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検索対象: 自由からの逃走
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1. 自由からの逃走

( 3 ) この本能の概念を、本能を生理的に条件づけられた衝動 ( たとえば飢えや渇きなど ) と考えられるもの と混同してはならない。生理的に条件づけられた本能は、それ自身非固定的な、遺伝的にも決定されてい ないいろいろな方法で充足される。 ( 4 ) L. Bernard, lnstinct, Ho 一 (. Co こ New York, 1924 》 p. 509. ( 5 ) Cf. RaIph Linton, The Study 0 トド D. Appleton ・ Century Company. New York. 1936. Chap ・ ter IV. 49 個人の解放と自由の多義性

2. 自由からの逃走

たい。まず第一に、エリザベス・プラウン嬢にたいして。彼女の示唆と批判とは、本書の構成にきわ めて貴重な助力となった。さらに、原稿の編集に大きな助力をあたえて下さった・ウッドハウス氏、 および本書にでてくる哲学的間題に力をかした・ザイデマン博士に感謝したい。 つぎの出版社にたいしては、以下にあげる出版物からの引用を認められたことを感謝している。 守Sミミ es the ュ s 、 R ミド bY J0hn calvin, translated bY J0hn とま n 一 Board 0f Christian Education, Philadelphia. social ef ミミ d the efl ミミミ ~ 0 ド by Jacob 》 S. Schapiro 一 the Columbia Studies in History, Economics 》 and Public Law CC01umbia UniversitY Press), New York. ~ 0 き age the ミ , by Martin Luther, translated by Henry C01e 一「 m. B. Eerdmans Publishing Co こ Grand Rapids 》 Mich. ミ ~ g ~ 0 the Rise C ~ 一 ~ s ミ , by R. H. Tawney 一 Harcourt 》 Brace and Compa11Y' New York. Ka ミ、ト by Adolf Hitler; Houghton Miffin Company. Boston. ~ C ぎミざ of the s 罸 e ミ by Jacob Burckhardt; the Macmillan Company, New York.

3. 自由からの逃走

第一章注 ( 1 ) 私はファッシズムとか権威主義とかいう言葉を、ドイツやイタリアにみられるような独裁組織を示すも のとして用いる。とくにドイツの組織にかぎるばあいは、ナチズムと呼ぶであろう。 ( 2 ) John Dewey, F 、・ミ do 、、 ~ ミ C ミ、ミ G. P. Putnam's Sons, New York, 1939. ( 3 ) 精神分析学的方法はフロイトの理論の基本的業績にもとづくものであるが、しかもなお、多くの重要な 点でフイトとはことなった一つの方法が、カレン・ホ 1 ナイ (Karen Horney) の N 代さ 丿 1 ・スタック・サリヴァン P 箜。ミミ 043. W. W. Norton 年 Company. New York, 1939 や、ハ (Harry Stack Sullivan) の CO ミべ 2 0 ミ・ M 。 det ・、 ~ P 0 ミ、ーーー 7 e First ミ、ミゝ 0 洋 のうちにみいだされる。この二人の VI 、 ~ ・ざミ ot ・、トミ、・ 0. Psychiatry. 1940 , Vo 一 . 3 》 No. 1 著者は多くの点でことなっているが、本書で示される立場は両者の立場と多く共通している。 ( 4 ) Cf. Jacob Burckha 「 dt, The C ぎミこに of 斗代 Re 洋』ミ、、 40. The Macmillan Company, New York, 192L p. 139 ff. ( 5 ) op. cit., p. 299 ff. (). Dollard) やラスウ = ル (). D. Lasswell) 、人類学者のベネディクト (R. ( 6 ) 社会学者のダラ 1 ド (). Mead) 、サピア (). Sapir) Benedict) 、 ハロ 1 ウエル (). Hallowell) 、リントン (). Linton) 、ミード の貢献、およびカ 1 ディナ 1 (). Kardiner) の精神分析学的概念の人類学への適用を参照せよ。 ( 7 ) この問題について、よく犯される一つの混乱を注意したいと思う。社会の経済的構造は個人の生活様式 1 スナリティの発展にたいする条件として作用する。これらの経済的条件は、 を決定することによって、 物質欲のような主観的な経済的動機とはまったくことなる。この物質欲はルネッサンス以来、マルクスの 根本概念を誤解したあるマルクス主義者に至るまで、多くの学者によって人間行動の支配的動機とみなさ れてきた。しかし実際のところ、物質的富をえようとするはげしい欲求は、ある文化にのみ特有なもので

