする人間が記述されると期待するであろう。ところがヒットラーはそのかわりに、「他の」タイ。フを 犠牲を払う能力によって規定する。「黙って断念する」ことと「喜んで犠牲を払う」こととの区別は理 解しがたい。もしあえて想像するならは、私はヒットラーがじっさいに心のなかでは、諦めなければ ならない大衆と支配すべき指導者とを区別しようと考えていたと信ずる。しかしヒットラ 1 はときに はきわめて明白に、かれと「選良」の権力欲を承認しながら、しばしばそれを否定している。この文 章ではかれは明らかに、あまりにも率直であろうとはせず、それゆえ支配欲を「喜んであたえ、犠牲 を払おう」とする欲望によって置きかえたのである。 ヒットラーはかれの自己否定と犠牲の哲学が、どのような幸福も許されないような経済状態にある ひとたちにとって、お誂えむきにできていることをはっきりと理解している。かれはあらゆる個人に、 個人的幸福を可能にするような社会的秩序を実現することを欲していない。かれは大衆にかれの自己 滅却の福音を信じさせるために、大衆の窮乏を利用しようとしている。かれはきわめて率直に「あま りに貧乏であるために、自分たちの個人的生活が世界の最高の運命となることのできないようなひと たちの大軍を、われわれは味方にする : : : 」と言明している。 この自己犠牲の説教全体は、一つの明白な目的をもっている。すなわち、指導者や「選良」の側の 権力欲が実現されるならば、大衆は自己を放棄し服従しなければならないのである。しかしこのマゾ ヒズム的憧憬はヒットラー自身にもみいだされる。かれにと 0 ては、服従すべき優越したカは神、運 命、必然、歴史、自然である。し 0 さいにはこれらの言葉はかれにとってすべてほぼ同じような意味、
は一つとして、他者の圧迫にたいする防衛であると説明されないものはなかった。これらの非難はた んなるごまかしにすぎず、ユダヤ人やフランス人にむけられた非難を色どっていた偏執狂的「真摯 さ」さえもっていなかったと考えられるであろう。しかもなおそれらは一定の宣伝価値をもち、民衆 の一部、とくにその性格構造によって、これらの偏執狂的非難を受けいれやすい下層中産階級は、そ れらの非難を信じていた。 力のないものにたいするヒットラーの軽蔑は、かれ自身がもっていると称するのと同じような政治 目的ーー・すなわち国民的自由のための闘争ーーをもつひとびとについて語るとき、とくに明瞭になる。 国民的自由にたいするヒットラーの関心の不真面目さは、恐らく無力な革命家にたいするかれの嘲笑 において、もっとも露骨であろう。このようにしてヒットラ 1 は、自分がもとミュンヘンで加わった 国家社会主義者の小さなグル 1 。フのことを、皮肉と軽蔑にみちた口調で語る。「ああ恐ろしいことだ、 恐ろしいことだ。これは最悪の種類、最悪の流儀のクラブ結成だった。そしてこのクラブが、私の加 わろうとしていたものだったのか。そのあと新しい党員の資格が論ぜられた。すなわち私はとりこに なったのである」 これがヒットラ 1 の最初の集会の印象であった。 かれはそのグル 1 。フを「馬鹿げたちっぽけな団体」と呼んでいる。その団体の唯一の利点は「真の ( 訂 ) 個人的活動の機会」を提供することであった。ヒットラ 1 は、自分はけっして現存する大政党の一つ に参加しようとはしなかったと語っており、この態度はかれに非常に特徴的なものである。かれは劣 弱と感ぜられたグループから出発しなければならなかった。かれの率先力と勇気とは、かれが現存す 2
に、多くの支持者にとっては、それは人類がより高い文化の段階へ進化するという希望に訴えたので ある。しかしヒットラ 1 にとっては、それはかれ自身のサディズムの表現であり、同時に正当化であ った。かれはダ 1 ウイニズムの理論がかれにあたえた心理的意味をきわめて率直に打ちあけている。 かれがミ = ンヘンに住んでいたころ、まだ無名の人間であったかれは朝五時に起きるのが例であった。 ノンきれや固い皮を投げてやり、この滑稽な小動 かれは「その小さな部屋で遊んでいる小ねずみに、。、 ( 幻 ) 物がふざけ遊ぶさまや、このささやかな御馳走にとびつこうと格闘するさまを見守る習慣ができた」。 この「競技」はダ 1 ウインの「生存競争」の小規模なものであった。ヒットラーにとっては、これは ロ 1 マ皇帯の見世物の。