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検索対象: 自警録 心のもちかた
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1. 自警録 心のもちかた

かみ くしけす ふうさい 短くし、髪はなるべく梳らす、足はなるべく足袋を穿かなかったような、粗暴の風采はな さぬ人が多かろう。ゆえに外貌のことにつきここにかれこれいう必要はなかろうと思う。僕 がここに剛柔を説くにも、外貌に現れた剛柔を説かんとしない。 ことに実業に従事する者の 、っちにも、 あきんど 「商人の、道に賢き笑い様」 商業のごとく客を相手にする職業にある人は損得の関係上からも外貌をなるたけ柔和にし、 もって人を惹きつけるにつとめるから、なおさら外貌のことを述ぶる必要はあるまいと思う。 これらの点に関してはむしろ学生に述ぶべきことゆえ、今はここにこれを見合わす。 剛柔、分を守りて人格が円満 さて心の剛柔とは、すでに前に女という字についていえるごとく、善意にも悪意にも解せ られる。剛が過ぎれば剛情となり、頑固となり、意気地となる。柔に過ぐれば木偶となり、 薄志弱行となる。極端に失すればいすれも悪しくなるが、度に過ぎぬ以上は、すべからく剛 毅でなければならぬ。 自分の所信を貫徹するためには、一たび固めた決心を抂けぬ、あくまでも、左右の言にも 耳を借さすに猛進するくらいの強いところが必要である。さればといって、剛ばかりで、慈 悲もなく、人情も捨て、全然柔和のところを失えば、これ他人に不幸を与うるのみならす、

2. 自警録 心のもちかた

第四章外は柔、内は剛 英雄に現れた内外の差違 さい ) てつなんしゅう 西郷南洲が始めて橋本左内に会うたとき、こんな柔しい男が何で国事を談するに足るだろ うかと、心ひそかに軽蔑したことを、後にいたって自白している。さもあったろうと思う。聞 くところによれば橋本という人は、外見はまことに温和に柔順な好男子であったから、この いかに燃ゆるがごとき熱血が流れつつ 人の心情を知らぬものは、この柔順らしい皮の下に、 さと あったかを悟ることが出来なかった。また同じ西郷が藤田東湖に会った後、人に向い 「進ぎみたいな人物た」 と評したという。これもさもあったであろう。氏は驅幹長大にしてたくましく、色が黒かっ 。し力に柔和な心があり、しかして母の危急を たそうであるから、外観を見ては、その血管こ ) 、 救うためには自分の生命までも投げ出すことを常人は察し得ぬであろう。また南洲自身につ 章 四いていえは、見ようによりては貎が怖ろしい人のようにも思われ、あるいは子供も馴染む ような柔和な点もあった。ちょっと見ても、その烱々として大きくかがやく眼は怖ろしいが、 その奥底にはいうべからざる愛情がこもり、近づくものをみな惹きつけねばやまぬ趣があっ ー、ーうおそ おもむき

3. 自警録 心のもちかた

前に残っていた。むろん、これは病的であることを、僕はよく知っていた。しかしいかに病 めいリよう 的とはいえ、みすから明瞭に自覚しておるにかかわらず、夢に見たことが、さめたるのちま でも、そのの消え去らす、連続しておった。あるいは心理学者の一笑を招くかも知れぬ が、いわゆる夢なるものといわゆる実際なるものとが連続しておることを考え、怪物の夢そ おそ のものよりかえっていわゆる実際のほうがおのすから怖ろしくなったことがある。 夢は人間の心の鏡 右に述べたことは、夢に見たことが、実際にも、眼前に連続したのである。これと同じく 実際なることも、また夢に連続するものと思う。ゆえに目覚めているとき、つねに高きよい みた ことを思うものは、夢にもまた下品な、紊れたことを見ぬものである。しかるに少し油断し、 用 おこた 実修養を怠ると悪夢を結ぶか、よしそれまでに至らぬとしても吉夢を見ないようになる。孔子 夢は、 しゅうこうみ おとろ 章「甚しいかな、吾が衰えたるや。久しく吾れ復た夢にだも周公を見す」〔『論語』〕 十といっている。孔子が油断したのか、しからざるか、僕は知らぬがこの一言は大いに考う 第べきことである。この言葉を裏面よりみれは、衰えぬときは、周公のことを夢にまでも見た ということを含んでいるであろう。しからばすなわち白居易の詩に、 「 " 冖驂第曜夜夢見」之」 ひさ ゅめ かんが