4. 自由からの逃走

(2 ) このことについては Karen Ho 「 ney, New P ミ「 . 「 . NO 「 ( on 年 New York, 1939 を参照せよ。 ( Ⅱ ) Ka 「 en Horney's, New ま p 日ミ』 w. 舅「 . NO 「 ( on Company' New YO 「 k 》】 938 のなかのこの点についての議論を参照せよ。 ( ) H. S. Sullivan, op. cit. 》 p. 68 ff およびかれの "Resea 「 ch in Schizoph 「 enia" メミ e ュ、 0 rn ミ of p c ミミ》 Vol. IX, NO. 3 を参照せよ。また Frieda F 「 omm Reichmann, "T 「 ansference Problems in Schizophrenia", The ps c 04 ミミミ 0 ミ・、 erly 》 VOI• VIIL NO. 4 を参照せよ。 ( ) 催眠状態の問題に関して、 by M. H. E 「 ickson, 、 c ミミ , 1939. VOI. 2 》 NO. 3 》 P. 472. による文 献目録を参照せよ。 ( Ⅱ ) 精神分析の手続は、本質的に、ある人間をして、この本来の自己を暴露しようとさせる過程である。 「自由連想」は本来の感情と思想とを表現すること、すなわち真理を述べることを意味する。しかしここ でいう真理とは、ある人間が考えているままを述べるということではなく、その思考そのものが、本来的 なものであって、他から期待される思想への適応ではないということである。フロイトは「悪」事の抑圧 を強調した。しかしかれは「善」事もまたどの程度抑圧されうるものか、十分に理解していなかったよう に思われる。 2 逃避のメカニズム

5. 自由からの逃走

間はその自然的な傾向を抑え、そしてそうすることによって良心の命令にしたがわなければならないとい うのと同じく、柔軟な性質をもっている。それにたいして、自分自身にしたがうことを禁ずるのは人間の 自治の否定である。同じように微妙な意味の変化は c ご、き ~ ミ、 0 こ代 c 、 e 》 nec ミミ per ミを「われわれ自身の知識や意志に頼らない」と訳すことにも現われている。原典の ということと明らかに矛盾するの すなわちき、 e d ーーあえて知る 叙述は啓蒙哲学のモット 1 、 であるが、アレンの翻訳はみずからの知識に頼るという近代思想とほとんど一致するような警告となって いる。私が以上のような、原典からの翻訳のズレをとりあげるのは、原著者の精神は、まさにそれを翻訳 し J することによって「近代化」し色づけられるーーー確かになんら底意があってそうするのではないが いうことのよい例となるからである。 ( 釀 ) OP. cit•, B00k Chapter 7 》 2. ( 犯 ) op. cit., B00k lll, Chapter 14 》 11. ( ) Cf. J. Kulischer, OP. cit., s. 249. ( ) Cf. Geo 「 gia Harkness, 、 0 C ミド 7 e A443 d His 、》 Henry H01t CO こ New York' 1931 》 p. 151 円 s. 156 ff. ( 恥 ) op. cit こ B00k lll, Chapter 21, 5. ( ) OP. cit., B00k Chapter ド 41. ( ) op. cit こ B00k lll, Chapter 7 , 3. 1 の著作のう ( ) この後の点は、カルヴァンの教義と資本主義の精神との重要な関連として、・ウェ 1 ちで、とくに注意されている。 ( ) ラヌルフ CRanulf) の。き一 g ミ & 4 ンミミ e C ~ P 0 ~ 。を参照せよ。これは道徳 不教改革時代の自由 117 宀

6. 自由からの逃走

York, 1930. Schapiro, Social Reform and the efor きミ ~ 0 ド Thesis, C01umbia UniversitY, 189. pascal, ド、 e soc ~ ミ of the German え efo 、ミミ & ド A44 こトミ代 r 4 d His ~ ミご》 London, 1933. Tawney, え e g ~ 0 ミミ the Rise of Ca 、ミミ》 l-la 0 ミド Brace 年 CO こ New York' 1926. Brentano, し代 r さ af 、 e ミン鬯 ch der G ご e. Meiner, Leipziß 1923. Kraus, Sc 0 、、》 p r ~ 、ミ ~ ミ d K 。、 ~ 、 ~ ミ Dunker 年 Humb01t, München, 1930. ( ) J. Kulischer, op. cit., s. 192 円の引用したこの問題についての文献を参照せよ。 ( ) Tawney, op. cit. 》 p. 28. ( Ⅱ ) op. cit こ P. 31 ff. ( ) Cf. Lamprecht, op. cit.. s. 20 Andreas, op. cit., p. 303. ( ) Schapiro, op. cit., p. 59. ( ) or ・ 0 、 r 、ト e ) A. J. Holman Company, Philadelphia, VOI. IV, P. 34. ( 絽 ) Schapiro, op. cit. 》 pp. 54. 55. ( ) Lamprecht, op. cit., s. 200. ( ) Quoted by Schapiro, op. cit. 》 pp. 21 ー 22. ( 幻 ) Tawney, op. cit こ p. 86. ( ) この闘争の問題は、 M. Mead, C ゃ。、 e ミ on 。 CO ミ、 e 、 & 4 ミ on P ミぎ e Peo. 、、ご McGraw ・ HilI Book Company, New Yo 「 k. 193 L. K. Frank, 7 e Cost of CO ミ、 e 、 & ド in Plan Age' VO 一 . VI, November-December, 1940 を参照せよ。 ( ) 私はここで主としてゼーベルク (). seebe 「 g) の Lehrbuch der し 0 ミ e 』 e 》 Deutsche Ver ・ 、・、レトマン lagsbuchhandlung, Leipzig, VO 一 . lll, 1930 一 VO 一 . 尸 1933 VOI• IV' ド 1920 と 114