フチプル的代用物であり、かれがのちに作りだすはずの歴史的見世物の予備行 為であった。 かれのサディズムにたいする最後の合理化、すなわち他人の攻撃にたいする防禦としての正当化は、 ヒットラ 1 の書物のなかにさまざまに表現されている。かれとドイツ国民は常に罪なきものであり、 敵はサディズム的な野蛮人である。これについての多くの。フロ。ハガンダは、入念な意識的な嘘からで きている。しかし部分的には偏執狂的非難がもっている感情的「真摯さ」をともなっている。これら の非難は、自分自身のサディズムや破壊性を見破られることを防ぐ機能を、常にもっている。それは サディズム的意図をもつのはお前であり、したがって私は潔白であるという方式にしたがっておこな われる。ヒットラーにあっては、この防禦のメカニズムはきわめて非合理的である。というのはかれ はきわめて率直に、自分の目的であると認めているまさにそのことを、敵がおこなえば非難するので
にさせ、そしてひとびとを全宇宙を形成するかの秩序のなかの一片の塵にさせる」。 ゲッペルスはかれのいう社会主義について、同じような定義をくだしている。すなわち「社会主義 者であることは、我を汝に服従させることである。社会主義とは全体のために個人を犠牲にすること である。 個人を犠牲にし、個人を一片の塵、一個の原子におとしめることは、ヒットラーによれば、人間の 個人的な意見や利益や幸福を主張する権利を放棄することを意味する。この放棄は「個人が自らの個 人的意見や利益の主張を放棄する」政治的組織の本質である。ヒットラーは「非利己的なこと」を称 賛し、「ひとびとはみずからの幸福を追求することにおいて、ますます天国から地獄へ墜落する」と教 える。自己を主張しないように個人を教育することが教育の目的である。すでに学童は「正当に叱責 されたときに沈黙するだけでなく、必要なばあいには不正をも黙って耐えることを学ばなければなら ない」。ヒットラ 1 は自分の窮極の目標について次のように書いている。すなわち「民族国家におい ては、民族的人生観は、ひとが大や馬や猫をよりよく飼育することなどに気をつかわず、むしろ人類理 そのものの向上に気をつかうというあのより貴い時代、あるものは知りつつだまって断念し、他のも ム のは喜んですべてをあたえ、喜んで犠牲を払うような時代の実現に、最後には成功しなければならなズ ナ い」 この文章はいささか意外である。ひとは「知りつつだまって断念する」というタイ。フのあとに、そ の反対のタイプ、すなわちおそらくは指導するとか責任をとるとか、あるいはなにかそのようなこと
は、権力を求める欲望と服従を求める欲望とのサド・マゾヒズム的両面性に典型的なものである。 大衆を支配する力をえたいという願望は、「選良」たち、すなわちナチの指導者たちをつき動かし たものである。右の引用が示すように、このカへの願望はときにはほとんど驚くべき率直さで表現さ れる。またときには、支配されることこそ大衆の望んでいるものであると強調して、よりおだやかな 形で表現される。またときには大衆にへつらう必要、したがって大衆にたいする冷笑的な軽蔑をかく す必要から、次のようなトリックが使われる。すなわち、自己保存の本能ーー・それはのちにみるよう にヒットラーにとっては、多かれ少かれ権力欲と同一のものであるが について語るとき、かれは 次のようにいっている。すなわち「アーリア人種は共同体の生命のために自我を喜んで従属させ、時 が要求すれば自我を犠牲にさえするがゆえに」、自己保存の本能はア 1 リア人種においてもっとも崇 高な形態に達したと。 「指導者」は第一番に権力を享受する人間であるが、大衆もけっしてサディズム的満足を奪われて はいなかった。ドイツ内の人種的政治的少数者や、また最後には、弱小であるとか衰亡しつつあると理 かされる他の諸国民が、大衆を満足させるサディズムの対象である。ヒットラ 1 とかれの官僚は、ドé ム ィッの大衆を支配する力を享受するが、これらの大衆は他の国民を支配する力を享受するように、まズ ナ た世界征覇の野望にかりたてられるように教えられる。 ヒットラーはためらうことなく、世界征覇の野望を自分の、あるいはかれの党の目標として表現し ている。かれは平和主義を嘲笑していう。「じっさい、最高の人間がこの地球のただひとりの主人公と