4. 自警録 心のもちかた

制ろ、つか 報酬を求むる手段としての務 僕の知れる某貴夫人はすこぶる高潔なる家庭に人となり、貞淑をもって称せられているが、 あるとき僕に、 「世間の人は芸妓をたいそうしみ、悪く言いますが、私は芸妓よりも卑しいものが、今の貴 あなたこなた 夫人に多くあるかと思います。芸妓はお世辞を売髓とし、彼方此方に振りまき、柔しいこと あから をいうて、その報酬にポチ〔心づけ〕を貰おうとするが、彼らは明さまにこれをその職業に たま 表していることゆえ、さらに驚くに足りません。欺される人は、招牌〔看板〕見ないで店に 飛び込むようなもので、商品が違っていたら、それは自分が悪かったのであります。貴夫人 ていそう かんばん などは貞操を招牌にかけ、むろんポチ〔心づけ〕だの報酬だのを夫より受くべきはすはない が、しかし随分それを強請ろうと思い、衣服を買って貰いたいがために、、いにもないことを あさむ おっと 夫に述べて目的を遂げる人があります。この点にいたっては芸妓よりも多く人を欺くもので、 おと しんふつ 神仏の目より見たら、恐らくは芸妓よりはるかに劣ったものと思われましよう」 といわれたが、なになにの報酬を得るがために、事を為すくらい卑しいことはない。貴夫 ) 、はたまた会社員でも官吏でも、月給を得んがために、礼を貰 人と言い、学校の教師と言し わんがために、ボーナスに与からんがために、その他なんらかのためにする手段として職務 っとめ おっと やさ

5. 自警録 心のもちかた

ある。 まうレ一う 最良の利益とは正々堂々と人の前でいって恥すかしくないことをいうのである。この頭 に話した米人の己れの一家のよろしきを図るごときは、人に対して何の恥するところもない おごり もしこの男にして一家の驕奢を図り、その妻には流行の先駆者たらしめ、あるいは子女をし おの てだらしのない娯楽に耽けらしむることをもって、己れの利益とみなしたならは、これはま さしく恥すべきことである。しかるに己れよりは一歩進んだ人に育てあげようという目的な 一さ らば、これまさしく国家のため善良なる市民を捧けるのであるから、国家のためといわない で、確かに国家の利益を盟っておる。かつまた己れの事業にして繁昌すれば、営業税も余計 よ に収め、もって国家に対する負掫も喜んで増し、また海外に輸出額がふえれはこれまた国産 せ 、一うけん イに貢献することであるからなおまた国のためになる。 精 を 業国家のためという誤解の危険 これに反し、しはしば我々が耳にするもので、しかじかの事業は己れには不利であるが国 七家的事業であるから、身を犠牲にしてこれに当たるなどいうことは、言葉を換えていうと、 第国家が個人に要求することのあまりに多きことを意味することになる。もちろん一事ある 時は個人の利益や個人の財産生命も投け出さねはならぬが、平生何事についても国民より重 幻い犠牲を要求するような国家は、国家の一大目的に背いているもので、はたしてそういう国 を一せい おの ぎせい いは せ

6. 自警録 心のもちかた

外見と性質とがちがうように見えたのであろう。 やわらかく握るところに人生の真味あり わたしぶね たびたびいう通り人世は多数の人とともに乗り合う渡船のごときものである。人とともに この世を渡るには、おだやかに意気地ばらすに、譲り得るだけは譲るべきものと思う。僕の しばしば引用する『巣穢』には、 しみこまや ナいろせま 「径路窄きところは、一歩を留めて、人に行かしめ、滋味濃かなるものは、三分を減じて人 ) 一くあんらくまう ゆす に譲りて嗜ましむ、これは是れ、世を渉る一の極安楽法なり」と。 また、 ちょうはん 「世に処するには一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本」 世渡りの秘訣は人に譲るにあることを繰り避してあるが、実にその通り。自分の権 といし おちい りえん 利を最大限度に要求することははなはだ卑劣に陥る所以と思う。不思議なもので、人生には さおう 理屈をもって説き得られぬことがたくさんある。沙翁〔シェークスピア w. Shak 。。 a 「。〕の 章 四「世の中には君の小さき哲学の夢にだも思わぬことが多い」 せきし と、、昔時の物語にもある通り、出来るだけの力をもってなるべく多く握らんとすれば、か えってわすかの分量しか手に入らぬ。やわらかく握るほうがかえって多く握れる。これはむろ たしな ゆす わた

7. 自警録 心のもちかた

ら、両者の性質を兼備し、自分の勝手で都合よきほうに較べ、ある時はみすから尊者の敬称 へりくた を甘んじて受け、またある時はみすから野卑と称するほど謙遜る。信玄の歌に、 ひと ひと ひと ひと ひとおは 人多きんの中にぞ人ぞなき、人となれ人、人となせ人 とあるは、ある人の歌に、 ひと ひと ひと 人はたゞ人とならねば人ならす、人となれ人、人となせ人 とあると同じく「人」なる念を二つにしていることが明らかである。すなわち「人」な る字が善悪の二様に用いられている。 女なる言葉に含まれた道徳的意味 おんな この人間のうちには男もあれば女もある。しかして「女」なる言葉はその用うる場合によ り、「人」の場合と同じく、善悪両様の意味を別々に含ませている。むろん男のことを「女ら しい」というときは、十に八、九まで誹謗する意旨であるが、しかし女自身に使用するとき でも、おもしろからぬ意味を諷することはしばしば見るところである。 たとえば、 しようしんやしなカた 「女子と小人は養い難し」〔「論語』陽貨〕 しようじん という場合、単に女子という文字だけにてはさらに善悪の意を含んでおらぬが、小人という ことわさ ことばむす 語と結びあわせると、女子を卑下する心持が現れている。ちょっと普通行わるる諺を見て あま かって ひと ひと ひと ひと そんしゃ