7. 自由からの逃走

vember, 1939 を参照せよ。 ( 2 ) サリヴァンはその講義で、この叙述を追求した。かれの述べるところによると、青年期以前の時期は、 対人関係において、他人 ( 仲よし ) のかわりに新しいタイ。フの満足を求めるさまざまな衝動があらわれる ことを特徴とする。愛情とは、かれによれば、愛される人間の満足が、愛する人間の満足とまったく同じ ように意味あり望ましいものであるという状態である。 ( 3 ) 〈 1 ゲルとマルクスは疎外の問題を理解するための根底をつく 0 た。とくにマルクスの「物神崇拝」と 「労働の疎外」という概念を参照せよ。 ( 4 ) 自己評価のこの分析はアーネスト・シャ ( テル (Ernest schachtel) の 2S0 一 ( ・ ( eelin and the 《 s 巴 0 ・ Of Personality こについての未刊の講義のうちに明瞭に述・ヘられている。 ( 5 ) 一一 an G 「 00P pe ) 0 ミミ 000 、】 0 】 80 》 ( 「 ansla ( ed by ト Gode 0 一》 Ha 「 pe 「年 B 「 9h0 「 0 》 New York, 19 . 152

8. 自由からの逃走

( 2 ) Hobbes, ト e ド London, 165 尸 p. 47. ( 3 ) C ミ e ミ洋 , 「 ien, 1933. ( 4 ) The Ne ミ -o 、 Pe こ 0 。新 0 of Our Time. W. ン h'/. NO 「 ( 0 ロ年 Company, New YO 「 k 》 1963. ( 5 ) P c 0 ~ 0 der メミ 0 、ミメミ 0 ュ、ミ d Fa ミ》 ed. Max Horkheime 「》 Paris 》 1936. ・サド侯爵は、ミ、、 e II ( ン Ia ミミト S bY G. Gorer, Liveright Publishing Corporation' New Yo 「 k 》 1934 からの引用 ) の次の部分で、支配という性質がサディズムの本質であると考えた。すな わち「それは君が相手に感じさせようと思う快楽ではなく、君が作りだしたいと思う印象である。苦痛の : ひとはそのことを知っている。そしてそれを利用して満足して 印象は快楽の印象よりも遙かに強い。 いる」。ゴ 1 ラ 1 はド・サドの著作を分析して、サディズムを「外界が、観察者の作為で観察できるほど 変容されていることによって感じられる快楽」と定義した。この定義は他の心理学者の定義よりも私のサ ディズムの見解に近い。しかし思うに、ゴ 1 ラ 1 はサディズムと、征服や生産における歓喜とを同一視し た点で誤っている。サディズム的な征服は対象をサディズムの手中にある意志なき道具にしようとすると いう事実を特徴とする。それにたいして、非サディズム的歓喜は他人に働きかけるばあい、他人の完全性 を尊重し、平等の感情の上に立っている。ゴ 1 ラ 1 の定義においては、サディズムはその特殊性を失い、 およそ生産的なるものと一致してしまう。 1 ゴ 1 は罪の不可避性という考えを、レ・ミゼラブルのジャヴェルの性格のなかで、も ( 7 ) ヴィクトル・ユ っとも雄弁に表現した。 ( 8 ) MoeIIer van der Bruck, し 5 しュ、 c Hanseatische Verlag ・ anstalt, Hamburg, 1931 》 ss. 223 224. ( 9 ) ラウシュニング (Rauschning) は The え e00 、 ~ ・ 0 、 ~ 0 ト ~ ミ》 Alliance B00k Corporation, Longmans, Green CO こ New York, 1939 において、ファッシズムのニヒリズム的な性格を巧みに描 写した。 2