た強い権力とはけっして戦わず、かれが本質的に無力であると考えたグル ー。フとだけ常に戦った。ヒ ットラ 1 のーーーまたこの点に関してはムッソリ 1 ニの 「革命」は現存する権力の庇護のもとに生 起し、かれらのお気にいりの対象は自分たちを防衛することのできないひとびとであった。イギリス にたいするヒットラ 1 の態度は他の要素にもまして、この心理的コン。フレックスによって決定された と、あえて推測することができるであろう。イギリスが強力であると感じられたあいだは、かれはイ ギリスを愛し賛美した。かれの書物はイギリスにたいするこの愛情を示している。ミ = ンヘン会談の 前後、イギリスの地位の脆弱さが認められたとき、かれの愛は嫌悪と破壊欲に変った。このようにみ れば、「宥和」はヒットラ 1 のようなパ 1 スナリティにとっては、必ずや友情ではなく嫌悪をひき起 す政策である。 これまでわれわれはヒットラーのイデオロギーのサディズム的側面を述べてきた。しかしまえに権 威主義的性格の論議においてみたように、サディズム的側面とともにマゾヒズム的側面が存在する。 無力な存在を支配する力をえたいという欲望とならんで、圧倒的に強い力に服従し、自己を絶滅した いという欲望が存在する。ナチのイデオロギーや実践のこのマゾヒズム的側面は、大衆をみるともっ とも明白である。大衆はくりかえしくりかえし、個人はとるにたらず間題にならないと聞かされる。 個人はこの自己の無意義さを承認し、自己をより高いカのなかに解消して、このより高いカの強さと 栄光に参加することに誇りを感じなければならない。かれは理想主義の定義のなかで、この考えを明 白に表現している。すなわち「理想主義だけが、ひとびとに力と強さの特権を自発的に承認するよう 254
ラ 1 の確信は、ここ数年来あらゆる新聞読者に周知のことであった。 権力欲は自然の法則にもとづいているという第二の合理化は、たんなる合理化以上のものである。 すなわちそれは、ダ 1 ウイニズムについてのかれの粗雑な通俗化のうちにとくに表現されているよう に、自分の外にある力に服従しようとする欲望から発している。ヒットラ 1 は「種族保存の本能」の うちに「人間社会形成の第一原因」をみる。 この自己保存の本能は、弱肉強食の戦いに、また経済的にはけつきよく適者生存に導く。自己保存 の本能と他人にたいする支配力との同一視は、「人類の最初の文化は、たしかに、家畜によりも、劣 った人間の使役に依存していた」というヒットラ 1 の推定のうちに、とくにいちじるしく表現されて いる。かれは自分のサディズムを「すべての知恵の残酷な女王」である自然に投影している。そして この自然の保存法則は「必然の鉄則およびこの世界において最良最強なものが勝利の権利をもっとい うことと結びつけられているのである」。 この粗雑なダ 1 ウイニズムと関連して「社会主義者」ヒットラ 1 が無制約的競争の自由原則を擁護理 するのを注意することは興味深い。種々の国家主義的グルー。フの協同に反対する論戦で、かれはつぎ ム のようにいっている。「このような結合によって、エネルギ 1 の自由な活動は束縛され、最上のものズ チ を選ぶための闘争は停止され、ひいてはより健全な、より強い人間の必然的窮極的勝利は永久に妨げナ られる」と。かれはほかの箇所で、エネルギ 1 の自由な活動が生命の知恵であると語っている。 たしかにダ 1 ウインの理論そのものは、サド・マゾヒズム的性格の感情の表現ではなかった。反対 ( 四 )
すなわち圧倒的に強いカの象徴という意味をもっている。かれは「運命が私の生誕地としてイン河畔 の。フラウナウを指定したことは、私にとって幸運であった」という叙述で自叙伝をはじめている。さ らにつづけて、この国がドイツ人全体にとってあまりに狭くなったときにのみ、必然がドイツ人に 「土地と領土を獲得する道徳的権利」をあたえることになろうから、そのとき全ドイツ人は一つの国 家に統一されなければならないといっている。 一九一四年から一九一八年までの戦争における敗北は、かれにとっては「永遠の審判による当然の 処罰」である。他民族と混血するような民族は「永遠の摂理の意志にたいして」、あるいはかれがほか のときにいっているように「永遠の創造者にたいして罪を犯しているのである」。ドイツ人の使命は 「宇宙の創造者」によって定められている。天は人間に優越する。