8. 自警録 心のもちかた

まであの人の時にこういうことをしたと記憶される人はきわめて少ない。僕は文部省を攻撃 するのでなく、ただ説明の便宜に引例したのである。して僕のいうことは教育のみに限らな 。他の宦毎においても同然である。 また西洋でも同じである。各国の教育史を見てもベスタロッチ〔 pestalozzi) 、フレーベル はなじる 〔 FröbeI) などは自身で鼻汁をたらした子供を集めて教えたということは残っているが、役 せしん 人になったかどうか、世人は問わない。われわれの理想を翻訳するに、どの位地、どの子 すわ に坐らなけれはできぬというものでない。位地を得ればなお良いかも知らぬが、位地ばかり やから 処が理想を達するゆえんでない。否々位地を得たため、かえって理想を失する輩が多い。理想 何は子にあるものでないから、椅子を得たによってまっとうするとはいわれぬ。もし椅子に 現よりてなしうるなら、人でなく椅子が働き、人は椅子の道具に化するようなものである。 の 理理想は所在に現れる 章しかるにわれわれはややもすれは、理想なる文字のもとに野心を包み、あるいは月給をよ いばりたいというような望みを包む。ゆえにだんだん 十けいに取りたい、 人に褒められたい 第いわゆる理想の奧を探るとすこぶる賤むべき野卑なる動機に到着することがしはしばある。 おお 自己の欲望の汚穢を掩うために理想という文字を用うるものがたくさんある。要するに理想 とうてつ 引の実現は位地によるものでない 心の底まで理想が透徹するならは、なにごとにあたっても やひ

9. 自警録 心のもちかた

どう めい 同する者は実際を見る明を失う。 「凝っては思案に及ばす」というが、なにか一つを好むと、その好きなものの長所のみが映っ きよくらよく て短所は目に入らぬ。この好き嫌いをもって物を判断する標準にすると、とかく曲直の分 別ができなくなり、つまらぬことに争い、 大きなことにも争いを起こす。はなはだしきは政 治の問題についても有力なる某政治家は嫌いだと思えば、その人の政見がいかに正しくとも あやま ・一うげき これを誤れるがごとくに批評し、たまたまこれを攻撃する理論が発見されなければ、説その ものは善きも、その説を来す動機がはなはだ、しいとか何とかいって、説そのものをもむ けようになる。ある外人が日本人を評してかくのごとく感情に高い国民は憲法政治を実行し得 るだろうかと疑ったことがある。 る 渡 を 測る物体と測る標準とが違う 世 おもしろ わが輩はつねにこう信する。この世の中を渡るに嗜好はなるたけ人々により別なるが面白 広 ひょうしゅん けれども、善悪の標準は一様でなくてはならぬと。この一様なる善悪の標準をもって好き 章 ものさ しかるに好きなも 三嫌いを測るべきものでない。好き嫌いを測るものは道徳的物差しでない。 きら あいぞう きよくちよく 第のは善い、 嫌いなものは悪いというように、愛憎をもって曲直を決することは、ちょうど 物の軽重を計るに差念〔かねじゃく〕を用うるがごとくである。長いから重いというもので 燔なく、また短いから軽いものでもない 測る道具と測る品物が往々にして異るので、この二 、一とな せつ

10. 自警録 心のもちかた

若い気のなくなった人は、まるで枯木に弾力なきに等しく実にみすばらしい。また自分には これ以上に希望なしとて、現状ですでに得意がりあるいは落胆している人は一層気の毒であ しようせー やす る。ところが誰でも少し油断すると小成に安んじ、これでよいという気になりやすく、しか らざればなにごとについてもいたすらに不満の声を高くして、一見理想があるようにも見ゅ るがこれ必すしもしからすである。いわゆる成功なるものは多く理想の低き人のロにすると ころで、十円の月給をもらう人が百円を目的とし、その百円の月給を得るにいたれは、これ みすか を成功と称し自ら安心する。これあるいは成功であるかも知れぬ。しかしながら物質的目的 レてつ を達するをもってただちに理想とするごときははなはだ当を得ないことではなかろうか。欲 心と理想とはちがう。欲は迷想とこそいうべけれ、理想とは称しがたい。 やす 事たれは足るにまかせて事たらす足らで事たる身こそ安けれ という歌は子供も知っているが、月給の増すのをもって目的とし人生の理想なりと解釈 やす しておるならば、「事たる身こそ安けれ」というような、安心の時代はとうてい到来せぬであ ろう しかるに理想はこれとは別方面のところに存するものである。月給等の形而下のことをの み欲するを理想と呼ぶのは大なる誤りであろう。ゆえに右のごとき月給の増減によって理想 レ一、つ の例に用うるは当を得ないことで、理想といわゆる成功とは必すしも同一方面に共存するも のでない れ医一 こと