9. 自由からの逃走

ける解答であり、フロム自身さらにそのほかに社会経済的な変革が必要であることをみとめている。 フロムは新しくきたるべき社会を、「民主的社会主義」社会として指摘しているが、それがどのよう にして達成できるか、またそれがどのような社会であるかは、なにも述べていない。しかしそのこと を本書にのそむことは、本書のテ 1 マが自由の心理学的側面に限定されている以上、のそむほうが無 理である。ただフロムがそのことを十分に承知していることを知るだけで十分であろう。 フロムの経歴および著作のすべてについては、残念ながら本書出版までに十分調べることができな かった。かれはナチに追われてパリにうつり、それからニ = 1 ョ 1 クに移住したものと思われる。ド ィッ語で書かれた文献にもカ作が多く、たとえばマックス・ホルクハイマ 1 ( やはりナチに追われ、 フランスをへてアメリカに移住 ) 編の『権威と家族』ゝミミ ~ 、ミ、ミミ e , Alcan, paris, 1934 に も論文をよせている。また原始キリスト教について Zur E ミ s 、 des C 、 s き s ミ , psycho- analytischer Verlag, Wien, 1931 という論文もある。その他新フロイト主義の立場にたっ論文が多い。 わが国では、佐々木斐夫氏が「フロイトの誤謬」 ( 『自然』一九四九年八月号 ) を紹介しておられる。 これはフロイトのエデイプス・コン。フレックスの概念の批判である。ミト e f きミ Freedom につい で、フロムは for H ~ ミ s ミト 1947 》 New York や p. 箜 c 0 に 0 S ミミ R 代新 g ~ 0 ド 195P New Haven をやつぎばやに出版している。かれ自身の一一 = ロ葉によると、 ManforHimself はかれの倫理学 であり、 P 。を。 s and ミ ~ をミはかれの宗教哲学であるという。 『自由からの逃走』については、わが国でも終戦後いくらか紹介されている。とくに清水幾太郎氏 334

10. 自由からの逃走

リアのヒュ 1 マニストの見解を分析して、プルックハルトの業績を建設的に批判している。本書で論ぜら れる問題に関しては、自己の進展を求める闘争が激化する結果生まれる不安定、諦め、絶望について、か れの注意したことがとくに関係をもっている (). 18 ) 。 ( 6 ) Cf. Huizinga, p. 159. ( 7 ) ディルタイのベトラルカの分析 ( op. cit. 》 p. 19 (f) およびトリンクハウスメ d ミ ) ~ 0 No e ミ e を 参照せよ。 ( 8 ) op. cit., p. 139. ( 9 ) Cf. Max Weber, The P き、ごミ E 斗 d the S 、 ~ ・ユ、 of Ca 、ミ Charles Scribner's Sons, New York, 1930 》 p. 65. ( 川 ) Cf. Ernst Troeltsch, Re ミミ ~ に d Ref 。 r ミ。、ぎド Bd. IV, Gesammelte Schriften, Tübingen, 1923. ( Ⅱ ) 中世後期および宗教改革時代の経済史についての以下の論述は、主として次のものにもとづいている。 Lamprecht, Z ミ弋 e ) ミ d der さ ~ ・ r ) !f 、新 c 6 ミミき笠 e ミに e し代ミミミ ~ d 00 ミ、 4. ミ、 6. 、 ah 導ト . Akademische VerIagsbuchhandIung J. C. B. Mohr, Ztschfür 由 Sozial ・ und Wirtschaftsgeschichte, Freiburg 一 . B. und Leipzig. 1893. 自 の Ehrenberg, Z 、ミ r 、 F e ) Fischer, Jena, 1896. 代 時 Sombart, Der Moderne Ka 、ミミ 5 》 1921 》 1928. 革 v. BeIow, P き e ミ der ま ~ ・ r ) 、 ) e 、 Mohr, Tübingen, 1920. 改 Kulische 「》、、 ge ミミ、ミ一ま ~ ・ r 、』ミ•t$ 0 0 ミ e des Mi 、、ミミこに der Ne ミド D 「 uck und 教 宗 Verlag von R. Oldenbourg. München und Berlin, 1928. Andreas, し e ミミを d vor ト、 R 、ミ・ミミド Deutsche VerIags ・ Anstalt, Stuttgart und Berlin, 1923. 3 Weber, 7 ・ he P き、ごきミト斗ミミ the $ 、斗 ~ ・、 of C 、ミ、ド Charles Scribner's Sons, New