というのは、さいわいなことに、 ひとは人間を馬鹿にすることはできるが「天は買収されえない」から。 神、摂理、運命よりもおそらくヒットラーを感銘させる力は自然である。人間にたいする支配を自 然にたいする支配で置きかえることが、最近四〇〇年間の歴史的発展の動向であったのに、ヒットラ理 1 は、ひとは人間を支配でき、また支配しなければならないが、自然を支配することはできないと主 ム 張する。私はすでに、人類の歴史の発端はおそらく動物の馴化ではなく、劣等民族の支配であったとズ チ いうかれの言葉を引用した。かれは、人間は自然を征服することができたという考えを嘲笑し、「『観ナ 念』以外には自由にできるなんの武器ももっていないのに」、自然の征服者になることができると信 じているひとびとを嘲っている。かれは人間は「自然を支配しているのではなく、自然の法則と秘密
あるから。こうしてかれは、自分自身の行動のもっとも正当な目的であるといっているまさにそのこ とについて、ユダヤ人や共産主義者やフランス人を非難している。かれはこの矛盾を合理化によって かくすようなことはほとんどしない。かれはユダヤ人がアフリカ人のフランス軍をライン地方につれ てきたことを非難する。かれらの意図は必然的に生ずる私生児の出産によって、白色人種を破壊して 「自分たちがかわりに主人の地位に登ろう」とするものだというのである。ヒットラ 1 はドイツ民族 のもっとも高貴な目的と主張することを、他人がやればそれを咎めるという矛盾に気がついていたに ちがいない。そこでかれは、ユダヤ人にたいしては、かれらの自己保存の本能は、支配を求めるア 1 リア人種の衝動のうちにみいだされる理想主義的性格をかいているといって、その矛盾を合理化しょ うとしている。 同じような非難がフランス人にも向けられる。かれは、フランス人がドイツをしめころし、そのカ をうばおうとしていると非難する。この非難は「ヨ 1 ロツ。ハの覇権を目指すフランス人の欲望」を破 壊する必要のあることを説くために用いられているのであるが、他方かれは、もし自分がクレマンソ理 ( 四 ) の ーの地位にあったならば、クレマンソーのように行動したであろうと告白している。 ム 共産主義者は野蛮であると非難され、マルクス主義の勝利はその政治的意志と行動的野蛮性に帰せズ られる。しかし同時にヒットラ 1 は「ドイツをかけていたものは、野蛮な力と巧みな政治的意図とのナ 緊密な協同であった」と言明する。 一九三八年のチ = ッコの危機や第二次大戦は、同じような多くの例をもたらした。ナチの抑圧行為
目標をかかげる人間がなにを話しているのか、たとえその言葉は理解できたとしても、その内容はほ とんど理解できないであろう。同じように、ヒットラーやかれと同じ性格構造をもっている一部のド ィッ人は、戦争をなくすことができると考えるような人間はまったくの馬鹿か、たんなる嘘つきにほ かならないとまじめに感じている。かれらには、その社会的性格のために、苦悩や災害のない生活な どは、ちょうど自由や平等と同じく、ほとんど理解できないのである。 思想というものは、ある集団に意識的には受けいれられていても、その集団の特殊な社会的性格の ために、じっさいには受けいれられないことがしばしばある。このような思想は意識的な信念として は残るであろうが、いざというときに、ひとはその思想にしたがって行動できない。このような例は、 ナチズムが勝利を獲得した時代の、ドイツの労働運動に明らかである。ドイツの労働者の大部分は、 ヒットラーが勢力を獲得するまでは、社会主義あるいは共産主義の政党に投票し、これらの政党の思 想を信じていた。すなわち、労働者階級のあいだにおけるこれらの思想の広さは、非常に広範なもの であった。しかし、これらの思想の重さは、その広さにくらべ、まったく問題にならなかった。ナチ ズムは攻撃を開始したとき、政治的な敵対者と衝突することはなかった。敵対者の大部分はナチの思 想のために進んで戦った。左翼政党の多くの支持者たちは、かれらの政党が権威をもっていたあいだ録 は、その政党の政策を信奉していたが、一度危機がおとずれると、たやすくそれを捨てようとした。付 ドイツの労働者の性格構造を綿密に分析してみると、このような現象の起った一つの原因ーーもちろ が明らかとなる。かれらの多くは、われわれが権威主義的性格として述 ん唯一の原因ではないが